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第3章:地域展望

一つの世界、普遍的な原則、多様な現実

ビンに詰めている写真

国際組織として、インクルージョン・インターナショナルは、地域、言語、文化及びその他のさまざまな違いを超えて、知的障害のある人々とその家族を含む会員が一つにまとまる機会を提供する。当然のことながら、それはこの世界報告書の役割の一つでもある。

このような知的障害のある人々の国を超えた出会いの驚くべき側面は、一般に、たとえ共通の言語を持たなくても(実際に、話し言葉が存在しない場合もある)、ほとんど常に、お互いに理解し合い、お互いの状況に共感しあえることだ。確かに、本人として既に自分の意見を述べる経験をしてきた人々は、自分達が直面している差別に共通する特徴を即座に伝え合うことができる。共通のテーマは、兄弟姉妹と同じようには人生の機会が持てないということだ。また、周囲の人に意見を聞いてほしいとか、自分の人生を送るために必要な支援を得たいとか、障害のない仲間が当然のごとく参加していることに参加したいなど、共通の願いを持っていることも明らかにされる。

家族、特に知的障害のある子どもの親が集まると、ほとんど常に、他の家族が語る話を即座に本質的に理解する。障害のある子どもを産んだ経験、子どもたち全員に教育を受けさせるための苦労、障害のある子どもが若き成人として貢献する機会を得る必要性、そして、自分たちがいなくなったとき、子どもたちはどうなるのかという、ほぼ世界的な懸念が共有される。

このような意味で、インクルージョン・インターナショナルの運動は、個人的な豊かさや公的資金によるサービスへのアクセスなどに違いはあるといえども、「ここにともにあること」という極めて現実的な、共通の経験に基づいていると言える。

私たちは、世界調査を通じて作成された資料の大部分をインターネット上で公表した。その一つが、ニュージーランドの会員組織(IHC)からの国別報告書で、知的障害のある人々とその家族が自らの生活と願望について語っていることを、特に明確に述べている。この報告書の公表後すぐに、私たちはコロンビアの読者からメッセージを受け取った。この読者の弟は現在、現地の特別支援学校に通っており、ニュージーランドの人々が話していることと弟の意見とがいかに似ているか、そして、太平洋の反対側の人々が送っているより良い生活のイメージから自分と弟が刺激を得ることができ、どんなに励まされたかを伝えてくれた!1

これは当然、1948年の世界人権宣言と、最新(2006年)の国連障害者の権利条約を支持する中核となる言葉でもある。同条約の基礎となっている人権は普遍的である。私たちは一つの人類なのだから。国際機関としての私たちの課題は、さまざまな地域で会員が経験するさまざまな現実を認め、理解する一方で、これらの普遍的な原則を普及することであり、それゆえ、私たちは、公正でインクルーシブな地域社会を世界各地で建設するための長い道のりの多様な出発点、多様な機会と障壁、そして多様な優先順位を認める、前進への戦略を策定しなければならない。

この報告書では、第4章にまとめられている、知的障害のある人々とその家族が共有するビジョンのような共通点に注目するとともに、第5章でさらに詳しく分析されている、第19条の達成に向けて3つの基本的要素(選択の機会(自己決定の強化)、支援及び広く地域社会におけるインクルージョン)を促進する取り組みを、これらの多様な地域と国家の現実に敏感に反応させていかなければならない理由を重点的に取り上げる。そして、世界各地から収集された資料を利用し、これら2つの目的を結びつけることを試みる。さらに今回、インクルージョン・インターナショナルを構成する5つの地域のそれぞれにおいて、私たちとともに取り組み、地域の資料を把握している人々によって、より明確な地域展望を示す短い文書が作成された。これら5つの視点からいくつかのテーマがまとめられ、地域間の共通点と相違点、さらには地域特有の問題が明らかにされた。

ヨーロッパにおける取り組みからは、この地域では他の地域と比べて、各国の知的障害のある人々とその家族の状況に共通点が多いことがわかった。一般に、地域社会での生活という選択肢の確保に見られる成功の度合いは異なるが、ほとんどの国で、入所施設がいまだに存在しており、地域社会における生活とインクルージョンに向けたより良い支援への改善策が必要だという共通認識がある、と参加者は述べた。本人は、どこで生活したいかを決定する際に意見は求められるが、最終的な決断は、通常、家族または法定代理人によって下されると語った。スロベニアでは、次のような声が聞かれた。「はい、本人の意見は聞きます。でも、親/後見人が決定します。」そしてベルギーでは、本人がこう回答した。「…順番待ちの長いリストがあり、どこにも空きがありませんから、実際には選択の余地はありません。」地域全体で確認された一貫した課題は、地域社会における生活に必要な支援の提供に、緊縮財政措置が与える影響である。

