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障がい者制度改革推進会議

DINFのお知らせ

シンポジウム 「もっと知ろう、デイジー教科書を!」
日時:2013年02月03日(10:30~16:00)
場所:戸山サンライズ 大研修室
 

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障がい者制度改革推進会議
第6回(H22.3.30) 資料3

医療に関する意見一覧

精神医療と福祉に関わる法体系

精神障害者に対する強制入院

精神障害者に対する強制医療介入

医療サービスにおける差別的取り扱い

社会的入院

医療行為一般

重度障害児の在宅移行

受診拒否

施設での滞留化

自立支援医療における医療費

更正医療、育成医療、精神通院医療

その他

第六回障がい者制度改革推進会議 意見提出フォーマット
医療

精神医療と福祉に関わる法体系

1 医療法体系

精神保健福祉法は、その目的に医療と保護を挙げている(同法1条)反面、一般の医療を規定する医療法では、精神病患者を精神病室でない病室に入院させない(医療法施行規則第10条)とされているため、精神障害者は一般医療のサービスを享受できないという結果を生じている。

そこで、障害者の権利条約の他の者との平等を基礎とする社会的統合の理念からして、精神医療は一般医療法に包摂し、精神保健福祉法という特別な医療法体系は見直すべきか、否か、ご意見を賜りたい。

【大谷委員】

精神保健福祉法及び医療観察法は、精神障害者について特殊な強制入院制度を設けており、後に見るように差別的な自由剥奪制度を維持する結果になっている。社会的統合化の理念から精神医療を特別視せず、総合的な医療法あるいは総合的な患者権利法の中に精神医療も統合化すべきである。

【大濱委員】

障害者の権利条約の他の者との平等を基礎とする社会的統合の理念に則り、精神医療は一般医療法に包摂し、精神保健福祉法という特別な医療法体系は見直すべきである。

【尾上委員】

精神保健福祉法という特別な医療法体系は、見直すべきである。

我が国の精神保健福祉法は、精神科特例等の差別的法施策の系譜を引き継いでおり、精神医療と他の一般医療との格差を是認するものとして構築・維持されてきた。ゆえに、精神障害者への医療は、他の一般医療と同等以上の水準へと底上げされるべきであり、精神保健福祉法の廃止、および医療法施行規則の差別規定も含めた医療法の抜本的見直しが求められる。

なお、緊急医療の必要性とそのあり方、並びに緊急医療時の権利擁護システムの整備等については別途検討すべきである。

【門川委員・福島オブザーバー】

まず、精神病患者が精神病以外の病気や怪我等を理由に入院を要する事態が生じたときに、一般医療のサービスを享受できないということが事実であれば、これは明白に障害者の権利条約に違反するだけでなく、生命に関わる問題であり、法体系の見直し以前の問題として、早急に見直すべきであると考える。

ただし、この点についての見直しであれば、医療法施行規則の改正のみで事足りるのではないかと思われるため、法体系の統合がなければ精神障害者が一般医療のサービスを享受できないのか、事実関係を確認したい。

また、特別な医療法体系としての精神保健福祉法が問題となるのは、「精神障害者」の一般医療の利用という観点からではなく、むしろ、「精神疾患に関する医療」(精神医療)が一般医療とは別枠となっているという点ではないかと考えられ、問題とするべきは、現行の精神医療の提供体制が人権を侵害する可能性を大きく孕んでいるという点にあるのではないかと考える。

したがって、現行の精神医療の提供体制を人権を侵害しないものへと「実際に」転換することの必要性を十二分に強調したうえで、それを前提に、精神保健福祉法を見直して、精神医療を一般医療法に包摂して、より「普通の医療」として精神医療が提供されるようになるべきではないかと考える。

なお、法体系の統合にあたっては、とりわけ「うつ病」について社会的な認知度が高まってきたことを背景として、これまで精神疾患についての偏見等により潜在化していた「精神疾患に関する医療」への需要も顕在化してくるのではないかと考えられることにも留意すべきであると考える。

【川﨑委員】

一般病室に精神病患者を入院させないという規則は差別そのものである。

精神科医療は、精神科特例があることで、医療の質の低下、患者が受ける医療サービスの低下を招いている。精神科だけを別にした法律にすることは改めるべきで、あくまでも他科と平等であるべきである。

【北野委員】

A.精神医療は一般医療法に包摂すべし。

R.いわゆる精神科特例を明確に廃止し、基本的に精神科医療を総合病院の1つの科にすべし。精神科特例が、長期間収容やベット数の肥大化の一因である。いやしくも、治療を目的とする病院と名のつくところの平均在院日数が、1年以上の373日(平成14年)という数字は、諸外国の平均30日と比べて、いかにも異常である。仙波恒雄は平成16年の厚生労働科研費の報告書で、これは、厚生省の独特な計算式に問題があり、①機能分化した急性期病棟では、在院日数の平均値を、②機能分化されていない病院では、急性期と長期入院者が混在しているので、この長期在院者の影響を除くために、年間退院者の50%が退院した時点を中間値として、その時点の退院者の在院日数をもって平均在院日数とすることを提案している。それで計算すると平成14年度は373日ではなく65日となるとして、次のような研究評価を行っている。

「英国30日、米国14日、日本65日というふうに比較して初めて実質的な討論が可能となる。今までの373日という数値では不思議というほかなく、外国への説明責任も果たせない。日本はいったん入院させれば1年も入院させるのかという誤解さえ生むことになる。世界的傾向として急性期病棟の平均在院日数の目標値は約30~40日であろう。日本もそこまで短縮する努力をする必要がある。」

つまり、データを改竄しなくては、諸外国に相手にもしてもらえない「不思議というほかない」数値だというのだ。そして自ら種明かしをしてみせる。

「一方さらに日本では長期入院者の精神病院への在院していることが問題としてある。これは、入院医療中心の政策から大きく地域医療への移行という大きな別な命題として解決していかなければならない問題を抱えている。」

まさに、その通りであって、急性期医療としてあるべき精神病院の名を名乗った収容施設化(社会的入院)が、そこに混在してしまっているのである。

言うまでもないが、急性期医療(Acute Care)と、その後一生涯続く可能性がある長期ケア(Long Term Care)の違いが、わが国では、不明確にすぎる。

長期ケアとは、まさに本人の地域自立生活支援であり、そこでは、本人が、さまざまな支援を活かして、同じ性別・年齢の他の市民と同様の選択肢の中で、それぞれの固有の人生を、そのドラマの主人公として生きてゆくことになる。この両者の区分が不明確で、だらだらとした医療といつまでも続く病人扱いは、本人のみならず支援する側のエンパワーメントをも阻害する。そのためにも、本人のエンパワーメントを支援する当事者グループピアサポーターや、家族のエンパワーメントを支援する家族会ピアサポーターといったSHG(支え合う当事者の会)が、各種専門職に伍して、本人の支援に参加・参画してゆく体制が望まれる。本人とその家族の思いを真摯に受けとめる支援システムこそが、福祉・教育・医療・SHG等の支援者間の対等で効果的な支援を担保できよう。

【佐藤委員】

医療法施行規則第10条の規定を根拠として、身体合併症の治療を必要とする場合でも精神病患者が精神症状等の状態に関係なく入院治療を拒否される事実が現在もある。例えば、精神病患者で総合病院の救急対応病棟などで臨時応急の治療期間を過ぎて尚、身体合併症等で精神科以外の治療も必要な際にも、一般医療と区分されていることにより、精神科病棟が当該病院にない場合など転院を余儀なくされることが多くある。

医療法における一般病床と精神病床の機能区分など一般医療と精神科医療との実質的区分があるために、精神病患者に対する医療提供は権利条約に照らせば不平等であることは否めない。

設問では精神保健福祉法が特別な医療体系であるとされているが、現行の精神保健福祉法は医療のうち入院手続きに関する規定が主であり、一般医療との質的区分についてはその大半は、医療法や診療報酬等において規定されていると考える。精神保健福祉法そのものの見直しや改正の必要性の議論とは別に、精神科医療のあり方を権利条約に照らして検討する必要がある。

【新谷委員】

精神医療を一般医療と分ける合理的理由はないと考えます。

【関口委員】

見直すべきである。特別法自体が、条約第25条第1項の「他の者と平等」の規定に抵触する。また、それによって精神障害者は伝統的に不利益をうけてきた歴史を正視すべきである。精神疾患を持つものの医療機関における人権保障については作られるべき患者の権利法制においてもインフォームドコンセントの確立や患者のアドボケイト制度において保障され、また精神障害者に対する医療機関での虐待や人権侵害については障害者差別禁止法や障害者虐待防止法において対応されるべきである。

医療は医療法に、権利は総合福祉法に任せ、また、縦割りによる権利享受への侵害の回避は、法律的担保と共にアドボケイトによって守られるべきと考える。

ただし、精神医療の後進性を改善するまで退院促進に特化した精神医療特別法は必要と思う。医療法の中に精神医療を含める形で将来的には特別法を廃止する前提で遅れているところを改善するまでの暫時特別法として改めるべき。

原則、入院での閉鎖処遇を無くすことは条約の求めるところである。

参考意見:大阪精神障害者連絡会 塚本正治

精神障害者の人権について語るとき、何より精神障害者への人権侵害の現実について見据えなければならないだろう。それはひとつに「医療現場における不当な扱い」である。本人への説得・本人の同意を些少した「身体拘束」「行動制限」「薬物投与」は、心のケアを必要とし、入院しているはずの精神障害者の心にさらに傷を負わせ「病・障害を受け入れること」を困難にする結果となっている。

また「面会・通信の自由への侵害」は、入院生活への移行にともなう「不安感」「孤立感」をさらに駆り立てる結果になっている。同時に「こづかいの自主管理等、私的生活の剥奪」は、退院し、地域で自立生活を営んでいく社会性を日々奪い取る結果になっている。つまり「病を治す」はずの入院生活において、「病・障害を受け入れる」ことを困難にし、地域で生活を営んできた社会性を奪い取り、精神障害者が病院の中でしか生きていけない状況を作りだしている。これが、「社会的入院」の大きな原因であり、精神科平均在院日数約400日という、諸外国に比べてもケタはずれに長い入院日数の原因でもある。もちろんその根本的問題は「精神科医療の特例措置」にあることは、いうまでもない。同時に34万床という全国の全病床の四分の一を占める精神科病床の大幅削減は必須である。15万床を削減すれば5000億円の医療費が確保でき、その予算で病棟のマンバワーの確保・社会的入院15万人の退院促進支援を進めていくことができる。

基本的に精神保健福祉法は廃止し、一般医療法に精神保健を位置づけるべきである。医療保護入院の廃止、措置入院については患者本人の権利を侵害させないため「見守り人制度」をつくるべきである。(強制医療の抑制・長期入院の防止・傷ついた心のケア)

また第三者機関による精神科病院に対するオンブズマン事業を国事業として確立すべきであり、任意入院者への閉鎖処遇は撤廃されるべきである。(任意入院の多くは閉鎖処遇にある)

【竹下委員】

結論としては、精神保健福祉法は廃止し、精神的障害のある人に対する医療は医療法において、福祉は「障がい者総合福祉法(仮称)」においてそれぞれ規定すべきである。

1 現行精神保健福祉法は、かつて精神的障害のある人に対する保健的医療を目的として制定されていたものであり、その後に福祉的措置が追加された法律であるため、福祉的措置の内容が障害のある人に対する福祉としての体系から外されている。そのため、現在でも精神的障害のある人に対する医療は、障害者自立支援法における医療給付と精神保健福祉法におけるそれが併存する形となっており、精神的障害のある人に対しては医療的措置の名の下に旧態依然とした差別的処遇が残存する結果となっている。たとえば、精神的障害のある人に対し、通院治療は障害者自立支援法によって行われ、入院治療は精神保健福祉法によって行われているのであって、明らかに差別的な処遇であると言わざるを得ない。

2 精神的障害のある人に対する医療は、それが精神的病状に対する治療であれ、他の身体的病気に対する治療であれ、同一の体系的位置づけにおいて、あるいは同一の理念に基づくものとして保障されなければならない。それが障害のある人の権利条約が求めている差別禁止の趣旨であり、医療を含めた人権保障の内容である。

【堂本委員】

(結論)精神保健福祉法は見直すべきであり、医療法施行規則第十条は廃止すべきである。

(意見)精神保健福祉法は歴史的に矛盾した内容を含みながら、精神障がい者を医療、保健、福祉の分野で一般に国民が利用できる法体系と切り離し、精神障害者総合対策法的な性格のもとに混乱を生じ、社会的な歪みが生じるような法体系となっている。つまり、精神保健福祉法は、その目的に「保護」を規定しているために、一般医療と区別され、分離が進み、人権侵害ともいえる社会的入院の増大を招いた。

一般医療を受ける者と精神科を受診される者が差別されてはならない。全ての人が「医療を受ける者」とし公平・平等な法体系を構築すべきである。

先進国の中で最も社会的入院が多い日本と、すでに二十世紀末までに精神病院を閉じ公的地域・精神保健サービス網を敷いたイタリアは対極にある。イタリアの事情に詳しい大熊一夫氏の意見を添える。

精神病院あるいは精神科病院と言う名の特殊病院に隔離収容する時代は、文明国では完全に終わったと考えるべきです。

イタリアは、1999年の3月をもって、保健省管轄のすべてのマニコミオ(精神病院、かつては12万人を収容していた)を完全に閉じました。それに代わって、地域精神保健サービス網を敷きました。

日本の半分の人口で、いま巷に精神保健センターが約700カ所あり、精神科専用の入院ベッドは、「総合病院に15床以内」という法的制限付きで置かれています。総合病院のなかで、このベッドの部分だけが、人事も予算も精神保健サービス部門の管理下に置かれています。日本のような「医師も看護師も他科より少なくてよい」という非人道的特例(いわゆる精神科特例)はありません。

トスカーナ州のアレッツォ周辺では、この総合病院の精神科15床さえ、他科の患者と混ぜこぜにしています。もう、精神科の患者を「特殊な病人」として扱わなくなった証拠です。(大熊一夫)

【中西委員】

包摂し、見直すべきである。

精神保健福祉法は精神保健及び精神障害者福祉に関する法律であり、国や地方公共団体ならびに、医療施設及び社会復帰施設が対象とされ、医療と福祉の双方の観点が入っている。精神医療は一般医療法に包摂し、精神保健福祉法という特別な医療法体系は見直すべきである。

【長瀬委員】

見直すべきである。保護者制度と措置入院制度などを含む精神保健福祉法は全面的な見直しが必要である。

【久松委員】

精神医療は一般医療に包摂し、精神保健福祉法は抜本的な見直しが必要である。

【松井委員】

精神保健福祉法の目的には、精神障害者の医療と保護にくわえ、その社会復帰の促進およびその自立と社会経済活動への参加の促進のために必要な援助などが含まれる。精神医療については一般医療法に包摂されてしかるべきと思われるが、精神障害者の社会復帰の促進などについては、今後法制化が予定されている障害者総合福祉法の中に位置づける方向で、精神保健福祉法の見直しが行われるべきであろう。

【森委員】

精神障害者が一般医療サービスを利用できないということは、障害者の権利条約における理念に反すると考えられるので、個々の状態に応じて、一般医療がうけられるようにするべきである。従って、精神保健福祉法という特別な医療法体系は見直すべきものと考える。

2 福祉法体系

同様に、精神保健福祉法は、その目的に医療と保護を挙げている(同法1条)ため、病院への入院という形の保護が福祉としてなされ、結果として社会的入院と呼ばれる実態を発生せしめている。精神障がい者福祉に関しても、総合福祉法に包摂されるべきと考えるなら、精神保健福祉法は、福祉施策の独自の法体系としての意義があるのか、否か、ご意見を賜りたい。

【大久保委員】

総合福祉法(仮称)の性格や内容についての検討が不十分である現状で、判断することはできない。また、身体障害者福祉法、知的障害者福祉法と総合福祉法(仮称)の関係についても並行して議論する必要があると考える。

【大谷委員】

精神障害者福祉も同様に総合福祉法に統合化すべきである。精神保健福祉法の残された役割は、旧制度下で入院させられた者の退院、社会的入院者の解消のための時限的な移行措置をはかるものとなるのではないか。

【大濱委員】

精神障がい者福祉に関しても、総合福祉法に包摂し。精神保健福祉法は、廃止すべき。

1週間以上の入院という形の保護が必要な精神障がい者は、ほとんどいない(入院が必要な場合でも、あらかじめ、入院期間を決めておく制度にすべき)。多くは、適切な医療が施されば、地域生活は十分可能。

【尾上委員】

精神保健福祉法という独自の法体系は、見直すべきである。

上記の通り、精神保健福祉法の医療部分を医療法に統合した場合、精神障害者福祉を、他の障害者福祉と法施策的に分けて論じる根拠は、まったくない。障害者基本法で言う障害者に、精神障害者が加えられてからまだ20年が経過しておらず、「まずは医療ありき」の政策体系の下他障害に比べて福祉施策が遅れてきたことが、社会的入院の実態の温存にも繋がっている。そのため、精神障害者福祉の実態の底上げのためにも、他の障害者と平等の福祉施策を必要としている。

【門川委員・福島オブザーバー】

従前の精神保健福祉法が福祉施策の独自の法体系としての意義を持っていたとすれば、それは、精神障害者については医療・保健施策の対象とされ、福祉施策の対象となっていなかったところ、精神障害者が福祉サービスを利用することができるようになったという点にあると言え、その点については、身体障害者福祉法や知的障害者福祉法と同様の意味で精神保健福祉法の意義はあったということができると考える。

しかし、精神医療が精神科病院への入院を中心としたものであり、通常の医療であれば治療により退院を目的とするはずなのにもかかわらず、精神科病院において適切な治療が十分に行われず、かつ、退院促進のための努力が極めて不十分であったため、精神障害者への福祉サービスの提供体制の構築が遅れてしまったという側面は看過できないものであると言える。なお、これを、福祉サービスの構築が遅れたから退院促進ができなかったと論じるのは本末転倒であって、退院促進の取り組みが積極的に行われなければ、受け皿としての福祉サービスを具体的に構築することがままならないことは明白である。

以上のことを踏まえ、精神医療が退院促進を志向するものへと「実際に」転換することの必要性を十二分に強調したうえで、それを前提に、精神障害者に対する福祉サービスは、当然、総合福祉法に包摂され、質・量の充実を図るべきであり、仮に、総合福祉法の制定が身体障害者福祉法や知的障害者福祉法を必然的に廃止するものになるのであれば、併せて精神保健福祉法も廃止するのが筋だと考えられる。

なお、法文上は、「医療及び保護」と「保健及び福祉」は別の章立てになっていることから、病院への入院と福祉とは別であるように思われるのだが、論点表には「病院への入院という形の保護が福祉としてなされ、結果として社会的入院と呼ばれる実態を発生せしめている」とあり、事実関係として、「病院への入院という形の保護が福祉としてなされている」のかどうか、確認したい。

【川﨑委員】

精神保健福祉法は入院に関する規定を中心とした医療法としての性格が強い。福祉施策としての法律としての意義は極めて薄い。医療と福祉を無理に合体させたような法律は改めるべきである。精神障がい者福祉は、総合福祉法に包括されるべきである。

【北野委員】

A.精神障害者福祉は総合福祉法に包摂すべし。

R.急性期医療(Acute Care)が、一般医療法に位置づけられるとすれば、当然本人の地域自立生活支援を意味する長期ケア(Long Term Care)は、総合福祉法に位置づけられることになる。

言うまでもないが、急性期医療(Acute Care)と、その後一生涯続く可能性がある長期ケア(Long Term Care)の違いが、わが国では、不明確にすぎる。

長期ケアとは、まさに本人の地域自立生活支援であり、そこでは、本人が、さまざまな支援を活かして、同じ性別・年齢の他の市民と同様の選択肢の中で、それぞれの固有の人生を、そのドラマの主人公として生きてゆくことになる。この両者の区分が不明確で、だらだらとした医療といつまでも続く病人扱いは、本人のみならず支援する側のエンパワーメントをも阻害する。そのためにも、本人のエンパワーメントを支援する当事者グループピアサポーターや、家族のエンパワーメントを支援する家族会ピアサポーターといったSHG(支え合う当事者の会)が、各種専門職に伍して、本人の支援に参加・参画してゆく体制が望まれる。本人とその家族の思いを真摯に受けとめる支援システムこそが、福祉・教育・医療・SHG等の支援者間の対等で効果的な支援を担保できよう。

【佐藤委員】

旧来、精神障害者の福祉施策に関しては精神保健法制定後、また精神保健福祉法の逐次の改正において徐々に福祉施設体系などの整備も含め進展してきた。しかし、その過程においては、社会復帰施設や居住資源等の不足を理由とした入院継続が現に行われており、社会的入院が合理化されてきた事実が確かにある。一方、障害者自立支援法の登場によりそれまで精神保健福祉法に規定されていた社会復帰施設等が障害福祉サービス事業の新体系への移行に伴い精神保健福祉法から外れたことにより、精神保健福祉法における福祉施策に関する規定は手帳制度及び精神保健福祉センターに関するものなどに限定されてきた。ゆえに精神保健福祉法が福祉施策の独自の法体系として意義があるかというと既に見直してよい段階には来ていると考える。

障害者権利条約では平等・社会参加を目的とし、そのための手段の一つに医療や医学的リハビリテーションを位置づけている。したがって医療と福祉を統合的に提供する趣旨の「精神保健福祉法」は解体(つまり精神保健法に復帰)して、「福祉」と「保健医療」を分けるべきだと思う。権利条約が言うような生活者としての精神障害者という見方をすべきであろう。

その上で、精神障害者にとって不可欠である医療との連携を確保する制度を確立すべきである。

【新谷委員】

福祉の分野においても、精神障害を特別視する合理的理由はありませんので、福祉サービスの分野においては、総合福祉法に統合されるべきと考えます。法体系上の精神保健福祉法の位置付けは、身体障害者福祉法、知的障害者福祉法の位置付けと併せて検討すべき事項と考えます。「障害者基本法―障害者総合福祉法―障害者差別禁止法―身体障害者福祉法、知的障害者福祉法、精神保健福祉法―個別分野の法律」の相互関連を議論すべきと考えます。

【関口委員】

法体系の意義は無い。

残されるとすれば、社会的入院の解消の為だけに絞った経過措置法である。精神保健福祉法は撤廃されるべきで、障害者の総合福祉法に包摂されるべきである。よく言われるように隔離法と福祉法を同一の法としている矛盾がある。結果として隔離を福祉の名目で行なうという矛盾が生じている。

自立支援医療は、速やかに緊急予算措置をとること。地域間格差をなくすことが必要である。

【竹下委員】

前述したとおり、精神保健福祉法は廃止すべきである。精神的障害のある人に対する入院治療はあくまでも医療給付であって福祉ではない。「福祉」という名の下での「入院」は明らかに不合理であり差別である。

精神的障害のある人に対し、医療給付を行うのであれば、入院によって行うべきであるが、急性期を過ぎた精神的障害のある人に対し、施設内処遇が必要である場合には、あくまでも福祉施設において「入所」として処遇すべきである。したがって、そうした場合における「入所」は強制的な措置としてはあり得ないことになる。あくまでも、「入所」は福祉的措置であるから、本人の意思決定に基づいて(自己決定権の保障)行われなければならないのであり、他の障害のある人と同様に「障がい者総合福祉法(仮称)」の中で位置づけられるべきである。

