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「アジア太平洋障害者の十年」最終年記念フォーラム 大阪フォーラム報告書

10月21日【RI/RNN/総合リハ/職リハ 合同プログラム】

Professor Sir Harry S. Y. Fang(ハリー・ファン)
RI顧問 中国香港特別行政区

序文

 1922年に創設されたRIは、この大阪フォーラムで80周年を迎える。RIアジア太平洋地域委員会は1972年に設立され、1972年から1980年まで私が委員長を務めた。その後、フィリピンのProf. Charlotte Floro教授、日本の津山直一教授、香港のMr. M. B. LeeとMr. Peter Chanが歴任し、現在は日本の松井亮輔教授が委員長に就任されている。

 RIアジア太平洋地域委員会は極めて活動的な地域組織となっており、長年にわたり政府諸機関と障害者のための各国NGO団体との橋渡しを行ってきた。同地域委員会が主催する地域会議は、障害者運動の発展における中心的役割を果たしてきた。RNNは地域ネットワークとして、第2回「アジア太平洋障害者の十年」のために設立されたが、設立からわずか10年、本フォーラムの閉会時にはその設立目的を達成しようとしている。この大阪フォーラムは、RIとRNN間のパートナーシップを見直すには絶好のチャンスであり、われわれはこの新たな地域ネットワークならびにアジア太平洋障害者フォーラムを支援するために、RIグループとしてできること、またすべきことは何かということを自問すべきである。始めに、障害者運動におけるRIの長年の功績について、簡単にご紹介したいと思う。

 「世界人口の10%、すなわち約5億人の人々は障害者である。」これは、70年代初期にRIが行った重大な宣言である。この5億人のうち、70%はアジア太平洋地域の人々であった。彼らを一刻も早くケアし、リハビリテーションを行わなければならなかった。また、RIは、国際シンボルマークの普及も行ない、現在では、世界中の公共の場所で広く使用されるようになった。

「国連の十年」: 新たなフロンティアと様々な声を刻んだ十年

 国連が国際障害者年(1981年)と「障害者の十年」(1983年~1992年)を発足させたことは特筆に値する。Mr. Norman Acton(当時のRI事務総長)は、「国連・障害者の十年」世界行動計画を起草するために国連により選出された。また、RIは広範な国際的協議の実践にも着手し、「70年代宣言」を発表、その10年後には「RI1980年代憲章」を発表した。1980年~1984年にRIの会長を務めた私は、RIの宣言や憲章が主要な政府間組織や国連に与える歴史的影響に気付いた。そこで、同RI憲章を世界各国の多くの政府首脳に提示したが、それにより障害者問題に対する各国政府高官の意識が高まったようである。

 障害者に対する世間の見方を変える上でも、アジア太平洋地域委員会の貢献は大きかった。同委員会の初代委員長であり創始者でもある私は、地域内の各国を会費無料で委員会に参加させ、各国代表に投票権1票を与える権利を求めて奮闘した。われわれは皆、対等なパートナーである。何をするにしても、RIからの資金提供は全く無かったので、われわれはスポンサーを探さなければならなかった。私は友人や、慈善家、資金提供団体に赴き、援助を求めなければならなかったが、私の最初の患者であり、40年来の最も大切なパートナーであるMr. M B Leeが私を助けてくれた。公共会計士である同氏は、後に私の後継としてアジア太平洋地域委員会の委員長に就任した。彼が10万米ドルを寄付してくれたので、私はやっと資金を手に入れることができた。私はこのお金の一部を委員会本部の購入に充て、残りをリハビリテーション活動推進のために使った。1980年にカナダのウィニペグで会長に選出された際も、幸運にもDr. Ip Yeeのような人々と友人になり、同氏の遺言で骨董品のコレクション(サイの角)を頂戴し、それを300万米ドルで売却した。同氏はこの300万米ドルを中国の災害、香港でのリハビリテーション、アジア太平洋地域の各国援助のために等分に使うことをお考えだったが、それはすぐに実現した。私は、フィリピンとインドネシアを支援し、コミュニティを基盤としたリハビリテーション活動をさらに発展させることができた。また、この資金により、1980年代を通して、インド、パキスタン、ネパール、ブータン、カンボジア、ベトナム、タイ、アフガニスタン、東ティモールのリハビリテーション活動を支援することもできた。

 RIとその協力者達が一丸となって障害者運動の新領域を開拓し、国家レベル、また世界レベルで政府組織とNGOに不変の影響を及ぼす中、1981年には障害者インターナショナル(DPI)も創設された。「国連・障害者の十年」の残りの期間、RIとDPIは協調と相互認識の関係を共有した。

 同年、国際障害者年への寄与の一環として、RIは第一回国際アビリンピックを日本と共同開催した。開会式で、主賓の皇太子妃(当時)に観衆全員で「ハッピーバースデー」の歌を捧げた、あの楽しい一時をまだ覚えている。すべての参加者にとって、このアビリンピックは極めて貴重なイベントだったので、1985年には新しい国際組織―国際アビリンピック連合―がコロンビアで発足した。発足以来、同組織の総裁と事務局は日本障害者雇用促進協会が担当している。第3回IA(国際アビリンピック)はフランスで開催される予定だったが、直前に中止になった。その後、1991年に香港で開催されたが、2000人の代表団による「ダンシング・ドラゴン」は当時としては世界最長のもので、ギネス記録となった。

 過去20年間、IA運動に試練はつきものだったが、RIグループ内部での意見対立が一番の試練だった。数々あるRIの世界的役割のなかで、IAはインクルージョンとスティグマタイゼーションのどちらを促進しているのかという点で何度か意見が対立したのを思い出す。また、このような論争がかなり白熱し、持てる国と持たざる国の2大陣営に分かれた事も覚えている。しかしながら、こうしたことは世界規模だからこそ起こったのであり、アジア太平洋地域では起こらなかった。同地域のRIグループのメンバーは常に、IA運動の揺るぎない支援者であった。IAは、職業、生活、余暇技能の分野における障害者の能力に世界の注目を集めるうえで、唯一の世界的基盤と見なされている。私は現在、脳卒中のリハビリに励んでいるが、IAの世界的意義をより鮮明に見出す事ができる。インドのDr. Uma Tuliが第6回IAを主催する。同氏はRIの積極的なメンバーであり、インド政府の要職である社会正義貸与省障害者チーフコミッショナーに民間人としてはじめて任命された。第7回IAの主催国は日本になるが、日本障害者雇用促進協会は、主流となっている世界的な実務技能競争についての合意を確保し、IA活動に参画する事により、画期的な貢献を果たしてきた。RIは、この運動を奨励し真摯に後援しなければならない。こうした試練すべてに対処するうえで、アジア太平洋地域のRIメンバーは常に揺るぎない支援者であり、RIの協力者全員にとっての信頼できるパートナーであった。RIメンバーは、成果が上がれば幸福な瞬間を分かち合い、困難に際しては全員が一致団結して事に当たるのである。

