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世界情報社会サミットにおけるアドボカシー・プロセスとその成果

野村美佐子
(財)日本障害者リハビリテーション協会 情報センター次長

項目 内容
備考 Webマガジン ディスアビリティー・ワールド 2004年1月号掲載
月刊誌「ノーマライゼーション」2004年2月号より

2003年12月10日~12日、スイスがホスト国となり、世界情報社会サミットがジュネーブで開催されました。サミットは、国連事務総長コフィー・アナンの強力な後援のもとで開催され、国際電気通信連合(ITU)が主導的役割を担っていました。その目的は、各国政府代表と、国連諸機関、民間部門、市民社会、およびNGOを含む主要な関係者が一同に会し、情報社会についての共通のビジョンと理解を持つことおよび宣言と行動計画を採択することにありました。このサミット準備会議(PREPCOMs)から市民社会ビューローの障害者関連グループの代表として参加し、サミットの公式文書の中に情報弱者である障害者の問題を盛り込むため活動を積極的に展開した国立身体障害者リハビリテーションセンター研究所障害福祉研究部長の河村宏氏に語っていただきました。以下、そのインタビューの要約です。

障害者にとってのICTアクセシビリティ

 サミットで発言する河村氏の写真
2001年の12月、ベトナムのハノイでアジア・太平洋障害者の10年のキャンペーン会議が開催されましたが、私はアジア・太平洋地域の障害問題作業部会(TWGDC)からの要請により、情報通信技術(ICT)タスクフォース会合を開催し、タイでの国際ICTアクセシビリティ会議を行なうことを提案しました。その目的は、早い段階で、一般の人や政府がICTアクセシビリティへの関心を持つことであり、このような認識は、開発途上国におけるインフラ整備が行われるうえで重要であると考えました。ICTアクセシビリティセミナーは、アジア・太平洋地域およびそれ以外の地域でのアクセシビリティガイドラインを共有するという成果をあげ、この認識を高めました。

サミット準備プロセスに関わって

 2002年の5月、ITUアジア太平洋事務所が開催するセミナーに招待されました。ITU事務局のプレゼンテーションがあり、私は世界情報社会サミットについて学び、2002年の6月のアクセシビリティセミナーにITUを招待しました。このセミナーは、TWGDC、ディジーコンソーシアム、W3C、タイ政府、タイディジーコンソーシアムの共同主催で開催され、参加者はサミットについて学ぶと共に、アジア・太平洋地域を越えて世界に活動領域を広げるべく明確な戦略を打ち立てました。参加者によって作成・採択され、TWGDCによって承認された宣言は「びわこミレニアムフレイムワーク」の行動計画の中に組みこまれ、2003年に日本で行なわれました世界情報社会サミットアジア・太平洋地域準備会議に持ち込みました。
私は、タイ盲人協会の副会長であるモンティエン・ブンタン氏をこの準備会議に招待しましたが、彼は参加者中、唯一の視覚障害者で、他に障害を持っていた人は一人だけでした。サミットの準備プロセスは、概して障害者の参加を考慮していないように思えました。

サミットにおける障害問題グループのフォーカルポイント

最初のサミット準備委員会(PREP-COM-1)は2002年に、次の準備委員会(PREP-COM-2)は2003年の2月に開催されました。PREP-COMー2の参加者は、認定される必要があり、ITUのDセクターのメンバーであるDAISYコンソーシアムの代表として出席をしました。他に障害関連団体は出席していないようでした。
国連は市民社会の役割はサミットのフレームワークの中で正しく認識されるべきであるとの決定を行い、いわゆるファミリーグループが構成要素にされました。当初このようなグループには、ジェンダーや地域などのグループがありましたが、障害関係のグループを立ち上げるという提案はでていませんでした。市民社会の全体会議において、ディジーコンソーシアムを代表して私は障害問題ファミリーグループを設置する提案を行い、参加者の賛同を得て、承認されました。その最初の会合の参加者はイタリアとスイスから一人ずつ、そして私の三人だけで、障害者は誰もおりませんでした。この小さな会合の中で、サミット市民社会ビューローの障害問題グループの設立の決定がなされ、私がフォーカルポイントとして世話人をすることなりました。

初めての成果

 2002年の7月に、ユネスコのホストでサミットのインターセッショナル会合が開催されました。その中で、国際障害者同盟(IDA)の会長が世界の障害者運動を代表して障害問題について話してもらうことが非常に重要なことでした。私は、IDAの会長であるキキ・ノドストローム氏を招待して、スピーチをしてもらいました。彼女の発言に勇気づけられて、ロビー活動、交渉などが実り、タイ政府が原則宣言(Declaration of Principles)の適切な文脈の中で、アクセシビリティの問題を取り上げることに同意をしました。こうして、準備プロセスにおいて障害問題の認識向上をめざす障害問題ファミリーグループの活動の初めての主要な成果となりました。