【堂本委員】

(結論)精神福祉法は福祉施策の独自の法体系としての意義はすでにない。

(意見)障害者総合福祉法で十分に対応が可能だと考える。

精神障がい者の福祉施策は徐々に進展してはきたが、地域での受け入れ施設や住居が不足しているため退院は遅々として進んでいない。

「保護」という口実のもとで、あまりに過剰な強制入院や強制治療、過剰な隔離収容が行われてきたことを考えれば、これまで「保護」と称してきたことの中身を詳細に検討することは、国政の義務である。この点を頬かむりしたなら、どんな改革案も小手先の改革案になってしまうであろう。

精神保健福祉法は、精神科医に「自傷他害」という判断基準で患者を管理することを許している法律であるから、精神病院長や精神科医が利潤追求に走ったりすれば、法は不法に使われ、むしろ障がい者に不利益をもたらすことになる。

行政機関が民間精神科病院と対等に渡り合える力を持つ、ということは、経営・運営の詳細な実態を監査で把握して、その情報を公開する権限を持つ、ということです。通信面会の自由はいまだ、十分に普及しているとは言えませんから、行政による入院者への面接調査は、絶対に必要です。職員の充足度、開放・閉鎖病棟(密室といってもいい)の実状、経営者の収入など国民が知らなければならないことは、たくさんあります。これらの大事な情報が公開されるようにならなければ、“誰もが安心してかかれる精神保健”とは言えません。(大熊一夫)

【中西委員】

精神保健福祉法は、福祉施策の独自の法体系としての意義はない。

イタリアで精神病院改革の先頭に立ったバザーリアは、その著書の中で「自由こそ治療」と述べている。精神障害は社会が精神障害者を排除しようとするところから生まれており、社会に精神障害者を受け入れるような土壌を作ることによって、精神病院は廃止できる。その結果精神保健福祉法という特別な法律は廃止することが可能となる。医療と福祉を一緒にしているような法は廃止し、精神障害も総合福祉法の中に包括されるべきである。

【長瀬委員】

精神障害者福祉についても、部会で検討される障害者総合福祉法の射程に当然含まれるが、身体障害者福祉法や知的障害者福祉法など個別の法制と障害者総合福祉法との関係全般との構想の中で、精神保健福祉法も検討されるべきである。

【久松委員】

精神保健福祉法は、福祉施策の独自の法体系としての意義を見出すことができないと考える。

【松井委員】

前述したように、精神医療を一般医療法に包摂し、精神障害者の社会復帰の促進などについては障害者総合福祉法の中に位置づけるとすると、精神保健福祉法は福祉施策の独自の法体系として残す必要はないと思われる。もっともそれは身体障害者福祉法や知的障害者福祉法にも当てはまることである。

【森委員】

精神障害者福祉に関しても、他の障害者と同等の支援の充実を図るためには、すべての障害者への福祉に関する法律、総合福祉法の中に位置づけるべきであると考えられる。

但し、精神障害者に対しては、その症状が一定でない場合、すなわち、「日々により症状の波がある」と表現される状況や、障害特性に基づく大きな疲労などに関して、十分な休養や保健上の配慮、医療的な支援が求められることに十分に留意した法律や制度の整備が求められる。

このことは、他の障害関連法についても、法体系の整合性を検討すべきと考える。

精神障害者に対する強制入院

障害者の権利条約第十四条(身体の自由及び安全)は、「締約国は、障害者に対し、他の者と平等に次のことを確保する。」として、「不法に又は恣意的に自由を奪われないこと、いかなる自由のはく奪も法律に従って行われること及びいかなる場合においても自由のはく奪が障害の存在によって正当化されないこと(政府仮訳)。」を掲げている。この観点から、

1、措置入院(29条)

精神保健福祉法は、「自身を傷つけ又は他人に害を及ぼすおそれ」を措置入院の要件として挙げているが、この要件は「自由のはく奪」の根拠となりうるのか、否か、ご意見を賜りたい。

【大久保委員】

同条文の適用の実態は把握していないが、根拠になりうると考える。自身を傷つけたり他人に害を及ぼす「危険」を回避するためにやむを得ないこともあると考える。

ただし、当然、その制限は、危険回避の範囲でのみ許容されるべきものと考える。また、この措置入院が乱用されないよう、客観性のある適切な判断と手続きにより厳格に適用されるべきと考える。

【大谷委員】

正確には、「精神障害のために自身を傷つけ又は他人に害を及ぼすおそれ」と規定されている。他のいかなる市民も単に「自身を傷つけ又は他人に害を及ぼすおそれ」を要件としては自由を剥奪されないのに、精神障害のある人については、その要件があれば自由を剥奪される点に、精神障害のある人に対する強制入院(自由剥奪)の差別性がある。障害者権利条約14条が「いかなる場合においても自由のはく奪が障害の存在によって正当化されない」と規定したのは、このような差別的な自由剥奪を許さないためである。従って、他の市民について、自傷他害のおそれが自由剥奪の要件として認められていない以上、精神障害のある人についてだけ、それを要件として自由剥奪をすることは差別として禁止されなければない。

また、精神障害のある人についてだけ、このような制度を設けることは、あたかも精神障害のある人が他の市民に比べてとくに自傷他害を起こす可能性のある集団であるかの誤った印象を社会に与えることになる。実際には業過を除く刑法犯検挙人員中、精神障害またはその疑いのある者の割合は0.6~0.8%程度で1%を超えることはないが、一般人口に占める精神障害のある人の割合は障害白書に基づいて精神障害者数を約300万人としても2.5%はある。また、300万人の精神障害のある人の中で措置入院になっている者の数は1800人をきっており全体の0.06%程度である。この現実に対して措置入院制度は精神障害のある人が危険であるかの印象をあまりに強く国民に与えている。

措置入院の運用の方向性としても、精神科救急制度の入り口として、重症で自己の生存を維持する最低限の生活条件が破たんし始めた危機的になっている場合に介入する場合に使われる方向性が示されている。精神障害による危険性の存在を自由剥奪の根拠とする強制入院は危機介入手段としても実態に合わなくなりつつある。

【大濱委員】

「自由のはく奪」の根拠とならない。

「暴力をふるい手に負えない」から「措置入院」ではだめで、治療をできうる限り尽くし、身体的拘束はするべきではない。最低限全ての精神病棟を解放病棟化すべきであり、病棟内から病棟の外に向けた情報発信を積極的にさせるべき。外への情報発信は、精神病院を家族が選択する時の判断の基準になる。

【尾上委員】

なりえない。

障害を名指しこそしていないが、精神保健福祉法第14条の運用実態上、実質的に精神障害の存在によって自由の剥奪が正当化されている。

ちなみに、医療やケアの必要性、自傷他害のおそれ等の要素も強制の要件となり、権利条約違反となりうる。国連の人権条約の解釈の権威たる国連人権高等弁務官事務所は下記のように述べている。これは、措置入院以外の強制入院に関する規定全てにも関連する。

「障害者権利条約は、障害の存在に基づく自由の剥奪は国際人権法に反しており、本質的に差別であり、そしてそれゆえに不法であることを明確に宣言する。障害に加えて追加の根拠が自由の剥脱の正当化に使われる場合に対しても、こうした違法性は拡大して認められる。追加の根拠とは例えばケアや治療の必要性あるいはその人や地域社会の安全といったものである。」

(国連人権高等弁務官事務所08年10月「被拘禁者のための尊厳と正義の週間、情報ノートNo.4 障害者」http://www.ohchr.org/EN/UDHR/Documents/60UDHR/detention_infonote_4.pdf

【門川委員・福島オブザーバー】

「自由のはく奪が障害の存在によって正当化されない」という条文は、当然、精神障害という障害の存在が自由のはく奪を正当化する要件にないことを示している。一方、精神保健福祉法の措置入院の規定は、「自身を傷つけ又は他人に害を及ぼすおそれがある者」すべてが措置入院の対象となるのではなく、精神障害者のうち「自身を傷つけ又は他人に害を及ぼすおそれがある者」を措置入院の対象とする論理構成であるから、措置入院という「自由のはく奪」の対象者をあらかじめ精神障害者に限定しているという点で、精神障害という障害の存在をもって自由のはく奪を正当化していると言える。

したがって、措置入院の要件は、「自由のはく奪」の根拠としては、障害者の権利条約の条文に照らして不適切であると考えられる。

なお、上記の論理からは、精神障害者を対象とした措置入院そのものが否定されることになることに留意すべきである。仮に精神疾患について緊急に治療が必要な場合があったとしても、それは通常の救急医療と同様に行われるべきであり、「自由のはく奪」を「前提」とした措置(医療・保護)はやはり不適切であると考えられる。

【川﨑委員】

自身および他人の命にかかわる場合においては「自由のはく奪」の根拠とはならないと考える。

【佐藤委員】

上記の権利条約の規定に照らして、措置入院は法的根拠があり、また、精神保健指定医というその法に基づく資格者も規定している。更には、病状報告などの報告義務等も規定し、精神医療審査会なども設置しているため、ひとまず法的根拠はあると考える。しかしながら、都道府県及び政令市において措置入院者の入院期間や措置診察のあり方、精神医療審査会における等の地域格差が顕著であり、その運用実態には大変に問題があると認識している。法律の理念及び規定に沿った運用が行われているとは言いがたい実態を把握し、早急に課題解決を図るべきと考える。

【新谷委員】

「自傷・他害のおそれ」で心身を拘束する措置をとることは、憲法13条、14条、18条、31条に違反していると考えます。精神保健福祉法29条の規定は憲法31条にある適正手続きとはみなせません。

【関口委員】

法律の文言に未来予測が内包されている事態は避けるべきである。とりわけ、他害の中に侮辱罪まで含まれるのは、看過し得ない重大な問題である。従って、合理的な自由の剥奪の根拠にはなり得ない。

あり得るとすれば急迫した医療上の救急性のみである。他のものは自傷他害の恐れがあっても自由の剥奪が去れないにもかかわらず精神障害者のみが「自傷他害のおそれ」をもって自由を剥奪されることは差別である。自傷要件も、個人の不可侵性(17条)の観点から医療及び保護を強制されるべきではない。また、措置と呼ばれる症状が、数年間も続くはずもなく、十年以上措置入院で保護室に拘禁されている精神障害者の状況を見る時、濫用されているとの念を禁じ得ない。「おそれ」による自由の剥奪は不当。「将来の可能性」による自由の剥奪は不当なもの。

措置入院、医療保護入院による強制入院では、医師の持つ権力が絶大なものとなる。生かすも殺すもさじ加減一つという結果をもたらす。精神病院での医療側による殺人は忘れていいほどの昔のことではないし、今はないとは断言できない。いつ解放するかの権限を医師が握る仲、結果として、患者は医師の顔色をうかがうほかなく、医療とはいえない関係をもたらす。良い様に思われることが行動原理となり、それは病気を治すという行動とは別次元のものとなる。結果として改善までの長期化ももたらす。

自由の剥奪はそれ自身が精神病の原因となりうる。かつて精神病院に潜入しルポを書いた大熊一夫は、1週間の入院で耐え切れなくなり、それ以上入院していたら本当の精神病になるところだったと懐述しているが、自由の剥奪が精神病の原因になりうることを示している。

イタリアのバザーリアは「自由こそ治療だ」をスローガンにして良い結果をもたらしている。そこから学ぶべきことは多い。

すなわち、精神障害を理由とした特別な強制的医療制度は廃止すべきである。他のものと平等な医療基本法および患者の権利法制において明白なインフォームドコンセントが求められるべきである。

なお現行精神保健福祉法においても、治療拒否権もない代わりに強制医療を合法化する文言はなく、強制医療はあってはならない違法行為である。

患者の意思能力に基づく治療も、患者から明確な治療拒否があれば、治療を中止しなければならないが、精神保健福祉法の強制にはそれがない。また、自殺を未然に防ぐのではなく、自殺によって生命の危機にある場合に限り、本人の意思を確認できなければ治療を行うことになるだろうが、その場合に関しても、本人の同意が得られない場合や治療の拒否があれば、中止が求められる。

【竹下委員】

「措置入院」制度が直ちに条約違反になるとは言えないのではないか。但し、現在の精神保健福祉法における「措置入院」制度は、人権侵害ないし差別的処遇となっている場合が多い。

「措置入院」制度そのものは、急性期における精神的障害のある人に対しては否定されるべきではないと考える。なぜならば、急性期においては本人の意思を確かめることは真の意味での自由な意思を尊重することにはならないし、急性期において本人の利益(本人の健康維持、必要とされる治療の実施、本人の意に反する他害行為の防止など)のためにも措置入院制度は必要と考えるからである。したがって、急性期を過ぎた時点では、本人が意思能力を回復しているのであるから、自己決定に基づいて引き続き入院治療を受けるのか、退院するのか、福祉施設への入所を選択するのかを決めればよいのである。

【堂本委員】

(結論)精神保健福祉法は「自由のはく奪」の根拠となりうる。

(意見)上記の権利条約の規定に照らして、措置入院は法的根拠があり、また、精神保健指定医というその法に基づく資格者も規定している。更には、病状報告などの報告義務等も規定し、精神医療審査会なども設置しているため、ひとまず法的根拠はあるとされている。

しかし最大の問題は、実態としては法律の理念および既定に沿わない非人権的な運用が行われていることである。都道府県及び政令市において措置入院者の入院期間や措置診察のあり方、精神医療審査会における等の地域格差が顕著であり、その運用実態には大変に問題があると認識している。

日本の精神保健福祉法は、精神科医に、「他害の恐れ」を判断基準にした自由はく奪権を与えています。こんな法律がある以上は、よほどの無茶くちゃなことがないかぎり、自由はく奪も合法です。だから、宇都宮病院も安田病院(後の大和川病院)も、あの野蛮な拘禁でさえ違法とはされなかったのでしょう。

この精神科医に与えられた特権(患者を一段高いところから見下ろす厚かましさ強引さと言ってもいい)は治療上の人間関係にマイナス、という理由で、イタリアの改革者は、精神科医からその特権を取り上げました。

1978年にできた180号法を読めば、それは明らかです。これは、精神科医から治安の責任を取り上げた、精神科医が精神病者の社会的危険度の判定を警官や検事に任せた、と見ることもできます。しかし、ここまでやった国はイタリアだけです。(大熊一夫)

【中西委員】

「自由のはく奪」の根拠とならない。

措置入院は明らかな自由の剥奪であり、措置入院の入院時のチェックには精神医療審査会によるのではなく、司法審査とすべきである。

【久松委員】

精神保健福祉法が、「自身を傷つけ又は他人に害を及ぼすおそれ」を措置入院の要件として挙げていることは、「自由のはく奪」である。

【松井委員】

[精神障害]と「他害行為」などとの間に固有の関連性に関する確立した医学的知見は存在しない、とされることから、この要件を「自由のはく奪」の根拠とすることにはきわめて慎重であるべきと考えられる。2人以上の指定による診察にくわえ、本人の最大の利益を代弁する代理人たる弁護士(または独立した第三者機関)などの立会いのもとに「自由のはく奪」について判断がなされることが求められる。

2、医療保護入院(33条)

精神保健福祉法は、精神障害者に保護者を付したうえで、保護者の同意があるときは、一定の要件の下に、本人の同意がなくてもその者を入院させることができるとしているが、この要件は「自由のはく奪」の根拠となりうるのか、否か、ご意見を賜りたい。

【大久保委員】

根拠になる場合もありうると考える。場合によっては、家族の危機的な状況を回避しなければならないこともあると思われる。

ただし、その制限は、危機回避の範囲でのみ許容されるべきであり、「一定の要件」を厳格化して、客観性のある適切な判断と手続きにより適用されるべきと考える。

【大谷委員】

医療保護入院は、平成11年の法改正で「第二十二条の三の規定による入院が行われる状態にない」(精神保健福祉法33条1項)との要件が加えられ、この要件の意味は不明確であるが、任意入院の前提となる入院についての同意能力が欠けている場合を意味していると解される。

しかし、障害者権利条約12条は法的能力の平等性を定めており、いわゆる支援を受けた自己決定によって、本人の自己決定を最大限度まで引き出す支援をすべきことを求めている。精神保健福祉法22条の3は、本人の同意に基づいて入院が行われるように努力する義務を病院の管理者に負わせているが、このような一般的な義務では不十分であり、本人が十分に理解し判断できるための支援を定めることなしに、判断能力を欠くものとして医療保護入院の対象とすることは許されない。

ここにおける自己決定の支援は、精神障害のある人が自己決定を行うために必要な「合理的配慮」を構成するものと理解すべきであり。それを欠くことは差別となる。

障害者権利条約12条の法的能力の平等性が、代行決定を全く許さないものであるか否かについては争いがある。しかし、仮に自己決定の支援を尽くしても現代の支援技術では本人の自己決定を引き出し得ない場合や病状の進行等のために生存状態が危機に陥っており、支援を尽くす時間的いとまがない緊急性が認められる場合には、暫定的な代行決定を例外的に認めざるを得ないとも考えられる。しかし、そのような場合であっても障害者権利条約12条は、「障害者の権利、意思及び選好を尊重すること、利益相反を生じさせず、及び不当な影響を及ぼさないこと、障害者の状況に応じ、かつ、適合すること、可能な限り短い期間に適用すること並びに権限のある、独立の、かつ、公平な当局又は司法機関による定期的な審査の対象とすることを確保するものとする。当該保護は、当該措置が障害者の権利及び利益に及ぼす影響の程度に応じたものとする」と定めている。

上記の濫用防止策に照らすと、医療保護入院の同意を与える保護者は制度上(保護者は後見人、保佐人、配偶者、親権者、扶養義務者の中から決まるが、後見人、保佐人以外は親族であり、後見人、保佐人も統計上8割近くが親族によってになわれている)も運用上(ほぼ8割は親か兄弟によってになわれている)もほとんどが家族であって、生活空間や経済生活上の制約や発病経緯からの生活歴などから様々な葛藤や利益相反関係を有することがあることはすでに指摘されて久しい。保護者制度に終期の定めがないことは最短期間性に反し、保護者制度は精神障害の程度にかかわらず、精神障害者とされれば画一的に保護者を付すべきものとしていることは、障害者の状況に応じ、かつ、適合した制度ではないことを示している。このように障害者権利条約の濫用防止策を全く満たすことのできない保護者に医療保護入院の同意を委ねることは障害者権利条約の要請に全く適合しないことになる。

独立公平な当局または司法機関による定期的審査は保護者については全くなされていない。なお、成年後見人についても後見監督はありえても提起審査はなされていない。医療保護入院については精神医療審査会への定期病状報告がなされるが、その機能は極めて不十分であり改善が求められる。

医療保護入院も、精神障害のある人についてだけ認められた特殊な強制入院制度である。「医療及び保護のために入院が必要で」あるが判断能力が損なわれている状態は精神障害でなくてもありうるが、他の市民の場合はそのような事態でも強制入院にはならず、精神障害のある人だけが自由を剥奪されることになっている。これも障害者権利条約14条から差別的な自由剥奪として禁止されなければならない。

むしろ総合医療法や患者の権利法という統合的な法制度の中で、他の者と同様の理由によってのみ強制入院は許されると考えるべきである。なお、その場合であっても間接差別効果を生じる場合の内容に配慮すべきである。

また、独立公平な当局または司法機関による定期審査と関係して、精神医療審査会の独立性を確保する改善が必要であるが、それと同時に、外部からの権利擁護者が積極的に権利擁護相談や申立ての援助を行えるように、十分なアドヴォカシー制度を公費で用意することが不可欠である。障害者権利条約15条は拷問等の禁止を定めるが、とくに自由剥奪下の者については外部との交通、権利擁護者の支援が妨げられることは、同条によっても禁止されなければならない。

なお、形式的には任意入院であっても閉鎖病棟で処遇されている人が40%を超えており、我が国の精神科病院の66%は閉鎖病棟であるという現状は、一般医療と対比して、異様に自由制約をしており、差別的な環境に精神障害のある人を置いていることを示している。

【大濱委員】

「自由のはく奪」の根拠とならない。

家族の同意があるからと言って「身体の拘束」は許されない。もし許されるとすれば本人の生命に危急の危険が、他人の生命に危急の危険を及ぼす恐れがある及場合に限るべきである。身体の拘束が医療者側の効率のために安易に行われことがあってはならない。

【尾上委員】

なりえない。

精神保健福祉法上の保護者制度自体が、そもそも(精神)障害に基づく異別取り扱いであり、この保護者の同意によって、本人の同意のない入院が可能であるということは、手続き上の欠陥がある(保護者制度については、後の項目のその他を参照)。

【門川委員・福島オブザーバー】

精神保健福祉法第33条の医療保護入院も、同法第33条の4の応急入院も、措置入院と同様の問題を抱えており、そこに規定された要件は、「自由のはく奪」の根拠として不適切であると考えられる。

【川﨑委員】

保護者の同意ということに問題がある。医療保護入院は強制的な入院であり、その要件を保護者の同意とするのは不適切である。医療保護入院の対象となる自傷他害の恐れのない症状であれば、専門家が十分に関わり、危機的状況を乗り越えるように在宅で治療し、本人にも働きかけるべきであり、入院がどうしても必要な場合も、本人の同意を得るよう家族ではなく、医療関係者が努力すべきである。

【北野委員】

A.医療保護入院は、「自由の剥奪」の根拠とならない。

R.そもそも「保護者」なる規定がおかしい。この「保護者」規定のために、精神障害者の家族は塗炭の苦しみを味わってきた。何ら地域生活支援のない中で、家族だけが精神障害者の支援の全責任と全実態を担わされ続けたのである。一方、精神障害者自身もいったん入院すれば、基本的に「保護者」という名の家族の存在や同意がなければ、シャバに帰れないという不幸をこの制度は生み出したと言えよう。

家族が、本人の意思を無視してまで入院を求めざるを得ない悲惨な状態となる前に、もっと身近で使い勝手のいい「こころのクリニック」が存在しなくてはならない。それが、もっとあたりまえで、もっと市民に認知される戦略を今後考える必要があろう。さらにそれを担いうる、精神科医やPSWやカウンセラーの養成が為されなければならない。

【佐藤委員】

この論点は保護者制度の是を前提とするものであり、権利条約に照らしても精神保健福祉法上の保護者制度は撤廃すべきと考える。仮に措置入院以外の非自発的入院を認めるとしても、保護者の同意権及び義務を代替し、対象者の権利擁護機能を有する公的機関の設置等の規定が必要と考える。

また、医療保護入院にあっては保護者がいない等の場合に市町村長が入院同意者となることが可能だが、保護者としての義務遂行は求められておらず、人権上も大きな問題であると考えるし、入院長期化傾向の温床にもなっている。

【新谷委員】

33条は「指定医による診察の結果、精神障害者であり、かつ、医療及び保護のため入院の必要であれば、保護者の同意があるときは、本人の同意がなくて入院させることができる」とあります。また、20条は「精神障害者については、その後見人又は保佐人、配偶者、親権を行う者及び扶養義務者が保護者となる。」としています。精神障害者は保護者と医療関係者とによって、重畳的に自由を制限されているといえます。保護者の要件を厳格にすると同時に、本人の同意を確保できる適正な手続き規定を設けるべきと考えます。

【関口委員】

措置入院より、医療緊急性が低いのであるから、自由の剥奪の根拠にはなり得ない。医療に結びつける必要性があるときは基本的にインフォームドコンセントが必要である。現状の保護入院は、保護者制度に基づき基本的に私人である保護者の同意を持って国権の発動を許容しているため、不法である。家族の保護義務が、医療保護入院の根拠となっていると考えられるが、医療保護入院によって家族関係が破壊されることもある。さらに問題なのは、当事者の抗弁権を一切認めない点で、当事者を人間として扱わない構造をとっているのは許されざる人権侵害である。医療保護入院も要件のひとつは精神障害者であることが入っている。明らかに障害を根拠と人身の自由の剥奪であり、障害者権利条約の禁止している障害を自由剥奪の根拠としていることとなる。