「アジア太平洋障害者の十年」―障害者の権利実現へのパートナーシップとRIグループの組織力弱体化の十年

 「国連・障害者の十年」終了に際し、世界がその延長の是非を議論しているなかで、アジア太平洋地域のRIメンバーはパートナー全員と協力し、「アジア太平洋障害者の十年」への政府間支援を得るためのロビー活動を行った。RIは、地域NGOネットワークの創設メンバーでもある。1995年、1996年、1997年、1998年、2002年のRNNキャンペーンが、RI地域会議や世界会議、RI世界ミーティングと連携して、アジア太平洋地域各国の主催により実施されてきたことを大変喜ばしく思う。当地域を取り巻く経済危機や政情不安、戦争、テロ、民族紛争といった深刻な問題を考えれば、「アジア太平洋障害者の十年」の推進に向けたRIとRNNの努力は想像を絶するものである。国際NGOセクターにおいても、われわれはリーダーシップや財政の面で厳しい問題を抱えている。こうした背景のなかでRIとRNNが与えた影響は驚くべきものがある。 

 第2回「アジア太平洋障害者の十年」を通して、日本はJICA経由での財政面の支援、および専門知識における支援の両面において最も大きく貢献した。中国のMr. Deng Pufangと日本の八代氏という2人の指導者が、「アジア太平洋障害者の十年」の成功のために果たした役割は大きい。両氏は「十年」を提案するにとどまらず、その影響力を行使して自国政府の政治権力を動かし、「十年」を支えた。未来はどうなるのかと問われれば、私はきっぱりとこう答えるだろう。「まだしなければならないことがたくさんあるので、Mr. Dengと八代氏をしっかりと支え、第3回「アジア太平洋障害者の十年」のために結集すべきである」と。われわれにはこのような政治的フォーラムや基盤が必要である。今後3年以内の成立が期待される「国連障害者権利条約」が適切に制定され、なおかつ十分に実施されるよう、われわれは各国政府に働きかけなければならない。

 新しいミレニアムの幕開けに、RIは自ら、世界の障害者運動にまた一つ記念すべき貢献を果たした。集中的に国際協議が行われるなかで、RI2000年代憲章を発表し、国際障害者権利条約を全面的に支援することを誓約したのである。2000年3月には、中国障害者連合会が世界障害NGOサミットを主催、北京で開催された。サミットの積極的な参加者として、RIは参加したすべての国際NGO団体と共に、満場一致で国連条約への賛成を宣言した。私はこのサミットに参加したが、障害者運動の領域拡大における一体感、真剣な協調とパートナーシップに触れ、大変嬉しく思った。なかでも、アジア太平洋地域のメンバーが最も積極的な参加者であったことを改めて申し上げたい。

 それでもなお、われわれRIグループにとって「アジア太平洋障害者の十年」は試練の連続であった。数年来、RIは、メンバーへのサービス提供や世界との誓約を果たすうえで財政難に直面してきた。私が会長を務めた際には、Mr. M B Leeと共に様々な資金調達法を提案し、成功を収めた。私と彼は現在もRI名誉審議会のメンバーであり、資金調達問題に関して、RIに積極的にアドバイスを行っている。だが、過去20年間、主として会費に頼らざるを得ないのが現状であった。会費から確かな収入を確保するために、RIは様々な会員制度を設けたり、「会費を払わなければ、投票権はなし」というルールを実施してきた。現在、われわれはさらに重大なジレンマに直面している。実際、数十年前と比べてメンバーが裕福ではなくなってきており、会費を滞納するメンバーが増えているのである。RIグループに完納された会費の額も、世界規模でほぼ毎年縮小している。 

 次の「十年」のテーマ「インクルーシブ、バリアフリー、権利に根ざした社会」を追求するうえで、また「国際障害者権利条約」の実現に向けて、われわれはさらなる責務を果たし、結束を強めていくことをここに表明する。だが、果たして、公言どおりにいくであろうか。

新たなミレニアムに向けた私のビジョン 

 各NGO団体は、「国連障害者権利条約」を強化するうえで、主要な役割を果たすことを求められるだろう。ここで、RIに議論の焦点を移したい。私のビジョンを各国際NGO団体の方々が共有してくださると確信している。

 RIは、障害者に関する国連のテーマ活動に対する厳しい監督者と見なされるだろう。私の個人的見解では、RIはその役割を拡大し、障害者関連の専門医や職業すべてを含めるべきである。また、内臓の機能不全を抱える人々や様々な障害、持病を持つ高齢者もすべて、活動の対象とすべきである。

 われわれには有力かつ強力なRIが必要であり、そのためには、RIの財政面の障害を取り除きさえすれば良い。ここで改めて、私の意見として、ある解決策を提案したい。われわれ全員にその意志があれば、それは可能であると確信している。

 RIには確実なバックグラウンド、80年余りに及ぶ業績、素晴らしい伝統、そしてネットワーク作りのための偉大なコネクションがある。もしわれわれが電気通信をフル活用し、かつ、現在のスタッフを維持すれば、組織全体の中心管理機構および各世界委員会と地域委員会を運営するために1年間にかかる費用は、わずか50万~80万米ドルである。われわれは年会費の徴収では大変苦労してきたので、他の代替策を再考する必要がある。

 ベスト・ソリューションとして考えられるのは、特殊な資金調達法である。私はこの方法について、RI事務総長のMr. Thomas Largerwellにお話した。「それは極めて難しいが、達成可能な目標である」として、同氏は私に全面的に合意してくれた。このプランについて詳しく説明したい。

 年利50万~80万米ドルを生み出すには、約1000万米ドルを調達しなければならない。この金額を加盟100ヵ国で割ると、各加盟国は10万米ドルを調達する必要があることになる。加盟各国が国内外の同国人から調達すれば、これは不可能な金額ではない。

 これなら、一回限りの努力である。努力すれば、われわれ全員が調達できると確信している。私は香港で珍しい体験をしたことがある。RIの赤字を埋め、かつ、ニューヨークのマンハッタンにRI本部を購入するため、1980年にわれわれは100万米ドルを調達した。1992年には、インドのために香港のインド人社会から10万米ドルを調達したが、聴衆の皆様も、ご自分の国のためならきっと同じことができるだろう。将来のRI総会で会費や財政問題の解決に時間を割く必要がなくなったなら、どんなに素晴らしいだろう。すべての人々のために、世界をより良いものにするにはどうすればよいか? ―われわれは全力でこの課題に取り組むことができる。

 資力のある大国なら、調達金額を2倍にすることもできる。20ヵ国が2倍の調達金額を引き受ければ、アフリカ大陸、アジア、ラテンアメリカ諸国は大いに助かるだろう。加盟国は現在、合計で82ヵ国ある。これらの国々を2つのカテゴリーに分けた場合、3票以上の投票権を持つ国は18ヵ国、投票権が2票未満の国は64ヵ国である。もし、この18ヵ国の経済大国が各自20万米ドルを調達し、残りの64ヵ国が10万米ドルを調達すれば、1千万米ドルに達するだろう。このような資金調達には様々な方法がある。良い例となるのが、香港にいるフィリピン系の外国人労働者である。彼らの人口は10万人余りであるが、各々10香港ドルを拠出すれば、100万香港ドル(10万米ドル強に相当する。)に達するだろう。われわれがインドのために調達した10万米ドルは、香港の裕福なインド人家庭からの寄付だった。われわれは、寄付をした人々がデリーに行き、当時のラジブ・ガンジー首相と一緒に写真が撮れるよう手配した。

