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障がい者制度改革推進会議 資料3 第37回(H24.1.23)

障がい者制度改革推進会議
東日本大震災被災地調査報告 宮城

2011年12月21日(水)

○ 宮城県庁

○ 卸町東二丁目公園仮設住宅

○ 仙台市宮城野障害者福祉センター

2011年12月22日(木)

○ 南三陸町役場

○ 南三陸町地域活動支援センター「風の里」

○ のぞみ福祉作業所

○ 障害関係団体との懇談

2011年12月21日(水)

○ 宮城県庁

【大久保委員】

  • 県内の被害状況について、数量的には概ね把握されているが、その分析や、現在、障害者やその家族が抱えている問題についての把握は不十分な状況が窺える。
  • 障害者の想定される被災リスクについて、その実態を調査・検証し、今後の避難誘導マニュアル等を策定していくことが必要ではないか。
  • 特に、安否確認と緊急支援の際に、「要援護者リスト」の活用方法を含めたそのあり方と個人情報保護法の取扱いについて、今後、検討が必要ではないか。
  • 災害時の障害者ならびにその家族の避難行動(避難誘導)、避難生活(避難所の利用等)、仮設住宅での暮らしなどの実態について、今後、統計調査ならびに事例調査が望まれる。
  • 被災時の障害者への緊急支援などを行政のみで行うことは困難であり、特に、今般の災害では、関係する民間団体の支援活動が成果を上げてきたと思われるところから、今後、関係団体との連携を視野に入れた支援体制を予めマニュアル化しておく必要があるのではないか。
  • 「仮設グループホーム」、「心のケアセンター」、「仮設住宅サポートセンター」などの取組みは評価でき、積極的な取組みを期待したい。

【勝又委員】

○ 障害者施設については把握がすすんでいたが、在宅の障害者や避難所の障害者についての、調査や検証は進んでおらず、行政の優先順位からも、低くされているという印象をもった。

○ 要支援者リスト(平成18年ガイドライン)の整備がどうであったのか、その効果についても、県の保健福祉部総務課が所管しており、障害福祉課では災害以前にも把握はされていなかったような印象をもった。

○ 仮設住宅については、建築と改修が、県と市町村に分担されているため、県と市町村との連携が必ずしもうまく言っていなかったのではないかと感じた。

県担当者の説明で、印象に残ったこと。

障害者の入所系施設の全壊がゼロで高齢者福祉施設に比べて被害が限定的だった。利用者被害は入所系は死亡ゼロ、通所施設を利用したことのある人のうち死亡者11名(ただし、施設を利用時に死亡は1名)。障害者の安否確認は県が市町村と協力して実施したが、障害者や家族の反応がデリケートであり、行政以外に障害者の個人情報を出すことは難しいと考えた。障害者が震災被害でどのような状況にあったか、の調査は網羅的には実施されていない。

平成18年に要援護者リストを県で作成することを市町村に指導したが全自治体で整備できていなかった。たとえできていても、最初の避難時から障害者専用の避難場所は確保できなかったと思う。事前に緊急時に自分の個人情報を開示することの許可を得ていくことは必要だ。しかし、当事者がそれを承諾しないことも十分考えられる。要援護者リストをどのくらいの市町村が作成済みだったのか、作成していた自治体としていなかった自治体の間に、支援において差がでたのかどうか、などの調査をする予定はあるか、という質問をしたが、全体として、今回の震災における行政の対応についての見直し時期はきまっていないが、やるべきだと思っている、との回答があった。

印象に残った個別質問への回答について:

(質問)宮城県震災復興計画(平成23年10月)には、今回の震災を教訓として障害者のための配慮はふくまれているか?

(回答)ふくまれている。


(質問)具体的にどう含まれているか?それを含めるためにどのようなプロセスを踏んだのか?

(回答)復興計画は大枠をきめているものであり、個別具体的なものにまで言及していない。障害者ということではなく、全体に反映されている。反映の方法は、所管する各役所の課が、それぞれに盛り込むべき内容を提案している。障害者団体に話しをきいたが、それは計画をつくるためのヒヤリングというのではなかった。文言として障害者団体から聞いたことが反映されているわけではない。


(質問)震災後の検証はどの分野についても重要だろうが、障害者がどのような状況にあったかなどの検証は、いつ頃行う予定か?