任意入院者が退院を申し出ると、保護入院にするという脅しや実態もよく見られるところであり、精神科医と当事者のあまりにも非対称的な権利関係の基礎となっている。医療の必要性は、他者によってのみ判断されるべきものではないことは、既知の通りであるし、また、実情としては、数十年にわたり入院を強制され、退院をしたくても出ることができないなど、著しい権利侵害を引き起こしている根拠になっている。彼らのための救援活動も、法律がある限り、前進しない。社会的入院は、受け皿体制以上に、当該強制入院によって引き起こされていることを周囲は自覚すべきである。不必要に強大な、精神科医の絶大な権力を与えており、病院内での全ての人権侵害の根源である。

国連人権高等弁務官事務所08年10月「被拘禁者のための尊厳と正義の週間、情報ノートNo.4 障害者」では
「障害者権利条約は、障害の存在に基づく自由の剥奪は国際人権法に反しており、本質的に差別であり、そしてそれゆえに不法であることを明確に宣言する。障害に加えて追加の根拠が自由の剥脱の正当化に使われる場合に対しても、こうした違法性は拡大して認められる。追加の根拠とは例えばケアや治療の必要性あるいはその人や地域社会の安全といったものである。」
にあるように、障害と合わせて、医療および保護の必要性があっても障害者権利条約の禁止している、障害による自由剥奪にあたる。

【竹下委員】

医療保護入院制度は自己決定権の侵害であり、保護者(多くの場合は家族)による「社会的入院」をもたらす制度であるから、速やかに廃止すべきである。

保護者(または家族)が精神的障害のある人の入院を望む場合は、1つには急性期にある場合における対応であり、それ以外は保護者による支援が困難であるがための制度に過ぎないのであって、前者は措置入院制度によって対応すればよいし、後者は社会保障制度の不備ないし不完全な結果として発生している現象に過ぎないというべきであり、在宅生活における十分な支援体制を整備するか、福祉施設の整備によって解決できる問題である。

【堂本委員】

(結論)「自由のはく奪の根拠となりうる。」保護者制度は、見直し、撤廃すべきである。

(意見)任意入院制度は一般医療同様に民法上の治療契約に帰るべきであるが、現状においても必要以上の同意によって本人との治療契約を軽視した医療が継続されている。そのため、長期化したり、行動制限が行われたり、面会・通信の自由も制限されていることが明らかになっている。任意入院にもかかわらず自由の剥奪される閉鎖病棟に入院させられているケースも少なくない。解決が求められるところである。

【中西委員】

「自由のはく奪」の根拠となりえない。

医療保護入院は明らかな自由の剥奪である。現行の精神保健指定医と家族の同意だけで強制入院させる形態ではなく、本人が入院を自ら決定した場合のみとする。その場合でも市議会の議決を必要とするなどの人権保護政策をつくるべきである。年1回の書面報告の審査だけで医療保護入院が何年、何十年も続くことがあると聞く。緊急時の入院に代わる医療付きショートステイを五万人規模の自治体に一か所設けることによって5000人に一人という発症者を地域で受け止めることができ、入院者を0とすることが可能である。

保護者の同意入院が医療保護入院か否かを左右しているが、例えば親が入院に賛成した場合には親子関係に深い傷を残す。それは社会復帰をする際の妨げともなる。

【長瀬委員】

保護者制度そのものに問題があるため、なりえないと考える。

【久松委員】

精神保健福祉法は、精神障害者に保護者を付したうえで、保護者の同意があるときは、一定の要件の下に、本人の同意がなくてもその者を入院させることができるとしていることは、「自由のはく奪」である。

【松井委員】

精神保健福祉法では、[保護者は、精神障害者に医療を受けさせるにあたっては、医師の指示に従わなければならない。](第22条3)と規定されていることから、保護者は必ずしも本人の最大の利益の代弁者とはなりにくいという事情を考えれば、本人の代理人たる弁護士(または独立した第三者機関)などの立会いのもとに「自由のはく奪」について判断がなされることが求められる。

3、医療を受けさせるために入院をさせる旨の決定

心神喪失等の状態で重大な他害行為を行った者の医療及び観察等に関する法律、いわゆる医療観察法は「対象行為を行った際の精神障害を改善し、これに伴って同様の行為を行うことなく、社会に復帰することを促進するため、入院をさせてこの法律による医療を受けさせる必要があると認める場合」には、裁判所が医療を受けさせるために入院をさせる旨の決定を下すことになっているが、この要件は「自由のはく奪」の根拠となりうるのか、否か、ご意見を賜りたい。

【大谷委員】

国連の「精神障害者の保護及びメンタルヘルスケア改善のための原則」(1991年)は、強制入院の類型として、即時の差し迫った危険のある場合と判断能力が欠如しておりかつ重症で入院によってしか治療ができない場合のみを許容している。同原則自体に法的拘束力はないが、同原則は自由権規約等の解釈指針を与えるものであり、結局、自由権規約を介して、強制入院が許容されるのは、障害者権利条約採択以前の段階では、上記2つの場合だけということになっていた。医療観察法の強制入院の要件は、国連原則のいずれにも則さず、その要件は漠然かつ広汎な規定になっている点で許容されない。

医療観察法の運用上は上記文言は、疾病性、治療可能性、社会復帰要因(主として同様の行為を行う危険性の存否)によって判断されている。しかし、病気であって(疾病性)治療が可能であるということ(治療可能性)は、普通に医療の対象になる前提条件にすぎず、強制を認める要件にはならない。同様の行為を行う危険性(社会復帰要因)は、措置入院の他害のおそれと類似しているが、それよりもはるかに広い(遠い将来予測)要件になっている。結局、医療観察法は、国連原則さえも無視している。

障害者権利条約は、障害のある人に対する自由剥奪についてさらに厳しい立場に立っており、医療観察法の強制入院も措置入院と同じように、精神障害のある人についてだけ、危険性を要件にして自由剥奪を行うことの差別性がおおいに問題である。

しかし、それ以上に、措置入院よりも遠い将来の危険性を予測して自由を剥奪することにしているため、さらに耐えがたい人権侵害を引き起こすことになっている。もし、精神障害のある人1000人に1人の割合で重大な犯罪をしてしまう人があるとして、将来の危険性予測が95%の的中率があるとする場合、10万人の精神障害のある人について危険性予測をして強制入院を始めると、重大な犯罪をしてしまうことになる人のうち95人が入院になるが、反面で、そうではない99900人の精神障害のある人の中から4995人も強制入院させられることになってしまう。これを「偽陽性者」という。結局、病院の中の98%以上の人が不必要に入院させられているという結果になってしまう。

また、医療観察法の上記の規定は「精神障害を改善し」と定めているが、障害者権利条約17条は、その心身がそのままの状態で尊重される権利を保障しており、同条の制定過程では、「いかなる実際上又は認知上の機能障害であっても、それを矯正し、改善し又は緩和することを目的とする強制的介入又は強制的施設収容から障害のある人を保護する。」として、自己の機能障害等について強制的な介入をされない権利をインテグリティの内容として明示していた。これは障害を理由とした自由剥奪の禁止規定があることで賄えるし、この規定を置くと機能障害等の緩和を目的とするのでなければ強制介入をしてもいいという反対解釈を生む危険性があることなどから明文化はされなかったが、17条の内容には含まれていると理解すべきである。そうすると、医療観察法が強制的に「精神障害を改善」させることは、障害者権利条約17条に反することになる。

医療観察法は「社会に復帰することを促進するため」強制入院をさせるとする。しかし、障害者権利条約26条はリハビリテーションについて「地域社会及び社会のあらゆる側面への参加及び受入れを支援し、自発的なものとし、並びに障害者自身が属する地域社会(農村を含む。)の可能な限り近くにおいて利用可能なものとすること。」と定めている。医療観察法は、「自発的なもの」ではなく強制を前提とするので、同条項に反する。また、入院・通院先になる指定医療機関は「障害者自身が属する地域社会」にはない場合がほとんどである。

医療観察法は、精神障害について、医療モデルを堅持し、「精神障害を改善する」ことで、その社会復帰を図るという考え方に立っており、社会の側の改善及び合理的配慮についてはまったく想定していない。

【大濱委員】

「自由のはく奪」の根拠とならない。

医療観察法上の入院は廃止すべきである。同法上の入院は、懲罰に近いもので「自由のはく奪」そのものであり、最後の選択肢とすべきである。医療を優先し、社会復帰を前提に患者の権利の回復を図るべき。

【尾上委員】

なりえない。

医療観察法は、「精神障害を改善」するために強制入院等を認め、対象者は入院による医療等を受けなけなければならないとするが(第43条)、これは権利条約が明確に禁止する「障害に基づく自由の剥奪」と解釈される。

医療観察法は、殺人、放火、強姦・強制わいせつ、強盗、傷害にあたる行為をして、「心神喪失・心神耗弱」と判断されて起訴されない精神障害者や、無罪判決や執行猶予判決を受けて実際には刑務所に行かない精神障害者に対し、「同様の行為を行うことなく社会に復帰することを促進するため」に、裁判官1人と精神科医1人の2人の審理で、特別な病院(指定医療機関)への入院や通院を強制するかどうかを決める。医療観察法の審理は、証人尋問の権利や刑事裁判と比べ手続き上問題が多い。厳密に証拠で立証しなくても事件を起こしたことにされてしまう可能性がある。しかも、刑務所では無期刑以外は刑期が決まっているにもかかわらず、医療観察法の入院は期間が決まっていない。さらに、法律が変わる前の事件で裁判を受けさせられるとか、刑事裁判が終わったのに同じ事件でもう一度審判を受けさせられる等、近代刑法の一事不再理原則などに違反している。精神障害者のみにそうした処遇がなされており、権利条約上、明らかに問題がある。

【門川委員・福島オブザーバー】

裁判所の決定であったとしても、それは「精神障害を理由とした自由のはく奪」に他ならず、精神保健福祉法の各入院措置と同様の問題を抱えており、医療観察法に規定された要件も、「自由のはく奪」の根拠とはなりえないと考えられる。そもそも、裁判所は、無罪推定の原則から、有罪と断定できない限り国民を刑罰から守るために存在し、そのための裁判手続きがあるのにもかかわらず、そのような裁判手続きではない手続きによって、強制的な入院という明白な「自由のはく奪」を裁判所が「決定」するということは、司法の使命を放棄することに他ならないのではないかと考えられる。

【川﨑委員】

精神障がいを改善するということについては問題がないが、大きな問題は「これに伴って同様の行為を行うことなく」というところである。いわゆる再犯の防止を言っているのだと思われるが、再び同様の行為をしないということを予測できるのか不明確である。不明確さをもったまま入院をさせるということは「自由のはく奪」に抵触すると考える。特に精神障がい者の再犯率は一般の場合と比べてきわめて低く、にもかかわらず再犯の可能性を入院の用件とすることはその根拠が何か、精神障がい者に対する偏った見方があると考えざるを得ない。

【北野委員】

A.医療観察法は、「自由を剥奪」するには、根拠が不明確で人権侵害。

R.「カエサルのものはカエサルに、神のものは神に」と同様、刑罰は刑法で、治療は一般医療法でを原則にすべし。

【佐藤委員】

一応法律に従って強制的に入院させるものではあるが、再犯の予測という非常に困難な判断を根拠とするものであり、権利条約に違反しているのではないかと思う。

入院指定医療機関の整備が遅れる中、対象者によっては相当な遠隔地での入院を余儀なくされている実態もあり、身近な地域で医療を受けることができず、社会復帰の阻害要因ともなっている状況は看過できない問題である。

【新谷委員】

結果に対する処分ではなく、可能性をもとにした処分ですので、自由はく奪の根拠とはなりえないと考えます。

【関口委員】

刑事的責任がある場合に何らかの制裁を定めているのが刑法であるが、心神喪失の場合は責任を問えないのであるからそれがたとえ医療であっても、制裁としての医療の強制は出来ない。よって、自由の剥奪の根拠にはなり得ない。ただし、心神耗弱の場合はこの限りではない。

入り口が刑法6罪種であるのに、精神障害者のみ特別な行政処分で対応するのは異別取り扱いであり差別である。刑法39条は、罰しない、もしくは刑を減じるのであるから、精神障害者にとっては特別刑法とでも言うべき医療観察法は他の者との平等に反し刑法違反である。科学的に立証もできない再犯予測に基づいた医療観察法による強制医療は、本来、人権の制約である制裁の濫用であるばかりか、自由な同意に基づかない構造上、もはや医療とは言えない。精神障害を根拠とした自由剥奪にほかならない。

障害者権利条約の禁止している障害を自由剥奪の根拠としていることとなる。

実際に観察法病棟に入院していた人の意見を取り上げる。

自由の剥奪という意味で、措置、医療保護以上に医師の権限は大きい。

実態として、患者は「評価項目」で縛られ、如何に良い評価を受けるかが行動原理となる。「評価項目」とは入院患者をいつ解放するかを計る最大の物差し。これでいい点を取らないといつまでも入院しておかねばならない。病気を治すには苦しいことは苦しいと言うことが必要だが、そうすると入院の長期化をもたらすのではないかと患者がおそれることからそのようなことは述べないのが普通になっている。患者同士の会話でも「評価項目」のことは常に話題になっており、それが患者の行動原理になっている。そのことが入院の長期化を結果することはいうまでもなく、自殺や自殺未遂の原因ともなっている。「評価項目」は様々な職種の集まる会議で決められるようであるが、最大の権力を持っているのが医師であることは変わらない。

強制通院下では、社会復帰調整官がその医師の役割に取って代わる。いつでも入院させる権力を持っていることが反医療的な結果をもたらしている。

精神障害の改善を一方的・強権的な目的としている点では障害者権利条約17条のあるがままでいる権利の保護に反しており、上記に述べた様な拷問等虐待を構成しうる。

先に資料として提出した以下参照
08年7月28日
国連第63回総会への拷問及び他の残虐な、非人道的な又は品位を傷つける取り扱い又は、刑罰に関する、人権理事会特別報告官(Prof.Manfred Nowak)の報告

医療観察法は入院中は勿論通院処遇中も大きく人身の自由を制約するのであるから、不可避的に制裁の側面を持ち、さらには医者の言うことを聞かなければ、処遇は永久に続くという蓋然性から、憲法に保障された内心の自由を侵害するものである。

【竹下委員】

医療観察法そのものも憲法違反のおそれもある法律であり、ましてや障害のある人の権利条約に反する(少なくともその趣旨ないし精神に沿わない)法律であるから、速やかに廃止または抜本的な改正が行われるべきである。なぜならば、裁判所の関与によって司法的歯止めが設けられているとはいえ、その実質は「社会予防」の見地に立った入院決定であり、医療的決定とは言えないし、現在までの運用においても(あるいは裁判においても)、入院決定そのものが不合理と思われる結果を多数に招来しているからである。

【堂本委員】

(結論)「自由のはく奪」の可能性がある。

(意見)日本の精神科医は、精神福祉法に謳われている「自傷他害」を拡大して判断して患者の処遇を決めているきらいがある。もちろん一部の医師かもしれないが、不登校の子どもたちが一カ月以上も保護室に収容されたり、癲癇の患者さんが強制入院させられる現場を目撃したりしたので、こうした判断基準には疑問を抱かざるを得ない。多くの良心的な医師にも出会い、地域医療の実践も見てはきたが、医師にだけ判断を任せる法の規定は、人権侵害に直結するものと考え、改善すべきと考えている。

民主社会では、①患者には治療を拒否する権利がある。それと同時に、②医療者側には、患者を見捨てない義務がある。この相容れないテーゼの狭間に「強制治療」はある。そして、どちらのテーゼに近い立場をとるかによって、強制治療の性格は大きく変わる。

イタリアの精神科医は、「自傷他害」を判断基準にしての強制治療ができない。違法である。1978年にできたイタリア精神衛生法(180号法)では、自傷他害のおそれを判断基準にした強制治療のことなど、一言もうたっていないのである。

【中西委員】

「自由のはく奪」の根拠となりえない。

精神障害者を閉じ込める事は治療にはつながらない。彼らを社会の敵と見るのではなく、社会の被害者とみて、すべての国民が精神障害者の支援をしなければならない。精神障害者の医療観察法は即刻廃止すべきである。

【長瀬委員】

障害者の権利条約第14条に基づいて、なりえない。

【久松委員】

医療観察法の上記の要件は、「自由のはく奪」である。

【松井委員】

「精神障害」と「重大な他害行為」などとの固有の関連性に関する確立した医学的知見は存在しないとされることと、「精神障害」を改善すれば、「重大な他害行為」などを反復しないという将来予測は困難とされることから、医療観察法の妥当性について疑問を提起する関係者が少なくない。そうした事情を考えれば、提示された要件で「自由をはく奪」することにはきわめて慎重であることが求められる。

精神障害者に対する強制医療介入

障害者の権利条約第17条について、政府仮訳では「すべての障害者は、他の者と平等に、その心身が健全であることを尊重される権利を有する。」と訳されているが、川島長瀬仮訳では「障害のあるすべての人は、他の者との平等を基礎として、その身体的及び精神的なインテグリティ〔不可侵性〕を尊重される権利を有する。」となっており、また、同条約25条では「情報に基づく自由な同意を基礎とした医療(政府仮訳)」という点が上げられている。かかる点から

1、精神保健福祉法における強制医療介入

精神保健福祉法において規定されている強制入院に伴う治療に関しては、他の疾患との平等を基礎として、患者本人の生命を守るために緊急医療が必要とされる場合など、医療一般について強制的な介入が必要な場合と同様に解し、精神障害を理由とした特別な強制的医療制度を設けることを見直すべきか、否か、ご意見を賜りたい。

【大谷委員】

精神保健福祉法には強制的治療を明文で認める規定はないが、実際には強制入院や隔離・拘束中の者に対して、本人の同意に基づかない治療行為が行われる実情がある。

もともと、一般医療においても認知症や知的障害のある人などについてどのようにインフォームドコンセントをとるべきか、また、その例外として代行決定が必要な場合にどのような要件で進めるべきかについては統一的な定めはない。従って、本人の意思に基づかない医療が必要な場合とその場合の要件については他の者との平等性を基礎として総合的に定めるべきである。

【大濱委員】

見直すべき。

本人にとって生命に危急の事態でない限り、本人を主体とした自己決定は、常に優先されなければならない。

【尾上委員】

基本的には、実質的に精神障害に特化した現行の特別な強制医療制度は見直すべきである。

精神障害における緊急時の入院については、基本的には医療一般の強制介入と同じ要件とし、当該精神障害に必要な配慮を手厚く行うことを基本に制度を改善すべきである。入院後の支援体制や退院促進の制度の整備、生活支援などを総合的に行うことが必要である。

【門川委員・福島オブザーバー】

精神疾患について緊急医療が必要な場合とは、医療一般について強制的な介入が必要な場合と同様に解するべきであって、現行の、精神保健福祉法に基づく、「精神障害を理由とした特別な強制的医療制度」は見直すべきである。

【川﨑委員】

この問題は、精神疾患の予防や保健も含めた、精神科医療のあり方に深く関係すると考える。家族に治療を受けさせる義務を課すという、医療の家族依存の状況、また入院中心で地域医療の育っていない現在の精神科医療の体制では、治療の中断や未治療等による急激な病状の悪化によって、強制的な医療を必要とする場合も少なからず起こる。したがって、精神科医療のあり方について根本から見直すことが大切であり、十分な対策がとられてもなお、精神疾患特有の強制入院の制度が必要になるのかどうか議論すべきであると考える。

【佐藤委員】

否。現在のわが国の精神疾患に関する普及啓発状況、疾患への理解度、精神科医療へのアクセスの現状、翻せば精神科医療機関の地域偏在、精神保健福祉の予防相談支援体制の貧しさ等に鑑み、情報に基づく自由な同意を基礎とした医療を受けることを考えられないほどに病状悪化が進んでしまっているような場合に、精神障害を理由とした一時的な緊急の強制的医療制度が不可欠な状況は存在するのではないかと考える。ただし、あらゆる代替選択肢を検討した上での最終選択としての強制的医療提供であるべきと考える。

「医療一般について強制的な介入が必要な場合」とは、交通事故などで意識不明となっており、すぐに手術をしないと生命が危険、などというときに本人の同意を得ずに医療を行う場合であろうが、精神障害者の場合のいわゆる「自傷他害」のおそれは、本人に意識があり自分の行為の結果も理解している場合も多いので、一般的な場合と同等に扱うことはできないと思われる。

【新谷委員】

精神における医療も一般医療と異なるところはありませんので、緊急医療の一般原則に従うべきと考えます。

【関口委員】

医療必要性の観点及び他の者との平等の見地から、見直すべきである。

【竹下委員】

急性期において、精神的障害のある人に対し、措置入院をやむを得なく実施する場合において、急性期の精神障害に対する治療に関しては、強制医療が実施されることは必要と考える。急性期において、治療行為を行うか否かや医療的行為の内容を本人の意思によって決定することは困難だからである。

【堂本委員】

(結論)人権擁護を基本としたシステムが必要である。

(意見)強制的な医療制度を新たに設けるべきではない。何より、患者・医療者を対等な関係に近づけること、病気に焦点を当てるのではなく患者の人生全てに焦点を当てることが求められる。

【中西委員】

特別な強制的医療制度を設けることを見直すべきである。

強制入院制度はいかなる場合においても廃止すべきである。本人が他害的になるのは、周囲が敵対的に対応した場合のみであり、そのような状況を生み出さない社会を作り出すことに努力すべきであり、排除は何の役にも立たない。

【長瀬委員】

見直しが必要である。精神障害者だけに異なる基準を認めることは、障害者の権利条約第17条さらに第3条との関連で問題がある。

【久松委員】

精神障害を理由とした特別な強制的医療制度を見直すべきである。

【松井委員】

精神医療についても、医療一般の強制介入が必要な場合と同様の取扱いであるべきで、精神障害を理由とした特別の制度は、見直すべきと思われる。

2、医療観察法における強制医療介入

いわゆる医療観察法第42条により「医療を受けさせるために入院をさせる旨の決定を受けたもの」は、第43条により「入院による医療を受けなければならない」とされ、治療を受ける義務が課せられるが、これは、障害者の権利条約に違反するか、否か、ご意見を賜りたい。

【大谷委員】

前記91年の国連原則では、インフォームドコンセントの例外を定めているが、医療観察法は、その対象者には本人の病状や能力の状態を問うことなく画一的に「治療を受ける義務」を課している。これは、91年国連原則からも許されない。

障害者権利条約17条はインテグリティーを保障しており、それは、障害のある人が自らの障害についてその意思に反して強制的に治療をされないことを保障している。これは障害のある人のアイデンティティにかかわる極めて重要な規定である。精神障害は危険なものであり、社会にとって望ましくないものであり、治療さるべきものであり、消去さるべきものである、という非障害者の主流的な価値観に対して、障害のある人が障害を持った自己のアイデンティティと価値を守ることがこの規定の意義である。健康に関する25条がインフォームドコンセントを定めていることに加えて、17条はとくに障害のある人に対する強制的医療介入を厳しく禁止している。この点からみて、画一的に治療義務を課す規定は、極めて差別的であり、精神障害のある人に対する蔑視を感じさせる。

障害者権利条約12条の法的能力の平等性の限られた例外として、自己支援が尽くされても自己決定を引き出すことが困難である場合や自己決定支援を尽くすだけの時間的いとまのない緊急な場合に本人の意思に基づかない介入が認められる可能はあるが、それは、他の者と同じ条件で認めるべきものであり、精神障害のある人にだけ特別な医療介入は認めるべきではない。

