音声ブラウザご使用の方向け: ナビメニューを飛ばして本文へ ナビメニューへ

  

第7章:施設収容:疎外という悪循環の終焉

団欒しているところ

この報告書の第一の焦点は、家族と生活している世界各地の知的障害のある人々の大多数であるが、これらの人々は、自分も家族も地域社会からの支援をほとんど、あるいはまったく受けておらず、教育、雇用及びその他の地域社会によるサービスへのアクセスは乏しく、孤立し続けている。また、施設収容という形の深刻な人権侵害が引き続き存在する。現存する施設の全廃と、新たな施設の設立防止なくしては、第19条は達成できない。

本章では、過去及び現在進行中の施設閉鎖の結果得られたおもな教訓と、国連条約第19条の、より完全な遵守に向けて、今なお残されている課題をいくつか示し、これらについて論じる。

施設は、障害者の権利条約第19条、そして、障害のある人々がどこで誰と生活するかを他の人々と同じように選ぶ機会を持ち、特定の生活様式で生活することを強制されない権利に、真っ向から違反している。

「私は福島に戻りたいのです!」「この施設での生活には耐えられません。プライバシーがないのですから。」「私は買い物に行きたいし、自分がやりたい本人活動のイベントを開きたいです。」「施設に入っていた昔の頃にタイムトラベルしているような気がします。」「以前のように自分の部屋が欲しいです。」「できるだけ早く、また福島で働きたいです。」
―日本での2011年の津波後の本人の発言

うずくまっている男性知的障害のある人々は、問われれば、施設では生活しないことを選ぶことがわかった。また、施設では、基本的な市民権や自己管理、個人のプライバシー、意思決定と地域社会におけるインクルージョンが否定されることも知られている。そして、これらの施設で生活したことのある人々の個人的な体験談からは、これらの施設で常に発生する虐待、孤立と個人的な苦痛について知ることができる。我々は、現存する施設の閉鎖という課題に、今後も直面し続けていくだけでなく、施設におけるケアが、地域社会における支援へのアプローチに与えた影響にも対処していかなければならない。さらに、施設と施設関連のアプローチに対する新たな投資という脅威にも警戒していかなければならない。これらを進めていくには、多くの国で実施された施設閉鎖のプロセスについて学んだ内容を理解することが役立つ。

「施設とは、知的障害があるとレッテルを貼られた人々が、孤立させられ、隔離され、さらに/あるいは集められている場所である。施設とは、自分の生活の管理や日々の意思決定ができず、あるいはそれらが許されない場所である。施設とは、その規模だけで定義されるものではない。」
カナダ地域生活協会―ピープルファーストカナダ地域社会における生活の権利に関するタスクフォース

オーストラリア

明白ではないが、財政支援を通じて、人々は地域社会における生活を妨げられている。

日本

日本にはこれまで、さまざまなイニシアティブがあったが、同時に、施設の数が増加しているのも事実である。調査研究によれば、施設から出た人はわずか3.4%で、新たな落ち着き先は、おもに自宅とグループホームの2ヶ所である。さらに、ほぼ同数の人々が、新たに施設に収容されているという事実も付け加えておかなければならない。

レソト

「障害のある人々は施設に入れられるべきではないと思います。それは彼らを動物並みに扱うようなもので、彼らの心が閉ざされるからです。障害のある人々には、家族や兄弟姉妹の一員となる権利があります。家族と地域社会は、彼らへの接し方を学ばなければなりません。」

脱施設化は単なる施設閉鎖にとどまらない

おそらく、最初にして最も重要な教訓は、脱施設化は単なる施設閉鎖ではないということである。それは、単にある環境から別の環境へと脱出させることではないのだ。脱施設化には、施設入所者が退所し、地域社会で相応な立場につけるよう支援すること、さらには、施設を出る人々と、現在地域社会で生活している人々の両方にとって、適切かつ十分な、地域と家族を基本とした支援及びサービスの開発と提供が含まれることを、我々は学んだ。また、過去の取り組みからは、脱施設化とは、施設の閉鎖であると同時に、地域社会における生活を継続するための支援(つまり入所の防止)でなければならないことも学んだ。そうでなければ、施設を出る人々は、地域社会で暮らしていながら、その生活を継続するために必要な支援にアクセスできない人々に、やがて取って代わられることになるだけなのである。