(回答)まだ、県で山積みの災害復旧の業務があり、個別の検証をいつおこなうかはきまっていない。目前にやらなければならないことをこなすので精いっぱい。業務は優先順位を決めてやらなければならない。


(質問)JDFみやぎ支援センター事務局長小野さんの活動報告(注)のなかに、仮設住宅の住宅改修についてつぎのように述べています。「住民票所在地ではない市町村に設置された仮設住宅に入居した場合、介護保険や自立支援法等の制度を活用して住宅改修ができない問題が生じた。それらの市町村は、名取市、女川町、気仙沼市、南三陸町と被害が大きかった自治体に、合計1117戸設置されたが、それらに入居した当事者は、住宅改修が困難になった。その際、国の災害援助費によって改修することができるはずであったが、宮城県はきわめて消極的だった。」なぜ、宮城県は消極的だったのか?

(回答)その報告書が書かれたのはいつ頃か?仮設住宅の建築は県だが、その後の改修は市町村の仕事であり、建設が8~9月に終わったので、9月以降に市町村が対応したとおもう。その記述は市町村が対応する前の状況を報告しているのではないか?宮城県が消極的ということはなく、記述は「タイムラグ」の問題だと思う。改修は市町村が行い、費用請求を県に行うのであり、市町村が請求すれば、県が国からの補助を支払うという事務手続きは通常どおりだった。


(注:勝又メモ)JDF報告書「活動報告 東日本大震災におけるJDFみやぎ支援センターの活動報告- 宮城県の障害者支援を中心に -」日付が無いが、中に引用されているデータが11月現在であることから、かならずしもタイムラグの問題ではないと考えられるが、宮城県の説明は上記のようなものだった。

【中西委員】 障害者被災データーベースの構築

障害者の被災状況、また死亡率に関してデータが収集されていない。在宅の障害者数の把握に必要な手帳所有者データの消失がその一因とされていた。復興計画の基礎資料として、推定数であっても県が把握していなければならないのではないか。

すでにマスコミは推定数を発表している。国外でも発表できるようなデータに対する国の対応自体が遅れているのは残念である。


一般の災害対応マニュアルへの障害の挿入

「災害時要援護者の避難支援ガイドライン」は必要ではあるが、それに基づいて要支援者リストを作成したところで、必ずしも要支援者の全体にすみやかに対応できるわけではない。先ず、一般の災害対応マニュアルに障害に関する項目を入れるべきである。


NGO/NPO、特に障害当事者団体との連携

災害の規模が大きくなればなるほど、行政以外のリソースを動員しなければ支援体制が組めない。少ない人材での対応では限界があり、NGO/NPO、特に障害当事者団体を通常時から行政の活動に参加させることで連携が図られ、救援活動が効果的に実施できる。


【藤井委員】

障害分野を中心に被災概要の説明と聞いていたが、正確な実態や検証に基づくものではなく、表面的で一般的な概況報告に終始していた印象であった。大震災の発生以来、現場ではそれなりに奮闘しているように思うが、人員体制の不十分さもあってか、残念ながら被災障害者に対する「特別の手立て」のような姿勢と具体策は感じられなかった。

宮城県の障害福祉部署の陣容は、大震災の前と後で変わりはなく、従来の業務に震災関連の業務が上乗せになっている状態だという。こうした不十分な陣容を受けて、「多忙な中で優先順位をつけるしかない」という。推進会議の構成員側から、「優先順位をつけるというが、何を優先しているのか」の問いには明言がなかった。

冒頭の県側からの説明の直後に、構成員側から3つの点で検証を終えているか、終えていないとすれば検証の予定の有無について、質問がなされた。質問は、①障害を有する者のうちの犠牲者数(死亡者、行方不明者)、②震災発生直後から今日に至るまでの生活実態(ライフラインが途切れた状況下での生活、避難所生活、仮設住宅移転以降の生活など)、③障害分野からみた既存の震災政策の有効性の可否、であった。これについてもはっきりとした回答は得られなかった。ここでも陣容の不備が強調されていたように思う。

また、ここにきて浮上している応急仮設住宅をめぐる課題や問題点についてであるが、基本的な問題点は解決しているというニュアンスだった。現場(被災市町村)に入っているJDF支援センターの関係者の見解とは乖離しており、詳細な調査が必要と感じた。