【大濱委員】

障害者の権利条約に違反する。

科刑を執行するため、「医療を受けさせるために入院をさせる旨の決定を受けたもの」だとしても、一般の受刑者同様の人権は、障がい者だから治療を受ける権利が阻害されるようなことは許されない。

【尾上委員】

医療的ケアを受ける場合の「十分な説明に基づく自由な同意」に基く医療の提供を締約国に求めている権利条約第25条(d)に明らかに違反している。

【門川委員・福島オブザーバー】

障害者権利条約は、障害の存在を理由とした自由のはく奪を禁じており、入院による医療を強制することは明白に自由のはく奪にあたることから、治療を受ける義務を課すことは、障害者権利条約に違反すると考えられる。

なお、医療観察法において「医療」についての定義がないことから、医療法における「医療」とは医療観察法における「医療」とは異なるものだとは考えられない。すなわち、医療観察法におけるような「受ける義務としての医療」は、個人の自由をはく奪し、個人の尊厳を冒涜するものであるから、そのような医療は、医療法における「医療は個人の尊厳の保持を旨とする」との規定とも矛盾しており、容認できないと考えられる。

(参考:医療法第一条の二)

第一条の二 医療は、生命の尊重と個人の尊厳の保持を旨とし、医師、歯科医師、薬剤師、看護師その他の医療の担い手と医療を受ける者との信頼関係に基づき、及び医療を受ける者の心身の状況に応じて行われるとともに、その内容は、単に治療のみならず、疾病の予防のための措置及びリハビリテーションを含む良質かつ適切なものでなければならない。

【川﨑委員】

精神疾患が原因となって重大な犯罪を犯したのであれば、医療を受け病状が改善するようにしなければならないが、医療観察法は再犯の恐れを用件としている。まずは「医療観察法」そのものを見直し、再検討すべきではないか。再犯の恐れを強制入院の用件とするならば、障害者の権利条約に違反する。治療を受ける義務については違反しないと考えるが、入院による医療を受けなければならないかについては議論が必要。

【佐藤委員】

治療を受ける義務が課せられることについては、そもそも刑法39条の心神喪失及び心神耗弱に関する規定及びその運用実態に妥当性があるか否かの議論から始める必要がある。また、同じく精神障害を有しながら責任能力があると判断された場合には、刑事施設において適切な医療を受けることが十分に保障されていない問題も合わせて検討されるべき事項であると考える。司法精神科医療と刑事司法との双方向性が保障されるべきと考える。

【新谷委員】

医療観察法42条が障害者権利条約に違反していると考えられますので、強制医療介入も条約違反と考えます。

【関口委員】

違反する。

治療義務は強制であり、前文の趣旨、1条の目的に反しているばかりか、3条a)b)e)の原則を犯し、5条、12条、13条、14条、15条に反し、さらには、当該精神障害者の自殺者を出していることに照らすと16条にも反している恐れがあり、17条、25条d)に違反し、ひいては19条に保障される権利を侵害している。施設の中に人身の自由がないばかりか、医者の権力が絶対であり、それに逆らえない法構造となっているのはそれだけで虐待につながるうる。通院処遇中も同様であり、社会復帰調整官の顔色を窺わなければならない。

すなわち、精神障害の改善を目的といている点では障害者権利条約17条のあるがままでいる権利の保護に反しており、拷問等虐待を構成しうる。

先に資料として提出した以下参照
08年7月28日
国連第63回総会への拷問及び他の残虐な、非人道的な又は品位を傷つける取り扱い又は、刑罰に関する、人権理事会特別報告官(Prof.Manfred Nowak)の報告

【竹下委員】

精神障害者に対する強制入院の3で指摘したように、医療観察法そのものを廃止ないし抜本的改正すべきであり、入院決定や強制医療介入は違憲であり、条約違反である。少なくとも、医療観察法の下で、裁判による急性期の治療という状況は考えられない。

【堂本委員】

(意見)「必要な医療を受ける権利」とも考えられる。ただし、裁判によって事件発生時の判断能力について厳密な判断が求められる。治療優先処分があってよい。その場合には、初期治療後判断能力の回復に伴い、治療を受ける権利と共に事件についての責任を伴う裁判を受ける権利行使についての自己決定、選択もあるように考えられないか。

【中西委員】

障害者の権利条約に違反する。

現在の精神医療制度は治療には役立っていない。精神医療の考え方を根本的に変えなければ、精神障害者の権利は守られない。権利条約に違反する強制医療介入は行ってはならない。

【長瀬委員】

違反の可能性がある。障害者の権利条約交渉の過程で強制的医療介入への深刻な疑念が提示された経緯を踏まえ、強制的医療介入が必要な医療サービスからユーザーをかえって遠ざけてしまうことがないようにすべきである。

【久松委員】

医療観察法における強制医療介入は障害者権利条約に違反すると考える。

【松井委員】

「精神障害」を改善すれば「重大な他害行為」などは反復しないということが前提されているが、そもそも「精神障害」と「重大な他害行為」などとの間に固有の関連性に関する確立した医学的知見は存在しないとされることからも、入院による治療を義務づける(強制する)ことには慎重であるべきである。障害者の権利条約に明確に違反するとまではいえないにしても、同条約の趣旨からも慎重さを求められよう。

医療サービスにおける差別的取り扱い

障害者の権利条約第25条は「締約国は、障害者が障害を理由とする差別なしに到達可能な最高水準の健康を享受する権利を有することを認める(政府仮訳)。」と規定し、締約国は、特に、次のことを行うとして「障害者に対して他の者に提供されるものと同一の範囲、質及び水準の無償の又は妥当な(「負担可能な費用の」川島長瀬訳)保健及び保健計画(性及び生殖に係る健康並びに住民のための公衆衛生計画の分野を含む。)を提供すること(政府仮訳)。」としている。かかる観点から、

1、精神医療の供給体制

日本では、医師数、看護師数を一般医療よりも少なくてよいとするいわゆる精神科特例は一部是正されたが、多くの単科民間病院では依然として許容されている。これは精神医療サービスにおいて、「他の者に提供されるものと同一の範囲、質及び水準」を提供したと言えるか、否か、ご意見を賜りたい。

【大谷委員】

精神科病床の9割はいまだに医師・看護師数の配置を一般病床より少なくてよいとされたままである。しかし、精神障害の治療や支援に他の疾患よりも人手が少なくてよいとする理由はまったくなく、むしろ、充実したマンパワーが必要である。こうした劣等処遇ともいうべき体制は差別的である。

また、2006年の調査では全国の精神科病院で1日に隔離・拘束の行われた件数は1万4500件に及んでいる。こうした状況の原因の一つは、マンパワー不足から生じている。

人員配置の差別性は、それ自体問題であるが、さらに、人権侵害の温床ともなっている。

【大濱委員】

「他の者に提供されるものと同一の範囲、質及び水準」を提供したと言えない。

診療報酬が診療・検査・投薬で構成されていることを肯定するとして、人的評価が低い中で、診療(診察やカウンセリング)は、病院経営上他科と比較すると経営にマイナスであるということで、医師数、看護師数を一般医療よりも少なく配置しています。マンパワーを必要とする「科」の人的配置を可能にし、患者本人が必要な時必要なだけできるだけ負担能力時応じた質の高い医療受けられる「機会均等」を図るよう制度の改革を推進してください。

【尾上委員】

精神医療の供給体制は差別的であり、他の一般医療と「同一の範囲、質及び水準」を提供してはいない。

精神科特例に関しては、「医療法施行規則の一部を改正する省令」(平成13年厚生労働省令第8号)によって、精神病院に係る看護職員の配置基準が見直されたものの、看護師・准看護師の配置は5:1、看護補助者との合計で4:1でも可である旨の経過措置は「当分の間」のものとして、未だなお存続している。これは精神科への低い看護配置基準の実質的温存である、と言える。また、周知の通り、日本はOECD諸国の中で対人口比の精神科病床数や平均在院日数は3倍以上であり、差別的取り扱いである、と言える。この病床数の多さ、平均在院日数の長さの背景には、地域精神医療(コミュニティメンタルヘルス)の貧弱さも指摘されている。さらには、諸外国に比べて政策転換が進みにくい背景として、歴史的に日本の精神医療は民間医療機関への依存率が高く、国が当該分野への関与に関して消極的であった点も看過することは出来ない。

そのため、精神医療の供給体制に関しては抜本的な見直しが求められる。社会的入院の項目とも重複するが、国は大規模な病床数削減や、地域精神医療政策への誘導政策を時限立法として提起すると共に、削減対象にならない病床に関しては一般医療と同等の医師・看護師・薬剤師等の配置基準とすることが求められる。また、この再編時には公的病床の適正配置や精神病床配置計画の見直し等も合わせて検討されるべきである。

【門川委員・福島オブザーバー】

精神科病院において医師数及び看護師数が一般病院よりも少なくてよいことがどのようにして根拠づけられるのか、全くもって疑問である。一般医療とは別枠に精神科医療が位置づけられることが仮に許容されるとしても、それは精神科医療について、一般医療よりも「手厚い」医療が提供される場合に限られるものであって、現状では、「他のものに提供されるものと同一の範囲、質及び水準」を提供しているとは言えないと考える。

【川﨑委員】

同一の範囲、質および水準を提供したとは全く言えない。精神科医療が、これといった治療法もなく、病院の中で療養をするのみであったころの考え方が、現在においても形として残っている。積極的治療を行い、早期に症状を改善して退院するという現在の精神科医療に精神科特例は、精神科医療の質を大きく低下させている。直ちになくすべきである。

【北野委員】

A.精神科特例がいまだ実態として残っていることは大きな問題。

R.精神科特例を明確に廃止し、基本的に精神科医療を総合病院の1つの科にすべし。精神科特例が、長期間収容やベット数の肥大化の一因である。いやしくも、治療を目的とする病院と名のつくところの平均在院日数が、1年以上の373日(平成14年)という数字は、諸外国の平均30日と比べて、いかにも異常である。

【佐藤委員】

否。実質的に残っている精神科特例を即刻撤廃すべき(解消すべき)。質や水準の差別に加えて、劣悪なマンパワー等により、入院の長期化や病状の改善が図られないことによっても治らない病気とか退院できないなどの社会的な見方が生まれ、偏見や差別を助長していることも認識すべき。

同時に、精神医療(費)を改善し精神科病院に投入される資金が増えることになるが、こんどはその資金を維持するために患者の退院をさせたくないという経営圧力がさらに強化されるおそれがある。これまで患者を退院させると収入が減り、職員を解雇しなければならないので、患者を退院させられないといわれてきた。

したがって精神科特例の廃止・改善は、経営の観点と社会的入院患者の退院とを切り離す制度、つまり客観的な判断による入院継続の必要性があるかどうか、本人の退院の希望があるかどうか、などの観点から退院支援がなされる制度の確立とあいまってなされる必要があろう。

【新谷委員】

精神医療も一般医療と異なるところはありませんので、精神科特例は求められません。一方、医療分野ごとの診療基準はその特殊性に従って合理的に決定すべきと考えます。

【関口委員】

否。とうてい言えない。精神科医療の9割を民間病院に依存している現状について是正されるべきである。総合病院での精神科病床での総合的医療ケアの充実確保は必須である。向精神薬のほとんどが劇薬指定であり、身体的ケアと不可分であるにもかかわらず、精神化単科病院ではその点ケアが事実上不可能であり、数多くの薬害で入院者及び通院者が命を落としている。

また、精神科病床のほとんどがが閉鎖病棟である事は、入院者の品位を貶め極度の精神的苦痛を将来にわたっても与える事は問題である。以上により精神科医療サービスを必要とする者に、その必要を求むるよりも嫌悪を抱かせる結果となっている。

【竹下委員】

精神保健福祉法は速やかに廃止されるべきであるし、社会的入院を前提とする精神病棟も直ちに廃止すべきである。

精神的障害のある人に対する医療は、それが入院治療であれ、通院治療であれ、人権保障の見地に立ち、かつ最高水準の医療が保障されなければならないことは、憲法13条、14条、25条などからして当然の帰結であり、現在の精神医療サービスは条約違反に該当することは明白である。現在の精神医療サービスは、明らかに不平等な区別であり(条約2条違反)、適正な医療保障とは言えない(条約25条違反)。

【堂本委員】

(結論)精神科特例は直ちに廃止すべきである。

(意見)言語道断。精神科特例は社会的入院を増大させている要因のひとつであり、即刻撤廃すべきである。質や水準の差別に加えて、劣悪なマンパワー等により、入院の長期化や病状の改善が図られないことによっても治らない病気とか退院できないなどの社会的な見方が生まれ、偏見や差別を助長していることも認識すべきである。

【中西委員】

提供したと言えない。

医師数、看護師数については一般の病院の基準以上を必要とする。イタリアの精神病院の基準では看護師は入院患者と同数とするようになっている。

【長瀬委員】

言えない。民間の精神病院では依然として低水準の医療が許容されているため、障害者の権利条約第25条が求めている水準に達していない。

【久松委員】

多くの単科民間病院では依然として許容しているのは、精神医療サービスにおいて、「他の者に提供されるものと同一の範囲、質及び水準」を提供していないと考える。

【松井委員】

精神医療も一般医療と「同一の範囲、質及び水準」にすべきである。そのためには、精神医療を一般医療の一部と位置づけることが求められる。

【森委員】

精神科特例により、医療体制が不十分なままであることに関しては、障害者権利条約第25条との関係性から大きな問題であると考えられ、直ちにその是正が求められる。現今のストレス社会という状況を考えると、精神疾患の予防と治療に関しては、十分な体制整備が必須である。

2、一般病院への入院体制

前述のように、一般の医療を規定する医療法では、精神病患者を精神病室でない病室に入院させない(医療法施行規則第10条)とされているため、精神障害者は一般医療のサービスを享受できない結果を生じているが、これも「他の者に提供されるものと同一の範囲、質及び水準」を提供したと言えるか、否か。また、障害者の権利条約2条の差別の定義である「障害を理由とするあらゆる区別、排除又は制限」に該当するか、否か、ご意見を賜りたい。

【大谷委員】

精神障害のある人が身体疾患を合併した場合、身体疾患について適時に適切な治療を受けらない場合を生じ、生命にかかわる重大問題を生じている。このような差別的取り扱いはただちに改めるべきである。

同条項の趣旨を、精神障害である者が不適切な施設に収容されることを避けることにあるとすれば、目的において差別性はなく効果において差別を生じるので間接差別となりうるが、実際には、精神障害のある人が他の患者に迷惑をかけることを危惧して運用されていることもうかがえ、直接差別と見ることも可能である。

【大濱委員】

「他の者に提供されるものと同一の範囲、質及び水準」を提供したと言えない。

「障害を理由とするあらゆる区別、排除又は制限」に該当する。

一般の医療の中に精神医療も包括すべきで、本来二つあることで片方を下に位置付け、更にコストカットのため診療報酬・人的配置の抑制を図ることで、患者本人に不本意な医療が行われることのないよう、医療制度の抜本的な改革すべきです。医療受ける権利を全ての人に保障した上で、更に回復が困難な障がい者医療や難病患者への高度な医療技術の研究開発を国家プロジェクトとしてバックアップすべきです。患者数が少数であるとその分野の医療や治療薬の研究開発への投資が行われません、経済的に困難な先進医療に国は積極的に資金提供をするべきです。

(条約25条については、精神障害者以外にも同様の問題がある。巻末の「その他」参照)

【尾上委員】

医療法施行規則第10条を根拠に、身体症状との合併症を抱える多くの精神障害者が一般医療サービスを享受出来て居ない現状があり、この施行規則は「他の者に提供されるものと同一の範囲、質及び水準」を提供したと言えず、この実態は「障害を理由とするあらゆる区別、排除又は制限」に該当する。

上記の精神保健福祉法の解体と医療法への統合・再編の際に、この差別事項の廃止も必要不可欠である。

【門川委員・福島オブザーバー】

既に述べた通り、精神病患者が精神病以外の病気や怪我等を理由に入院を要する事態が生じたときに、一般医療のサービスを享受できないということが事実であれば、これは、障害者の権利条約第二条にある差別の定義に該当し、障害者の権利条約に違反することになると考えられる。

【川﨑委員】

障害を理由とする排除に該当する。この医療法の規定は廃止すべきである。

ただし、規定をなくしても、一般医療の中に精神疾患、精神障がい者に対する根強い偏見があり、精神障がい者を排除する結果に結びついている。一般医療の中の精神疾患、精神障がいに対するあらゆる誤解、偏見をなくす努力がなされるべきである。

【佐藤委員】

差別的である。現場では「精神科の患者は診療しない」と他科で言われることは日常茶飯事といわれる。

また、精神病患者個々の特性に配慮した十分な情報提供がないまま、自己主張などが弱いことなどと相まって積極的治療を施されない場合もある。

なお、障害者権利条約2条は「障害を理由とするあらゆる区別、排除又は制限」=「差別」とは言っていないので、注意深い引用が必要と思われる。

【新谷委員】

精神医療を一般医療と特別に区別、分離する合理的理由はないので、医療法施行規則第10条の規定は差別に該当すると考えます。

【関口委員】

該当する。

生命にかかわる事態であっても治療拒否される事件があり、宮崎県での精神障害者への透析拒否による死亡事件もあった。これについては弁護士会も勧告を出している。

東京で39回拒否されたのは、呼吸器系の病気で自宅で動けなくなった60代の女性。精神疾患もあると伝えたところ、「専門外」などと次々に断られたという。2010/03/18 21:14 【共同通信】

【竹下委員】

医療法施行規則第10条は極めて不当な規定であり、直ちに廃止すべきである。

精神的障害のある人を一般病棟から排除するという差別的行為を規則という政省令で規定していることは、法律によらずに精神的障害のある人に対する権利を制限ないし侵害している点で違憲違法であるし、内容的にも精神的障害のある人から適正な医療給付を奪う結果となっているから不合理な区別であり、条約2条、25条などにも反するものである。

【堂本委員】

(結論)前者は否。後者は該当する。医療法施行規則第10条を廃止することが最優先事項である。

(結論)この法律はすでに形骸化しており、精神障がい者であっても一般科の疾患となれば一般病床に入院し治療を受けている。加えて精神科治療も同時に受けており、この実態を医療法違反とするのであれば早急に全ての一般入院病床に入院している精神障がい者を退院させるべきであるが、何故その執行はなされていないのか。医療法上の違反を摘発しないで要る理由は何か。矛盾する現状改善は喫緊の課題である。形骸化している一方で、現実には「精神科の患者は診療しない」と他科で言われることは日常茶飯事であり、精神障がい者対しての人権侵害である。

【中西委員】

提供したと言えないし、該当しない。

精神障害者も一般病院に入院できるようにすべきである。

【久松委員】

「他の者に提供されるものと同一の範囲、質及び水準」を提供したと言えないと考える。

また、障害者権利条約第2条の差別の定義である「障害を理由とするあらゆる区別、排除又は制限」に該当すると考える。

【松井委員】

精神医療以外の内科や外科治療などを必要とする精神障害者については、一般医療サービスを利用できるようにすべきである。精神病患者を精神病室でない病室に入院させないという、現行の医療法施行規則第10条は、障害を理由とする差別に該当すると思われる。

【森委員】

医療法施行規則第10条は、明らかに障害者権利条約第25条との関係性から大きな問題があることのみならず、同条約第2条の差別にもあたると考えられる。一般医療の現場においても、精神障害並びに精神障害者に対する理解の促進と関わりの技術の向上を図り、一般の医療施設内でのサービスを実現できるようにすべきと考えられる。

社会的入院

精神病院の入院患者のうち7万人ほどが社会的入院であるとされているが、治療の必要性がないにかかわらず、医療の分野で生活を送らざるを得ないことに関して、どう考えるか、ご意見を賜りたい。

【大久保委員】

地域において福祉的支援体制が確保されれば、地域生活移行が可能な人たちがいるものと考える。

そのためには、サービス基盤の整備と障害特性に応じた専門的性を有した人材確保並びに医療との連携も必要と考える。

【大谷委員】

社会的入院者は、地域での生活のための合理的配慮をすれば退院できる者であるから、必要な合理的配慮を行わずに入院を継続させることは差別になるというべきである。

社会的入院の問題は指摘されて久しく、2005年に厚生労働省は、72000人の社会的入院者を10年以内に解消するとしたが、5年経過した現在でもその数はほとんど変わっていない点は重大な問題である。

【大濱委員】

社会的入院に限らず、精神病院での長期入院はすべて禁止にすべきである。そのために、地域でのサービス・受け皿を整備すべき。

(ヘルパー制度・アパート探し支援や保証人支援・24時間相談・医療連携など)

(精神障害者以外にも同様の問題がある。巻末の「その他」参照)

【尾上委員】

社会的入院は、ハンセン氏病患者への隔離政策同様、国による隔離収容政策の温存と代替案の放置であり、「社会的入院は人権侵害である」という認識に基づいて、国家による謝罪、および大規模な地域移行施策が実施されるべきである。そのため、当推進会議でも、特別のプロジェクトチームを設けて、検討が進められるべきである。

その際、以下の論点について特に留意する必要がある。

・数値目標の大規模な見直し

現在、精神障害者の地域移行政策の数値目標として72000床が一般に知れ渡っている。だが、この数値目標は、以下の理由で大変低い可能性がある。

この数値目標の根拠は平成15年から16年にかけて開かれた「精神病棟等に関する検討会」での議論に基づいている。この際の大きな論拠になっているのが、日本精神科病院協会が平成14年に行った「日精協マスタープラン調査」である。だが同調査は医師による医学的判断に基づいているだけでなく、その調査母体が病院経営者によって構成されている団体であり、公平中立な調査とは言えない。一方、同協会が平成15年に厚生労働省から受託し、他団体や研究者も加わって行われた「精神障害者社会復帰サービスニーズ等調査検討会」においては、全体の58.8%の患者が遅くとも6ヶ月以内に退院出来る、という調査結果が出ている。これは35万床の内、20万床強の削減可能性を示す数値だが、何故か同結果は厚生労働省のHPからも削除され、検討会の最終報告の中でも言及されていない。また、同調査では医師だけでなく本人にもニーズを聞き取っているが、その中では全体の54%の患者が半年以内の退院を希望している。

よって、上記の「精神障害者社会復帰サービスニーズ等調査検討会」の調査結果に基づいた、大規模な地域移行の数値目標の設定と、そのための時限立法などの政策誘導が求められる。

・第三者によるニーズ調査と、退院を見据えた治療計画の作成

上記に関して、全入院患者に対して、病院関係者以外の第三者によるニーズ調査が行われるべきである。また、病棟においては「社会的入院」の状況を解消し、退院して地域での生活に戻っていくことを見据えた治療計画がたてられ、それに基づく治療や福祉サービスを受ける権利が実質的に保障されるような個別の支援システムの確立も必須である。

・地域移行の時限立法

現在、自立支援法下で行われている精神障害者地域移行支援特別対策事業は、72000人の平成23年度までの地域移行という「低い」数値目標にもかかわらず、達成は不可能である、と言われている。その理由として、「主治医の推薦」問題と「住宅の確保」、及び「地域精神医療システムの薄さ」の三点が大きなネックになっている、と言われている。一つ目の「主治医」問題に関しては、9割の病床を民間の精神科医療機関に依存している日本において、患者数の削減は民間病院の経営問題に直結する論点であるため、なかなか対象者を出さない、という理由が考えられる。だが、この部分は民間病院側だけにあるのではなく、これまで精神科医療において国の主導的役割を放置し、民間医療機関に依存してきた国自身の責任でもある。

