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日韓ワールドカップ20都市、3輪バイクの旅

(財)日本障害者リハビリテーション協会

項目 内容
備考 Webマガジン ディスアビリティー・ワールド 2002年5月号掲載

 2002年6月FIFAワールドカップが日韓で開催される。
世界中が注目するこのイベントに合わせ、下半身が不自由な服部一弘さんがトライクで日韓20都市を巡り、人種・障害の有無など様々なバリアを乗り越え、もっと外に出ようよ、と訴える一人旅を企画。
 服部さんは、1986年北米大陸1周ツーリングの途中、カナダで交通事故に遭い、下半身不随となった。2000年夏には、14年ぶりにオートバイで旅を再開、残りの北米大陸の旅を走破した。
2001年、韓国のバリアフリーを視察した際、ぜひ家に閉じこもりがちな障害者を励まして欲しいと激励され、今回の旅を決心した。横浜YMCAや企業などと実行委員会を作り計画を進めてきた。韓国の障害者施設の訪問、講演会等、交流イベントを行う。また、インターネット上に旅日記のホームページを公開し、日韓のバリアフリー事情を紹介する。
http://www.ubusuna.com/musubu/

トライクにまたがる服部さん

 服部さんにこの旅にたくす想いを綴ってもらった。
 しばらくの間、うつむきながら、じっとハングルと通訳された日本の言葉と交互に耳を傾けていた。顔を上げると僕の顔を見て、何を言っているかは良くわからなかったが、強い口調で、はっきりと言われた。彼の笑みを浮かべながらも真剣なまなざしに目を背けることができなかった。堰を切ったように続けられた言葉が終わると、すかさず日本語が聞こえてきた。「アメリカを単独で三輪のオートバイで廻られたんですね。さぞかしアメリカの障害者は、あなたの行動に勇気づけられたでしょう。ぜひ、今度は韓国を廻って韓国の障害者も勇気づけてください」自分ではそんな気持ちはなかった。ただ、障害者というレッテルを貼られた瞬間に自分という人格が消えさっていく、そんな瞬間がとても耐えきれなかった。自分は自分なんだと言うことを敢えてアピールしなければ認められない。自分で自分が抱えられない、そんな現実に挑戦をした結果であった。
それでも、障害のあるなしに係わらず多くの人がこの旅に夢を重ねて、自分の夢を見てくれたことが嬉しかった。そして、それは新たな挑戦への原動力になるには十分すぎる力だった。ソウルにある正立会館(チョンリップ)の方からの言葉に、バリアフリーチェックのために訪れた韓国とはいえ旅の空の下、大きく、おおらかになっている心は「走ります」と言う返事をするのに時間は必要なかった。心の中で何かが動き出し始めそうになっていた。アメリカから帰ってきてから、まだ4ヶ月しかたっていない。2001年2月の終わりのことだった。
空港に降りたち、外に出た。少し冷たい風に緑が深い色を見せていた。出てきたターミナルビルを臨む、初めて外側から見る風景だ。5年前にこの空港に来たときは、北米大陸一周ツーリングをするために、ロサンゼルスに渡る途中だった。大韓航空機はトランジットのために少しだけソウルに止まった。薄暗いロビーのカフェで友達と時間をつぶし、初めて体験するアメリカに夢と不安を感じていたことが思い出された。
 みんなそろったところで、待っていたマイクロバスに、おんぶで乗せてもらった。郊外にある空港から市内に向かう。田園風景を通り抜けると、空気は乾いていないのだが、肌色のほこりっぽい風景に変わっていった。視覚と触覚が違った動きをする変な感じだ。バスに乗りながら、ずっと外の景色を見ていた。冬の寒さのせいか荒れているようにみえる歩道に、車いすを使っている人を見かけることはなかった。
短時間の間にバリアフリーの視点を持ちながら急ぎ足で廻った。民族村では車いすでは動くのが厳しい舗装されていない、茶色の土の上をあるいた。何か、懐かしさに似た感情を抱いた。戦争記念館では第二次世界大戦、朝鮮戦争と人が人をたたく行為に目を奪われ、地下鉄を使うときにはキャタピラ付き台車に車いすごと乗せられて長い階段をクリアした。東大門市場は眠らない街だった。街灯の明かりではなく、ひしめくように並ぶ店の照明に照らされて歩道を埋め尽くすあふれるような人混みの中、人の視線を感じながら、建物や道路のバリアを確かめながら車いすで歩いた。ただ、夜中の2時になっても減らない人混は、五感をフルに使おうとしていると、それだけで神経がへとへとになる。と体力を使うが店の入り口に段差があったり、歩道の段差があったりで、なかなか思うように、歩けない。そんな中での人の視線は、無視をするでもなく、じろじろ見るわけでもなく、自然な感じがした。ハードの設備が整っていない分、人は協力的だ。小さな洋服屋さんが並ぶ階段でしかいけない2階に登ろうとしたときのことだ。遠巻きに僕たちの行動を見ていた人たちに、ちょっと声をかけると協力して持ち上げてくれた。この国の人たちも、障害を持った人との付き合いに、なれていないんだなと感じた。
 人種の違いがあるのだろうけど、国の違いがあるのだろうけど、生まれや性別、体が大きい、小さい、ついてるものが動いたり動かなかったりそんなことは、全部、他の人と比べる事で感じること。人はいろいろな人や物に影響されながら生きて生かされてはいるのだけれど、その人その人にとっては必ず自分が主人公だと胸を張って街に出てきてほしい、参加してほしいと思っている。特に社会との接点が少ない人には意識して積極的に出てきてほしいと思う。そんなきっかけづくりになればと、トライクで4月14日横浜をスタートして日本をまわった後に九州からフェリーで韓国に渡り、各地で地元の人たちの交流会を企画している。主役は集まってくれた人たち一人一人。それぞれの地域でともった小さな明かりが、大きく育っていってほしいと思う。