集合写真 南北アメリカでは、重大な域内格差が認められた。南アメリカの多くの国における知的障害のある人々とその家族の現状は、北アメリカよりも、アフリカ、アジア及び中東の人々の状況に近かった。しかし、域内のすべての国の共通点として、障害のある家族に対する生涯にわたるケアと支援の(すべてではないにせよ)大部分は、家族が提供していること、障害のある人々は貧しい生活を送る可能性が高いことなどがあった。

個人や家族に対する支援の範囲は、域内で大きく異なっている。北アメリカと一部の南アメリカ諸国では、支援とサービス(障害関連の支援、所得支援及び医療を含む)が利用しやすくなっている。他の国では、個人と家族に対する支援やサービスはない。同様な相違は、教育分野でも顕著である。現在支援やサービスを提供している国は、域内で比較的成功している国である一方で、提供される支援やサービスが、多くの場合、本人や家族の実際のニーズを満たしておらず、強化と改善が必要であることに留意しなければならない。

北アメリカでは、長年にわたる脱施設化の取り組みの成功にもかかわらず、地域全体で今なお施設収容があまりに一般的である。

この調査研究のために、アフリカの地域コーディネーターが11カ国を訪問し、フォーカスグループや会議を開催し、アフリカ14カ国の国別調査結果の収集を援助してくれた。会議は現地語で開催され、地域コーディネーターは議論の分析を提供することができた。その結果、その地域(本人や家族に対する国による支援がほとんど、あるいはまったく利用できず、大規模施設が比較的珍しい地域)に関する私たちの知識は大いに強化され、地域社会における生活とインクルージョンに関するアフリカの展望が、報告書に一層反映されることになった。

集合写真 施設や支援がないことで、より自然な形での地域に根ざした支援が重視されるようになったが、一方でこれは、知的障害のある人々とその家族の支援に利用される公的リソースがないという厳しい現実も映し出している。この報告書全体に反映されているように、知的障害のある人々にあらゆる支援とケアを提供しているのは、おもに家族なのである(そして、その多くが究極の貧しい暮らしをしている)。さらに、知的障害のある子どもが学校に行かれない場合、母親が自宅以外で働くことができず、二重の損失となる。家族の取り組みについてコメントしたコーディネーターは、こう語った。「多くは闇の中で、支援も受けずに正しい道を見つけようとし、つまずいています。非常に多くの人々が、子どもに人並みの生活をさせてやろうと努力しており、時には心理的にも経済的にも、膨大な犠牲を個人で負担しています。」障害のある家族の日々のニーズを満たすこと以上に、アフリカの家族は、社会的偏見や、障害は神から与えられた罰だという神話と闘っている。多様性の問題と独自の宗教的及び文化的問題が、中東・北アフリカ地域とその他の地域で発生した。成人しても家族単位で生活し続けることが、すべての人の文化的基準である地域での私たちの取り組みは、地域社会における生活とインクルージョンの意味について混乱を招いた。それはしばしば、一人で生活するという意味に間違って理解されることが判明した。回答者は私たちに、地域社会における生活とインクルージョンに関する文化的・宗教的視点を、第19条に対する私たちの理解に反映させなければならないと教えてくれた。

フォーカスグループ、調査及び体験談を通じて、今なおスティグマと恥が課題となっているとの声が聞かれた。中東・北アフリカ地域では、地域コーディネーターが次のように報告した。「…知的障害のある娘がいることを認めると、特に、その子に姉妹がいる場合、その姉妹は結婚できない可能性があります。」とはいえ、現在、知的障害のある人々の間では、本人運動の出現と、自分達にも権利があるということへの理解に関して前進が見られ、心強い。

域内格差はほとんどの地域で指摘されたが、アジア太平洋地域ほど顕著な所はなかった。この地域は規模が大きく、世界人口の60%が住む。域内の国による格差(ニュージーランドからインド、ベトナムまで)は著しい。調査からは、知的障害のある人々とその家族の生活と体験について、国による多くの相違点が指摘されたが、域内全体での本人運動の大きな高まりも強調された。日本、香港、マレーシア、ミャンマー及びカンボジアの本人から、多くの話(ストーリー)が得られた。これらの話(ストーリー)は、この報告書の随所に記載されている本人運動がわくわくさせてくれる例を提供している。