地域社会における生活とインクルージョンは誰にでも可能

もう一つの大きな教訓は、施設で生活している人々は皆、地域社会において、より幸福でインクルーシブな生活を送ることができるということである。地域社会での生活は、重大な課題が少ない人々だけでなく、すべての人々が対象とされる。イギリス、カナダ、アメリカ合衆国、ニュージーランド、ノルウェー及びスウェーデンなどの国々の経験は、特定の人々のニーズを満たすために施設が存在する(あるいは存在し続ける)必要がないことは、疑う余地も、議論の余地もないと実証するものであった。数々の施設閉鎖に関する調査研究は、「重度の」障害のある人々や問題行動のある人々、「病弱な」人々、高齢者(長年施設で生活している人々)は皆、地域社会で十分に支援を受けられることを明確に示していた。

現在、一般に障害関連の制約の多くは、個人と同程度、周囲の環境や社会の規則にもかかわりがあることがわかっている。また、障害の種類や程度に関係なく、人は施設で生活する必要はないことも知られている。そして最も重要なのは、地域社会で適切な支援を受けながら生活する時に、人は活躍し、成功するということである。

建物施設からの出所を支援する取り組みは、好結果を達成するとして知られている価値観と原則に従って進められなければならないことを我々は学んだ。脱施設化の計画では、以下が確保されなければならない。

  • どこで誰と生活するかを選択する権利
  • 本人が指示・管理し、自らの文化的背景の中で選択し、リスクを負担する権利を尊重する、人中心のサービス/プログラム
  • 個人に合わせた生活環境を享受する権利と、必要なリソースを自分でコントロールする権利
  • 地域社会に完全参加するために必要な障害関連の支援
  • 必要に応じ、意思決定を援助する、友人/家族/人権擁護者による支援(支援付き意思決定)
  • すべてのニーズを満たす、質の高い、他の場所に移せるアクセシブルなサービス
  • 家族、隣人、友人を含むナチュラルサポート開発の支援

カナダとアメリカ合衆国の経験から、カナダ地域生活協会(ピープルファーストカナダ地域社会における生活の権利に関する共同タスクフォース)は、真の家庭の創造と、施設閉鎖計画のために不可欠な10の重要な勧告を明らかにした(『正しい道(The Right Way)』 2010年)。以下にそれらをまとめる。