【山崎委員】

  • 罹災概況図(県全体)は、全県的な罹災状況を俯瞰する上で、有益。
  • 宮城県における被災障害者の全体像はつかめた。
  • しかし、被災障害者の安否確認に関しては、緊急事態であったことを差し引いても、問題点が多いと感じた。今後の防災マニュアルづくりに生かすためにも、安否確認の実態について、きちんと検証すべきである。

○ 卸町東二丁目公園仮設住宅

【大久保委員】

  • 建物仕様が、障害者や高齢者への配慮があまり見受けられない。(周りが砂利道、スロープのある住宅が限られている。また、入口が狭い、手すりも少ない、浴槽の高さなど)
  • 仮設住宅が、時間的制約から限られた仕様のものにならざるを得ないことは理解できるが、その仕様自体を今後、障害者や高齢者の利用も想定して、改善することを検討する必要があるのではないか。
  • 障害者ならびに高齢者だけでなく、震災で精神的にダメージを受けた人たちが暮している実態があり、その人たちへの支援も必要と思われる。
  • 自治会長であっても、各地からの来ている居住者の状況は把握しきれていない(行政や関係機関は把握しているかもしれないが)。特に、単身の障害者や高齢者の緊急事態への対応等が危惧される。

【勝又委員】 卸町東二丁目講演仮設住宅自治会(92戸)

仮設住宅の改修について、住民の63歳の足が不自由な女性(障害者認定無)が、玄関の改修を市に要請しながらも、長期にわたって何の改修もされないという実情を訴えていた。市役所からは彼女が手帳をもっていないから改修できないという説明はないが、本人は障害認定されていれば改修されたのではないかといぶかっていた。お風呂にも入口には手すりがあるが、中には無い。仮設住宅はいずれは解体するということで、改修を丁寧にしていない実態が垣間見えた。生活の質を考えた災害対策が必要だ。

仮設住宅の自治会の立ち上げに、個人情報の保護が障壁になった。障害をもっている人がどのくらいいるかについては、把握できていない。

仙台市は、保健師を巡回させているが、その情報は自治会には共有されない。

建物は県、土地は市、さまざまな許可を別々の行政が担当している。住環境としては、周囲が砂利道で歩行しにくいこと、仮設住宅に入る道路に駐車するドラックが多いことなど問題がある。

自治会の会長をボランティアでやっている住人が、個別の住民の改修相談から業者への連絡と市との連絡まで担っているが、仮設住宅にはまだ住民のコミュニティができていないという印象をもった。

【中西委員】 バリアフリーの観点もいれた仮設住宅の建設の研究

自治会の集会所はバリアフリーのプレハブであり、高く設けられた住宅入口までスリープが敷設された棟もあり、ある程度の工夫がなされているかのように見えた。しかし内部は軽度障害者でも生活しにくい形状であった。小さな改修であっても、いちいち役所まで出向いて申請しなければならす、また実施にまで時間がかかっていた。阪神淡路大震災のころと同じような建築で、15年以上経ってもデザインや機能の面での改良はみえなかった。

【藤井委員】

訪問と入居者(自治会責任者、他の入居者一名)との懇談を通しての感想は、以下の通りである。

1) 訪問先の仮設住宅は92戸ということであるが、いわゆる手帳所持者程度の障害者は一人もいないように思えた。他の仮設住宅についても同様の傾向にあると聞く。一体、被災障害者はどこに行っているのだろう。

2) 92戸の中で、バリアフリー対応は2戸分でしかない。一般的に考えても、高齢者と障害者を合わせた場合の人口割合は30%~40%以上であり、この規模での2戸分というのは余りに少な過ぎる。

3) 「バリアフリー対応」といっても、地面から出入り口までにスロープが付設されているだけで、住宅の構造は他と全く変わりはない。出入口も、風呂も非常に狭く、車イスでの生活はおろか、介助者がついての歩行や入浴などは極めて困難であると伺えた。

4) 改修が順調に進んでいないという印象を受けた。懇談に同席した60代の女性は、軽度の下肢障害を有しているとのことであるが(身体障害者手帳は持っていない)、出入口の段差が怖いために手すりを付けてほしいと要望していても、いまだに叶わずということであった。遅れている原因が、行政側か、業者側か(発注が多いため)は不明であるが、いずれにしてもケガにつながりかねない問題であり迅速な対応が求められる。