後退と前進

2003年の9月にPREPCOMー3に出席をしたとき、会議資料の中の最も重要なパラグラフが完全に削除されたことがわかり、驚きとともに憤りを覚えました。障害に特化する文言が完全にテキストから抹消され、社会的に不利な人々といった言葉に置き換えられていました。障害という言葉がどうして削除されたのか明確な説明もありませんでした。一方で若者や女性といった特別なグループは、特別の注意を促すために文脈の中にそのまま残されていました。私たちは、基本文書の中に障害に特に言及する文言を再び盛り込むために頑張りました。障害の言及が重要であるという一般的な合意がありましたが、障害に関するする文言をどのようにして盛り込んだらよいのかについての意見の一致を見ることもなく、PREPCOMー3の終了までにはっきりとした決定もできませんでした。

サミットの全体を見たとき、2つの大きな問題、すなわちインターネットの管理、北と南のデジタルデバイド、特に連帯基金問題に関して合意を見ることができませんでした。これらの問題が立ちふさがり、サミットが開催されないということが実際懸念されました。もし主たる合意ないのであれば、サミットの意味がないわけです。その結果、多くの難しい外交プロセスと交渉がありました。この交渉の期間、私はモンティエンと協力をして、障害問題の重要性を会議のすべての参加者および代表団に認識してもらうための資料を何度か配布しました。

PREPCOMー3に追加された一週間の会議が開催されました。この間、すべての障害に関する文言を取り戻すさまざまな活動を展開しました。各国政府の代表団と話をし、また会議中、無線LANを通して世界中の障害に関わる人々と意見交換を行いました。メールを通じた意見交換会の結果、最も重要なヒントをピッツバーク大学保健・リハビリテーション学部副学部長であるシールマン教授他の皆さんから得ることができました。「主要な文書のなかでユニバーサルデザインと支援技術について触れていない。」という言葉です。

こうして、障害という言葉を特に使わずに、適切な文脈の中でユニバーサルデザインと支援技術という障害者固有のニーズのエッセンスを盛り込む働きかけをしました。障害について特に述べることをしなければ、女性、子どもたち、先住民族およびその他のグループが自分たちを入れるべきであるというクレームがなくなるわけです。 

結局、ICTの文脈の中で、ユニバーサルデザインと支援技術は障害者にとって有効であると結論づけました。タイ政府、ニュージーランド、メキシコ、南アフリカや日本などの支援を得て、原則宣言の中にこの文言が盛り込まれました。特にメキシコの代表団は、明確に障害者問題グループが提案した修正を認める声明を発表しました。最終的には、このプロセスの中で、政府と障害者問題グループとの間に良い関係が築かれました。このようにして障害者への配慮がある程度盛り込まれた原則宣言と行動計画の最終テキストがジュネーブでのサミットにより承認されました。

情報社会における障害者グローバルフォーラム

サミットの基本文書に関する活動だけが私のフォーカルポイントとしての役割ではありませんでした。12月12日に開催されましたサミットの公式イベント「情報社会における障害者グローバルファーラム」においても、私には企画と実施の役割がありました。このイベントには世界から250人の参加がありました。他のサミット準備プロセスとは違ってこのフォーラムは障害者自身の参加に力をいれ、ICTアクセシビリティのモデル事例とすべての人にとってのICTデザインに焦点をあてた発表を主な内容としました。バーナード・ハインザーを会長とするスイス中心の組織委員会は、開発途上国から障害者を招待する資金調達とこのフォーラムの企画に2ヶ月で行なうという時間的に厳しい制約のなかにありました。しかし、出席者には、サミットに参加して情報を共有しょうとする意識が強く、このことがイベントを成功に導きました。フォーラムに出席した障害者代表は、サミットの公式主催者によるこの30分間の記者会見に招待されました。

世界情報社会サミットの次の段階は、2005年のチュニジアのチュニスで開催されるサミットですが、障害者の権利を明確にするグローバルフォーラム宣言と同じくサミットの市民社会宣言は、今後のプロセスにおいて障害者の参加を保障するために、大変重要な基礎となることでしょう。スイス盲人図書館は、サミットで主要なドキュメントを、DAISYフォーマットで、国連公用語である6カ国語で作成した9000枚のCD-ROMを配布しました。このCD-ROMには、日本障害者リハビリテーションが開発したAMISのプログラムも収録されていて、スクリーン上で読める標準的なテキスト、各言語でのナレーション、点字や大活字などで読むことができます。この共同作業が、ドキュメントアクセシビリティに関する提言となり、サミットに集まる世界中の政府やその他の代表団に良い影響を与えることを期待しています。