  • 地域社会における生活の推進者の参加を得る
    • 施設閉鎖の決定には、ビジョンと熱意と指導力、そして推進者が必要である。多くの部門からこのような推進者の参加が得られるが、その一方で、施設閉鎖と地域社会における支援の両方を要求するに当たり、従来、家族と本人が主導的な役割を果たしている。
  • 当人のニーズと希望の最優先を確保する
    • 当人は、どこで誰と生活するかを選択する権利を与えられ、その結果得られた住居が、真に自宅とされなければならない。
  • 家族の経験と役割を尊重する。
    • 地域社会における自宅への移行計画を進める際には、家族の視点を常に考慮しなければならない。家族は多くの場合、当人に関する最善の情報源となり、地域社会における支援ネットワークの中核を成すことになる。
  • 人中心の計画を促進し、各当人の真の家庭を創造する。
    • 配慮のある、人中心の計画により、前向きな個人的成果の達成の可能性を最大限に高める。目標は、各当人のニーズに合わせた方法で支援し、真の家庭での生活及び地域社会における生活への有意義な参加と真の選択を可能にし、各自の権利と希望を尊重することである。
  • 質の高い支援、サービス及びセーフガードの創造
    • これまで施設に充当されていたリソースは、地域社会におけるすべての人々に対する支援に向けて十分な能力を確保するために、地域社会に再配分される。各人が新しい家へと移る際に、計画を立て、支援が得られるように、系統立ったタイムリーな方法で、地域社会における能力を増強する必要性があることが確認されている。
  • 質の高い支援スタッフの採用と養成
    • 知的障害のある人々が自宅や地域社会で必要とする個別支援の提供を成功させるには、知識を備えた熟練した職員が利用可能であることが不可欠である。元施設職員の多くは、地域に根ざした環境への移行をうまく進められるので、これらの職員を受け入れるための戦略を開発する必要がある。
  • 地域社会の連携の確立
    • 施設閉鎖の成功は、各人と家族、政府及び地域社会の各機関の健全な連携にかかっている。家族支援団体、地域のアドボカシーグループ、社会正義提唱者、事業者、組合、ビジネスリーダー及びその他の協力者とともに、連携を進めて行かなければならない。
  • 施設閉鎖に向けた明確な計画とスケジュールの確立
    • 政府と地域社会のリーダーは、施設を閉鎖し、リソースを地域社会に配分し、施設入所者のそれぞれが、地域社会の自らの家へと移るための支援を確実に受けられるようにする計画を策定するという、明確かつ明快な公約を共有しなければならない。
  • 明確かつ効果的な発表
    • 施設閉鎖の決定をどのように発表し、そのメッセージをどのように伝えるか、慎重に検討しなければならない。閉鎖に対し、各方面から少なくとも何らかの反対意見が出ることは疑いなく、政府と地域社会のリーダーは、計画内容と理由について明確な情報を準備しておかなければならない。
  • 各人の地域社会への移行に関する慎重な調整/支援
    • 多くの人は、新たな家での生活に、ほとんど、あるいはまったく悪影響なく、迅速に移行する。しかし中には、これまでの環境から新たな環境への変更を、より時間をかけて行う必要がある者もいる。移行の計画や、必要に応じて中間段階の計画を立てる手助けをするのは、当人をよく知っている人物が最もふさわしい。

さらに、協議の中でニュージーランドの会員が、以下の点も重要であると述べた。

  • 支援してもらえる家族がいない場合、独立した人権擁護者を任命しなければならない。
  • 施設から出所したり、実家を離れたりする障害のある人々が、地域社会における生活の様子を見て評価できるように、好事例にアクセスできるようにする。

施設出所者の実生活に基づく体験談や家族の証言、そして圧倒的な数の調査研究は、世界各地における施設閉鎖の成功を示しているが、そのプロセスには共通する失敗がなかったわけではない。多くの管轄地域で取られた脱施設化の方法は、施設論的思考という遺産を残した。それは引き続き、支援方法やサービスシステムの組織方法を特徴づけている。

表10: 第二次脱施設化

第二次脱施設化

ヒューマンサービス政策及びリーダーシップ学 H・ロドニー・シャープ記念教授職
スティーヴン・M・エイデルマン

過去60年間にわたり、大規模保護施設から地域社会における生活へと、知的障害のある人々に対する支援システムの転換を主導してきたのは、家庭に基盤を置く組織であった。1960年代及び1970年代の、地域に根ざした支援をめざす運動が始まって間もない頃は、サービスを受けることなく1日24時間の介護に奮闘していた家族が、我が子のために地域社会で初めてプログラムを開設することが多かった。多くの場合、それは教育を受ける権利のない子どもと成人の両方を対象とした、日中の活動を提供するプログラムであった。のちにそれはグループホームへと発展した。家庭に基盤を置く組織は、当時の知見を応用した。つまり、当時存在していたケアモデルである、施設を基本とするサービスを模したのである。ただし、その規模ははるかに小さかった。家族と人権擁護者は、施設入所者を出所させるために力を尽くしたが、その施設のモデルがサービスシステムの基礎となったわけである。