5) コミュニティーの欠如が気になった。自主的につくられている自治会の尽力は貴いが、しかし「プライバシー問題」などから自治会側から訪ねたり連絡を取り合ったりすることはないという。過去の例からも、孤独死など深刻な問題につながりかねない仮設住宅であり、入居者同士のつながりにはもう少し工夫があってもいいように思う(もちろんプライバシーの尊重には配慮しながらも)。この点では、もう少し行政が関与してもいいのではなかろうか。

6) 入居者の大半が元々の居住地を離れての生活となっており、通院や行きつけの店舗などでの買い物、親戚との往来など、移動の手段がどうなっているかが心配。現状では、行政的な支援はほとんどなされていない様子だった。

【山崎委員】

  • 報道で知ることと現地で当事者から話を伺うことの違いを実感した。
  • 庇の有無、スロープの設置等々で、仮設住宅建設業者によって、使い勝手の面で、相当な違いがでていることを実感した。
  • この経験は、今後の復興・防災計画づくりに生かす必要があると実感した。

○ 仙台市宮城野障害者福祉センター 福祉避難所について

【大久保委員】

  • 県内の福祉避難所は、当所、多くは特別養護老人ホームを指定しており、要援護の高齢者を中心に想定していたため、医療的ケアを含めた様々な障害者の利用を困難にした感がある。
  • 現行の福祉避難所の支援職員の配置基準では、夜勤・宿直体制などを含め、様々な障害者への支援は困難な状況である。
  • 福祉避難所の生活によって、過度のストレスや二次障害につながる状況があれば、もと暮しに復帰することが困難となる。避難所生活であっても、その生活の質を確保し、できるかぎり短期間で復帰できるような支援体制を確保することが必要ではないか。

【勝又委員】 ヒヤリングで印象に残ったことを以下にまとめる。

「福祉避難所」が二次避難所として設置されたが、仙台市では障害者関係では4つのみ。市全体では52か所契約していたが、被害のなかった26か所しか開設されなかった。ほとんどの契約施設は、高齢者福祉施設だった。福祉避難所に収容された人は、重度の人が多く、これは想定外だった。3日間もてばよいという想定もはずれて、長期間電気もガスも途絶えて、受け入れた側は対応に苦慮させられた。福祉避難所として使われていた間は、通常のデイケアや作業所の役割を果たすことができず、被災した利用者には自宅待機をおねがいしなければならなかった。福祉避難所の横の情報交換は無かった。

「福祉避難所」の果たした役割を検証し、他の地域でその機能を利用

【中西委員】 福祉避難所数の増加

利用できた障害者の23人(うち半数は70歳以上の高齢者)である現状から考えると、その他多くの重度障害者は過酷な条件の中で被災後の生活を送っていたはずである。福祉センターのような立派な設備を備えたセンターでなくてもいいので、最低限の障害に対応できるスタッフが常駐する施設まで含めて、福祉避難所の指定を増やす必要がある。


一般避難所のバリアフリーの義務化

学校や施設など地域の一般避難所に指定されたところのバリアフリー化を計り、できるだけ障害者のニーズに対応すべきである。そこでの生活が継続できなかった障害者が二次、三次の避難所に振り分けられていったことが、地域社会の崩壊の一因ともなっていると聞いた。できるだけいつも接している地域の人と避難中もいられることが肝要である。

【藤井委員】

指定福祉避難所となっている「宮城野区福祉センター」(仙台市)への訪問と関係者との懇談を通しての感想は、以下の通りである。

総括的な感想・印象は、そもそも福祉避難所なるものの有効性についての疑問である。たしかに体育館などより部屋が狭く、支援員の体制もあり、発達障害や認知症の人たちにとっては適応しやすいかもしれない。とすれば、有効と思われる人に対して、普段から設置場所などを周知徹底すべきであり、災害発生時に誘導すべきであった。残念ながらそうではなかったようである。同時にもう一つ感じるのは、この程度の物的条件(小さな部屋の存在など)と人的体制であれば、一般避難所にも備えられるのではないのかということであった。

そのうえで、以下の点を付記する。

1) 一般の避難所と福祉避難所の違いがどこにあるのかが不明である。ここには、最大時で高齢者を中心に26人(うち障害者は9人)が利用したというが、よく言われるような一般の避難所での生活が困難な者はいなかったように思う。