そこで、「地域精神医療システム」や地域での生活支援体制の構築のためにも、また20万床規模の病床削減のためにも、国は積極的に入院中心の精神医療システムから地域精神医療システムへの転換を促し、人的資源と財源を地域精神医療や地域生活支援活動に再配分するための、地域移行に関する時限立法の制定を早急に検討すべきである。またこの際には、保証人や身よりのいない多くの長期入院患者のためにも、地域での住まいの確保やホームヘルプ等の福祉分野の生活支援施策の導入、またそれを可能にする「本人中心の地域移行・個別支援計画」の作成等も必須となるであろう。

さらに、精神障害者地域移行支援特別対策事業の成果として、精神障害者の地域移行を進める上での現場での大きな原動力ともなっているピアサポーターや自立支援員の専門性と役割を認め、公的な位置づけの格上げと身分保障も必要不可欠といえる。

【勝又委員】

社会的入院を余儀なくされている人は、生活者としての権利と機会を与えられない状況にあると思う。高齢者の社会的入院問題と同様、本人や家族の意思でたとえ入院を選んでいるとしても、それは、病院以外に生活の場が無いからであり本来の意味での「自由意思や選択」ではないと思う。

一方、治療の必要性が無い入院のために医療費を使っている状態は、社会保障財政にとって非効率的な状態だと思う。日本社会全体としてもこの非効率さを放置することはできない。

【門川委員・福島オブザーバー】

治療の必要性がないのであれば、当然、入院をする必要はない。それなのにもかかわらず入院生活を送らざるを得ないという事態は不適切である。

また、社会的入院という名前の通り、そうした入院状態にあることの責は本人にはなく、障害者の権利条約第19条の規定にのっとり、精神障害者が自立した生活を送り、地域社会に受け入れられるような支援を行うことが必要であると考える。

【川﨑委員】

社会的入院は早急に地域の受け皿を整えて解消すべきである。

社会的入院は、基本的に精神障がい者の治療と生活の責任を家族に任せ、依存し、病状悪化時も何らの支援もせず、結局入院を要するまで病状を進ませ、家族を疲弊させたことが大きな要因となっている。その状況は今も変わらず、病気の発症から治療の継続の経過中、家族や当事者は、短い診察時間のほか特別の援助もなく、特に症状悪化時の家族の孤軍奮闘は続いている。この状況を変えない限り、今後も社会的入院者を生む結果となる。何らかの精神変調が起こったときからの早期支援、治療経過中危機的状況になった時の危機介入、在宅を基本とした訪問医療など、地域医療の推進、家族支援の徹底など、新たな社会的入院者を作り出さない精神科医療体制の構築が必要である。

また精神障がい者が、家庭から自立できるような支援も必要である。家族の世話に依存せず、障がい者自身の生活を確立することが、在宅医療の基礎であり、社会的入院などと言う現象を生み出さない土壌を作ることとなると考える。

【北野委員】

A.社会的入院は、障害者権利条約第19条違反であり、差別に当たる。

R.いやしくも、治療を目的とする病院と名のつくところの平均在院日数が、1年以上の373日(平成14年)という数字は、諸外国の平均30日と比べて、いかにも異常である。仙波恒雄は平成16年の厚生労働科研費の報告書で、これは、厚生省の独特な計算式に問題があり、①機能分化した急性期病棟では、在院日数の平均値を、②機能分化されていない病院では、急性期と長期入院者が混在しているので、この長期在院者の影響を除くために、年間退院者の50%が退院した時点を中間値として、その時点の退院者の在院日数をもって平均在院日数とすることを提案している。それで計算すると平成14年度は373日ではなく65日となるとして、次のような研究評価を行っている。

「英国30日、米国14日、日本65日というふうに比較して初めて実質的な討論が可能となる。今までの373日という数値では不思議というほかなく、外国への説明責任も果たせない。日本はいったん入院させれば1年も入院させるのかという誤解さえ生むことになる。世界的傾向として急性期病棟の平均在院日数の目標値は約30~40日であろう。日本もそこまで短縮する努力をする必要がある。」

つまり、データを改竄しなくては、諸外国に相手にもしてもらえない「不思議というほかない」数値だというのだ。そして自ら種明かしをしてみせる。

「一方さらに日本では長期入院者の精神病院への在院していることが問題としてある。これは、入院医療中心の政策から大きく地域医療への移行という大きな別な命題として解決していかなければならない問題を抱えている。」

まさに、その通りであって、急性期医療としてあるべき精神病院の名を名乗った収容施設化(社会的入院)が、そこに混在してしまっているのである。

言うまでもないが、急性期医療(Acute Care)と、その後一生涯続く可能性がある長期ケア(Long Term Care)の違いが、わが国では、不明確にすぎる。

長期ケアとは、まさに本人の地域自立生活支援であり、そこでは、本人が、さまざまな支援を活かして、同じ性別・年齢の他の市民と同様の選択肢の中で、それぞれの固有の人生を、そのドラマの主人公として生きてゆくことになる。この両者の区分が不明確で、だらだらとした医療といつまでも続く病人扱いは、本人のみならず支援する側のエンパワーメントをも阻害する。そのためにも、本人のエンパワーメントを支援する当事者グループピアサポーターや、家族のエンパワーメントを支援する家族会ピアサポーターといったSHG(支え合う当事者の会)が、各種専門職に伍して、本人の支援に参加・参画してゆく体制が望まれる。本人とその家族の思いを真摯に受けとめる支援システムこそが、福祉・教育・医療・SHG等の支援者間の対等で効果的な支援を担保できよう。

【佐藤委員】

国の政策に基づいて、医療関係者のみならず国民も社会的入院を容認してきたという意味において国家的な人権侵害だと考える。しかし、入院患者個々人の入院の実態をつぶさに把握されているのか甚だ疑問である。社会的入院は早急に解消しなければならない。

任意入院患者においてすら4割以上が閉鎖処遇を受けている。また、病院において金銭管理をされている患者も多く存在し、病院の中で通常の地域生活とかけ離れた時間を過ごしている人も少なくない。生活保護を受給している入院患者の中には手帳も持たず障害者加算もなく、何十年も生活保護費の1日換算でわずか600~700円くらいの日用品費だけで「生活」している人も少なくない。

また、社会的入院者の中には、住み慣れた地域から遠くはなれた医療機関に入院を余儀なくされている人も多い。このことは明らかに権利条約に反している。

国が地域移行特別対策等に乗り出しているが、地道な取り組みは継続を要するし、ようやく全都道府県における取り組みには至ってきたが、未だ取り組みへの地域格差も大きく、また予算事業であるから取り組むといった問題ではなく、本来は人権上の問題であるという認識が大変重要であり、社会的入院者の多くの高齢化を考えるとき、喫緊の対応が求められている。

問題はどうこれを解消するかである。これまでの政権も社会的入院の解消は掲げてきた、目標数値も掲げ、地域資源の充実もある程度進めてきた。しかし思うように進んでいないので、方法を大きく変えるべきであろう。「福祉」のテーマでの「地域移行」で紹介した次の4点を含む取り組みを検討すべきである。

(1)市町村の責任で全員に地域移行の希望を聞くこと、(2)移行の意欲を育てる支援を提供、(3)市町村負担の平準化のための財政調整装置を、(4)本人の手元に残るお金の面で「動機をそぐ」現状の解消を。

【新谷委員】

精神障害者が市民的な社会生活を送るための生活基盤、環境整備などの課題を放置して、社会的入院を強制するのは私たちの人権意識、福祉レベルの後進性の象徴的な表れと感じます。

【関口委員】

重大な人権侵害、虐待である。社会的入院解消は、政治的課題としてではなく、人道上の問題に対する結果として、保障の対象とすべきである。そしてこの人権侵害は国の1960年代の精神病院増床政策によるものであり、国の失政に責任がある。社会的入院問題は、これまでの国による隔離・収容政策の結果であり、国として、事実の解明と謝罪を行うべきものである。

また社会的入院者は15万人というのが、これまでの自治体の精神病科院協会の見解である。

地域におけるグループホーム(数名規模)の増設やピアサポートをはじめ生活支援資源の拡充により社会的入院者は、病院の敷地内ではなく地域で生きてゆけるものと考える。

社会的入院の解消にはケアホームの絶対数が足らないと言う事がある。市区町だけにまかせずに国策として予算を組むべきである。プライバシーに配慮した、ケアホームの大幅増設が必要で民間が社会的入院対象にケアホームを作る時は助成措置をこうずべきだ。市県の公的アパートを解放しケアホームを市、県、に義務化しそこに社会的入院者を退院させる。現在の退院促進では効果は薄いのが実態で、長崎では3分の1の地域に出た人が病院に戻どっている現実がある。今の社会資源では不充分だ。ピアサポート研修費を担保する必要があり、ピアサポートを社会資源の中にきちんと位置づけて当事者にきちんと報酬を払うシステムを作り、社会的入院対策を根本から見直す事が必要である。病院から出すだけでなく、地域で定着する支援方策を考えて、そこに予算の重点を移す。

患者に退院にしか使えない退院準備金を支給して、その上で退院したいか否かで地域移行を実現すべきである。また、地域移行支援員の様な現行制度には多大な問題がある。多様な地域資源の拡充は必須であるが、福祉ではなく、人権の観点から、障害者、法律家、人権専門家、アドボケイト、その他依頼する患者が信頼できる者によって実現すべきである。

いたずらに、退院促進の予算を従事者側にのみ付けるのには断固反対する。

【竹下委員】

社会的入院が医療と言えないことはすでに指摘したとおりである。社会的入院が温存されていることは、福祉施設の整備や在宅生活における支援体制の不十分性から来ていることを考えれば、速やかに退院し、在宅生活に結びつけるためのシステムが構築されるべきである。その際、気をつけなければならないことは、機械的に退院させることは精神的障害のある人を見捨てることになりかねないということである。長年にわたり社会生活及び在宅での日常生活を奪われてきた事情からすれば、中間施設におけるリハビリテーションなどが必要であって、しかも在宅生活を可能にする支援体制とあわせて退院を進めるべきである。

【堂本委員】

(結論)社会的入院は一人たりともあってはならない。社会的入院は国策の誤りによる人権の侵害である。

(意見)社会的入院は早急に解消しないといけない。

任意入院患者においてすら4割以上が閉鎖処遇を受けている。また、病院において金銭管理をされている患者も多く存在し、医療の分野で「生活」ともいえない人生を過ごしている人も少なくない。

また、社会的入院者の多くは、住み慣れた地域から遠くはなれた医療機関に入院を余儀なくされている人も多く、明らかに権利条約に反している。

1954(昭和29)年の全国精神衛生実態調査では、精神障がい者の全国推定数130万人のうち要入院者は35万人で、当時の病床(約3万床)はその10分の1にも満たなかった。同時期に改正された精神衛生法では、非営利法人の設置する精神科病院の設置及び運営に要する経費の国庫補助規定を設けている。また、1958(昭和33)年の医療法では、「精神科特例」を導入して一般医療とも分けた。以後、精神科病院の設立ブームが起こったのは周知のとおりである。

結局、その後30年かけて、この要入院者35万人という社会防衛思想を基盤とした数字を、国策として追い求めてきた。こうして精神科病院をつくってきた負の歴史を清算しなければならない時である。

【中西委員】

地域ケア、ならびに個別相談支援体制の充実によって、精神病院の解体に着手すべきである。また精神病院には認知症の高齢者も多数入院している。彼らもすべて地域に戻すようにすべきである。日ごろから同居家族が疲労しないような体制をつくり、すべての障害において地域医療と、ヘルパーによる「見守り」や患者のためになるレスパイトサービスなど、多様なサービスを用意し普及することで、治療の必要がない人が社会的入院をしなくてもよいようにすることが重要である。

【長瀬委員】

地域の受け皿整備を前提に、「社会的入院」の早急な解消が重要である。現在、重点施策実施5か年計画で取り組みが進められている退院可能精神障害者の退院促進と地域移行の数値目標の達成がまず求められている。

【久松委員】

治療の必要性がないにかかわらず、医療の分野で生活を送らざるを得ない状況を強いられるのは、差別である。

【松井委員】

社会的入院の主な理由は、地域社会に退院者の受け皿となるグループホームやケアホームなどの住まいが整っていないことによる。したがって、社会的入院問題を解消するには、市町村障害者計画や市町村障害福祉計画などに基づき、地域に適切な受け皿となるグループホームやケアホームなどの住まいを計画的に整備することが求められる。そうした住まいを計画的に整備するためには、地域の住民の理解や協力が得られるよう、定期的な啓発活動などを実施することも必要である。

【森委員】

社会的入院に関しては、住所不定の生活保護受給者を含めて、速やかに改善すべきである。そのためには、長期入院により地域社会で生きるための力に乏しいと考えている患者本人に対するエンパワメントの向上と、地域社会における資源の開拓・開発など社会基盤の整備の確立とともに、地域における障害理解の促進などが必須である。そして、医療・保健・福祉・教育・労働などの関係機関の連携のもと、地域社会全体が精神障害者を受け入れ、ともに生活する場を創造する必要がある。地域移行の場の環境整備を十分に行わずして、社会的入院の解消の実現はきわめて困難である。

医療行為一般

医療行為の定義が不明確であるため、在宅で生活している重度の障害児・者が、家族の重い介護負担の下での生活を余儀なくされたり、社会参加を極度に制限されたりしている現状と対策についてどう考えるか、ご意見を賜りたい。

【大久保委員】

特に、医療的ケアの必要な人の支援にあたって、医療行為の定義や取り扱いが、地域生活を送る上で重要な課題となっている。

当然、障害者自身の安全の確保が優先されるべきであるが、過剰な規制や要件により、障害者自身の生活の幅や質を制限することになる。家族、支援者の医療的ケアについて、十分な検討が必要と考える。

【大谷委員】

現状はその通りである。医療が必要な者の人権を尊重し、誰からも差別されることなく、社会参加できるような支援が必要である。在宅で行えるケアは全て、医療行為ではなく「生活支援行為」として、すべての介護者や教職員が実施できるようにするなど、必要なケアを、「生活支援行為」として安全に実施できるように、介護者や教職員の公的な研修制度を確立する必要がある。

現行の自立支援法では医療行為を常時必要とする者が安全安心な地域生活を送るのに必要な体制になっていない。全国どこでも交渉なしに同じ仕組みで、十分な介護給付が行われる仕組みが必要である。

進行性疾患、呼吸器装着者、意思伝達に固有の方法を有する家族同居者・独居者への支援策を、早急に重点的に講じてほしい。大方が標準的な介護技術では対応できず、できるヘルパーも限られている。研修にも時間がかかる。相談支援に専門知識が求められる。1日につき24時間以上の介護力が必要である。また、コミュニケーション支援として、ヘルパーに対するコミュニケーション方法の研修、あらゆる種類の意思伝達装置が給付の対象になるようにする必要がある。特に、視線入力装置の給付を希望する人が増えている。

医療的ケアに関して、医療行為の範疇から外し、研修を前提に、生活支援行為の一環として関われるようにするべきである。

現在の医療的ケアの在り方は当事者の生活実態が全く直視されていない。早急にすべてのケアについて、家族だけで抱えなくてもよい体制整備が必要である。通常のケア・生活支援行為でなければ、一人ひとりが人間に値する生活を営むことができない。2003年以降ヘルパーによるたんの吸引が行われるようになり、医療資格の有る無しに関わらず日常関わっている人による介護が、当事者にとって一番安全で安心できる介護だと実証されてきている。むしろ、医療従事者のいる病院や施設でのトラブルが続発している。抜本的な解決策を策定が必要である。

さらに、医療的ケアは医療行為の範疇から出ておらず、関わるヘルパー事業所、ヘルパーが非常に少なく、また、子どもの場合、現在の自立支援法は子どもは親が見るべきと、多くの自治体で、ヘルパー時間数が出ない。子どもでも、必要なヘルパー時間数が出るようにするべきである。また、人工呼吸器使用の場合、24時間の支援が必要である。本人の安全確保のために、2人介助を基本に考えてほしい。

また、デイサービスを体調や予定変更で休むことになっても、居宅支援への急な変更が認められずヘルパーに来てもらえない状況がある。柔軟に対応できる、いつでも変更可能な支援の在り方が必要である。ここには、医療の問題だけではなく、在宅障害者の介護、看護の保障、ショート(短期)ステイやミドル(中期)ステイなどさまざまな形態のサービスが求められている。

【大濱委員】

「第十九条 自立した生活及び地域社会への包容この条約の締約国は、すべての障害者が他の者と平等の選択の機会をもって地域社会で生活する平等の権利を有することを認めるものとし、障害者が、この権利を完全に享受し、並びに地域社会に完全に包容され、及び参加することを容易にするための効果的かつ適当な措置をとる。この措置には、次のことを確保することによるものを含む。(a)障害者が、他の者との平等を基礎として、居住地を選択し、及びどこで誰と生活するかを選択する機会を有すること並びに特定の生活施設で生活する義務を負わないこと。」

医療行為が必要な重度障害者であっても、上記の規定(及び第25条規定)にのっとり地域社会での自立した生活を営むことができるようにすべきである。このような前提に立脚すると下記のような現実的な対応が不可欠となる。

1 吸引については、「医療行為だが一定の研修を行えばヘルパーがやってもいい」という整理になっているが、適切な吸引ができるための研修は医療機関での研修以外にもある。すでにその障害者にあった吸引方法を十分習得している(医療職よりうまくそれができる)と当該障害者から評価があるヘルパーが教える場合なども研修として認めるように通知を変えるべき。なお、何十年も前から1人暮らしの全身性障害者のヘルパーは障害者の指示でそのような方法で吸引を行ってきていた。近年、吸引についての通知が出たことで、このやり方が認められなくなり、吸引の必要な障害者は困っている。早急に緩和すべき。

また、現在の通知は吸引を身体介護として評価しないという整理になっており、通知前よりも後退している。吸引は身体介護として正式に認めるべきである。(1回のサービス中に1回3分の吸引を10回行うと合計30分が算定できなくなる問題を解決し、身体介護や重度訪問介護としてとして算定できるように。)

2 経管栄養や呼吸器操作や摘便など、法律にも通知等にも医療行為か否かの記述がないもの(いわゆるグレーゾーン)については、昔から、全国で1人暮らしの全身性障害者や長時間介護の必要な全身性障害者や難病などの介護をしているヘルパーがこれを行っている。

家族も習えば行えるようなこれらの行為は、法的には、「法律に記述がない以上、基本的にヘルパーが行うのも行わないのも自由(判例で医療行為とされている闇手術などを除く)」だが、行政や介護事業者や看護協会など各種団体が「医療行為なのでヘルパーはやってはいけない」と宣伝をする事を禁止すべきである。

また、同時に、今、これらの行為を行おうとしない全国のヘルパー事業所で良質なこれらのサービス(吸引も含む)が行われるように、これらの行為の研修を公的な予算で全国各地で実施すべきである(その際の参加交通費・参加するヘルパーの日当なども助成すべき)。ただし、すでに適切なサービス水準のこれらサービスを行うことのできる団体もあるので、行政の研修を絶対条件にはしないこと。要は、障害者自身が困らないようにという視点を1番に考えること。

3 いずれのサービスも、ヘルパー制度の支給決定が十分されると同時に必要な地域に必要な事業者なくては意味がない。これを充実するべき。

4 吸引を認める条件になっている「同意書」はこれを交わさなくても吸引実施を認めるべき。ヘルパー事業所が入る民間損害保険は医療ケアも対象にしているものに加入することを指定の条件とし、そのための保険料の差額は国が補助するべき(民間保険会社のうち数社は吸引を対象にしているがこれを他の医療ケアにも拡大するよう国が保険会社に働きかけるべき)。

●医師しかやってはいけない医療行為は何かを逆に限定するべきである。

医療行為か否かは、生活実態から学ぶべきである。

生活実態に即した、ケアの提供と支援がされるべきである。

ヘルパーの業務として認め、医療的ケア加算をつける。

●在宅で、家族が行うケアについては、医療行為から切り離し、生活支援行為とみなすべきである。そこから出発しなければ、重度の障害児・者の生活の改善は図れない。

生活支援行為とみなすことにより、家族以外のヘルパーなどもケアできるようになる。そのことで、当事者の生活の幅が広がり、家族も介護負担を軽減することができる。

人工呼吸器を使う障害児の親の会の意見

いわゆる「医療的ケア」を医療行為として「行為者」を「家族」に限定している現状が、結果として当事者の安全を脅かし、生活の幅を狭めている大きな要因となっている。

さらに、学校等への親の付き添いの強制は、親が付き添えなければ学校へ行くことができない、つまり教育権の保障もままならないということになる。

また、家族介護の強制は、当事者や主たる介護者だけでなく、他の家族、たとえば、当事者の兄弟は自分の学校行事(授業参観等)に参加してもらえない、怪我や病気という事態にもすぐには対応してもらえないなど、生存権に関わる大きな制約を受けることになる。

日常的に「たんの吸引」等の行為を必要とする人たちの毎日の生活を家族だけで支えるには限界があり、日常生活の質の向上どころか、生きるための最低限のケアを安全に受けることさえ危ぶまれ、当事者の命が危険にさらされている極限状態が続いている事例も少なくない。

憲法第25条を持ち出すまでもなく、病気や障害があっても、また家族ひとりひとりにも、ひとりの人間として「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」はあるはずである。さらに、常に家族に依存しなければならない生活が続くことは、子どもたちの精神的・肉体的自立をも阻むことになる。病気や障害があっても、どんな毎日を送りたいか、どのように生きたいかについては、本人の思いが尊重されるべきであるし、それらの思いが家族以外の介護が認められないことによって、左右されていいはずがない。

したがって、当事者の安全と日常生活の質の向上を目指すならば、日常的な「たんの吸引」等の医療行為については、「生活支援行為」として、家族以外の人が当事者の自立をサポートしたほうがはるかに有益と言える。

介護者を家族に限定することは、「医師法」の目的が「国民の健康と安全を確保する」ことに照らすならば、「法益侵害は相対的に軽微」ではなく、きわめて大きく、医師法の目的に反することになるのではないでしょうか。さらに、家族が介護できなければ、当事者の意思に反して学校に通うことができない、退院したくてもできない、施設や病院に再入院しなければならないといった状況は、国連障害者権利条約の掲げる理念に逆行するものであり、憲法25条(生存権)や26条(教育を受ける権利)にも関わる重大な問題だと考える。

【尾上委員】

痰の吸引等については一部介助者にも認められた経緯がある。しかし、点眼などの簡易な投薬やシップ張り一つにおいても、介護が必要で一人暮らしの場合、だれも対応できない実態等を解消する必要がある。

当事者の命が危険な状態に放置されたり、家族に過重な負担を強いることがないように、看護領域と介助者が互いに補い合いながら、介助者でもできることを再整理すべきである。

その際、下記の「人工呼吸器をつけた子の親の会」(バクバクの会)の人たちが指摘している深刻な実態を受け止めた検討がなされるべきである。

医師法でいう「医業」、「医療行為」の範囲を限定し、障害者が地域で生活していくために必要不可欠な「医療的ケア」を「生活支援」の一環として、一体的に受けられる方向で検討していくことが必要である。

【人工呼吸器をつけた子の親の会(バクバクの会)の資料より】

私たちは、地域社会の中で、日常生活において「医療的ケア」を必要としながら日々生活している当事者、当事者団体、家族・医師・看護師・教員・介護者等関係個人・団体が集まり、「医療的ケア」を必要とする人々が安全で安心な生活を送ることを保障され、地域社会の中であたりまえに自立して生きられるよう、「医療的ケア」に関する諸問題を解決していくために力を合わせ取り組んでいます。