 1991年には、国際家族年の開催責任者である国連弁務官のMr. Henryk Sokalskyがゲストとして来られた。私は同氏からいくらかの着手金の調達を頼まれた。私は22人の裕福な方々の所に赴き、各々、6万米ドルの寄付を求め、寄付をされた方々のためにウィーン行きの飛行機を手配した。ウィーンではオーストリア大統領と首相のもてなしを受け、国連本部ではVIP待遇を受けた。また、国連事務総長代理から名誉証書を授与された。Mr. Sokalskyは、国際家族年プログラムの企画に着手するのに十分な、110万米ドル余りを獲得した。

 このように財政面を強化すれば、RIは世界委員会やアジア太平洋地域での活動をさらに発展させることができるだろう。資金提供者をRIのVIPにすることで、寄付を呼びかけることができる。RIの名誉会長として称えてもよい。立派なデザインの証書やVIPカードを差し上げてもいい。彼らの写真を本部やレターヘッドに載せるべきだ。寄付提供者は、障害をもつ人々の友として思い出されるべきなのだ。

 今こそ、心を一つにして考え、行動を開始しなければならない。世界中どこの国にもHarry Fangや M B Leeのような人は大勢いる。RIと地域委員会が国ごとに1、2名紹介してくだされば、今後3ヵ月以内に、こうした貴重な人材となり得る人々を渡航費と宿泊費は無料で北京にご招待し、会議を開きたい。会議では実行可能な解決策が提案されるだろうから、これらを次の幹部会か集会でRIに報告する。

 また、こうした人々のために世界旅行を主催してもいい。国連事務総長、ワシントンDCのホワイトハウス、日本の皇居、タイ王国、中国の万里の長城、インドのタージマハル、ロンドンのダウニング街10番地(首相公邸)、モスクワのサンピエトロ広場、リオデジャネイロのキリスト像、バチカンのローマ教皇などを訪問するのだ。

「はい、私にはできます。」

 3年前、私は決心して大阪に行き、RI存亡の危機を訴えた。「十分な会費や資金がないのならRIは消滅した方がましだと考えるのなら、障害者のことは神に任せるしかない」と。だが、われわれ全員が1000万ドル調達のために真剣に取り組めば、RIを救うことは可能だと思う。1000万米ドルあれば、もうわれわれの存在について心配しなくてもよい。集会においては、われわれ全員が対等のパートナーとなるだろう。

 われわれは重大な問題に集中することができる。世界中の専門家が共通の目標を目指して努力するので、RI世界委員会はそのポテンシャルを高めることが容易になるだろう。会議や訓練のための資金も十分にあるので、障害者の代表はもはやハンディキャップではなくなるだろう。 

 恩恵は極めて豊富で、かつ、想像を絶しているので、われわれ全員が無条件でこれに着手しなければならない。この資金調達法を、第3回「アジア太平洋障害者の十年」におけるRIの課題としよう。ご参加の皆様には、このように誓いのしるしとして親指を立てて、ご一緒に「できます。私にはできます」と言っていただきたい。


10月21日 基調講演
南アジアにおけるCBRの政策・計画に関する課題

Dr. Maya Thomas(マヤ・トーマス)
障害者リハビリテーション政策アドバイザー・研修マネージャー インド

序論

 CBR(地域に根ざしたリハビリテーション)は、1980年代の初めに、世界保健機関(WHO)及びその他の国連機関によって、開発途上国におけるリハビリテーションのサービスを受ける機会がない障害者へのサービス提供の手段として開発された(1,2)。開発途上国では、質の高い施設サービスを提供する資金が不足しており、それに変わるものとして、安価で広くサービスを提供できる方法を開発することが必要であった。CBRでは、活動の担い手が専門機関から、障害者の家族やコミュニティへと移され、最低限の訓練を受けた家族や地域住民によってリハビリテーションが行われる。これにより、コストを減らすことができるわけである(3)

 1980年代初め、CBRは医療に焦点を当てた福祉サービス提供の手段として開発された。WHOが、PHC(プライマリー・ヘルス・ケア)システムにCBRを統合するよう薦めたからである。なお、WHOは1980年に出版したICIDH(国際障害分類)でも、リハビリテーションに対する医学的なアプローチを奨励している(4)。その結果、初期のCBRプログラムは、障害者をコミュニティに「適応させる」ため、機能回復に力を入れる傾向があった。

 1980年代と90年代には、様々な開発途上国でかなりの数のCBRプログラムが開始された。そしてプログラムの数が増えるのに伴い、考え方にも大きな変化が見られるようになった(5)。早くから見られた変化の一つは、医療的サービス偏重から総合的なアプローチへの移行である。リハビリテーションは医療活動だけでは終わらないということが理解されるようになり、教育や職業訓練、社会的リハビリテーション及び障害原因の予防策などが加えられた。それとともに、CBRは障害者の生活すべてに関わる必要があり、障害者だけでなく、彼らをとりまく環境への働きかけも重要であるという認識が広まった。環境の改善には、コミュニティ内部の非障害者の態度を、障害者を受け入れるように変えることや、障害者の社会参加を促すこと、そして教育や就労の場において、非障害者と同じように機会均等を実現することがあげられる。障害者の権利の保護と、地域住民にCBRプログラムを運営する権限を与えることも、障害者の環境を改善する際に考えなければならない局面である。

 もう一つの変化は、最小限のサービスの提供から、サービスを効果的にするマネージメントへと重点が移ってきたことである。ここでいうCBRプログラム開発機関の「マネージメント」とは、リハビリテーション活動など障害者に直接関わるサービスと、様々な要素を一つのプログラムにまとめて機能させるというような事業マネージメントの両方を意味している。つい最近まで、ほとんどの開発機関は前者を重視する傾向があった。しかし、社会福祉活動のための資金が減り、会計責任に対するニーズが増し、コストを削減して効率を上げる必要が生まれ、更に持続性も高める必要が出てきたために、事業マネージメントの重要性がこの10年ほどの間に認識されるようになったのである。

 CBRは改訂を重ねた。しかし、いまだ多くの疑問や課題が解決されずに残っていると考える。従って、この章では、未解決の問題を整理し、よって、政策・計画担当者による効果的なCBR導入実現の一助となることを目的とする。

なお、ここで述べられている事柄は、過去15年以上にわたる南アジアでの研究の成果に基づいていることをあらかじめお断りする。

CBRにおいてプログラム計画は何を意味するか?