2) 人口が19万人余の宮城野区にあって、実質定員が20人台の福祉避難所一カ所でどの程度有効なのか、中途半端な感じが否めない。

3) 福祉避難所のスタッフ体制は、利用者10人につき一人で、形式上はこれで四六時中の支援体制をとることになる。震災直後の短期間であればいざ知らず、一定期間を超えるとなるとまともな支援は困難となる。ちなみに、宮城野区の福祉センターの場合はローテーションを組んでのボランティアを導入したという。

4) 元々在籍していた利用者の支援がおろそかになっていたことが気になる。宮城野区の福祉避難所は震災直後から4月末日まで続くこととなったが、この間、元々の在籍者は休むことを余儀なくされた。その間どういう状況にあったかは不明であるが、おそらくは友人関係が絶たれたり、生活リズムが不安定になるなど、厳しい状況にあったのではなかろうか。

5) 福祉避難所なるものの政策上の位置付けがわかりにくいが、それにしても支援体制は不十分である。四六時中をカバーする福祉避難所にあって、利用者10人に一人というのは余りに脆弱過ぎる。

6) 福祉避難所には立派な風呂がある。これについては、一般避難所に居る高齢者や障害者のうち、介助が必要な者に対して開放すべきである。移送体制をとれば、フル稼働した場合に相当数の要介助者が利用できたように思う。

【山崎委員】

  • 福祉避難所の絶対数が足りなかったと感じた。
  • 宮城野障害者福祉センターは施設・職員体制とも充実しており、ここに避難できた人びとは相対的に良いケアーを受けられたのではないかと推測した。
  • 特に重度の避難者対応は24時間3交代体制を敷いたとのことで、そのご苦労を推測した。
  • エレベーター故障で上階部分が使用できなかったとのことで、災害時対応上の課題の一つと感じた(有効な対策は思いつかないが・・・)。

○ 仙台市宮城野障害者福祉センター JDFみやぎ支援センターについて

【大久保委員】

  • 災害時において公的支援活動とともに同センターを始めとした民間支援活動が重要。特に、両者の連携・協力は不可欠である。
  • 同センターが多くの支援者を動員しても、コンタクトできた障害者は限られている。これは物理的な問題だけでなく、情報等の不足によりコンタクトが困難な障害者が多数いたのではないか。
  • 時間の経過とともに支援ニーズが変化してきたと思われるが、それらに対応できる支援体制のあり方を検証、検討する必要があるのではないか。
  • 被災地の復興と新たな町づくりに障害者等が積極的に参画していくうえで、「被災障害者を支援するみやぎの会」の今後に期待したい。

【勝又委員】

宮城県沖地震対策プランでは、事前に災害時のボランティアの登録をおこなっていた。これが役にたった。他府県からの支援もセンターでは受け入れたが、高齢者施設などでは従来の入所者が対象だったので、利用者が新しい介助者になじめないということで受け入れはしなかったと聞いている。

JDFみやぎ支援センターの働きについては、南三陸町や石巻でも大変参考になる活動をされていることがヒヤリングを通じてわかった。この経験を是非、記録に残してほしい。また、今後の災害時の障害者支援を構築するうえで役にたてていただきたい。

【中西委員】 被災障害者救援組織への行政支援

県全体をカバーする支援体制が、県内の各種関連団体を網羅して発足したことで、障害者救援活動がよりスムーズにいった。県内外からのホランティアを活用してきめ細かなニーズ調査などを行なっているので、行政は情報、財源などのリソースを提供し、彼らの活動を支援しそのデータの活用、マンパワーの活用によって効果的な救援活動を図るべきである。

【山崎委員】

  • 素早い立ち上げと全国からの有機的・効果的な支援ぶりに感銘を受けた。
  • 普段からのネットワーク実績が災害時の即応につながったと感じた。
  • こうした支援センターの活動は、行政ではできないきめ細かなもので、今後の防災計画策定等において、その成果と課題を十分に精査する価値があると思う。
  • 宮城県内の支援体制の構築上、県内事情に精通し、どこにどういったニーズがあるかを熟知しているスタッフを中心にこうした支援センターの活動が展開されたと思う。この経験は、日本社会にとって極めて貴重で、今後のコミュニティ再生、復興・防災計画の策定等々の場面で、大いに生かされることになろう。

2011年12月22日(木)