このようなサービスは、施設にいた人々の生活に変化をもたらすとともに、疲れ果て、将来に向けて永続的な支援を求めていた家族を救うものとなった。この変化は、住居や居住地の変更にとどまらず、施設からの大きな前進であったが、差別を是正する人中心の積極的な価値観や、自己決定、インクルージョン及び地域社会の生活とネットワークへの完全参加は欠けていた。決して意図的ではなかったものの、そのような結果となってしまったケースがあまりにも多かった。

私たちは直ちに、障害者の権利条約と、地域社会における生活と家族への支援に関して障害者の権利条約で示された約束とを踏まえ、第二次脱施設化の準備をしなければならない。それは、従来の建物ベースのデイサポートと多数のグループホームを含む、既存の地域社会によるサービスの再編や変革である。

第二次脱施設化とは何か? それは既存の地域社会によるサービスの再編や変革である。それはまた、困難だが重要な活動である。これまで施設の代替策として開発されてきた地域社会によるプログラムの多くが、現在まさに変革を必要としているプログラムとなっている。これらのプログラムの多くは、家庭を基盤とする組織で今も主導的な役割を果たしている人々によって開発されたものだが、これらの人々は自分達が作成に手を貸したプログラムに現在も力を注いでいる。地域社会に物理的に存在することは、必ずしも統合とインクルージョンを確保するものではないと私たちは学んだ。地域社会による多くのサービスは、依然として、何年も前から知られている伝統的な方法に基づいているが、一方で、知的障害のある人々が組織の意思決定に関与するとともに、自己決定し、自分自身で支援とサービスを選択できるようにするインクルージョンの方法を取り入れたプログラムの事例も見られる。自分が望むように、また望む相手と生活できるように支援するプログラムもある。ほかにも、地域社会でのボランティア活動や地域の一般労働市場での就職、さらには小企業の設立などを支援するプログラムがある。

さらに、知的障害のある人々の完全なインクルージョンに近いとされるプログラムは、大抵は、これらの人々を隔離し、孤立させるプログラムである。世界には、サービスの変革と再編に影響を与える方法に関する専門知識が存在する。個人、家族及び家庭を基盤とする組織は、これらの変革を引き起こすために、連携先や協力者を必要としている。そして、既存のサービスの再編は、変革のプロセスを進める費用や、多方面からの反対の声が得られなければ実施されず、それゆえ、強力なリーダーシップなくしては実施できないという現実を認めなければならない。

時には、従来の集団型支援事業を運営している家庭を基盤とする組織の指導者が、支援を受けている人々はこれらのプログラムを「気に入って」おり、自分の生活に選択肢がなく、自分でコントロールできないことに対して異議を述べていないとして、これを正当化することがある。また時には、家族が望んでいるサービスや、代替策を提示されれば選択しないであろうサービスを、単にそれが習慣化してしまったが故に受けている人々もいる。従来のグループホーム、デイプログラム及びシェルタードワークショップに関するこのような意見は、施設入所者の家族が主張してきた、そして現在も主張している、「彼らはここにいた方が安全で、ここを気に入っていますし、このプログラムは、私たちが必要とする限り、ここで行われるとわかっています」などという意見とよく似ている。

よく知っている、そして親しみのある建物や物事は安全である。家庭を基盤とする組織にとって、支援とサービスの変更は、別の未来を想像することを家族に求め、そのための支援を提供することをしばしば意味する。以前は家族に対し、専門家を信頼し、我が子とともに専門家に協力すること、そして、見たことがないことに同意するよう求めることが多かった。しかし人中心の計画や自己決定及び自己選択を採用すると同時に、障害のある家族の希望に焦点を絞り、リスクを最小限に抑える支援を取り入れることにより、新たな未来の計画に家族の参加が得られるようになった。このプロセスにおいては、何がより良いのか、そして何が可能なのか、その両方に関する驚くべき発見が常にある。すべての家族にとって、支援とサービスの変更は大変なことである。しかし、家庭を基盤とする組織が主導権を握らなければ、他者が主導することになり、家庭を基盤とする組織は他者にその役割を任せる一方で、自分たちは受け身のままになり、あるいは反対の立場をとることさえあり、その権限と信頼性を放棄する危険が生じるのである。