 インドやその他の南アジアの国々におけるCBRの多くは、NGO団体によって実施されてきた。プログラムのいくつかを詳しく見てみると、もともとはっきりとした目標もなく始められ、長期間の計画を立てずに実施され続けてきたことが分かる。プログラムによっては、障害者のニーズより資金提供者の意向を重視しているものもある。資金を獲得しやすい事業内容を選ぶというように。このようなプログラムには、それをチェックするシステムがないことが多く、活動の成果を明らかにするための評価もしない。その代わりに、利用者の体験談によって活動を続ける理由が正当化され、何年も同じ活動が繰り返されている。このような活動は資金提供者に依存する傾向が強く、コストが高く、成功する例は少ない。また、いったん資金提供者が支援をやめてしまうと、消えてしまうのである。そのため、適切な草の根のリハビリテーションサービス活動を展開しようとしている地域の努力に反する結果となることが多い。また、利用者のニーズはほとんど考慮されないので、その満足度も低い(6)

 プログラムの計画は活動を進める上で極めて重要な要素である。資金提供者の要求を満たすための計画を準備するという意味ではない。計画を立てることでプログラムから創造性が損なわれると言われることもあるが、それは間違いである。逆に、計画は創造性を高めるものである。それに、適切に計画が立てられれば、プログラムを効果的に実施することができる。また、計画されたプログラムは、災害救助の時など、突然のニーズに応えることができないというのも誤りである。プログラムを成功させるためには、はっきりとした目標と一連の活動を明確にすることが必要である。

 プログラムの方針を立てる前の段階で確認しなければならないのは、CBRを実施するコミュニテイにおいて、障害者問題が優先的に解決されるべき「課題」として認識されているかどうかである。その次に、現在の状況を分析し、CBRの導入が必要かどうか、また、他の問題も合わせて考えたときに、利用者がどの程度CBRを優先させたいと考えているか、そして利用者が自分たちの問題を解決するのに、CBRが役に立つと考えているかどうかなどを確認しなければならない。CBRの活動は、障害者やその家族、そしてプロジェクトが行われる地域の非障害者の生活にも影響を与えるので、効果的なプログラムの計画を立てる前に、影響を受ける様々なグループのニーズを確認しておく必要がある。同じコミュニテイの中でも、グループが違えばそのニーズも異なり、利害が対立してしまうこともあるからだ。例えば、障害者のニーズは必ずしも他のグループによって優先されることと同じではない。たとえば、CBRには短期、中期、長期の目的がありそのどれもが障害者の社会統合を目指している。一方、他の地域住民は、短期の目的として貧困撲滅や医療環境を優先するのが普通である。CBRプログラムでの優先事項と、コミュニティを構成する住民のニーズとが異なっている場合、最初にしなくてはならないことはリハビリテーション活動に対する人々の態度を好意的なものへと変えて、障害問題に対する姿勢のギャップを減らすことである。そのためには、各グループの現在の考え方や態度が研究されなければならない。そしてグループの態度に変化をもたらすような効果的な計画が必要である。コミュニティの態度はまた、過去にその地域で行われていたサービスの経験からも影響を受ける。ニーズの分析により、コミュニテイ内の様々なグループの意見を知ることができる。地域の団体や、障害者の家族、自助グループなど地域のCBRサービスに興味を持っている人たち、更に、コミュニティの外でも、政府や寄附をしてくれる団体、協力してくれるNGOなどが対象になる。プログラムの方針を立てる前の段階では、事業に有用な地域に存在する物質的、経済的、及び人的資源と、そのアクセシビリティー、そしてそれらを実際に利用する際に手を加えなければならないことを確認しておかなければならない。資源の分析は他にどのような新しい資源が必要になるかを前もって知る手がかりにもなる。

 方針を立てる前の段階で成功を収めれば、たいていの場合、方針の決定へとスムーズに進んでいく。方針の決定には、プログラムのビジョンやミッション、目的を明らかにすることが含まれる。ビジョンは、事業の究極的ゴールであり、ミッションはゴールに到達するための事業の遂行を指す。ビジョンやミッションは不変であり事業を簡潔にあらわす一節である。一方、目的はゴールに到達するための暫定的な方向であり、中間評価の結果によって変わることもある。このような要素は、ある特定のグループだけではなく、プログラムに関わるすべての関係者による参加型民主的方法によって、最もうまく決定されて行くはずである。参加型の方針決定をすることで、将来の対立を防ぎ共同活動を強化することができる。そしていったん方針が立てられたら、それはプロジェクトに関わるすべての関係者及び協力者へと広く普及されなければならない。組織に属している人の多くは、たいていの場合、その組織のビジョンと使命についてははっきりと言うことができるが、目的や活動をきちんと説明することができない。よくあるのは、与えられた時間内に達成できるかどうかを考えることなく、内容が盛りだくさんの目標を数多く設定するケースである。時には活動と目標とが混同されたりもし、その逆の例もあり、そのために計画がうまく立てられなくなってしまう。量をかせぐ目標設定は、プログラムの計画が最も下手な例で、ほとんど達成されない。

 活動の選択と効果的な計画の考案は、たいていの場合、プログラムの実行に当たる人々の責任において行われ当局の認可を得て実行される(7)。個々の活動は、プログラムの中では通常暦上の一年ごと、あるいは一会計年度ごとに計画され、短期間の活動として設定されている。このとき、事業の評価が簡単にできるように活動は正確に定義されなければならない。つまり、一定の時間内に達成されるべき各活動の目標数値をはっきりと示す必要がある。期待できる成果と、その成果をはかる指標、そしてその結果も明確にされなければならない。組織は普通、どれだけの量の活動をしたかによって成果や結果を表せると信じ活動の一つ一つを列挙するが、成果や結果を判断する基準がなければプログラムが本当の意味で成功したのかどうかを知ることはできない。活動内容や目標、期待される成果とその指標を明確にした戦略的な計画を詳細に立てるのは労力を要すが、そのようなプロセスはプログラムにとって多くの点で大きな利益をもたらすことができる。それは組織の活動の進展状況を明確に表し、管理し、プログラムに関わる人々のそれぞれの責任を明確にし、関係者にとってプログラムを分かりやすくするのに役に立つ。

外部者がCBRを始めても良いか? あるいは、地域からニーズが上がったときのみに開始されるべきか?

 CBRが単なる福祉サービス提供の一手段であった初期の頃には、このようなことは問題にされなかった。しかし、CBRが開発プロセスの一つと見なされている現在、CBRを外部の手にゆだねるべきか、それともコミュニティ自身の手によって実施するべきかが、広く議論されている。

 初期の頃、CBRは「コミュニティでの治療」であり、サービス提供者は専門機関から地域に移ったが、サービス利用者は受け身の存在のままであった(8)。その後、CBRは地域開発プログラムへと変化し、障害者とその家族が自分たちに関わるすべての問題に積極的に取り組み、最終的には利用者が自分たちのプログラムの主導権を完全に握ることを目標とするようになった。このようにして、現在、社会モデルの中では「住民参加」がCBRの本質であると考えられるようになった。しかし、実際には南アジアにおけるほとんどのCBRプログラムはこのゴールを達成する困難を感じている(9)

 通常私たちはコミュニティを構成する人々は均質で、団結しており、お互いに助け合うものだと考えるが、現実にはそうではないようである。多くの場合、コミュニティ内部の人々は極めて異質で、社会経済的・教育的地位も大きく異なり、宗教や民族性なども違っている(10)。この多様性が時に摩擦を引き起こし、CBRのサービスにも影響を与える。なぜなら、コミュニティ内部の異なるグループのニーズや優先事項はお互いに大きく違っており、さらに、通常少数派である障害者のニーズは、地域の優先事項とは認識されないからである。

 このような背景を考慮し、CBRプログラムにおける「コミュニティ」の定義を考えてみたい。コミュニテイは、少数派でありかつプログラムの第一の利用者である障害者とその家族だけで構成されるのだろうか? それとも障害者と資源を分かち合いたいとは考えていない人々も含めた、もっと大きなコミュニティを指すのだろうか?

