第12回差別禁止部会(H24.1.27) 松井亮輔委員提出資料 「合理的配慮」について再考すべし 〜中央教育審議会初等中等教育分科会特別支援教育の在り方に関する特別委員会・合理的配慮等環境整備検討委員会ワーキンググループ報告−学校における「合理的配慮」の観点−(案)の問題〜 2012年1月23日 公教育計画学会  2012年1月13日に提出された中央教育審議会初等中等教育分科会特別支援教育の在り方に関する特別委員会・合理的配慮等環境整備検討委員会ワーキンググループ報告−学校における「合理的配慮」の観点−(案)(以下、「報告(案)」)には、下記に指摘する重要な問題が多く含まれている。  それゆえ、この問題は特別支援教育の在り方に関する特別委員会はもとより中央教育審議会全体で再考し、「障害のある人々の権利に関する条約」(以下、権利条約)の批准をまつまでもなく、すみやかに「障害者である児童及び生徒が障害者でない児童及び生徒と共に教育を受けられるよう配慮しつつ、教育の内容及び方法の改善及び充実を図る」(障害者基本法第16 条第1項)べきである。 1.「合理的配慮」について  権利条約第2 条は「合理的配慮」について、第2 条で規定する「合理的配慮」とは、「障害者が他の者と平等にすべての人権及び基本的自由を享有し、又は行使することを確保するための必要かつ適当な変更及び調整であって、特定の場合において必要とされるものであり、かつ均衡を失した又は過度の負担を課さないもの」と規定し、「合理的配慮」が否定された場合には「障害者差別になる」としている。  これを踏まえて、「報告(案)」は「障害のある子どもが、他の子どもと平等に「教育を受ける権利」を享有・行使することを確保するために、学校の設置者及び学校が必要かつ適切な変更・調整を行うことであり、障害のある子どもに対し、その状況に応じて、学校教育を受ける場合に個別に必要とされるもの」であり、「学校の設置者及び学校に対して、体制面、財政面において、均衡を失した又は過度の負担を課さないもの」と定義し、障害者権利条約において「合理的配慮」の否定は、「障害を理由とする差別に含まれるとされていることに留意する必要がある」としている。  この「報告(案)」の定義づけには二つ問題がある。 (1)第一の問題は、教育にかかわる「合理的配慮」を定義づける際に、権利条約第24条第1項「締約国は、教育についての障害のある人の権利を認める。締約国は、この権利を差別なしにかつ機会の平等を基礎として実現するため、あらゆる段階におけるインクルーシブな教育制度及び生涯学習であって、次のことを目的とするものを確保する」との規定に触れていない点である。つまり、ここには「インクルーシブな教育制度と生涯学習」とが示されているのに、報告書ではこれが抜け落ちている。このために、「報告(案)」では次第に「合理的配慮」の概念が膨らみ、特別支援教育との違いが分からなくなっている。 (2)第二の問題は、「合理的配慮」の否定を他人ごとのように「留意する必要がある」としている点である。障害者権利条約の眼目でもある「合理的配慮の否定は差別である」という点を指摘できる。それゆえ、「合理的配慮」の否定は差別であるとする権利条約の規定とは異なり、1−(1)−Bのように、「全てできないとすれば何を優先するか、について共通理解を図る必要がある」という逃げの姿勢になっている。「均衡失した又は過度の負担」にならない、まさに「合理的な」配慮には優先順位などありえないからである。 2.インクルーシブ教育について  権利条約は、第24 条が規定するのは「インクルーシブな教育制度及び生涯学習」を明確に規定している。この規定を受けて改正障害者基本法ではその第16 条において「可能な限り」という修飾語がついているとはいえ、「障害者である児童及び生徒が障害者でない児童及び生徒と共に教育を受けられるよう配慮」することを明記したのである。  ところが「報告(案)」の2−(1)−@「合理的配慮」の「決定に当たっての基本的考え方」では「合理的配慮」を行う前提として、「(ア)障害のある子どもと障害のない子どもが共に育つ理念を共有する教育」(下線、引用者)と表現するに留まっている。  インクルーシブ教育とは「共に育つ教育」そのものであって、「理念を共有する教育」ではない。「合理的配慮」はインクルーシブ教育=共に育つ教育そのものを実現する上で必要不可欠なものである。「報告(案)」はこの原則を踏まえていない。 3.