しかし、世界経済の現状を見れば、これまでほとんどの地域で決して十分ではなかったリソースが、今や一層不足している。以下の三段階のプログラムを維持するための十分な財源はまったくない。

  • 大規模な公的施設/民間施設
  • 中規模施設/従来の地域社会によるプログラム
  • 地域社会によるインクルーシブな支援とサービス

本人を含む家庭に基盤を置く組織のリーダーシップが試される課題は、価値の低い隔離型・孤立型の支援及びサービスから、障害者の権利条約の規定、特に第19条の実現を助ける、価値の高い支援とサービスへの移行の援助である。熟知していること、つまり過去のサービスモデルに固執することには危険が伴う。家庭に基盤を置く組織が模範を示して主導しなければ、別のサービス機関が主導権を握り、その結果、家庭からの声が弱められてしまう。家庭に基盤を置く組織が、生活における障害のある人々の完全なインクルージョンの確保を率先して進めなければ、その道徳的権威と、他のサービス提供者や政府とともに変革に及ぼす影響力とを、一部失ってしまうこともあり得る。知的障害のある人々とその家族には、こうした事態を許す余裕はない。家庭に基盤を置く組織が、自ら自身とサービス提供者及び政府のために、変革に向けたビジョンを創造し、熱意を生み出さなければならないのだ。それはあまりに重要であるため、成行きに任せることなどできない。

失敗からは教訓も得られたが、繰り返し失敗し続けている場合もある。これらの失敗のうち最も重要なものを、いくつか以下にあげる。

経費節約

初期の施設閉鎖の取り組みの多くは、少なくとも一部は、施設にかかる費用に比べ、地域社会による支援にかかる費用の方が安いことに魅了されて進められた。この初期の経費節約は、主として施設職員に支払われる賃金と地域に根ざした支援の支援者に対して支払われる賃金の格差を理由とするものであった。一部の国ではこの格差は縮まったが、地域社会において優れた支援者を見つけ、保持していくに当たり、引き続き問題となっている。

部屋の中の様子経費削減は、決しておもな検討課題とされるべきではないが、施設型モデルから地域に根ざしたモデルへの変換におけるコスト中立性が、政府と地域社会から必要な承認と支持を確保する上で、一層の難題を課すことになるのは確かである。さらに、施設で生活している人々しか国の支援を受けられない管轄地域では、地域社会による支援への移行は、知的障害のあるすべての人々に対するリソースの開放を義務づけることになる。

最後に、施設入所者一人あたりの平均コストは、同じ人物が地域社会で支援を受けながら生活していく場合に比べて高いこともあるが、その一方で、施設閉鎖のプロセスには、初期投資を必要とする関連費用がかかる。短期的には、施設閉鎖の動機として経費節約を利用することは誤りである。

施設出所後の落着き先

女性の写真多くの初期の施設閉鎖プロセスでは、地域に根ざした居住型の選択肢(通常はグループホーム)が開発され、そこに元施設入所者が「収容」された。確かに、大規模施設での生活を続けるよりは好ましかったが、そのようなプロセスは、個人の選択に必要な配慮を伴わず、人中心の計画へのアプローチを採用することに注意を払ったものでもなかった。これらの「地域社会という選択肢」の多くは、徐々に、それらが取って代わることを目的としていた施設と同じ、事実上限定的な「施設収容型」になって行った。人が求めているのは建物としての家ではなく家庭である。サービスへの参加ではなく、有意義な生活を望んでいるのである。

