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自立生活 国際フォーラム 日本語版

第3分科会資料:自立支援と関連法

HANDS世田谷  横山 晃久

 昨年、日本で「介護保険法」が国会で成立しました。65歳以上のすべての人は2000年には対象となって施行されようとしています。そして5年後には見直しされ、40歳以上の障害者にも適用が考えられています。
 この「介護保険法」は基本的に、従来の日本型福祉「家族負担軽減対策」の枠から一歩も出ていません。すなわち障害者の介護、介助は家族が責任をもっておこない微々たるお金を行政が家族に支払うという、家族に責任をおしつけ障害者・老人の基本的人権を無視し30年前の日本に逆戻りするものとして、私は考えています。そのため、障害者の自立支援の介助保障制度とはなり得ないと思います。
 今までの日本の福祉は、『家族がぎりぎりまでわが子の面倒は看て、家族が看きれきれない状態になった時に、施設が待っている』というのが障害者を取り巻く日本の考え方でした。それと日本国民の意識にありがちな先生(専門家)に家族が弱いためにおこりうる現実そのものが、今の日本の現状ではないでしょうか。
 もっと具体的にいえば、家族からみれば『こんな子を産んでしまった社会に対する引け目・負い目』そういう家族の意識と、国民的な意識『障害者には保護者が必要』というものがうまく重なり、出てきた政策といえば『施設収容政策』だと考えています。そういう親の不安な気持ちと、社会的な意識のなかで起こってきた政策といえば、『リハビリテーション』という考え方です。「障害を直す・障害の程度を軽くする・障害は悪である」という意識で施設の中で手術や治療が全国各地で行われていました。
 こういう風にみてきますと『すべて親・家族・学校の教師・施設の職員・医師・行政』本人の意思とは関係無いところで、「人生が回りの都合の良い判断で決められてしまう」恐怖感やあきらめ感をあじあわされてきました。
 こうしたなかで、30年ほど前から障害者運動が始まり、25年前に「介護制度確立要求運動」が東京で始まり、基本的人権の戦いとして『交通権の取り組み・介助保障制度の取り組み・教育権の取り組み・労働権の確立に向けた取り組み等』様々な問題と戦ってきました。
 介助制度のあり方については、基本的には国家予算の中から捻出する方向で考えれば良いと思います。社会的な労働として『介助労働』を位置付けることによって、介助の基本である「同性介助」が守られ施設には生かされなくても良いからです。どうして施設の中でしか『介護労働』という言葉がないのでしょうか?
 施設という特別な空間にしか存在しない言葉であって、地域では『ボランティア』という言葉にすり返られてしまうのはおかしい事だと思っていました。
 今日このフォーラムに参加された多くの人が感じられていると思いますが、介助募集をしていても男性よりも女性の人の多くから反応が返ってきていると思います。それは障害者の介助は「子育ての延長」という概念から抜けきれずにいるために、男性の介助者の確保がむずかしいと思い、そういう観点からでも『介護労働化』に向けた取り組みも必要だと思っています。
 これからの日本にとって介助保障制度の充実は、きめ細かくして本人と、CILの所長もしくは担当コーディネーター(ケアマネージャー)がよく話し合い、行政の担当課と決めていくのがいい方法だと考えています。私はセルフマネージャーが基本だと思っています。それは自分の人生設計は自分で決めていく事が大原則と思っているからです。
 私の考えを具体的に述べますと、日本の介助制度は使いにくい制度もありますが、基本的な制度といえば、ホームヘルパー制度だと思います。
 ですからホームヘルパー制度を機軸として、最大1日28時間限度として、2時間券として2-4-6-8-10-12-14-16-18-20-22-24-26-28時間で風呂介助や外出介助のような2人介助が必要な人には認めるような法律化が必要だと思います。そして国・県・市の補助負担の割合は、国が16時間・県が8時間・市が4時間とし、第3者機関として、オンブズマン機関としての役割を自立生活センターが担うものとしていければ、行政も助かる事だと思います。そして人によって介助保障は人か金銭どちらか、または半分ずつ利用するかは本人が決めていくことが必要だと思います。人の派遣を必要とする人には自立生活センターが、介助者を派遣すれば良いと思います。基本的には、本人が選べる制度として、それをサポートしていく事と、本人と行政との調整役として自立生活センターがあると考えています。