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生きている場所からのメッセージ

松兼 功
松兼さんは脳性麻痺による四肢障害を抱えながら、エッセイ、旅行記、童話など数々の作品を執筆しているほか、コピーライター、作詞家としても活動している。

項目 内容
備考 Webマガジン ディスアビリティー・ワールド 2004年10月号掲載

 それは障害のあるなしに関わらず、人間誰もに潜在する[ピュアな下心]から始まった。
きっかけは養護学校の小学部4年の時にした初恋だった。ある日、同じ養護学校の中学部に通うその相手の先輩の誕生日に、こちらの思いを伝える詩を書いてプレゼントしようと思い立ったのだが、脳性マヒによる手足と言葉の障害がある私は当時から,鉛筆をもって自力でものを書くことが出来なかった。だから、何かを書く必要がある時には時間をかけて口頭で言った言葉を、先生や親に代筆してもらっていた。しかし、である。憧れの先輩への詩のプレゼントは[どうしても自力で書きたい]と思い、鉛筆に代わるものを必死に探した。すると,機能訓練の先生が「電動のタイプライターはどうだろう」と、アドバイスしてくれた。

鼻でタイプライターを打つ松兼さんの写真 そのアドバイスに勢い込んで、さっそく学校の電動タイプライターを家に借りて帰り,指先でキーを狙ってみた。でも,最初は不随意運動(アテトーゼ)のために腕が思い通りに動かせず,間違いの連続で、1週間ほどつづけていると,疲れで熱まで出してしまった。それでも何としても先輩に詩をプレゼントしたい一心で,熱が下がってまたタイプライターの前に座ると,どこからともなく「鼻で打ってみろ!」という声がしたのだ。

 その声に導かれるように,初めて「鼻打ち」で一心不乱に綴った詩のプレゼント。手渡した先輩には見事にフラレ,その内容もほとんど覚えていないけれど、以来,[ピュアな下心]から編み出されたこの「鼻打ち」が作文コンクールでの入賞,大学進学,歌の作詩など,私の可能性をつぎつぎに広げていくようになった。そして時の流れと共に、タイプライターはワープロ、パソコンとより心強い相棒に代わり、仕事部屋の座椅子に座って45度ほどの傾斜をつけたそのキーボードを「鼻打ち」しての作家活動はもう22年以上になる。これまでに著名な画家、イラストレーターとコラボレートした3冊の詩画集をふくめ、16冊の著作を世に送り出している他、自ら作詩した歌も数多く発表しづけけている。そこで一貫して発信しているメッセージは、さまざまな状況を生きる人間一人ひとりの生身の喜怒哀楽である。その原点は、二十歳の時に私自身の飾るこことのない[はだかの思い]を歌にしたわたぼうし音楽祭だった。

 1975年にスタートした[わたぼうし]は,障害のある人たちの詩にメロデイを付けて歌う全国各地のボランティアによる市民コンサートで、年間,50か所以上の地域で開催されている。毎年,夏にその産声を上げた奈良県で開かれるわたぼうし音楽祭は各地のコンサートの全国大会とも言えるものである。私が初めてその存在を知ったのは、養護学校の高等部2年生の時に見た音楽祭の作詩応募を呼びかける新聞記事だった。それまでも個人的にはたくさんの詩を書きため、養護学校の仲間内ではその詩を基にした歌作りは行っていたのだが、それを未知なる多くの人たちに伝える機会はまだなかった。それだけに音楽祭の記事に「これは応募するしかない!」と直感したのだが、初めての応募作品は初恋相手に贈ったあの詩と同じように見事に落選した。

 その後、私は小学校から12年間ずっと通いつづけた養護学校を卒業し、親元を離れて一人で筑波大学での寮生活をスタートさせた。そこでは、それまでの養護学校時代とはまったく違って、一人では食べることも着替えることも出来ないこちらの障害を熟知し、何も言わなくても手助けしてくれる人は一人もいなかった。出会う人ごとに自分から言語障害まじりの言葉で声をかけ、身体の動きも交えて手伝ってもらいたい旨を伝える必要があったのだ。そして声をかけられた人たちも、初めて目の辺りにする“障害者”に少なからずたじろいたり、戸惑った。でも、そんな感情から逃げないでしっかりお互いに向き合うことこそが、新しい関係の始まりだった。その思いは、またしても恋愛感情を抱いた同級生の前で最高潮に達し、彼女に向けて『絆』という詩を一気に書き上げた。

僕の額に 流れる汗に
あなたは何を 思うでしょうか
生きる力に 微笑みますか?
同じ時を生きる あなた
ここでめぐり逢えた あなた
一つだけ 聞いてください
いつわりの微笑みと みせかけの涙だけは  
やめて やめてください
あなたの心に 素直になってください
そこから二人の 絆ができるのだから

 わたぼうし音楽祭の写真
この『絆』は第5回わたぼうし音楽祭で入選し、大分県の後藤真吉さんによってバラード調の曲が付けられ、数え切れない共感の拍手を浴びた。この時初めて、自分が綴った作品が翼をつけて、たくさんの人たちの心を結んでいく興奮を実感し、私自身もこの歌によって多くのかけがえのない出会いに恵まれた。そして『絆』は時と距離を超え、今でも日本国内はもとより、私が日本側の実行委員長を務めた1991年、シンガポールでの第1回アジアわたぼうし音楽祭をきっかけに世界のあちらこちらでも歌い継がれている。それは作家としてのこの上ない喜びであり、その喜びがまた新たな作品を生み出す意欲と使命感をかき立てている。

 数ヶ月前、戦時下のイラクで、砲火に傷ついた市民の姿をリアルタイムで映し出すニュース映像を見ていた時だった。ふいに路上いっぱいに散らばる数限りないガラスの破片で車イスのタイヤがパンクして,独りで身動きが取れずに血まみれになった自分自身の姿が思い浮かんで,全身に寒気が走った。その恐怖と危機感が私を即、キーボードの前に座らせ、『その手にキスして』がメッセージされた。

振り上げた拳で 何を打つの?
振り上げた拳で 人を打てば
悲しみの共犯者
真っ赤な傷で 明日が真っ暗 
暗闇に消える 数えきれない生命(いのち)             
気がつけば
全身の涙 世界中の悲鳴 
その前にほら……
振り上げた拳を 空へ打とう
突き上げる怒りを シャウトして
憎しみよ 風に散れ
人間(ひと)にもどろう その手にキスして

 今、何よりも私自身もふくめて人が人であるための場や思索を深め、そこで生まれる思いを詩に託していきたいという衝動に駆られている。具体的には、来年初めに完成予定のオリジナルCD、同じく来年秋の上海での第8回アジアわたぼうし音楽祭などを通じて、[人間回帰]のメッセージを世界各地に発信していきたいと考えている。そして何があっても伝えたいこと、伝えなければならない思いが胸にあふれる時、私の詩はその時々に生きている場所から自然に生まれつづけるだろう。