専門的なサービス

地域社会への移行中、多くの人は、障害専門の機関が提供する支援やサービスを受けた。障害のある人々だけが生活しているホームで暮らし、自分と似たレッテルを貼られている人々だけを対象とした学校や職業訓練/雇用プログラムに参加したのだ。こうして、施設から移行した結果、地域社会での存在感を高める一方で、多くの人々は依然として孤立させられ、地域社会の他の人々が通常は利用しないサービスやプログラムに、集団で参加させられた。最近になって、完全なインクルージョンと地域社会への参加に向けて、組織ではなく本人にリソースを直結し、個人が地域社会で必要とし、利用する支援の選択の幅を広げるとともに、それを一層自分でコントロールできるようにすることで、はるかに大きな成果が達成されている。

最も支援しやすい人々

施設閉鎖における基本的な失敗の一つは、「最も支援しやすい/最も地域社会での生活が可能である」と見なされた人々だけが、地域社会という選択肢に移行され、より重大な課題を伴う人々は、老人ホームやリハビリテーションセンター、あるいはその他の同様な長期介護施設など、別の施設に移されることが多かったことである。

脱施設化とは、単に施設を閉鎖したり、住人を地域社会へ移したりすることではない。脱施設化を成功させ、持続可能なものとするには、個人レベル及びシステムレベルの入念な計画を、そのプロセスに含める必要がある。

既に地域社会で(通常は家族と)生活している人々と、地域社会に復帰しようとしている人々を支援するために、地域に根ざしたさらなる支援の創出及び/あるいは拡大が、しばしば必要となる。当事者と家族の両方に、十分かつ適切な支援が提供されなければならない。当事者が、ある施設から、規模と場所が異なるだけの別の施設に、ただ配置換えされるのではなく、地域社会に完全に参加し、その一員となれるよう、十分考慮することが求められる。世界各地の本人が、地域社会における生活(地域社会におけるインクルージョン)は、選択し、リスクを引き受け、コントロールする能力を伴う場合に限り可能であると語った。

各国が脱施設化の取り組みを達成し、既存の施設の閉鎖を継続し、さらに/あるいはそのようなプロセスに着手する利点を検討し始めるに当たり、対処しなければならない新たな課題と継続的な課題がいくつかある。

他の施設

特に知的障害のある人々を専門とした従来の施設が閉鎖された国の家族や本人の話からは、他の施設への収容を受け入れ可能な選択肢として採用する傾向が高まっていることが明らかになった。カナダ、アメリカ合衆国、日本、ニュージーランド、オーストラリア及びイギリスなどの国々では、多くの場合、家族と本人には住居の選択肢がほとんど、あるいはまったくなく、高齢者向けの住居や老人ホーム及び/あるいはその他の不適切な長期介護施設を紹介されることが多い。さらに、政府が社会福祉部門における支出を削減しているため、これらの施設の規模が拡大し続けている。

スウェーデン

多くの地域に適切な法律と規則があるが、現実には遵守されていない。この一例が、271の政府機関のうち、障害のある人々のアクセシビリティに関する規則を順守しているのはわずか6機関であることを明らかにした最近の調査である。さらに報告書では、障害のある人々にかかわる研究や調査が実施される際に、障害者の権利条約がいまだに重要な役割を果たしていないことが明らかにされた。判決や政府機関による実践という点では、障害者の権利条約は依然としてそれほど考慮されていない。

オーストラリア

さまざまな教訓が得られた。たとえば、施設を出ると人は常により良い生活を送ること、家族はしばしば退所に反対すること、政府の公約はおもに経費に影響されること、集団型の代替策(グループホーム)よりも個別の代替策の開発の方が難しいことなどである。

インド

「我が校の学生には、学用品や基本的な必需品が何もない家から通ってくる者もいます。我が校では鶏を飼い、野菜を育てることを始めています。そうすれば、子どもたちの食事を改善し、健康でいられるように援助できるからです。」