医師法第17条の「医師でなければ医業をしてはならない」とする一文により、当事者や家族が行える「医療的ケア」さえも、たんの吸引以外は、ホームヘルパー等の福祉職や教育職など、障害者や高齢者、難病者等の生活を身近で支える人でさえ行うことはできないとされてきました。在宅して当事者や家族が行う時点で、医行為と区別して「医療的ケア」という言葉が生まれたにもかかわらず、やはり法的には医行為の一環であり誰もがケアを行うことが出来ないので、地域で生活する、また、子どもたちが地域の学校に通学するといった、「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」が剥奪されてきました。日々の生活は、当事者・家族ともギリギリのところで送らざるを得ない状況にあることはご承知の通りで、既に自らの家族を死に至らしめる等の悲惨な事例も報告されています。(以上、バクバクの会・提供資料より)

また、職場領域の確保や診療報酬上の削減とった財政削減ありきの矮小化された議論から脱却して、必要としている利用者本位の政策に転換すべきである。特に、在宅療養の機能の強化をめざし、疾患毎で違いが出ないよう、対象疾患と期間の限度のみなおしが必要である。

障害者の自立生活運動の進展の中で、より重度の障害者が地域で自立し始めるようになっている中で、地域での24時間介護保障とあわせて、医療的ケアが「生活支援行為」として提供されなければ、そのことにより、入院生活を余儀なくされて、地域生活の継続ができなくなる事態を生み出す。

3月1日の当推進会議でも議論された通り、入院中の介護保障が認められることがあわせて重要である。

地域生活における「生活支援行為としての医療的ケア」の確保、そして、入院医療が必要になった時点でも介護保障が得られることは、重度障害者の地域生活の継続の上で、きわめて重要な課題となっている。

この課題は、条約19条「自立した生活及び地域社会でのインクルージョン」にある、(最重度の障害者も含めた)障害のあるすべての人の「地域社会で生活する権利」を実現していく上で、ぜひとも解決しなければならない。

【門川委員・福島オブザーバー】

そもそも、医師法第17条において、「医師でなければ、医業をなしてはならない。」と規定されており、この規定は、医師以外の者が業として医療行為を行うことを禁止していると解することができる。

「にせ医者」が横行することを防ぐという観点からは、この規定自体が不適切であるとは言えないが、何をもって医療行為とするのかという定義が不明確であることから、どこまでの行為を「業として」介護・支援を行う介護者・支援者が行うことができるのかが不明確となり、在宅で生活している重度の障害児・者の介護が困難となっていることは重大な問題である。

特に、医師法第17条の違反には、医師法第31条により「三年以下の懲役若しくは百万円以下の罰金」が科せられることとなっており、このような刑罰が科せられる可能性があることや、医療行為と判断されかねない「医療的ケア」を行った場合の損害賠償責任等の発生可能性が、介護者・支援者をさらに委縮させている。

そのほか、例えば保健師助産師看護師法第三十七条において、「保健師、助産師、看護師又は准看護師は、主治の医師又は歯科医師の指示があつた場合を除くほか、診療機械を使用し、医薬品を授与し、医薬品について指示をしその他医師又は歯科医師が行うのでなければ衛生上危害を生ずるおそれのある行為をしてはならない。」と規定されているが、「医師又は歯科医師が行うのでなければ衛生上危害を生ずるおそれのある行為」がやはり不明確であり、仮に訪問看護を充実させる方向で対応したとしても、やはり不明確な領域が残ってしまうことになる。

したがって、まず、医師法の規定は「にせ医者」の横行を防ぐための規定であって、在宅で生活している重度の障害児・者の介護を行う際に必要不可欠となる「医療的ケア」は、医師法の規定の対象外であることを(場合によっては立法によって)明確にする必要がある。また、それと同時に、(場合によっては立法によって)いわゆる医師や看護師等の医療専門職ではない者によって行われる「医療的ケア」の質を向上させるための包括的な支援体制の構築を急ぐ必要があると考える。とりわけ、医療的ケアの実施にあたり、「法的に問題ないこと」、「質を向上させること」、「医療的ケアの利用者の費用負担は無料ないし低廉なものとすること」、という方向性を明確に打ち出すことで、障害児を受け入れる学校教育の場における医療的ケアや、成人した重度障害者の自立生活の場における医療的ケアを充実させる必要があると考える。

なお、医療的ケアの問題とは別に、地域で生活していくうえで必要不可欠な訪問医療や訪問看護の充実を図る必要があると考える。

【北野委員】

A.本人や家族が一般に行っている医療的行為を医療行為と分けて、本人や家族の了解のもとで、パーソナル・アシスタント(介助者)が行えるように。

R.そうでなければ、家族に重い介護負担を課すだけでなく、本人の自由な社会参加・参画を介助者を活用して実行できないため。ただし、看護士の指導によって安全性が明らかに高まる場合には、介助者に一定の指導やトレーニングを課すケースも想定される。

【佐藤委員】

一定の研修で介護福祉従事者が行える行為を増やしてゆくことが望まれる。と同時に訪問看護・訪問診療を普及するよう、診療報酬制度の改善も必要とされる。

【新谷委員】

「医療行為の定義が不明確であるから、重度の障害児・者が、家族の重い介護負担の下での生活を余儀なくされたり、社会参加を極度に制限されたりしている」ということではないと思います。重度の障害児・者への医療サービス・福祉サービスの内容を議論すべきと考えます。

【関口委員】

精神科領域では、医療と医療的関与の境目が不分明である。医師の指示を仰ぐとしても現在の様なヒエラルキーは再考する必要があると考える。

【竹下委員】

精神的障害のある人であれ、その他の全身的重度障害の人であれ、在宅で治療を受けるか入院によって治療を受けるかは、自己決定に委ねられていることである。「在宅での生活を家族が支えられないから」入院を選択するということは、福祉サービスの不足を意味していることの裏返しである。したがって、在宅での治療の継続と生活の援助という二重の体制が考えられなければならないのである。

【中西委員】

家族の医療負担を減らし、重度の障害児者が社会参加がまく実施できるかどうかは、居宅事業所と家族の責任の明確化、医療関係者との連携が鍵となる。ALSの人の家族は以下のような提案を行っている。

① 医療行為をどこまで家族以外の人が介助するかを本人も含めて確認し、その責任をどのようにするかも話す。
② 訪問医や看護師がその医療行為について介助者ヘルパーに指導する。
③ 社会参加するときに医療行為ができる介助者ヘルパーをつける。
④ 医療行為そのものを生活の中の介助の一部と位置づけていく。その為にも医療者側が家族と同様に介助者やヘルパーに指導する役割をもつ。
⑤ 医療と福祉を繋げるコーディネーターの人がいる。

家族にとって重い負担となっていることに、在宅療養における「たんの吸引」と「経管栄養の注入介助」がある。負担を軽減するために、即刻ヘルパーの業務として、位置づけていく必要がある。介護保険や自立支援法などの公的サービスでは、医療的ケアを業務として供給できないので、事業所からの派遣を断られる理由になっている。神経疾患の患者にとっては、人工呼吸器の装着は命にかかわる治療であるが、それにともない気管からの頻繁の吸引行為や経管栄養など、いわゆる医療的ケアと呼ばれてヘルパーの業とされない行為も必要になるため、地域でこれらの介護サービスが受けられないと社会参加はかなわない。家族に迷惑をかけないために不本意ながら、呼吸器を断り死んでいくALSの患者も後を絶たない。また家族が治療を断ってしまうこともある。在宅における医療的ケアの問題は生存権を脅かす問題である。

行政としては、家族の負担を軽減するためにも、少なくとも5万人規模の行政区に緊急事態用医療付きショートステイを4~5床、医師一人、看護師二名の配置で早急に設置すべきである。

【久松委員】

家族の重い介護負担を軽減する施策が必要である。

【松井委員】

医師の指導と指示のもとでないと実施すべきではない医療行為と、一定の研修などを受ければ、必ずしも医療関係者や家族ではない、介護福祉士やホームヘルパーなどでも実施可能な医療行為を整理する必要がある。たとえば、進行性筋萎縮症患者の痰の吸引などが医療行為とされることから、ホームヘルパーなどが行うことができず、家族が四六時中対応せざるをえないといった現状は、早急に改善されるべきである。

【森委員】

(1)医療行為に関する定義と専門職介護者などについて、医療行為を行うことの是非が明確になっていない現状においては、医療行為を行うことが可能な家族に対する介護負担が大きくならざるを得ないし、また、重度の障害児・者の社会参加が大きく制限されてしまう。

(2)専門職介護者に関しても、一定の研修、実践トレーニングをもとに医療行為を行うことを可能にして、重度障害児・者に対するより充実した生活支援を図るとともに、家族に重い負担を課す現行システムを改善すべきである。

(3)最終的には、障害概念の医療モデルではなく、あくまでも社会モデルを基本とする障害者観の転換が不可欠と考えられる。

重度障害児の在宅移行

障害者の権利条約第23条は、「締約国は、障害のある児童が家庭生活について平等の権利を有することを確保する。」「締約国は、児童がその父母の意思に反してその父母から分離されないことを確保する。」「いかなる場合にも、児童は、自己が障害を有すること又は父母の一方若しくは双方が障害を有することを理由として父母から分離されない。」(政府仮訳)と規定している。

しかし、日本では、入院中の重度障害児の在宅移行が進まず、重症心身障害児施設(重症児施設)の増設が取り沙汰されている。親・家族に一度も抱かれることなく、例えば、NICUから直接重症児施設に移管されて一生を施設の中で暮らすことも存在する。このような重度の障害児が在宅で暮らせない状況は、障害児者本人にとって人権侵害であるか、否か、ご意見を賜りたい。

【大久保委員】

人権侵害とは言い切れないと考える。

例えば、超重症児といわれる児童については濃密な医学的管理が必要とされるとしており、在宅での支援体制が整備されていない場合は、生命にかかわる事態も想定されるところから、生命の安全を確保し、生活全般の支援をする重症心身障害児施設を利用することは許容されるべきと考える。

【大谷委員】

人権侵害である。

病院、施設からの退院移行支援がなく、退院までの支援者(ヘルパー等)のケアの積み重ねができず、未だに帰れない子どもがいる。また、支援体制がないままで退院させられ、家族だけで対応せざるを得ず、本人の命が危険にさらされている実態もある。

退院移行期間は在宅福祉の制度を使えるようにするか、別建てで支援策を打ち出すべきである。(例:退院までの中間支援センターをつくる。もしくは、一定期間医療も福祉も両方使えるようにする。)また、緊急時(支援体制の問題で在宅生活継続不能な状態に陥ったときを含む。)にきちんと病院、施設で受け入れられるよう、ベッドの確保のための仕組みをつくるべきである。

【大濱委員】

上記、権利条約第23条の「家庭及び家族の尊重」で「父母の意思に反して父母から分離されないことの確保」と「障害を理由として父母から分離されない。」の規定。

及び、権利条約第17条「個人が健全であることの保護」規定2項の「障害のある児童は、・・・(略)・・・また、できる限りその父母を知り、かつ、その父母によって養育される権利を有する。」の規定。

及び、権利条約第19条「自立した生活及び地域社会に受け入れられること」(a)・・(略)・・特定の居住施設(生活様式)で生活する義務を負わないこと。(注.()内の生活様式は川島・長瀬約)の規定がある。

従って、重度の障害が理由で、障害児が在宅で暮らせない状況は、障害児者本人にとって人権侵害である。

また、権利条約第17条、19条、23条より、どんな障害があっても、子供のうちは、原則として親と暮らせるようにすべきである。その際、児童の置かれている環境(例えば家庭環境で両親が健在であるか、兄弟の年齢や人数)等を家庭及び家族の尊重の観点より考慮し、通常な家族関係(他の者との平等)が社会生活を営む上で維持できるような義務(必要に準じたヘルパーを確保する)が行政にある。

その際、親は共稼ぎなどができるように、行政がヘルパーを障がい児に長時間つけるべきである。また、保育所や学校などで介護が適切に受けられるようにすべきである。

●人工呼吸器をつけていたり、同等のケアを必要としたりする場合、医療機関は、日常の医療上の指導管理の診療報酬として「在宅療養指導管理料」を算定する。この算定にあたっては、
「当該指導管理が必要かつ適切であると医師が判断した患者について、患者又は患者の看護に当たる者に対して、当該医師が療養上必要な事項について適正な注意及び指導を行った上で、当該患者の医学管理を十分に行い、かつ、各在宅療養の方法、注意点、緊急時の措置に関する指導等を行い、併せて必要かつ十分な量の衛生材料又は保険医療材料を支給した場合に算定する。」「在宅療養を実施する保険医療機関においては、緊急事態に対処できるよう施設の体制、患者の選定等に十分留意すること。特に、入院施設を有しない診療所が在宅療養指導管理料を算定するに当たっては、緊急時に必要かつ密接な連携を取り得る入院施設を有する他の保険医療機関において、緊急入院ができる病床が常に確保されていることが必要である。」(平14 保医発0308001)

とされている。しかし、残念ながら、人工呼吸器装着等の在宅療養患者の急激な増加と反比例して、この点の認識があいまいとなり、一部の病院では、容態が不安定なままに一方的に退院を勧めたり、家族に十分な指導も行わず、安全に過ごすためには欠くことのできないパルスオキシメーター(経皮的酸素飽和度測定器)等のモニター機器の貸与や十分な物品の支給がされないまま、安易に在宅生活へと移行させている例があとを絶たない。さらに、関係機関への橋渡しや地域支援体制整備への援助もせずに、すべてを親の自助努力に委ねたまま退院させている例もある。その結果、非常に危険にさらされているという実態が浮き彫りになっており、危機感を抱かざる得ない状況にある。不幸なことに、家族に対する指導や情報提供が不十分であったために、退院後まもなく命を落とさなければならなかった事例もある。また、緊急時の連絡・支援体制についても、整備されているとは言い難い現実がある。(親や家族の怪我や病気により介護不能の状態に陥れば、即刻障害児者本人の命にかかわるが、そういうときでさえ、本人の具合が悪くないことを理由に病院は入院させてくれないし、ヘルパーなども医療的ケアには対応できないと支援を拒否される、ショートステイの受け入れをしてくれる施設もない、たとえあったとしても、普段の本人の状態を知っていない場合、命を落とすことがある。)したがって、いったん連れて帰れば、二度と病院に戻れない、すべてを背負いきれる自信がないとの理由で在宅での受け入れを決断できない親もいる。何より在宅療養へ移行する際に、きちんとした家族への教育を医療機関が実施するよう徹底し、緊急時の連絡・支援体制の整備をすることが大前提である。これらが不十分なまま、見切り発車的に医療行為といわれるケアを家族が担わされ、綱渡り的な在宅生活へと移行させられる人たちが増加している現状が、まず問われなければならない。

●何故、施設から在宅移行が進まないか。

・住居の問題

住居が狭く、3階建て等で、重症心身障害児を連れて帰るのが物理的に困難な例を見てきた。家を売って新しく買い換えることも困難な場合もあり、家族と暮らせるための住居の提供が必要である。

・経済的な問題

経済的な援助(特別扶養手当等)には、医療的ケアや人工呼吸器加算が必要。

・親が躊躇している場合

在宅に移行しやすくするために、遠い施設から、居住地の在宅移行中間施設・病院等で、家族が面会しやすくし、在宅への意欲が持てるように支援体制を作ることが必要。

・地域(行政)が躊躇している場合

地域(行政)は、「そんな重度の子は在宅は無理でしょう」と言った発言や発想をしばしばする。これでは、家族が望んでも支援を得られず、断念せざるを得なくなる。

そのような状況を作っているのは、重症心身障害児に対する人権侵害であるとの立場に立ち、どんな重度障害児者も地域で暮らせる施策を構築していくべきである。

●重度の障害児が在宅で暮らせないのは、本人の病態の軽度・重度をいう程度のせいではなく、社会のしくみが、在宅での生活を著しく困難なものにさせているからである。

また、入院中の重度障害児に関わり、一番信頼を寄せる医師・看護師などの障害児への無理解も多く、在宅することの困難さを過大に伝え、在宅を躊躇させている一面がある。逆に、きちんとした退院指導をせずに、安易に在宅へと送りだし、障害児を命の危険にならすという状況もある。(医療者の無理解、在宅というもののとらえ方、安全に在宅するための準備や協力体制、社会の受け入れ体制)

●乳幼児や重度障害、意識障害など、意思表示の困難な子どもの場合、親が「子どもの最善の利益」を考慮して代諾するとされているが、親の意見は、必ずしも、本人の意見と同じではない。これまで、重い障害を理由に施設入所を余議なくされたり、教育も本人の希望通りに受けられないなど、障害のある子どもが障害のある子どもはこうあるべきだというパターナリズムによって、子ども自身の命も人生も、外側から勝手に決められた枠の中に押し込められてきたことをわたしたちは忘れてはならない。子ども自身の権利擁護の視点での支援が必要と考える。

とくに医療を必要としている子どもの場合、親の代諾によって、治療の差し控えや延命中止など、命の長ささえ決められてしまう場合もある。障害を告知されたとき、親はパニックになっており、情報収集の余裕もない中で、いろいろな決定を代諾しなければならない。医療者から提供される情報がすべてで、もし、障害や難病などに対する予断や偏見や差別意識の含まれた情報が提供されれば、親は、簡単に誘導されてしまう。また、福祉制度や医療制度をきちんと整備していかなければ、介護の大変さを「かわいそう」という理由にすりかえられ、治療の差し控えや中止をされてしまうことも実際起こっていることを胆に銘じておいてほしい。

【尾上委員】

施設・病院での医療管理ありきの議論は重度障害児・者を施設に閉じ込めることにつながり、人権問題であると考える。

在宅医療の社会資源の整備促進とセットで議論を進める必要がある。在宅医療の整備なしに、ただ追い出すだけの財政削減ありきの施策にも注意する必要がある。

前項で述べた通り、介護保障とあわせて、「医療的ケア」を提供できる地域の支援体制をつくることが、「障害のあるすべての人の地域生活の権利」の実現のために求められている。

現在、すでに、重度心身障害児・者で、地域の保育所や学校に行き、そして、その後、地域での自立生活を進めてきている取り組みが、全国各地で進められてきている。(前述のバクバクの会等の実践)

また、兵庫県・西宮市の青葉園などでは、生産性・効率や、身辺自立を目指した訓練主義に利用者を当てはめるのではなく、重度心身障害を持つ人たちの消費や楽しみ、市民としての生活を念頭におき、一人ひとりの個性に合わせた活動をゼロから作り上げてきた。そして、その延長線上に、本人中心の個別支援計画の作成を通じた、重症心身障害を持つ人のエンパワメントを展開してきた。

設問にある「在宅で暮らせない状況」という、これこそが問題なのである。

「地域で暮らせるか否か」、これは、政策の方向と社会資源の整備の度合いによって、大きく可変するものであると考える。

例えば、1960~70年代には、脳性マヒ等の全身性障害者に対して、「身の回りのことすら自分でできない障害者が、地域で暮らせるはずがない」と言われてきた。そして、その後、「知的障害者は地域で暮らせるはずがない」と言われ、次には、「高齢の知的障害者や強度行動障害者は…」と言われてきた。同じような文脈で、「医療的ケアが必要な障害者は地域で暮らせるはずがない」と、あたかも「入所施設を必要とする障害者のグループ」を、新たに見つけ出すかのような議論が延々と続けられてきた。(同様のことは、精神障害者の分野でも繰り返されてきている)

しかし、問題は、障害者個人の機能障害ではなく、地域で暮らせない状況をもたらしている現在の制度・政策や地域生活支援に関する社会基盤の未整備にこそある。どんな障害があっても、地域で安心して暮らせるようなサービス・支援と、それを可能にする地域基盤整備を重点的に進めていく仕組みが必要である。

【勝又委員】

在宅で暮らしたいという本人の意思に反して、在宅で暮らせない状況はまさに人権侵害だとおもう。しかし、成人ならば、一人暮らしの選択肢もあるだろうが、未成年の場合、家族が在宅を望まないのにもかかわらず、本人の意思だけで在宅を実現することはできない。要保護児童としては障害の有無にかかわらず、職業里親制度のような社会的養護の仕組みが必要。

【門川委員・福島オブザーバー】

原理的には、重度の障害児が在宅で暮らせるように最大限の努力をするべきである。しかし、在宅で暮らせないことのみをもって障害児者本人にとって人権侵害であるとまで断定することはできないのではないかと考える。

なぜなら、非常に重度の障害児が暮らせるようにするためには、相応の機器や支援が必要な場合もあると考えられるが、たとえば、家庭内の一室がICUのようにならなければ安全に暮らせないというような重症の障害児の場合を想定すれば、在宅で暮らすことが合理的とは言えない場面も出てくると考えられるからである。重度障害児の生命を守るためには、適切な医療が提供されることが必要であって、そのような適切な医療の提供のためには入院しか事実上無理だということであれば、やはりそれは入院するという方途もきちんと用意する必要があるのではないかと考える。

さらに言えば、障害者の権利条約第23条の規定にのっとって、最大限、重度の障害児が在宅で暮らせる環境を整えていくべきであるが、第23条の規定を厳密に解しすぎた場合、逆に、本来なら入院しなければ重度障害児の生命を守れないのに病院や施設の都合によって「追い出す」ことの根拠として用いられる可能性も否定できず、そうしたことが起きないようにすることを防ぐ仕組みが必要であると考える。

【北野委員】

A.重症児を幼い時から一生、入所施設や病棟に閉じ込めるのは人権侵害。

R.私たちが、その子どもたちを人間として認識しているのであれば、彼らの人間としての権利を尊重すべきである。つまりは、障害者権利条約の第19条の地域で生きる権利や第23条の親子で暮らす権利を奪ってはならない。

私は多くの重症児・者に出会ってきたが、感情表出や意思表示や嗜好のない仲間に出会ったことがない。西宮市の青葉園や横浜市の朋といった、さまざまな支援者を活用しながら親元や生活ホーム等の地域で生きる重症児・者しか知らないからそう思うのかもしれないが、逆に、重症児・者施設や病院の中に、感情表出や意思表示や嗜好の出せないあるいは出しにくい仲間がもし居たとすれば、それこそが人権侵害の最たるものであろう。

【佐藤委員】

成人であれば不十分ながらも24時間介護が保障されつつある。障害児についても在宅で暮らせるよう要介護・医療体制を整備すべきである。ただしおそらく一般病室でも安心できず、NICUが必要とされる重度障害児もふくめてすべてを自宅で、というのは現実的ではない。家族や自治体、医療保険制度にとって「重すぎる負担」であろう。

【新谷委員】

重度障害児が在宅で暮らせない状況は非常な問題ですが、個々の在宅の障害児を介助する医療・福祉サービスをどのように充実させるのか、また24時間同居する家族への支援の仕組みをどのように作り上げていくのかを考える必要があると思います。

【竹下委員】

重症心身障害児施設における処遇を直ちに条約違反と考えることには無理があるのではないか。本人にとっての医療的必要性や本人の安全や生活の質の確保から施設での処遇が妥当である場合も考えられるからである。家族が支えられないという理由からのみの入所は在宅における医療や介助体制の不十分性を示していることにほかならない。

【堂本委員】

(結論)人権侵害と考える。

(意見)最重度であっても本人の意思を尊重した生活を営むべきである。現実の場面では、検討すること選択することに支援が必要であるので、支援者の質が問われている。家族扶養、家族の負担に頼ることではなく、社会的扶養、社会的介護を整える必要がある。もちろん、家族と社会扶養の連携のあり方も必要であり、ケアマネジメントによる支援体制も重要である。