○ 南三陸町役場

【大久保委員】

  • 同町のデータによれば、人的被害において、障害者の死亡・行方不明者数の割合が、他の者に比べ、高いという実態がある。(なお、建築物被害では、障害者世帯が他の世帯に比べ、特に高い割合とはなっていない。)
  • データでは、震災前と震災後の福祉サービス利用状況に大きな変化がみられない。しかし、震災に伴う家庭機能の喪失・弱体化などにより、ニーズの質や量の変化が想定されるところから、ニーズの実態を把握する必要があるのではないか。

【勝又委員】

災害時要援護者リスト(490名)を役場の職員が持ち出して流されずに残ったが、リストに掲載されている人だけに特化した支援ではなく、リストに載っているか否かは関係なく必要のある人に支援をした。要援護者リスト中、68名死亡、リスト中で障害者は86名うち13名死亡。リスト登録者で死亡した者はほとんどが65歳以上の高齢者。

仮設住宅の審査委員会がある。抽選前に3割優先枠があり、障害者や高齢者で重度の人をスロープがある棟へ割り当てた。

仮設住宅の構造上の問題は指摘されている。手すりや浴槽の高さや敷砂利の道路が車いすに不便など、指摘された状況はすこしづつ改善されている。

JDFと市の懇談会を通じて、障害者のニーズに対応できた事例については、災害支援のプランに生かすことができるのではないか。(障害児の夏休み中のデイケア、移動支援など)

【長瀬委員】

内閣府推計(5月)、NHK調査(9月)、そして毎日新聞調査(12月)が示してきたように、南三陸町でも障害者の死亡・行方不明率が11.9%と住民全体の死亡・行方不明率4.5%と比べて2倍以上であることが示された。この悲痛な数字を今後の防災政策全般と障害者政策両方に活かさなければならないと感じた。

【中西委員】 バリアフリーを考慮した仮設住宅の標準化

要望を受けてからの仮設住宅へのスロープの設置には、要望後1~2ヶ月以内で行なったと聞いた。最初から一定水準のバリアフリーが考慮されていれば、障害者もある程度の生活レベルを維持しながらすぐに仮設住宅での生活が可能になるはずである。行政が障害者用と一般用に分けて応募者を募集する、建設するという業務も省けるので、効率的でもある。

【山崎委員】

  • 南三陸町職員の奮闘ぶりに頭が下がった。自身も被災した中、何度も過労で倒れながら、地元を離れず支援活動を継続した町の関係各位に敬意を表したい。
  • 町行政機能を回復しつつある段階であり、せいいっぱいの活動をされていると感じた。

○ 南三陸町地域活動支援センター「風の里」

【中西委員】 既存の建物を利用しての障害者の活動拠点の早期確保

風の里だけでなくのぞみ福祉作業所に関してもいえることであるが、障害者の活動拠点である作業や支援センターが仮設の狭い場所で活動していた。かたやすぐ近くにあるベイサイドアリーナは人影も少なく、一時期避難所として使われていたがその後は十分に利用されているとは思えなかった。イスラエルが世界食料基金の資金で設置したトレーラーハウスでの活動では限度がある。車椅子トイレも完備した立派な建物が利用されていないのは、もったいない。

○ のぞみ福祉作業所

【大久保委員】

  • いち早く、仮設により作業所を再開し、日中活動の場を確保したことは、障害者自身だけでなく、家族にとっても家庭機能を回復するうえで重要であったと思われる。
  • 利用者に避難所や仮設住宅での生活が困難などの実態がみられる。
  • 様々な障害者に対応できる福祉避難所の設置が必要ではないか。
  • 新しい町づくりに障害者を含めて考えることが重要であり、復興計画の策定に障害関係者の参画が必要である。

【勝又委員】 被災したのぞみ福祉作業所について

避難場所に指定されながら、つなみによって被害にあったという場所であり、高台にあるにもかかわらず施設全体が水没した場所を見た。福祉施設の立地条件について、想定を見直す必要を強く感じた。

懇談より

二次避難所ではなく、使いなれた作業所をそこの利用者の避難所として指定することを、震災以前から町に求めていたが認められなかった。震災にあって、知的障害児者が、長期にわたり一般の避難所にいることは困難なことがわかった。安心できる避難場所を事前に指定することを保護者が強く希望していたことが印象に残った。