 開発途上国では、貧困が開発プログラムへの参加を進める上で、大きな妨げとなっている。プログラムの運営を引き受ける以前に、満たさなければならない緊急のニーズが他にあるからである。汚職や富の独占も全員参加を妨げている。また、自らの問題に自らが責任を持つことに対する文化的抵抗も、地方分権化や、「ボトムアップ」の促進を妨げたている。コミュニテイは中央政府からの給付金を永久に当てにしており、自分たち自身でプログラムを引き受けることに抵抗する傾向もある(9,10,11)

 さて、議論は、CBRは外部者のイニシアチブで実施されるべきか、それとも、コミュニテイが自力でCBRを始めるのを待つべきなのかということである。前者の意見を支持する者は、住民の参加を待たずに障害者向けのサービスを始めることを主張している。これは、住民の参加を待っていては、長い時間がかかるし、その間に多くの障害者のニーズが無視され続けてしまうことになるという考えからだ。このように主張する人々は、地域の人々がプログラムの計画や導入、危険の分担と監督をする責任を負うやり方は、近い将来には実現できそうにないと言っている。これに加え、集められた税金が開発ではなく大義名分のために使われているので、多くの人々は心の中に「住民参加型」のレトリックは政府による責任転嫁の策として利用されているという疑惑の念を持っている。

 これに対する意見として、CBRは開発に関わる問題で、それ故、関係するグループ自身、つまりこの場合、障害者とその家族によって行われなければならないとする考えがある(12,13)。もし、外部機関によって実施されれば、サービスを受ける利用者はずっと受け身のままで、慈善に期待し、自分自身の問題に取り組もうとすることもなく、社会に貢献することもないままだからというのがその理由である。

 開発途上国の人々は、開発事業における自らの所有権にほとんど無知であるから、コミュニティが完全に所有権を持つプログラムを始めることはできない場合が多い(9)。しかし、この二つの対立する議論が両立できる可能性もある。CBRプログラムは、地域住民に、まず開発に参加するよう動機付けをし、そして時間の経過に伴い、プログラムの責任を負っていくようにしていかなければならないという考え方だ。このプロセスによれば、地域住民はプログラムを引き受けるために必要な運営技術を、徐々に得ていくこともできるだろう。

社会モデルとしてのCBRは、障害者の「真のリハビリテーション」のニーズをないがしろにしてしまうのだろうか?

 WHOによって普及されたとき、CBRはPHCシステムの中に組み込まれていた。そのため多くの初期CBRプログラムは医療モデルの形を取っており、1980年代には、障害者のすべてのニーズに十分対応していないとして批判の対象になった(14)。結果、ほとんどのCBRプログラムが一連のニーズに総合的に対応できるよう別々のプログラムへと発展していった。当時の考え方は、障害に特別な焦点を当てない限り障害者の「特別な」ニーズは満たされないままに終わってしまう、というものだった(15)。しかし、医療モデルから社会モデルへと移行するにつれて、開発のプロセスに障害者の参加を促すことに重点が置かれるようになった。その方が、コスト効率が良く、障害者が他の住民と同じ利益とサービスを確実に受けられるようになり、結果、社会統合を促進することができるからである。また、障害者のみを対象にしたプログラムは障害者の孤立を招いていたというのが、このモデルの支持者の主張である。(16,17)。多数の人たちが利益を得られるプログラムの方が、少数の人たちしか利益を受けられない場合よりも、コミュニティの活動へ参加する人の数が増える傾向があることも見逃せない。一方、障害者に焦点を当てていない開発プログラムに、きちんとした計画も立てないまま障害者を参加させるのは、例えば移動性や、特殊教育、職業訓練などの「真のリハビリテーション」のニーズをないがしろにする可能性があると心配している人もいる。障害者が社会の主流に統合されるのではなく、逆に障害者を社会から取り残すことになってしまう恐れがあるというのだ(17)

 過去数年間、障害者を地域開発プログラムに統合する動きが見られるようになり、統合によって障害者が明らかに利益を得られるということを実証した(16,18,19)。しかし、この過程でたくさんの問題も出てきた。地域開発機関に、障害についての知識やプログラム運営力が無いことが、障害者の社会統合を進める上での大きな障害となったのである。障害者問題が、「専門的な」問題と考えられているため、地域開発組織は自分たちがこの問題を扱う専門知識も技術も持っていないと感じており(17,19)、更に、障害者は障害だけで判断されがちで、性別や貧困のレベルや民族性等の他の特徴によって認識されることがないので、開発プログラムにおいて社会統合の利益を得られないまま取り残されているのである。障害者は移動制限のために教育や技能訓練の機会に恵まれず、開発プログラムに参加できないのである。一方、障害者の側も施しを期待し自らは意欲的でなく、社会から取り残されてしまう原因を作っている(19)

 開発プログラムに障害者問題を組み込むには、保健医療、教育、雇用などの様々な部門による念入りな調整と広い協力が必要である。このような協力活動は地域の「草の根」レベルでの方がうまくいき、それより上の地域あるいは国家のレベルではうまくいかないことが多い。複数の部門による共同作業が困難な理由はさまざまある。第一に、開発途上国では、プログラムは「穴だらけ」のことが多く、このため同じ分野で活動する者同士が信頼関係を築き上げるまでに時間がかかるのである(20)。そして第二の理由としては、政府組織と非政府(NGO)組織との間に運営方法の文化的な違いがあることがあげられる。政府組織はトップダウンのやり方で運営されているが、NGOでは逆にボトムアップという民主的なスタイルをとっているのである。この違いは効果的な協力活動にとって障害となる可能性がある。第三の理由は、「協力」に見せかけながら、実際はメンバーが共通の目標に向かって活動するよりも、お互いに相手を支配下に置こうとしていることがよくあるということである。複数の部門の協力が必要であるときに、部門間の主導権争いに終始しているのである。すべての関係者が目標の実現に向けてしっかりと義務を果たさなければ、複数の部門の協力にも問題が生じてしまう。通常、強力な少数派がプログラムのプロセスを支配し残りは受け身の参加者なので、多くの場合、意志決定は少数派によって行われ、多数派は単にそれを承認するだけにさせられてしまっている。

 問題の多くは、社会モデルが実施されるようになる前に解決されなければならない。その時までは、今ある状況の中で最も実現の可能性が高い計画を追求する方が現実的だろう。その際には、中心となる課題として常にプログラムの目標に重点を置かなければならない。

CBRは安価か? もしそうならば、誰にとって安価なのか?