【中西委員】

人権侵害というより、むしろ生存権の剥奪である。筋ジストロフィー病棟では、いまもって本人に告知されないケースが多発しているが、自分の病気を知らなければ呼吸が苦しくなってきた時に人工呼吸器を選ぶことができない。施設で一生送ることは人として自分の人生を作ることが出来ない環境で暮らすことになります。在宅で暮らせない状況を取り除くべきです。地域で社会的に親の負担なく、重症心身障害児の子育てができる介護サービスを地域で提供できるようにすべきである。

【長瀬委員】

地域での家庭生活に向けた政策の推進が必要である。

【久松委員】

重度の障害を持つ子どもが、在宅で暮らせる状況を作り出す施策が必要である。入院中の重度障害をもつ子どもの在宅移行が進まない状況は、障害者権利条約第19条、及び第23条の規定に違反する。

【松井委員】

重度の障害児が家族とともに地域で生活ができず、長期にわたって重症児施設などで入所生活を送らざるを得ないという状況は、障害者権利条約第23条の規定に反していると思われる。

重度の障害児が家族とともに地域で生活できるようにするには、重度障害児および家族双方に対して必要な支援サービスが整備される必要がある。そうした支援体制の整備なしには、たとえ障害児及び家族が望んだとしても地域での在宅生活の実現は困難といえる。

【森委員】

大変難しい問題であるが、一般的にいえば、重度障害児・者の在宅移行が進まず、施設で一生を過ごさざるを得ない体制が重点的に整備されていることは、大変残念なことであり、人権の侵害という面からも検討する必要があるかと考える。重度の障害があっても、親・家族と共に生活する環境づくりを整備する必要が求められる。そのためには、重度の障害児・者を支えるための保健・医療・福祉などの関係機関が身近な地域に整備されるよう、国及び地方公共団体は最大限の努力をするべきである。

受診拒否

障害児・者が一般医療機関で受診拒否されることが少なくない。重症心身障害などでは「医療側の経験のなさ」「診療所の構造的バリア(車いすやストレッチャーで入れない)」などによることが多く、自閉症等の発達障害児では医師の無理解に加えて「多動・暴れる」「症状の把握が困難」などにより診療困難であったり時間や手間がかかったりするためとされる。

このような実態と対策についてどう考えるか、ご意見を賜りたい。

【大久保委員】

知的障害や発達障害のある人たちが受診する際には、多くの困難があることは事実である。本人が自らの状況を適切に説明したり、伝えたりすることが困難であることや、知的障害や発達障害について理解や経験のない医療関係者が多いという現状がある。

医師(歯科医含む)の養成課程に、これら障害に関するカリキュラムを設けるとともに、臨床経験も義務付ける必要があると考える。

【大谷委員】

これまでは障害児・者は、専門機関で対応するものという医療者、家族双方の意識と、それによってますます一般医療機関では障害児・者に馴染みがないと悪循環が生じてきているのではないだろうか。

高齢者の在宅療養同様、地域のホームドクターと専門医療機関との連携の強化によって、地域で安心して対応してもらえるようにすべきである。

里帰り出産時のトラブルにより重篤な状態となり、入院している場合や、引っ越しなどの場合は、転院先が見つからず、家族がバラバラに過ごさざるをえず、在宅移行したくても、準備さえできないというケースがある。中には、追い詰められて、子どもの命を絶つことまで考えていると悩みを訴えてきているケースもある。地域が違っても、病院同士の連携により、安心して医療が受けられるようにすべきである。

【大濱委員】

重度の呼吸器利用障害者が、病院から地域生活に移行する際に定期的な通院と緊急時の時の対応病院が居住地に近いところで確保する必要がる。しかし実情としては、呼吸器利用の障害者に対するリスク管理に責任をもてないという理由で、緊急時の時の対応病院の確保が困難なために地域への移行が困難となり施設を選択さえ迫られこともある。

知的障害等で「多動・パニック」「症状の把握が困難」や重い全身性障害(個々人に応じた特殊な介護が必要不可欠)や言語障害や「なれたヘルパーがいないと不安」な精神障害者などの場合は、病院側での対応は困難。その障害者に慣れたヘルパーやパーソナルアシスタントを障害者につける費用を行政が出すべきである。

ヘルパーを利用している障害者自身も多くはそれを求めている。たとえば、病院に通院の際に、現状では原則として病院内ではヘルパーが利用できない(最重度以外は認められない)ため、困っている障害者が多い。

人的支援によらずに解決できる問題(スロープなどの物理障壁や、医者の障害についての理解の研さん)は、病院側に合理的配慮を求めるべきである。

●これまでは障害児・者は、専門機関で対応するものという医療者、家族双方の意識と、それによってますます一般医療機関では障害児・者に馴染みがないと悪循環が生じてきているのではないだろうか。

高齢者の在宅療養同様、地域のホームドクターと専門医療機関との連携の強化によって、地域で安心して対応してもらえるようにすべきである。

里帰り出産時のトラブルにより重篤な状態となり、入院している場合や、引っ越しなどの場合は、転院先が見つからず、家族がバラバラに過ごさざるをえず、在宅移行したくても、準備さえできないというケースがある。中には、追い詰められて、子どもの命を絶つことまで考えていると悩みを訴えてきているケースもある。地域が違っても、病院同士の連携により、安心して医療が受けられるようにすべきである。

●既存の医療機関に通院するという形だけを考えれば、確かに困難な面もある。しかし、考え方を変えて、地域の診療所やクリニックからの訪問医療などの方法を使えるようにすればいいのではないか。重度障害児・者への訪問医療の保険点数を上げることにより、手を挙げる診療所やクリニックは増加するので はないか。また、大学病院などの大きい病院と、地域の診療所、それに関連して、訪問看護やヘルパーの事業所などの連携を密に図るシステムづくりをしていけば、在宅での大きな安心材料になる。

【尾上委員】

日本でも障害者差別禁止法や患者の権利法を制定し医療関係の法制度も整理すべき。障害を個人の責任とする不当な受診拒否を制限するとともに、障害者権利条約で保障される、他のものとの平等を基礎とした医療へのアクセス権を保障すべき。

【勝又委員】

受診拒否は障害児者に限った問題ではないが、障害ゆえに受診拒否に遭遇することがそうでない人より多いのであれば、まずは医療機関や医療関係者への教育や指導が必要だと思う。医療供給体制の地域格差が受診拒否の背景にあると思う。その場合は、小児科や産科などのマンパワーの不足の対応と同じように、複数の病院や診療所が連携して障害児者に対応できるような体制づくりが必要。理想はどこに行っても十分な診療が得られることだが、今の医療供給体制ではそれを実現するのは難しいと思う。

【門川委員・福島オブザーバー】

そもそも、医師法第19条において、「診療に従事する医師は、診察治療の求があつた場合には、正当な事由がなければ、これを拒んではならない。」とある。したがって、障害者の権利条約第25条に基づき、障害を理由とした拒否は、「正当な事由」として認めないということを、法令上明確にする必要がある。

また、単に「受診拒否をできない」ようにするのではなく、医師が、実際に、障害児や障害者を診察できるようになるために、障害児や障害者を診察するうえで必要な診療所の構造的バリアの除去を奨励するとともに、障害児や障害者を診察するうえで注意すべき点等についてのガイドラインをまとめることも検討に値するのではないかと考える。

なお、聴覚障害をはじめとする、「コミュニケーション上の配慮を必要とする障害者」への配慮が十分になされるよう留意する必要がある。

【川﨑委員】

医師の教育の段階で、障害(児)者に関する教育が必要。

障害(児)者の教育を受けた医師に対して、特別の認定をするといった方策が考えられないか。

【佐藤委員】

医療関係者と障害者団体の代表者とがよく話し合うべきである。内閣府の2008年実態調査に寄せられた数々の事例なども検討し、なにが障害者の医療差別か、どのような合理的配慮が求められるか、合意形成をはかるべきである。診療報酬制度などで、障害者への医療に一定の加算などをつけて個々の医療機関の負担を減らし、合理的配慮の範囲を広げることも必要とされる。

広範囲に麻酔を使わないと歯の手術ができない場合など、大学病院などでなければ安全な医療が提供できない場合もあろうかと思われるので、一般医療機関がどんな患者でも受け入れるべきだとはいえない。

【新谷委員】

高度医療、緊急医療などと共通する問題と考えます。個別の地域医療機関、センター的な医療機関、高度専門的な医療機関などのネットワーク構築の課題で、医療全般の問題の中で検討すべきと考えます。

【関口委員】

精神障害者はそれを告げると受診を拒否されるという実態がある。黙って受診せざるを得ないのは、適正な医療を受ける権利を侵害する(薬の飲み合わせ等)。

【竹下委員】

一般医療機関における通院治療や入院治療が合理的配慮によっても困難である場合ならともかく、そうでない限りは条約2条等に違反すると解すべきである。地域において治療を受けることを可能とする体制づくりは、国や自治体の義務であるし、本人や家族に過度な負担を強いる特定病院への通院、入院を余儀なくされることは条約違反である。地域において治療を実施する体制が実現されるように医療機関を指導し、医療機関に対する援助が実施されるとともに、特定病院への通院、入院を余儀なくされる場合においては、その移動等に対する保障があわせて実施されるべきである。

【堂本委員】

(結論)重症心身障がい児・者をはじめ、障がいを持つ人が一般医療機関で診療が受けられるよう体制を整えるべきである。

(意見)千葉県では、医師会が障がい児・者の診察に当たって、どのような注意が必要かについて「ガイドライン」を策定した。医師に対しての啓蒙だけではなく、障がい児・者の診察、治療に関しての研究並びに体制づくりを行うべきである。

【中西委員】

看護や介護が難しいと入院を拒否されることは実際に多い。また、病棟で意思伝達装置や文字盤などの特殊なコミュニケーション技術が必要な患者に対する理解が進まないばかりか、「うるさい」などと言われたり、放置されたり、虐待されたりすることもある。

受診のためのコミュニケーション支援を制度化し、適切に医療が受けられる仕組みをつくるべきある。新規診療所設置については、構造的バリアのある診療所は認可をしない施策が必要である。専門家における希少疾患に対する理解や経験の欠如は、患者の命にかかわる問題になっている。医療従事者には養成の段階だけでなく、その後も定期的に障害に関する研修を実施し、意識変革を図る。また、受診してくれる医療機関の公表を積極的に行うべきである。

【長瀬委員】

本人と家族の負担を不当に大きくしてしまっていることを考えると、受診拒否は差別の問題であり、障害者差別禁止法で禁止する必要がある。障害者の権利条約第25条(健康)が規定している保健サービスへのアクセスという観点からもこうした現状は問題である。

【久松委員】

診療拒否の問題だけでなく暴れるという理由だけで、ベットに縛り付ける等して本人の意思に反して強圧的な措置がとられることが多く重大な人権侵害である。

一般医療機関に従事する者への教育・研修が必要である。人権侵害の恐れがある場合は、人権擁護センターあるいは人権擁護機能を有する機関に申し出ることができるようにする必要がある。

【松井委員】

障害児・者が一般医療機関で受診を拒否されることが少なくないのは、一般医療機関では障害児・者を受け入れるような人的配置も含め、環境整備が十分行われていないためである。したがって、一般医療機関での障害児・者の受入れをすすめるには、ハードおよびソフト両面での環境整備ができるよう、関係者への研修なども含め、一般医療機関への支援が必要である。

【森委員】

障害ゆえに医療サービスが必要な場合の多いことも考えると、障害を理由に一般医療機関で受診ができないことなどは、直ちに解決が求められる大きな問題であり、そのような例が多く存在することは許されざるべき行為である。医師の養成において、受診拒否が、決して認められる行為ではないことを医師の倫理観として明らかにすべきであると考える。

しかし何よりも、医者・医療機関が障害児・者の治療に対する不安感を解消するための支援を考えることも必要であろうと思われる。

このようなことも含め、これらの問題の解決を図るために、医療側の障害に関する知識とかかわる技術、障害特性理解、バリアフリーの解消をはかるのみならず、一般医療機関を利用する一般患者にも障害理解が求められる。

施設での滞留化

同じ「重い知的障害と肢体不自由をもつ子ども」が入所する場合、「重症児施設」に入所すれば「重症児」と呼ばれ、「肢体不自由児(入所)施設」に入所すれば「重度知的障害を伴う重度肢体不自由児」と呼ばれる。施設給付費が「個人」ではなく「施設」によって設定されているため、その施設給付費は重症児施設が10倍近く高く、利用年齢の制限がないことも加味されて重症児施設の「滞留化・過齢化⇒常時満床」の状態をもたらしていると指摘されている。

このような指摘を受けている現状と対策についてどう考えるか、ご意見を賜りたい。

【大谷委員】

施設生活と地域生活との交流をもっと促進させるべきです。そのための財政的負担と地域へ移行するための橋渡し的なシステム、そして上記の在宅生活をサポートするシステムの形成が必要です。

【大濱委員】

権利条約では入所施設は否定されており、解体して、アパート等でホームヘルプの利用などで地域で暮らせるようにすべきである。

特に、「重症児施設」入所者は、アパート等で1人暮らしで24時間ヘルパー利用(訪問看護等も利用)への移行も含め、早急に在宅移行(ヘルパー制度の十分な利用のもと親と暮らす)を図るべきである。

「肢体不自由児(入所)施設」の解体にも同様に取り組むべきである。

「医師からの施設への誘導」

重度障害者の場合も、同様な問題がある。退院が間近になると、病院から重度障害を理由に「あなたのような重度障害の場合、施設の方が安全ですからと」医師からの誘導がある。例えば、空き施設があると、「あなたがすぐ入れる施設があります」地域での1人暮らしよりこちらの方が安全ですよと、本人がどのような生活をしたいか本人の意向を聞く前に、このような医師からの発言がある。このような経緯で入所した場合、本人は「地域は危険」と洗脳されているため、長期に及ぶ社会的入院となってしまう。このような誘導を法で禁止すべき。

●重度の知的・肢体不自由児は、在宅より施設入所が望ましいという社会意識をまず変えていくべき。

【尾上委員】

早急に対応すべき。

個人給付を原則とし、選択権を本人等に保障すべきである。それに伴い、入所施設においては日割りを原則として、本人の日ごとの生活設計や日中活動といった生活の選択権を侵害しないように整理すべき。

精神障害者の隔離・収容政策と共に、一番声が届きにくい弱者の無視・放置にあたる。ただし、重症児の地域移行や地域自立生活支援を支える為には、日中活動と居宅支援の二つについて、根本的な構造転換が必要である。

まず、日中活動支援については、デイルームでの集団一括処遇ではなく、一人ひとりのニーズに基づいたデイアクティビティや外出、移動支援などが必要。スウェーデンでは、重症心身障害を持つ人へのパーソナル・アシスタントサービスもあり、この部分でのパーソナル・アシスタントの活用も検討すべきである。(追加資料 竹端寛氏の報告記事『スウェーデンにおける重度の心身障害を持つ人の地域生活支援』月刊・ノーマライゼーション2006年12月号参照

また、居宅支援については、重度障害者向けの人手の厚いグループホームの設置のみならず、パーソナル・アシスタントサービスを用いた単身生活等の可能性も検討すべきである。

そして、これらの活動を保障するために、兵庫県西宮市の青葉園で行われているような、本人のことをよく知る支援者が、本人や家族、様々な関係者と協働し、本人中心の個別支援計画を作り、本人の安心・安全だけでなく、地域で「○○したい」を実現するためのプランニングとその実行、評価を行うべきではないか。

こうした重度・重複の障害のある者の地域での自立した生活を実現していくためにも、障害者権利条約で示されているパーソナル・アシスタンスの制度的な確立や、協議・調整による支給決定の仕組みが求められる。

【勝又委員】

「過齢化」ですか?「加齢化」の誤字ではないでしょうか?

入所者の加齢により施設じたいが障害児者の施設から高齢者の施設に変わっていかざるを得ない現実があるとききました。その場合、介護保険の適用など非障害高齢者と同じ扱いになることで問題はないのか実態を知りたいです。

【門川委員・福島オブザーバー】

施設での滞留化の原因が、施設への給付費の配分のアンバランスさや在宅サービスの不十分さによるというのであれば、それは当然是正しなければならない。しかし滞留化の原因が、重症児の症状の重さによるのであれば、重症児の生命が守られるよう、十分な配慮を行わなければならない。常時満床であることをもって問題視するのではなく、重症児にとって適切な支援をどのように行うべきか、適切な支援を提供するためにはどのような体制の構築が必要か、ということを十分に検討し、結論を得るべきだと考えられる。

【北野委員】

A.その支援の実態を検証すべし。

R.多くの重度の障害を持つ児童は、医療的支援と教育的支援と福祉的支援のすべてを必要としている。それは、重症児施設であろうとも、肢体不自由児施設であろうとも、同じである。そもそも、重症児を何歳になっても子供扱いし、しかもそれが、施設給付費の高さが関係しているとすれば、由々しき問題である。

一度、すべての重症児施設の利用者一人ひとりの支援計画とその支援の実態を調査し、それが他施設の数倍にあたる価値ある支援を実施しているのかを検証すべきであろう。

【佐藤委員】

重症心身障害児施設が運営費単価が高いから施設に滞留しているという理解がどのような根拠に基づくか不明である。補助金を減らせば利用者が解放されて自動的に地域で生活できるとは思われない。

地域移行の方策は、個別のケアマネージメントを強化して必要な支えを地域に作ることしかない。

【新谷委員】

施設の問題と福祉サービスとメニューの問題との混乱があると思います。必要なメニューごとに、個人宛に利用のための費用を給付する仕組みなど検討する余地は多いと思います。

【竹下委員】

重度障害を有する者に対する入院治療は一般医療機関の一般病棟において実施されるべきであり、入所は「障がい者総合福祉法(仮称)」において位置づけられるべきであるから、現在のような歴史的に異なる経緯の下で設置され、異なる取扱いを受けている状態は速やかに解消すべきである。

【中西委員】

施設の位置づけで給付費が違ってくるのはおかしい。一人ひとりの障害とニーズにそった支援と個別給付にする。

【久松委員】

障害者権利条約第19条の規定にある選択権が保障されるよう、施設から家族の下で暮らせる仕組みを構築する必要である。

【松井委員】

ここで指摘された問題を解決するには、施設給付費を「施設」単位でなく「個人」単位で設定する必要がある。現在各施設では「個別支援計画」に基づいて利用者に支援サービスが提供されていることからも、施設給付費を「個人」単位で決めることは可能であろう。

【森委員】

特に施設に関しては、重度の知的障害を伴う重度の身体障害をもつために、一生を年齢超過児又は加齢児として、入所・入院を余儀なくされることに関しては大きな問題であると考えられる。しかし、現実を考えた場合、年齢相応の生活支援を実現するためにも、ニーズに基づいた充実した支援体制をもとに、家族とともに自己選択、自己決定をもとに在宅生活を受け止める生活の場の整備と支援体制の整備を行うことは必須条件である。

何れにしても、こういった施設での滞留化の現状を考えれば、それぞれ実定法の整合性を図るべきであり、そのためには理念法としての障がい者総合福祉法(仮称)を制定し、それをもとに個別対応可能な法体系を構築することができることに期待するものである。

自立支援医療における医療費

障害者の権利条約第25条は「締約国は、障害者が障害を理由とする差別なしに到達可能な最高水準の健康を享受する権利を有することを認める(政府仮訳)。」と規定し、締約国は、特に、次のことを行うとして「障害者に対して他の者に提供されるものと同一の範囲、質及び水準の無償の又は妥当な(「負担可能な費用の」川島長瀬訳)保健及び保健計画(性及び生殖に係る健康並びに住民のための公衆衛生計画の分野を含む。)を提供すること(政府仮訳)。」としている。

1、ところが、障害者自立支援法では、更正医療、育成医療、精神通院医療と、それぞれ1割負担であり、また、精神科入院医療費など制度の対象外となっているものがあるが、これについてどう考えるか、ご意見を賜りたい。

【大久保委員】

自立支援医療については、今回の低所得者層の負担軽減策から漏れおり、まずはその対応が求められると考える。

なお、育成医療については、保護者の年齢層が若いことに着目する必要があり、単に低所得者層の負担軽減をするだけでは不十分であり、現行どおり保護者の所得で負担を設定する場合には、中間所得層(年収350万円~700万円程度)の負担について特に配慮する必要があると考える。

【大谷委員】

1割負担により、どれだけの家族、また当事者生活を阻害してきたかは、反対運動の興隆が良く示しています。元へ戻すべきです。

【尾上委員】

自立支援医療だけでなく、医療全体に関する論点であり、3の論点とあわせて議論すべきである。

現在の医療制度は下記のようになっており、対象も疾病ごとで制限されたり、重複する疾病もあり、非常に複雑な制度となっている。又、小児慢性特定疾患対策など、年齢で区切られ給付が打ち切られるものもある。介護、就労支援等を含めた福祉は福祉で障害者総合福祉法を制定し、医療は医療で整理し、皆保険制度のあり方と患者の医療費負担に着目した総合化を進めるべき。その際は医療保険上の高額療養費制度と、応能負担を原則とする税財源をセットとした長期療養制度等の創設が考えられる。極めて低水準な障害者福祉財源の中で予算を取り合うのではなく、それぞれの趣旨目的を整理したうえで社会保障全体のパイを広げていく提言をすべき。

①難病対策における特定疾患治療研究事業:国が指定する51疾患に限定。本人の生計を中心に支えている人の所得に応じた応能負担制度。

②小児慢性特定疾患対策:18歳未満が対象(引き続き治療が必要と認められる場合は20歳未満まで継続。)。11の疾患群で514疾患が対象。生計中心者の所得に応じた応能負担制度。20歳を過ぎると制度の対象外となり、医療費の助成が打ち切られる。

③自立支援医療:障害者自立支援法における制度。障害認定をうけた障害の軽減、更生を目的として、厚生労働大臣が指定。腎臓の人工透析や心臓手術、HIV、精神の通院医療等に限定。応益負担による制度。

④健康保険内の高額療養費制度:医療費を一定額以下にとどめるために1カ月間(同月内)に同一の医療機関でかかった費用を世帯単位で合算し、自己負担限度額を超えた分について支給する制度。上記の①、②、③の制度にくらべ、上限の負担額は高額。また、この制度内で腎臓の人工透析やHIVなどの治療については、自己負担限度額を1医療機関あたり月額1万円(高額所得者は2万円)にする制度があるが疾患別に限定されている。

⑤その他に都道府県、自治体ごとに行っている医療費助成制度。

【勝又委員】

自立支援医療は社会保険を財源とせず公費負担財源となっている。社会保険なら3割負担、公費負担医療なら自己負担は無いという、これまでの医療制度からするとなぜ、1割負担が導入されたのか理由が知りたい。

【門川委員・福島オブザーバー】

更生医療(論点表には「更正」医療とあるが、誤植であるので修正すべき)、育成医療、精神通院医療は、いずれも、通常の医療保険制度に加えて、障害を理由とした医療にかかる費用負担が重い場合について、医療保険制度下で求められる自己負担分を、公費負担により軽減するものである。したがって、これらの医療制度そのものは、障害者の権利条約第25条の趣旨に反していないと考えられる。ただし、障害ゆえに必要となる医療については、それが障害者やその家族の生活を圧迫していることに鑑みて、基本的には無料化を推進すべきであると考える。

【川﨑委員】

内容にばらつきがあり不平等である。特に精神の入院に関しては、一般と同じ3割負担であり、きわめて不平等と言える。

【佐藤委員】

医療費の公費負担制度は国レベルでも自治体レベルでも多様で複雑である。障害者福祉の枠から切り離すことも含めて総合的に見直す必要がある。とくに長期にわたる医療の費用の負担を軽減する、低所得者が安心して医療を受けられるようにすることが重要である。