町が、多様な障害者に、それぞれに対応する避難計画や避難場所を、障害当事者や保護者と話し合い決めておく必要があると思う。南三陸町でも、今復興計画が行政で立てられているが、建築や街づくりの専門家だけでなく、障害者の支援を計画に反映できるようなメンバーにいれることを是非やってほしいとおもった。

震災前に自立支援法の新事業への移行の準備がほぼ完了していたのに震災でできなくなったとの話があった、非常時の柔軟な行政の対応が求められると強くおもった。

【長瀬委員】 被災したのぞみ福祉作業所について

浜から相当、距離のあるこの高台まで津波が襲い、死者が出たことに改めて衝撃を受けた。今回の震災では、通常、海岸を意識しないで生活を送っている海岸から5キロ以上離れた地点まで津波が到達している点は、「想定外」の規模だったことを物語っている。群馬大学片田敏孝教授の「想定にとらわれるな」という言葉に象徴される、「想定外」の災害に対処できる<災害に向かい合う姿勢づくり>こそが防災の基本である。この姿勢と「合理的配慮」に象徴される、障害者に応じて必要な対処療法をどのように緊急時に確保するのかを、平時にいかに準備するのかが本当に大きな課題だと感じた。

仮設ののぞみ福祉作業所について

NPO法人「難民を助ける会」は国際協力NGOであるが、東日本大震災では、発生直後から、豊富な国際的な救援活動の経験を活かし、JDFとも密接な協力関係を保ちながら、最前線で直接的な障害者救援に従事し、非常に貴重な支援活動を展開してきた。同会の予算的支援によって、「風の里」の仮設の追加ユニットが建設予定とうかがい、大変うれしく感じた。

【中西委員】 障害当事者も参加した復興計画の早期策定

津波に襲われた作業所の建物もそのまま残り、内部もボランティアによりきれいに片付けられ、少しの修復でその活動の再開は可能であると説明を受けた。しかし町の復興計画が定まらないため、継続して使用できるか否か定かでないとのことであった。町は有識者会議を開催し計画策定中のようであるが、障害分野の関係者ですらそのメンバーではなく、彼らの声は届いていない。

【山崎委員】 被災したのぞみ福祉作業所について

  • 福祉作業所がなぜ避難場所に指定されなかったのか、理解できなかった。
  • 高台まで津波が押し寄せ、多くの犠牲者がでた現場を見て、改めて災害のすさまじさを実感した。

仮設ののぞみ福祉作業所について

  • 仮作業所は活気にあふれていて、歓迎していただき、癒された。みなさん前向きで、勇気づけられた。

○ 障害関係団体との懇談

【大久保委員】

  • 震災直後は、医療的ケアの必要な障害者にとって、必要な薬、医療器具などの確保が困難な状況がみられた。
  • 特に、重症心身障害や自閉症の人たちにとって避難所生活は困難であり、車の中で過ごしたり、半壊の家で家族と暮らす例もみられた。
  • 避難所での障害者に関する苦情(うろつく、さわぐ等)が寄せられた実態がみられた。
  • 福祉避難所は要介護高齢者中心であり、様々な障害者に対応できない状況がみられた。
  • 精神障害のある人の場合、治療後の居場所の確保の問題がみられた。
  • 障害者にとって、仮設住宅は利用しづらい構造となっている実態がある。
  • 仮設住宅の障害者用グループホームへの転用に関する通知が遅かったのではないか、また、国の通知が基礎自治体に円滑に伝わらない状況もみられた。
  • 特に、住まいの確保が最重要であるが、時間がかかりすぎている感がある。
  • 特に重要なことは、地元民間団体のネットワークを活用するなどして情報提供とニーズ把握をすること。また、情報を共有するうえで、個人情報保護法との関係を整理する必要があるとの指摘がある。
  • 支援者の派遣や支援物資の配布に関する調整(ニーズ把握と調整)は、現地関係者では困難との声がある。
  • 現地関係者にとって、民間支援団体への度重なる対応は、断れない心情もあり、負担になる状況があった。それら支援団体のネットワーク不足があったのではないか。
  • 自治体によって、災害復興計画の策定に障害者(家族)が参画していない例があるのではないか。今後、障害者、高齢者を含めた地域づくりが重要であり、計画策定に障害者(家族)が参画することが大切である。
  • 日頃から住民の障害者への理解を含む、共生社会への理解促進が重要である。