 CBRは手頃なコストで、より多くの障害者のニーズに応えることを目指して始められた。そしてこのことは、リハビリテーションの活動を障害者の家族の手に移すことで達成された。つまりこの方法によって、施設にかかる費用や人件費を減らすことができ、結果的にリハビリテーションの単価を減らすことができたからである。問題は、誰がその費用を負担するかということだ。CBRプログラムは、家庭で行うことを基本とした活動なので費用がかからないように見えるが、実際は家族の努力や時間、お金の負担は考えられている以上にずっと高くついている(15)

 問題は、家族にCBRの活動に関わる余分なコストを負担する用意があるかどうかということだ。そして次に、たとえ意志があったとしても実際問題として負担できるのかということである。開発途上国の多くの家庭は、日々の生活に精一杯である。障害を持つ子供たちのリハビリテーションに無駄な努力をするより、自分たちの老後の生活を助けてくれる障害のない他の子供たちにお金をかける方がよいと考えている。また、社会保障システムがほとんど利用できない開発途上国では、障害のない子供たちの境遇をよくしておかないと、将来その子供たちが障害を持つ兄弟を助けられないかもしれない(21)。このような問題が解決されなければリハビリテーションプログラムの利用者が自分たち自身でそのコストを負担するようにはならないであろう。

CBRはすべての障害者に対する解決策か、それともごく一部の障害者のためのものか?

 概算では、障害者の70%は地域のレベルで対応できるが、残りの30%の重度及び重複障害のある人たちは専門家による対応が必要で地域では対応できないといわれている(22)。1980年代及び1990年代初期のCBRプログラムの評価でも、このことは裏付けられている(23)。その後、公平と統合を強調する社会モデルに向けた改革に従い、CBRはその活動に障害者すべてを含める必要性を強調するようになってきた。しかし現実には、期待されたほどの公平性は達成されず、いくつかの障害者グループが取り残されてしまうことになった。

 CBRプログラムを必要としている障害者の内、約20%は重度の障害者で、その多くは複数の障害を持っていると言われている(24)。一般に、貧しい地域の方が、重度の障害者の割合は低い。重度障害者の生存に必要な援助が与えられないからである。中には、障害がある子供たちの死亡率が80%近くにまで上る地域もあり、「間引き」も疑われる(24)。というわけで、地域には重度障害者数は多くない。しかし、その少数への対応さえCBRは満足にできない状況にある。理由いくつかあげられる。そのひとつは、外部機関と地域の関係である。プログラムの多くは外部の機関によって実施されており、外部者は住民と良好な関係を築くために結果を早く出す必要がある。それには軽度及び中程度の障害者向けの活動の方が都合がよいのだ。そのため、重度の障害者は活動から取り残されがちになる。また、ほとんどのCBRプログラムには、重度障害者に対応できるような適切な研修を受けた人材がいない。さらに、「住民参加」と障害者の「権利」の確立を進める過程において、重度障害者の存在が軽視されるのである。現時点では、重度・重複障害者のニーズを地域のレベルで効果的に解決する有効な手段はない。

 女性障害者はCBRプログラムによる適切な取り組みがなされていないもう一つのグループで、この傾向は伝統を重んじる社会で特に強い。男女を問わず障害者は地域から分離される傾向があるが、女性障害者には、その上に、女性特有の問題が存在する。例えば、障害ゆえに地域で伝統的に女性に期待されている役割を果たすことが困難であるとか、女性であるために地域事業に参加できないとか、サービス提供者の大多数が男性で占められているリハビリテーションサービスを受けに行けない等である(25)。障害のある女性の問題は男性の障害者が中心となっているたいていの障害者団体の中でもおざなりにされがちである。また、開発途上国の女性団体は、女性障害者を障害者としてとらえ、女性としては二次的にしか考えていない。CBRプログラムでは、障害のある女性たちの伝統的、社会的及び文化的な問題に対応する戦略を開発しなければならない。女性としての役割について間違った考え方を一掃し、新たな社会認識を築き上げ、できる限り職場や家庭で受け入れられるよう必要な技術を磨く研修を行い、女性のCBRスタッフを育成し、女性の障害者の教育や雇用の機会を提供し、女性団体や障害者団体にこの問題を課題として取り上げるよう提言していくことが重要である。このような方法を通して、障害のある女性と男性の間の不平等を軽減することができる。

CBRボランティアは、ボランティア活動をする「余裕」があるだろうか?

 1998年に行われたCBR国際ワークショップで、参加した22のCBRプロジェクト代表者それぞれが直面している主な問題について話し合った。結果、ボランティアの問題がほとんどすべて参加者にとって重要課題であることがわかった。具体的には、新たなボランティアを見つけることが難しいこと、ボランティアの入れ替わりが激しいこと、新人研修の資金が必要であること、ボランティアの動機付けが不足していること、そしてボランティアへの少額の報酬を支払わなければならないことなどである(26)

 地域ボランティアの役割は世界の様々な地域におけるCBRプロジェクトの主要な課題の一つとして認識されている。特に現在は「住民参加」が重視されているのでこのようなとらえ方が主流である。CBRプログラムの中には、ボランティアをうまく使った事例もあるが(27)、おそらく例外といえるであろう。

 論点となるのは、人口の大多数が「ボランティア」活動をする余裕がない開発途上国において、真のボランティアリズムが存在しえるのかということだ。辞書の定義によれば、「ボランティア」とは「法律上の義務や利益からは自由に自発的奉仕活動を引き受ける、あるいは引き受けようという意志を示す」人である。CBRにおけるボランテイアは、この定義の限りでなく、様々な役割や立場を含めて指している(24)。ボランティアの中には自分が選んだ仕事だけをする人や、1ヵ月や1年のうちある決まった期間だけ活動する人、または限られた時間だけしか活動できない人も含まれる。一方、多くの開発途上国ではこの10年間に市場経済が浸透し、ほとんどの人々が給料生活者になった。結果、ボランティアをすることができなくなり、また、その意欲も失われてきた。また、ボランティアをする人々はしばしば自分たちが受ける研修やボランティア活動の経験を報酬を得る仕事のための足がかりとして利用するようになった。このような状況の下では、報酬を得て働くCBRのスタッフと同じようにボランティアが長期間にわたり無報酬の活動をすることを期待するのは現実的ではないし、また実現可能とは考えられない。

CBRにおける文化的要素の重要性を認識しているか?

