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自立生活 国際フォーラム 日本語版

第5分科会資料:当事者活動と権利擁護

全国精神障害者団体連合会  加藤 真規子

 優生保護法は、1997年に改正され、母体保護法になりました。旧法は精神障害、知的障害、それにハンセン病などの遺伝性疾患を不良な生命と差別化し、障害者の人権を否定するとともに、障害のない子供を産むよう女性を管理する法律です。改正では、不良な子孫の出生防止を法律の目的から削除、また遺伝性疾患や精神疾患などの防止を不妊手術と人工妊娠中絶の許可条項から削除しました。本人の同意によらない、強制的不妊手術も廃止されました。私達は、旧法を改正していく過程で、「なくそう優生保護法・堕胎罪・かえよう母子保健・全国連絡会」の活動に参加しました。この活動は、改正していくことで一応の成果を見たわけですが、「不良な生命」と規定され、障害者が誇りと尊厳を奪われた歴史には変わりありません。

 強制不妊手術を受けさせられた仲間がいます。その私の友人は古い精神病院で手術を受けましたが、後で、医師が「あの人は男好きだから病院で長く面倒をみるために手術した」と笑いました。手術の傷と重ねて、周りの態度にどんなに傷ついても、被害者は自分の居場所を考えると異論を口に出せず、手術を合理化せざるを得ません。

精神障害者は孤独です。ある仲間は、まだ少年です。喉がなるということを気にしていました。周りに不快感を与えているのではないか、いや、きっと不快に違いないと思いつめてしまいました。その思いは言葉にならず、おこりっぽくなりました。高等学校は彼を自主退学させ、彼の話し相手は精神病院のカウンセラーだけになりました。入院させようということになり、「君は一人部屋がいい、それとも4人部屋がいい?」と問われ「一人部屋」と答えました。彼は「一人部屋」が保護室であることを知らされなかったのです。30年前の私と同じです。暴力をふるうといって、電気ショックを受けています。「精神障害者は作られていく」とまざまざと感じます。私は、何時間も彼の話を聴きました。彼の歴史が見えてきました。私が何故そうするかというと、私自身がこれを言ったら恥ずかしいと思っていた話を苦しくなって、とうとう25歳の時にPさんという人に打ち明けたのです。彼は11時間聴き続けてくれて、「貴方、いい線いってるよ。また、苦しくなったら、聴かせて下さい。」ある仲間は、小さな時に両親と別れ、弟と養護施設に入りました。弟に父親は精神病院に入院して、ロボトミーの手術 を受けさせられたことを決して言いませんでした。小学校の時から、UFOの操縦を夕方になるとするのだと語っていました。彼は亡くなりました。強い薬を飲んでいて心不全でした。仲間でお葬式をしました。彼の精神世界はUFOの存在を必要としたのです。精神障害者の精神世界はとても豊かです。感情も豊かです。精神医学、心理学、教育学、社会福祉学が、「精神障害者」を一人の悲しむ、悩む人間、変化する力を持っている人間と認めるべきだと主張したい。

障害児かどうか、産む前に判別して、産まないことにこしたことはないという意見は存在しています。この意見の背景には、身体や精神に障害が出たら、母親のお産の状況を調べようとする社会、子供はかわいいものだからと親に押し付けて地域で育てようとしない社会、子育てを母親に押し付ける男社会。いろいろな狭い「社会」が考えの背景にあります。これだけ技術と情報があふれ、医療や福祉の制度が変革する中で、障害者として生きる文化、譲れない生き方があるという思想をしっかりとものにしたいです。