この学校のある少年は次のように付け加える。「僕は学校の寮に入りたいです。寮にはちゃんとしたベッドがありますから。休み時間には普通学級の子どもたちと遊びます。」彼の友人の少女はこう続ける。「週末も寮にいる方がずっといいです。」親達は、今や子どもたちが学校に通い、家にいた時よりも多くのことを学んでおり、毎日とても遠くまで通う必要がないことを喜んでいると報告した。

オーストラリア

「政府は障害者の権利条約で同意した内容について、責任を負っていません。障害関連のサービスの提供には、『多くの票』は集まらず、障害関連のサービスの提供または改善に対する一般の人々からの圧力もほとんどありません。障害のある人々とその家族及び介助者の多くは、サービスの提供に影響を与える強い意見を持っていません。ですから、政府の責任を追及し、障害のある人々のニーズと権利に対する認識の向上を図るために、キャンペーン活動や外部の人権擁護者が果たすべき役割があるのです。」

何もないよりはまし

多くの国、特に、家族と本人に対する地域社会による支援やサービスが最小限であるか、まったく存在しない低所得国では、施設が、支援サービスへの緊急なニーズに対する正当な答えと考えられている。時には文化的な問題が理由となり、しかし多くの場合、ほかに何もサービスが利用できず、あるいは提供されないために、家族は、施設でのケアという提案を、一歩前進であると誤って理解してしまう。

成果としてのサービス

グループでの様子多くの脱施設化のプロセスは、今なお、閉鎖された建物の数や、地域社会への移行者の数、新たな住居の選択肢の数で成果を測定している。しかしこのようなやり方は、「手段」と成果とを混同している。施設閉鎖は目標ではない。それは単に、人々が地域社会で適切な場所に落ち着けるよう支援した結果に過ぎない。施設出所を支援する際、地域社会における有意義な生活を確保しなければ、そのプロセスには重大な欠陥が伴う。多くの国は、ほぼ例外なく、グループホームなどの従来の居住型モデルに依存し続けている。しかし、グループホームへの移行は、地域社会における有意義な参加型の生活を自分自身で作り出すことができる手段を提供しなければ、「成功」とは言えない。過去の経験によれば、グループホームのような選択肢は、脱施設化のプロセスを支える都合の良い手段であるが、必ずしも地域社会における有意義な生活を可能にするものではなく、実際には、その目標を達成する上で障害となることも多い。建物は有意義な生活を提供しない。選択の機会、適切な支援へのアクセス、そして人間関係が、地域社会におけるインクルーシブな生活を確立し、維持するために必要な要素なのである。

世界各地の多くの国における施設閉鎖を踏まえ、脱施設化に向けた取り組みを成功させ、前向きな成果を確保するには、以下の要素を反映させなければならないことがわかった。

  • 3名の写真本人と家族は、個人的選択を行使できるよう、社会的地位と支援を与えられなければならない。
  • 人の価値を認め、尊重する支援的な関係が構築されなければならない。
  • 地域社会で学び、働く機会と、そのための支援を確立しなければならない。
  • 地域社会によるサービスと地域社会の組織を、利用可能かつアクセシブルにしなければならない。(つまり、障壁をなくしすべての人が利用できるものにしなければならない。)
  • 障害関連のニーズを満たす、柔軟性のある迅速な個別支援が提供されなければならない。

我々は失敗を繰り返すことなく、そこから学ばなければならない。脱施設化とは、単なる大規模施設の閉鎖や、大規模施設の小規模施設への転換、あるいはグループホームのネットワーク構築にとどまるものではなく、また、最終的に地域社会外での孤立を地域社会内での孤立へと置き換えるだけのことであってはならない。脱施設化とは、知的障害のある人々とその家族が、一般的な文化と伝統を反映し、尊重しながら、完全かつ平等な市民として生活できるよう支援するために、地域社会内の能力を創造することでなければならない。その成果は、尊重されつつ、普通の生活をおくることでなければならない。