 文化は私たちの日常を決定するのに非常に重要な役割を果たしており、「障害」を含め、身の回りで起こっているほとんどの事柄に対する私たちの態度に影響を与える(28)。CBRは環境に左右される活動で、リハビリテーション活動に最も大きな影響を与える「ハンディキャップ(障害)」と「参加」という言葉は、主に文化的な環境要因との関わりの中で定義される。広い意味での「文化」とは、伝統、民族性、宗教等すべてを含んだものを指し、障害者の社会参加に影響を与える。一つの国の中でも、人々の民族性や社会的な地位、宗教的な慣習などには大きな違いがあり、場合によっては所属するグループによって異なる法律が適用されている。あるグループの人々にとって妥当な行動が、別の文化的グループには不適切である場合もある。このような「常態」と「非常態」に対する文化による理解の違いを認識することは、リハビリテーションのケースでは大変重要である。なぜなら、ある文化的環境において「ハンデイキャップ」と見なされることが、別の環境では「ハンデイキャップではない」と考えられることがあるからである(29)

 文化的要素の影響は大変大きく、CBR活動の成功には文化の十分な理解が不可欠である。しかし、多くのプロジェクトの計画には、文化の重要性に対する認識が不十分である。例えば、西洋の基準とは違う独自の特徴を持ったコミュニティが見られる開発途上国のCBRプログラムを計画する際に、しばしば西洋的な型にはまった「コミュニティ」が想定されるが、このようなプログラムは実施される国の文化的要素と相容れない傾向があるので失敗する危険性が非常に高い。先進国で主張され、理解されている個人の人権やエンパワーメントの概念は、多くの開発途上国では存在しないのである。伝統的に、開発途上国では、個人は血縁関係にある親族の集団に所属しそのネットワークのもとに相互に助け合う義務を負っている。こうした文化のもとでは、個人のエンパワーメント概念は、対象が障害者、非障害者に関わらず、先進国よりもずっと複雑である。アジアの多くの国々では、西洋の「個人へのエンパワーメント」は、自分勝手で、望ましくない考え方だとみなされるのである。家族やもっと大きな社会のために利他主義的であることの方が高い価値があるのである。このような状況では、個人が自分の役割に縛られ、おとなしく従順で、伝統的なシステムに従っていくのが美徳とされる。開発途上国では、「エンパワーメント」という言葉は、他の人たちと同じ立場に立ってサービスを受ける権利として理解するのが一番よいだろう。同様に、多くの伝統的な社会において女性は男性から差別され続けており、障害のある女性の「社会」への「統合」は西洋とは違った様に理解されている。このような社会では、障害のある女性は差別された女性の社会へ統合されることはできるが、男性の社会からは差別され続けることになる。

 リハビリテーションは長期間継続する活動で、「文化」から逃れることはできない。また、サービス提供者が中央から地域に移り、また、障害者の地域社会への統合がすすめられている現在、文化の影響はさらに大きく、十分な配慮が要求される。文化的に適切な-地域の文化に合わせた戦略による-プログラムが多くの伝統的な社会で有効であることは文献でも証明されている(30,31)。CBRを計画者は、プログラムの方針を立て計画する際に、文化に十分な配慮をし、失敗の危険を避けなければならない。

CBRにおける評価と研究の役割とは?

 過去20年以上にわたり、CBRは開発途上国における障害者サービス提供の望ましい手段として支持されてきた。しかしCBRにはまだ多くの問題が残されている。例えば、CBRの経済効率や、地域開発、基礎保健など、様々な側面についての文献はほとんどない。また、CBRの定義は一様ではなく、さまざまな異なったプログラムがCBRと呼ばれているため事業間の比較が難しい。更に、CBRの成果に関する研究はほとんどない上、それを評価する指標の開発もほとんど行われていない。CBRプログラムの評価の多くは、いつまでたっても単なる活動の記述と、プログラムに関与した様々な関係者の感想にすぎない。

 CBRの評価をもっと厳密に行うこととCBRの成果をはかる指標を作ることは、この分野が今後更に成長し発展して行くために不可欠である。特に、市場経済が発達した現在、CBRのマネージャーや現場で働くスタッフや専門家は、プログラムから得られる利益を示す必要がある。そうしなくては、政府や政策決定者が、CBRプログラムのために予算を増額することを正当化するのが難しくなるであろう。

 最近、カナダ、オランダ、イギリスで活動するいくつかのグループが、CBRの成果をはかる適切な指標の開発とともに、計画評価の必要性を強調している。すべての関係者にとって有用で、使いやすい指標の開発が期待される。しかし、同時に、障害問題に関わる人々は多岐にわたり、さまざまに異なる哲学を持つことを考えれば、多くのプログラムに使える指標の開発が困難であることも周知の事実である。

 将来CBRの評価に使えそうな指標のリストも出版されている(32,33)。プログラム効果をはっきりさせるためや今後の計画について情報提供するために使われる指標は、サービス提供者が仕事の一部としてプログラムを評価する際に使うことが望ましい。また、指標を文化的背景が様々に異なる現場において実際にテストしてみれば、どの指標が文化的制約を受け、どの指標が文化による影響を受けないかを分類するのに役立つであろう。

 開発途上国において障害者のプログラムに関わる人々は、保健分野では認められつつある「根拠に基づいた実践の重要性」をまだ十分認識していない。しかし、資金提供者、政策決定者、プログラム実施者、そして利用者のグループなどは、プログラムに投入される資金、その他の資源、労力、時間などが妥当であることを示すしっかりした根拠をますます必要としている。確かな根拠に基づくプログラムの実践には、活動や成果や指標についての明確な説明が必要である。20年間、CBRプログラムは「経験」に基づいて発展してきた。しかし、CBRの問題を解決し十分な成果を得るためには、「根拠に基づく実践」への移行が必要であり、今がその時なのである。

結論

 世界の様々な地域においてCBRの活動は20年以上実施されており、多くの人々が開発途上国での障害者への適切な対処方法だと信じている。しかし、CBRには解決されていない疑問や問題が多く残されている。この分野の研究に十分な関心と資金が提供され、この先10年の間に、問題のいくつかが解決されることを望んでいる。


10月21日 基調講演
「すべて」が意味すること

Bengt Lindqvist(ベングト・リンドクビスト)
国連社会開発委員会特別報告者 前社会大臣 スウェーデン

 本フォーラムのテーマは“障害者の権利実現へのパートナーシップ”である。よいテーマであり、極めて時宜を得た選択である。いま胸を躍らせるような多くの機会が備えられており、それらを最大限に活用すべく、私たちは一致協力しなければならない。障害者の権利実現に向けた取り組みの中で、私たちはどのようにすれば全員の力を良い方向に動員することができるであろうか? 可能な限り多くの人の参加を得るために、私たちはこのパートナーシップをどのような価値観の上に構築すればよいだろうか? その答えは明らかだ。私たちの権利強化の取り組みにおいては常に、国際連合が1948年に採択した世界人権宣言の価値観を指針としなければならない。

 “すべて人は生まれながらにして自由であり、かつ、権利と尊厳とについて平等である”。これは同宣言の冒頭にあるもっとも重要な文言である。国連が同宣言採択50周年を記念して選んだテーマは、“すべての権利は万人のために”であった。

皆様、
人権に関連して、私たちは「すべて」という言葉をよく目にする。これは単なる常套句に過ぎないのだろうか? 私たちは「すべて」という言葉を使うとき、本当に「すべて」を念頭に置いているのだろうか? もしそうであるならば、その見解の帰結に直面する備えができているのだろうか?