「合理的配慮」の決定について  「報告(案)」は、「合理的配慮」の決定に際し、学校の設置者・学校と本人・保護者との意見が一致しない場合には、「第三者機関により、その解決を図ることが望ましい」(2−(2)−A)としているが、第三者機関そのものについては言及されていない。  「合理的配慮の否定は差別」であるという権利条約の規定からすると、権利保障の手続きにかかわる第三者機関の問題は極めて重要である。就学先決定にもかかわるこの制度の検討は急ぐべきである。  その際、第三者機関での解決を図る場合、本人や保護者の置かれている立場に配慮して、本人・保護者に付き添いアドバイスする相談人制度(イギリスでのnamed person に当)なども検討すべきである。 4.「特別支援」と「合理的配慮」との関係について  「報告(案)」は、2−(5)−Aで「通常の学級のみならず、通級による指導、特別支援学級、特別支援学校においても「合理的配慮」として、障害のある子どもが、他の子どもと平等に教育を受ける権利を享有・行使することを確保するために、学校の設置者及び学校が必要かつ適当な変更・調整を行うことが必要である」としている。  ここにも二つの問題がある。 (1)そもそも通常の学級、通級、さらには特別支援学級、特別支援学校などにおいて行われる障害のある子どもへの「特別支援」と、インクルーシブ教育において他の子どもと平等に保障されるべき教育への権利にかかわる「合理的配慮」とが混同されているという問題がある。その端的な例が「資料3」で列挙されている事例にみられる。 (2)第二に、すぐそのあとの2−(5)−Cでは「障害のある子どもが通常の学級で学ぶことを可能な限り配慮していくことが重要である」としつつも「他方、十分な教育を受けられるようにするためには本人・保護者の理解を得ながら、必ずしも通常の学級で全ての教育を行うのでなく、通級による指導等多様な学びの場を活用した取り出し指導を柔軟に行うことも必要な支援と考えられる」とする。  インクルーシブ教育の観点から通常学級での支援は当然必要である。その上で、その支援だけでは教育への権利が他の子どもと平等なものとして保障されない場合に必要となるのが「合理的配慮」なのである。「柔軟な指導」は「特別支援」ではあっても、「個別支援」を含む「合理的配慮」そのものではない。  あらためて「特別支援」と「合理的配慮」をともに検討すべきである。 5.「合理的配慮」に必要な財政論について  「合理的配慮」の前提となる「基礎的環境整備」に関しては、「必要な財源を確保し、国、都道府県、市町村は障害のある子どもと障害のない子どもが共に教育を受けるというインクルーシブ教育システムの構築に向けた取り組みとして、「基礎的環境整備」の充実を図っていく必要がある」と論じている。しかしながら、「報告(案)」では、学校設置者又は学校が行なう「合理的配慮」に関する法的、財政的支援等についてはまったく述べられていない。  これでは財源がないから、配慮をしないことの「合理性」を認めることを肯定するということにしかならない。子どもの学習権保障のための環境を整えることは公教育の責務であり、「過度の負担」等を考慮することは適当ではない。少なくとも義務教育段階の学校教育においては、この観点は当てはまらないと考えるべきである。権利条約が「合理的配慮」の否定は、障害者差別であると明確にしている以上、障害者差別が財政的理由によって放置され、固定化されることがないように国の責任について明確に規定すべきである。 6.学校教育全体の改革について  「報告(案)」を一読すると、通常学級における障害児への合理的配慮を現行法制の枠内で行おうとしており、「合理的配慮」に関する新たな法改正や予算措置を行うという姿勢を示しているものではない。そもそも、「合理的配慮」の問題を特別支援教育の問題として矮小化し、学校教育全体の改革を視野にいれて議論していないことに重要な問題がある。  通常学級に障害のある子どもが在籍する条件として多くの保護者に付き添いが要請されていることや、課外学習等の費用を負担させていることなど、教育委員会や学校に要望等を行うと「普通学級対象の子どもではない」「予算がない」と言われ拒否される実態が全国に多数みられる。この「報告(案)」ではこれら実態を解決する方向性は見られない。  権利条約の趣旨を踏まえるならば、すべての子どもが安心して通常の学級に在籍するこ とができる、まさにインクルーシブ教育の実現に向けた法制度の整備充実を図らなければ ならない。  中央教育審議会にはこの問題にかかわる根本的審議を求めたい。 以上