多様性への対応

インクルージョン・インターナショナルの各地域は、おもに世界の地理に対応している。そして、そのそれぞれにさまざまな国が含まれていることが、潜在的な強みとなっている。国内においても、人々の体験には、所得の不平等や都市部と農村部という生活様式の違いによって形作られる多様性がかなり認められる。これらの異なる視点の比較と対比から学ぶことで、さまざまなレベル(国内の各地域、国内全体、世界の各地域、世界全体)の集団で第19条の原則を促進する活動を計画するに当たり、最も重要な構造的、文化的、経済的及び歴史的要因を一部明らかにできる。これらは以下、特に第7章でさらに詳しく説明されるが、ここでは今後の検討のために4つの重要なテーマをまとめる。

家族構成、文化及び個人の自律

家族は知的障害のある人々の幸福に不可欠であるが、家族構成は、経済的に豊かな国で一般的な一人親や小さな核家族から、大きな拡大家族や、実際にアフリカの農村部などで今もよく見られる地域の氏族の一員に至るまで、大きく異なっている。このような家族構成という要素に加えて、成人した子どもが実家を離れるべきか否か、いつ離れるべきか、また、家族のお互いに対する責任など、家族への期待にも違いがある。文化にかかわるもう一つの側面は、障害のある人々が経験する差別の根拠に関連するもので、障害を悪い行いに対する罰とし、あるいは伝染性の病気とする昔ながらの見方から、問題の原因として個人の「欠陥」に医学的見地から注目する見方まで、さまざまである。さらに、世界の多くの地域で、知的障害のある人々には権利があり、その権利を行使する法的能力があるという考えが理解されず、受け入れられていない。そして、知的障害のある人がどの程度「自由に」自分自身で選択できるか、あるいはその代わりに、地域社会が知的障害のある人の社会的地位にふさわしいと見なすことによって、知的障害のある人がどの程度束縛されるかは、文化の違いにより大きく異なる。

市民社会団体の力

成人と子供 これらの家族構成と文化の問題に重なるのが、地域社会の特性と社会が促進する自主的な組織の形態である。一部の高所得国では、伝統的な社会資本(たとえば、拡大家族に見られる社会資本)は弱いが、市民が自主的に相互に助け合い、自らの利益を増やすために集結できる方法が多数あり、実際に家族団体の中には、このような運動を進めている所がある。旧ソビエト連邦などの他の先進国では、非政府組織(NGOs)が、知的障害のある人々とその家族を支援する、新たな、そして比較的脆弱なネットワークである。アフリカ及びアジアなどの他の社会では、非常に強力な社会資本があるが、それは従来の氏族制度や地域の権威構造を基にしている。これらの文化では、多くの人々の選択の機会とコントロールが、氏族や部族によって指示されている。

経済の発展と社会的不平等

これらの社会的関係以外に、当然のことながら、経済の発展や世界の物的資源へのアクセス分布の程度には、甚大な世界的不均衡が見られる。国内でも、非常に大きな富の格差(都市部と農村地域の間の格差を含む)が認められる場合があり、そのため、障害のある人々とその家族に対する支援金など、活動に利用できるリソースにも大きな格差が生じる可能性がある。実際、世界の「南」の国々の大部分で、非常に多くの家庭が経験する究極の貧困は、より良い生活の実現の余地を大いに制限するものである。日々の現実は、生きのびることであり、障害のある人々の「ビジョン」は、極めて実践的で、何とか生きていく方法と、家計のために貢献する方法だけを考えたものとなる可能性が高い。

平等な市民権への国による投資とその歴史

最後に、経済的・政治的発展とかなり重複するが、この報告書によれば、すべての国民の平等な市民権の確保に対して政府がどの程度責任を担ってきたか(たとえば、普遍的教育への投資、医療サービスへのアクセス、社会保障手当)、あるいは逆に、国民、特に障害のある人々が、家族や民間団体にどの程度支援を依存しているかは、国による大きな違いが見られる。しかし、以下で述べるように、政府が社会福祉にどのように投資してきたか、特に、過去及び現在の投資を通じて、障害のある人々の地域社会への完全なインクルージョンをどの程度支援してきたか、あるいは(施設収容などを通じて)社会的疎外をどの程度促進してきたかにも、著しい違いが見られる。

私たちは、今後のページで調査研究の結果を報告する中で、引き続き、これら4つの多様性の側面を参照し、それらがさまざまな地域で、第19条のより完全な実施に必要な戦略を共に編み出していくことに、どのようにかかわっているのかを示していく。