【勝又委員】

障害当事者や家族から、石巻における災害時の経験を聴くことができ、大変参考になった。経験者は、災害時に自分たちが感じたことや、それに対する意見を未来の政策に生かせてほしいと強く希望していた。かれらの感じたこと、直面した困難については、是非聴きとり調査によって記録をとり、国や各地方自治体の復興政策や災害対策に反映するようにすべきだ。被災した各自治体ごとに、検証をする余裕はないのだから、国がNPOや大学研究機関に委託して調査を行う必要がある。

障害者の仮設住宅に優先入居ができると聞いたが、実際は抽選に10回落ちて4カ月後にならないと入居できなかったという経験をきいた。障害者のいる世帯を抽選にいれるのではなく、南三陸町のようにある一定割合を確保して無抽選でいれるような方法は考えられなかったのか、市の対応に疑問をもった。

病院で、行き先がなく滞留していた障害者を受け入れるために、日本財団から助成していただけることになり、仮設住宅40世帯と単身世帯4×14のGHをつくったが、将来仮設住宅を閉鎖するときに、公的な支援がもらえないのではないかという不安があるという話しをきいた。公的な動きや対応が遅かったために、善意の活動でスタートしたものがのちに窮地に追い込まれるようなことはあってはならないと思う。災害時には公的、民間の垣根をとりはらい、救済すべき人を中心にすえた活動にこそ意義があると思う。

【長瀬委員】

多くの団体のご参加をいただいて、大変うれしく感じた。自立生活運動の地域組織と親の会の方たちなどが共通の課題、すなわち、地域での共生社会の実現に向けて、震災をきっかけとして新たなネットワークを形成しつつある姿は、震災という不幸を通じて形成された「幸い」となる可能性を秘めている。岩手県の沿岸部でも見られるこうした動きは、被災地での今後の地域社会での共生の実現に向けての大きな力となりうる。

「自閉症の息子は、あんパンしか食べられない。しかし、他の菓子パンが渡されたので、あんパンに変えてほしいと頼んだのが、わがままだと手をはたかれた」という趣旨の話を母親の浅野雅子さんからうかがい、心が痛んだ。「合理的配慮」を持ち出すまでもなく、個別の対応が必要な場合が間違いなくある。それは、障害に限った話ではない。そうした対応を緊急時においても確保するため、平時からそうした対応をいかに常識とするのかが課題である。

なお、浅野さんは「家は浸水したけど、家族で一緒に暮らせるなら」『大震災 自閉っこ家族のサバイバル』(高橋みかわ編著、ぶどう社、2011年。84-114頁)の著者で、同書を私どもに配布までしてくださった。

心強く感じたのは、参加された伊勢理加さんの、重度重複障害の御嬢さんが「居住地の小、中学校に通い、隣近所や地域の方々と学校行事や子供会行事で接することが多かったため、娘の障がいに対する理解が浸透し」ていたため、「その後の避難所での生活での中で、人的協力をいただき、また、精神面でも支えていただきました」と語られていたことである。改正障害者基本法の基本原則である「地域社会での共生」(第3条)の重要性を再確認した。

【中西委員】 障害当事者も参加した復興計画策定

復興計画が障害に関してふれていなかったため、関係者の要望でやっと修正案に含まれた。これは策定委員の中に障害分野の代表が含まれていないためであった。


要支援者リストの整備と公表

重度障害者やその家族が多く集まってくれたことで、避難所で重度障害者が暮らしていくことは困難であると痛感した。参加者は組織・団体に属していたので、支援を受けられたようであるが、要支援者リストが早くから公表されればもっと早く支援が届いたはずである。再度要支援者のリストを整備し、行政が災害後すみやかに支援を開始できないのであれば、救援団体の要請に応じて公表できるように制度を変えるべきである。リストに掲載されることは救援団体に限って情報が公開されるのであるということを前提に、再度要支援者のリストを整備してはどうであろうか。

【山崎委員】

  • さまざまな当事者や支援団体のみなさまから詳細なお話しを伺い、圧倒され、本当に勉強になった。
  • 総じて、災害時の障害者対応について、日本社会ではまだ準備ができていないことを痛感した。
  • 災害という非常事態では、日常の見えない環境や潜在的差別感情が顕在化することも実感した。
  • 障害者の総合政策ぼ推進や、復興・防災計画の策定等において、障害当事者の視点が重要であり、不可欠であることを一段と確信した。