 「すべて」とは、まさに「すべて」なのだ! 他の答えはあり得ない。席を立って私たちの中の誰かを指差し、「私の考えでは、あなたは世界人権宣言に謳われている人権の享受から除外されるべきだ」などと言う人がいるだろうか。

 「すべて」とは、まさに「すべて」なのだ! これは、世界人権宣言の、そして真の民主主義の崇高な趣旨である。皆様ご存知のとおり、これを全人類のために現実のものとすることは、人間社会にとって実に前途遼遠である。この点では、障害に関連する人権侵害はもっとも取り組みにくい問題のひとつだ。多くの国々で、はなはだしい人権侵害の例が今もなお存在しますが、それらは(なかなか根絶できないと思われる表現を借りるならば)障害者が劣等市民であり、役に立たない存在だと考えられていることを示すものだ。しかし、私たちが前に進むための真の好機が到来した。私たちは長年、人権の現状を打破するために闘ってきた。この機会を有効に使わなければならない。しかし、結果を出そうと躍起になるあまり、私たちは明白なもの、ごく手近なもの、容易なものに手を延ばすという危険があるのではないだろうか? これは重大な誤りだ。重度の障害が原因であるにせよ、極度の貧困で力を失っているからにせよ、あるいは外界とまったく接触することなく大規模施設に閉じ込められているからにせよ、さまざまな理由から、交渉のテーブルについて自分の意見を述べようとしない人々が私たちの中にもいることを、私たち自身が決して忘れてはならない。「すべて」は、まさに「すべて」なのだ。これを私たちは決して忘れないようにしたいものだ!

 皆様、
私たちが目指す障害者の権利実現へのパートナーシップの内容は、どのようなものであるべきか? 国際障害者年以来、私たちはまさにものの考え方のパラダイム・シフトと言うべきものを経験してきた。たまたま障害をもって暮らしている私たちの仲間は、ケアやサービスの対象と見なされることをよしとしない。私たちは自国の市民であり、完全参加と平等の権利を行使する権利を有しているのである。こうした考え方は、国内的にも国際的にも、私たちの行動すべてを貫くものでなければならない。国によって状況や開発レベルが異なるため、私たちの行動も国によって差異が出ざるを得ない。国際的な活動領域では、私は国連(障害者の機会均等化に関する)標準規則のモニタリングを行う専門家パネルとともに、現下の火急の問題を盛り込んだ行動課題を作り上げた。この行動課題には4つの項目があるが、これら4つの問題はすべて相互に関連しているため、私たちは“同時並行的アプローチ”を採用したいと考えている。4つの項目は以下のとおりである。

  1. 国連標準規則が発効してから9年が経過した。特別報告者としての任期中、私はおよそ60の国を訪れた。数々の調査を実施することにより、私たちは約130ヵ国から情報を得た。こうした情報に基づいて言えるのは、これまで、また現在も、標準規則は世界のあらゆる地域で、各国政府、障害関連団体の双方によって広く用いられているということである。その目的は、アドボカシー、公共政策決定、立法、評価である。標準規則が障害の新たなパラダイムの素地をつくったことに疑問の余地はない。標準規則は先ごろ、国連人権委員会によって、障害分野における人権開発の判断基準として認知された。
     国連経済社会理事会は、標準規則に付随したモニタリングメカニズムの継続を決定した。本年末をもって私は特別報告者の職務を退くので、国連事務総長においては、後任の特別報告者を可及的すみやかに選任するとともに、モニタリングメカニズムに対する財政支援継続の必要性について加盟国の注意を喚起することが必要である。国連がこうしたことを遂行できるよう、皆様のお力をお借りできればと思う。
  2. 標準規則は、ある領域では発展させることが必要だ。国連社会開発委員会の付託を受けて、私は専門家パネルとともに標準規則補足文案を作成し、近く加盟国およびNGOに配布することになっている。一部の加盟国にとっては、補足文案を受け入れるにあたって説明やアドボカシーが必要な内容があるだろう。言うまでもないが、有益で未来志向の補足文をつくりあげるために、皆様の組織・機関がこの協議プロセスにかかわっていただきますよう希望する次第である。
  3. 国連人権委員会の支援を受けて、国連の6大人権条約のモニタリングに障害の要素を盛り込むのには、いまが好機だ。先ごろ発表されたQuinn教授ならびにDegener教授による研究(“人権は万人のために。障害領域における国連人権文書援用の現況と今後の可能性に関する研究”[“Human Rights are for all. A study of the current use and future potential of the UN human rights instruments in the context of disability.”]、2002年2月)では、障害者の権利のモニタリング強化に関する具体的な提言が数多くなされている。こうした提言は国連の人権システムの中で実施するべきであり、同時に、これら各施策の実施に各国政府が関心をもつよう働きかけることが重要だ。私たちはすでに、人権高等弁務官事務所の支援を受けている。
    1. 既存の各条約は、障害者のニーズを何ら考慮に入れることなく作成された。新しい条約は、人権に関する規範や基準を障害者の状況に合わせて整えていく必要がある。
    2. 特別条約は、障害者の権利を明確に位置づけ、認知度を高めることだろう。これは、他の手段では不可能である。私たちはこのことを、ジェンダーおよび子どもの権利に関する2つの条約をめぐる経験から学んだ。
    3. 特別条約は、障害者の権利に関する効果的なモニタリングメカニズムを確立するための、おそらく唯一の方法である。
  4. 最後にいよいよ、障害者権利条約という大きな課題について述べる。国連による新たな条約起草の決定を求めて、障害関連団体の多くが懸命に努力してきた。昨年の国連総会におけるメキシコ政府のイニシアチブは、このプロセスが動き始めたことを意味している。しかしながら、障害者権利条約に対して難色を示したり反対の立場をとったりしている国がかなりの数にのぼるようだ。この点に関して消極的な政府を説得するため、皆様のお力添えをいただきたい。そこで、条約を支持するための、説得力のある理由を3点、示す。

 障害者権利条約の検討を目的として設立された特別委員会の次回会合に先立ち、国連事務総長は、この問題に関する各国政府の見解を求めるよう要請されている。これは、皆様がこの問題にかかわる最初の重要な機会である。皆様の取り組みが奏功するようお祈りする。

 私と専門家パネルが示した4つの問題は、私たちがこれから取り組むべき具体的な仕事である。これらは同時に妥当な課題でもある。それでもなお、その実施のためには強力なパートナーシップが必要となることを、私たちは了解している。障害者運動においては強力なパートナーシップが必要だ。障害分野の専門団体、人権団体・機関、政党、各政治家、およびメディアの力を動員しなければならない。皆様の力を結集していただく時が来たのだ! 今後数ヶ月は、これらの問題の進展の鍵を握る。本当に、皆様の力が必要なのであり、期待を寄せている! 私の好きな詩をひとつご紹介して、私の講演を締めくくらせていただく。作者はBerndt Rosengren。物事の進展において、私たち一人ひとりがきわめて重要な役割を果しうることを強調している。スウェーデン語で書かれているが、翻訳すると次のようになる。

目を閉じさえすれば、私たちは信じることができる
自由が存在することを、そして平和が支配していることを

目を開けてさえいれば、私たちは確かめることができる
いつか自由が訪れることを、そして平和が支配することを

世界を変えることができると信じるためには、
ある種の狂気が必要だ
狂気、それはひらめきに近い
そして同時に単純な常識でもある。
あなたにはそれができる。皆と力を合わせればできる

目を閉じさえすれば、私たちは信じることができる
自由が存在することを、そして平和が支配していることを
目を開けてさえいれば、私たちは確かめることができる
いつか自由が訪れることを、そして平和が支配することを