【新谷委員】

医療と障害の関係は限界領域が非常に曖昧です。我が国の医療制度は、医療保険、公費負担、利用者負担で組みあがっていますので、このしくみと障害福祉サービスとの連続性、整合性を考える必要があると思います。障害と精神科入院医療などの長期疾患を「障害」の中に括り、障害福祉サービスとして制度設計をするか、医療サービスはすべて一般の医療制度に包摂して、障害者の自己負担は別個の支援措置を講じるなど多角的な検討が必要と考えます。

【関口委員】

精神科入院医療は通院医療と同様に扱うべきである。

すなわち、精神科入院医療費については任意入院については自立支援法の対象、強制入院については(廃止を求めるが制度のある限り)全額公費負担とすべきである。

精神科ではロッカー使用料1日150円から200円、小遣い銭管理量1日100円から200円などと、保健医療外の支出をさまざまな形で強いられ、精神病院によっては月額4万以上の支出となるところがあり、退院準備のための交通費にも困っている状態がある。退院促進のためにも自立支援医療を任意入院患者にも適用すべきである。

【竹下委員】

精神的障害のある人の入院治療は、通院治療とあわせて医療法及び「障がい者総合福祉法(仮称)」において統一的に制度化されるべきであることは前述したとおりである。また、1割負担(応益負担、定率負担)は違法なものとして速やかに廃止されるべきであり、国は障害者自立支援法訴訟原告団及び弁護団との基本合意において速やかに廃止することを約束している内容でもある。仮に、障害のある人に対し一定の利用者負担を課するにしても、低所得者に対しては可及的速やかに負担のない状態を実現すべきであって、平成22年度予算において自立支援医療給付だけが低所得者への利用者負担ゼロを実現していないことは不合理であり、平成22年度中には他の福祉サービスと同様に低所得者に対して負担ゼロを実現すべきである。

【堂本委員】

(結論)現状での解決は棚上げすべきである。更正医療、育成医療、精神通院医療の助成については根本から考え直すべきである。

(意見)精神医療も大部分は一般医療として保健医療の対象とし、特別に対応するべき疾患、状態、時期について限定的に助成の対象としていることは根本的に検討しなおすべきである。精神通院医療についても、全てを対象とすべきは検討を要する。

何故助成の対象とするかは、経済負担の軽減が根底にあるが、経済負担の判断はいかなる疾患においても、その人の経済能力において測られることを原則とすべきと考える。経済負担によって国民の生活に格差が生じることを是正する視点によって判断すべきである。

【中西委員】

不当である。一般の障害と同等に扱うべきだ。

【久松委員】

精神科入院医療費制度は抜本的に改正する必要がある。

【松井委員】

精神化入院医療費など制度の対象外となっているものも含め、利用者本人の総収入が一定額以下の者については、更生医療などにかかる費用は無料にすべきである。今後予定されている障害者総合福祉法制定にあわせ、更生医療などの制度についても見直す必要がある。

【森委員】

○障害者自立支援法での定率負担(応益負担)のあり方を見直す際、精神科入院医療費についても検討し、整合性を図るべきである。

2、難病のうち、特定疾患以外は、公費で医療を受けることができないが、これについてどう考えるか、ご意見を賜りたい。

【大谷委員】

公費負担制度自体は結構な制度です。今後は、未認可の疾病に対しても、もっと当事者の声を機敏に反映した制度強化を計るべきです。

【大濱委員】

範囲を広げるべき。

●障害、病名ではなく、状態によって医療が受けられるようにすべきである。

「小児慢性特定疾患」や「特定疾患」に認定されている病気の場合、人工呼吸器使用や気管切開、全介助などの状態で「重症認定」を受けていれば、全額公費で医療を受けることができる。これには、入院時食事療養費も含まれる。

反対に人工呼吸器使用、気管切開、全介助など同様の状態にあっても、「小児慢性特定疾患」や「特定疾患」対象疾患でなければ、全額公費で医療を受けることができない。以前は、かかった医療費の3割自己負担分を自治体の「重度障害者医療」によって全額助成され、実質無料になるケースが多かったが、次第に助成額が削減傾向にあり、一部自己負担を求める自治体が多くなってきた。また、多くの自治体で所得制限が設けられているため、所得制限に達したとたん、急に月額数万円の負担が生じることになる。さらに、「重度障害者医療」助成では、助成の範囲が自治体ごとに異なっているために、大きな格差が生じている。たとえば、「入院時食事療養費」の一部負担金は対象になっていなかったり、「訪問看護」が助成の適用外となったりのケースもある。(人工呼吸器装着であれば、訪問介護の週当たりの回数に制限は設けられていないが、助成の適用外となっている自治体では、利用すれば利用するほど、費用がかさみ、結局は、経済的な問題で利用できず、家族介護でがんばるしかなく疲労困憊に陥り、それによって、本人の命が危険にさらされる結果となる。)

【尾上委員】

難病の特定疾患だけを取り出して、公費医療を受けることができない人がいることを論じること自体が適切な課題設定とは言えない。

現在の障がい者制度改革推進会議には難病当事者は構成員にふくまれていないので、早急に部会を設ける等、難病の当事者の議論への参加を保障し、医療だけに限らず、現在の身体障害福祉法の制度の谷間の問題も含めた福祉の総合化の議論にも参加を保障すべきであると考える。

【勝又委員】

日本の医療が社会保険制度でなりたっており、医療保険がカバーする疾病が限られているので。

【門川委員・福島オブザーバー】

難病についても、特定疾患でなくても、難病ゆえに必要となる医療が障害者やその家族の生活を圧迫していることは明白であり、基本的には無料化を推進すべきであると考える。

【川﨑委員】

すべて公費とすべきである。

【佐藤委員】

難病医療制度(特定疾患治療研究制度)は、もともとの制度の「説明」は治療法の研究開発のために情報が必要であり、公費負担制度で症例をあつめるという趣旨のものであったが、いまや実質的に社会保障的な性格のものとなっている。であれば疾患名で指定する制度を変えることが望ましい。税金を使う制度なので、長期にわたる医療費負担に苦しむ人々を、公平・平等に扱うべきである。

この点で、水谷幸司氏(「今後の難病対策」勉強会実行委員長)の2008.7.13付けの次の意見を参考にすべきである。

<高額療養費制度、公費負担医療制度を拡充する>

難病や長期慢性疾患の医療費の自己負担分の軽減策は、生涯にわたっての治療を必要とするところから、現在の健康保険の高額療養費制度の高額長期疾病(特定疾病)の対象疾患を拡大し、疾患名での指定をなくす。または、高額長期疾病(特定疾病)制度とは別の長期療養給付制度を創設する。このことによって、小児慢性特定疾患対象患者の20歳以降の患者や現在特定疾患の対象とされていない難病、長期慢性疾患の医療費負担も一定程度解消することができる。内容は、ヨーロッパ先進各国の実施しているものを参考とし、入院、治療・手術、投薬、リハビリ、在宅支援などの分類を行いその実態と必要に応じたものとする。自己負担は応能負担とする。

育成医療は児童の発達を阻害する要因を除去するための治療における公費負担医療制度として、先天性疾患児、慢性疾患児の治療を対象に医療費の負担軽減をはかる。

更生医療はICFにおけるリハビリテーションの考え方を基本に、障害の除去、軽減とともに障害の悪化を防ぐための治療も対象とする公費負担医療制度として医療費の負担軽減をはかる。年齢制限をなくし障害児も対象とする。

低所得者や重症患者等を対象に公費による難病医療費助成制度を創設する。新薬や新治療法など保険収載前に、その有効性、安全性が確認されたうえで治療を行った場合には、難病医療費助成制度を適用し公費による患者の負担軽減をはかる。

【新谷委員】

1項の論点と同じです。難病の場合、より一層医療サービスと障害福祉サービスとの整合性が問題になると思います。

【関口委員】

難病認定に至らない希少例があり、他の者との平等に反する。

【竹下委員】

特定疾患制度は直ちに廃止すべきである。そして、難病と呼ばれる疾患については治療による回復がほとんどの場合見込めないのであるから、恒久的な治療を考えた場合、本人にとって過度な負担とならない制度が実施されるべきである。

【中西委員】

不当である。一般の障害と同等に扱うべきだ。

【久松委員】

公費で医療を受ける必要がある。

【松井委員】

特定疾患と同様の状況にある難病患者についても、公費で医療が受けられるようにする必要がある。

【森委員】

国が指定する難病の数も増加していると聞いているが、治療が永続的に必要または高額治療となる場合は、公費負担の対象として検討すべきである。

3、他の医療費助成制度との整合性を含めて、医療費助成の統合化一本化について、どう考えるか、ご意見を賜りたい。

【大久保委員】

育成医療に関しては、実際に医療サービスを受けるのは子どもであるが、都道府県事業である「乳幼児医療費助成」や「重度障害者医療費助成」の制度との整合性を検討する必要があると考える。

【大谷委員】

一本化により、利便性と保障性が強化する事を願います。

【大濱委員】

●医療費助成を統合化し、障害、病名ではなく、状態によって医療が受けられるようにすべきである。2と同様の理由とともに、以下の点も留意されたい。

身体障害者手帳の等級によって、重度障害者医療助成が受けられることになっていても、乳幼児の場合、障害が重くて全介護であっても、寝たきりで大人の世話が必要なのは、障害があってもなくても当たり前という理由で、障害の等級を実際より低くつけられ、また、障害が固定していない、改善するかもしれないという理由で障害の認定をされずに、必要な助成や福祉制度の利用ができないケースも少なくない。

【尾上委員】

1とあわせて議論すべき。

(再掲)

現在の医療制度は下記のようになっており、対象も疾病ごとで制限されたり、重複する疾病もあり、非常に複雑な制度となっている。又、小児慢性特定疾患対策など、年齢で区切られ給付が打ち切られるものもある。介護、就労支援等を含めた福祉は福祉で障害者総合福祉法を制定し、医療は医療で整理し、皆保険制度のあり方と患者の医療費負担に着目した総合化を進めるべき。その際は医療保険上の高額療養費制度と、応能負担を原則とする税財源をセットとした長期療養制度等の創設が考えられる。極めて低水準な障害者福祉財源の中で予算を取り合うのではなく、それぞれの趣旨目的を整理したうえで社会保障全体のパイを広げていく提言をすべきである。

①難病対策における特定疾患治療研究事業:国が指定する51疾患に限定。本人の生計を中心に支えている人の所得に応じた応能負担制度。

②小児慢性特定疾患対策:18歳未満が対象(引き続き治療が必要と認められる場合は20歳未満まで継続。)。11の疾患群で514疾患が対象。生計中心者の所得に応じた応能負担制度。20歳を過ぎると制度の対象外となり、医療費の助成が打ち切られる。

③自立支援医療:障害者自立支援法における制度。障害認定をうけた障害の軽減、更生を目的として、厚生労働大臣が指定。腎臓の人工透析や心臓手術、HIV、精神の通院医療等に限定。応益負担による制度。

④健康保険内の高額療養費制度:医療費を一定額以下にとどめるために1カ月間(同月内)に同一の医療機関でかかった費用を世帯単位で合算し、自己負担限度額を超えた分について支給する制度。上記の①、②、③の制度にくらべ、上限の負担額は高額。また、この制度内で腎臓の人工透析やHIVなどの治療については、自己負担限度額を1医療機関あたり月額1万円(高額所得者は2万円)にする制度があるが疾患別に限定されている。

⑤その他に都道府県、自治体ごとに行っている医療費助成制度。

【門川委員・福島オブザーバー】

「他の医療費助成制度」の範囲を確定することそのものが難しいうえ、様々な目的や対象によって分断された医療費助成制度を、医療費助成制度として整合的に統合化・一本化することは、あまり現実的ではないと考える。すなわち、医療費助成制度の統合化・一本化は、端的には、医療保険制度そのものの改善として実施されるべきであって、高額療養費制度の改善や、保険料負担及び医療費の自己負担分についての応能負担原則の強化等を推進し、それに必要な財源を公費負担とする、という枠組みを整えたうえで、特に障害や難病を理由とする医療については無料化を推進するという二段構えの方法を採る必要があるのではないかと考える。

【川﨑委員】

障がい者の医療費助成は、都道府県によってばらつきがあり、特に精神の場合、心身障害者医療費の制度に含まれない県も多く、障がいによって助成のあり方が不平等な状態になっている。医療費助成の制度は障がい者全般にわたって、一本化すべきである。

【佐藤委員】

「補償」の性格のものと「社会保障」の性格のものなど経過も違うので、完全な一本化は無理であろうが、できるだけ統合するべきである。

【新谷委員】

1項と同じ回答です。

【関口委員】

自治体間格差が大きいのは問題である。医療費助成は全国民が平等に受けられるように、一本化すべきである。

【竹下委員】

現在の医療費助成制度は、障害のある人に対する医療保障の不備を補うための制度である。したがって、障害のある人に対する医療保障を条約の趣旨や精神に即して実現することによって、統合ないし廃止すべきである。

【堂本委員】

(結論)医療費助成制度は、統合化が必要と考える。

(意見)厚生労働省の様々な医療制度は、その本人負担を求める際、本人の所得による算出、主たる養育者の所得による算出、世帯合計による算出等制度によって異なっていることの是正も必要である。原則成人は本人の経済能力。未成年は主たる養育者の経済能力を原則とする。

また、育成医療や特定疾患は、保健所での申請となっているが、保健所と市町村の役割と、保健所が削減されていること現状からも、すべての申請が、市町村で行えるよう改正する必要がある。

【中西委員】

統合すべきである。

【久松委員】

医療費助成の統合化一本化は必要である。

【松井委員】

医療費助成の仕組みが複雑化し、わかりにくくなっていることから、利用者などにとってより利用しやすいものにするためにも、医療費助成制度の統合化が必要と思われる。

【森委員】

○医療費助成に関しては複雑で分かりづらかったり、情報取得の困難があったりするために、適切な時期に医療を受ける機会を失してしまう結果、疾患の憎悪を招く場合が考えられる。それらの状況を防ぐためには、医療費助成の統合化につとめ、早期発見・早期治療のもとに、よりよい医療支援体制を整備すべきである。

更正医療、育成医療、精神通院医療

障害に係る医療支援が更正医療、育成医療、精神通院医療の3種に区分けされているが、このような区分けに基づく申請手続きの違いや治療の範囲は適正であるか、どうか、ご意見を賜りたい。

【大久保委員】

<育成医療について>

・申請窓口の問題

現在、育成医療の申請窓口は都道府県(保健所)であり、地域によっては非常に遠くまで手続きに行かなければならない。自立支援医療のうち、都道府県が窓口となっているのは育成医療だけであり、市区町村で手続きできるようにする必要があると考える。

それにより、市区町村としても、支援ニーズの高い児童を早期に把握することができるので、有用と思われる。(現在の身体障害者手帳のように「市区町村の経由事務」にし、実際の審査や医療機関の指定は都道府県が実施することとすれば、市区町村も事務量増加とはならないと考えられる。)

・制度対象者の問題

現在の育成医療は、対象が身体的な障害に限定されているが、「治療により改善が見込まれる障害や疾病がある18歳未満の子どもに対し、医療費を助成する」仕組みであるところから、小児精神科などで行われている診察や発達相談、カウンセリングなどの保険診療も育成医療の対象とする必要があると考える。もちろん、理論的には精神通院医療の自立支援医療(旧精神32条)の適用もあり得ると思うが、制度の理念を考えると、育成医療の対象とすることが適切と考える。(一方で小児精神科医の絶対数が圧倒的に不足している現状があり、併せて小児精神科医の養成が欠かない。)

・制度周知不足の問題

育成医療は医師の判断により比較的柔軟な認定が可能な制度であるが、肝心の医師が制度のことを良く分かっていないことがあり、制度適用が遅れてしまう(最悪の場合、制度対象だったのに使えない)事例が発生している。子ども生まれて間もなく、子どもが育成医療を要するような状態であることを知った保護者に情報収集まで求めるのは事実上不可能であり、少なくとも、指定医療機関に対する情報提供は確実に行われる必要があると考える。

【大谷委員】

おそらく手続きの煩瑣さで苦労している重複障害のご家庭が多いと思われます。一度この面については調査を行い、実態を明らかにすべきです。

【尾上委員】

「自立支援法」の対象が「制度の谷間」をそのままにした状態に加えて、「障害」の範囲が臓器別、疾患別に区分けされることに対する、わかりやすい説明がなく、差別的な制度になっている。

【門川委員・福島オブザーバー】

更生医療、育成医療、精神通院医療は、いずれも対象者や疾病が異なることから、3種に区分けされていることそのものには、一定の合理性があると考えられるが、申請手続きが煩雑となっている現状は合理的ではない。医療費負担をすべて無料化することが現実的ではない以上、少なくとも難病や障害を理由とした医療費の負担を無料化ないし低廉な水準での応能負担化することは、難病を含む障害者の生活の安定には不可欠である。それには、上述した通り、基本的には医療保険制度の改善として実施されるべきであるが、医療保険制度の改善がにわかには進まないのであれば、少なくとも難病や障害を理由とした医療の範囲をきちんと定めたうえで、無料化ないし低廉な水準で応能負担化する(公費負担する)仕組みを総合福祉法の中に盛り込むべきである。またその際には、申請手続きが煩雑とならないように十分に留意するとともに、医療の範囲の確定のためにある程度の区分けが必要となるとしても、申請手続き上の不均衡が発生しないように十分留意する必要があると考える。

【川﨑委員】

精神の入院も含め、精神科医療全体として、他障がいを含めて再検討を要する。

【佐藤委員】

精神通院医療は文字通り精神科の通院医療であればすべて対象となるのに対し、更生医療、育成医療は特定の対象者の特定の医療行為のみを対象としているので、給付に当たって必要とされる情報が異なる。

前述のように総合的に公費負担医療を見直して、共通する部分については一本化・簡素化を図りたい。

【新谷委員】

区分けの必要性は感じません。

【関口委員】

適正とは言えない。障害種別を超えて、精神の入院も含んで、同等のサービスが同様な手続きで行われるべきである。

すなわち、一本化すべきであるが、強制入院(存続してる限り)については総合福祉法医療(仮称)は適用せず、全額公費負担とすべきである。

【竹下委員】

現在の自立支援医療給付は、かつての異なる制度を無理矢理一本化したものにほかならないから、現在のような矛盾を残しているのである。障害の種別を問わず、障害のある人に対する医療保障を行うためには、更正医療、育成医療、精神通院医療等の区別は廃止すべきである。

【中西委員】

区分けに基づく申請手続きの違いや治療の範囲は適正とはいえない。障害者に医療的ニーズがあるということは、それだけ障害が重度化していることでもあり、そのような状況の中できるだけ手続きは簡単であり、かつ必要な範囲がカバーされる状態での制度の統合化は急務である。

【久松委員】

更正医療、育成医療、精神通院医療の3種の区分を一元化し、申請手続きを簡略化する必要がある。

【松井委員】

少なくとも更生医療と育成医療は一本化すべきと思われる。精神通院医療も含め、今後予定されている障害者総合福祉法制定にあわせ、見直しが必要である。

【森委員】

更生医療の実施主体が市町村であるのに対して、育成医療と精神通院医療の実施主体が都道府県であるなど、申請手続きの違いをふくめてその受診・受療に関して複雑な状況にあることは、速やかな医療サービスの支援を受けることを困難にしている。それらの区分けに関してできるだけシンプル化をはかり、障害ゆえの治療体制を整備する必要があると考えられる。

その他

【大濱委員】

入院中介護

なお、条約25条に関係する問題で、抜けている問題があるので、別途議題にしてほしい。すなわち、ヘルパーを毎日24時間使っているような重度の全身性障害者が肺炎等で入院時には、当該障害者特有の介助方法に熟練した介助者をつけたまま入院をしないと、寝ている姿勢の手足の位置の1センチの違いで痛みで睡眠さえ取れないということになるが、その障害者特有の体の変形や体位にあった介護方法を習得するまでは何ヶ月もかかる。そこで、自宅で毎日介護を受けているヘルパーを入院中もつけないと、満足に治療も受けられないばかりか、睡眠不足で体力低下して、肺炎での入院で、逆に死にいたることになる。

つまり、条約25条にあるように、「障害を理由として十分な医療が受けられないことのないようにする」という内容を満たすには、重度の全身性障害者にはいつものヘルパーをつける必要がある。(日本一の医者や看護師であっても、それぞれの全身性障害者特有の介護方法を障害者から習い習得するまでには時間がかかるので、いつも使っているヘルパーを使うしかない)。

これについて、話し合う機会を、別途設定していただきたい。

社会的入院

全身性障害者など他の障害者でも、社会的入院は多くある。

これらについても、ヘルパー制度を全国1800市町村で、たとえば1日24時間の重度訪問介護が必要なだけ支給されるように制度改正(国からの長時間ヘルパー利用者への国庫負担を大幅に上げるなど市町村への財政支援も改正)して、(アパート等を探す支援や保証人支援、相談・24時間緊急時ヘルパー派遣・住宅改造制度などを充実させた上で)、入所施設は解体すべきである。

呼吸器利用者など重度障害者の場合、専門病院からの退院に際して、戻る予定の自宅近くの緊急時の受け入れ病院がなかなか見つからないために、退院ができない。そのため、病院から直接、重度心身障害者(児)施設に入所するしかなくなり、結果として社会的入院・入所となってしまっている。また、これら重度障害者は、地域でのバックアップ病院が確保できた場合でも必要な介護時間数の確保と、事業所(人工呼吸器の利用者にホームヘルプを提供できる事業所は全国的にほとんどない)とヘルパーの確保(吸引等ができるヘルパーの報酬のアップがないと人材確保できない)、が必要。

【尾上委員】

精神障害者の家族等に対して課せられている「保護者」制度については、「他の者との平等」に反しており、早急な見直しがなされるべきである。

その際、社会的な支援を得ながらの地域生活への転換を基本的な考えにすえて、ホームヘルプ、パーソナル・アシスタント等の福祉サービス、地域医療、住まいの確保に関する制度を大幅に充実させるとともに、「支援付きの自己決定」を可能とするような自己決定支援や、権利擁護の仕組みの検討をあわせて行うことが重要である。

【関口委員】

大阪精神医療人権センター 山本深雪

論点提示 病院訪問活動から見えてきている事-私の意見 権利条約で定められている項目
虐待の定義
(第4回目の当会議の議論において、医療における虐待防止の重要性とそのための通報義務等の必要性が確認されたところであるが、医療における虐待防止に関して、追加の論点としてどのようなことがあるか?)
精神科病院における下記の権利侵害を虐待として取り扱うため、定義拡大等の検討をすべきである。
【セルフネグレクトに追い込まれる構造】
  • 治療計画や服薬内容の説明がなされず、本人の納得や了解もないまま長期入院を強いられている患者が多くいる。自らの意思表示をあきらめて、あるいは服薬量が増える事を恐れ、療養環境に意見や質問も言えずに沈黙して退院の意志を示さない状況がある。鉄格子の中で拘束を受けた事の屈辱感や恐怖と絶望体験の後遺症であろう。任意入院であっても閉鎖処遇が継続している施設においてセルフネグレクトが多くみられる。
【強制入院のあり様と任意入院の位置づけは、これまで通りでは認められない。】
保護者制度の見直し、任意入院を、医療法に基づく入院に規定
措置入院は、医療法の「緊急一時保護」に規定できないのか。

【療養環境(ソフト・ハード)の虐待的な実態】
  • 自尊心が傷つけられる病棟の療養環境(トイレや保護室の構造、病室のプライバシー配慮の希薄さ)の見直しが必要。
  • 日用品代や医療費明細提示のない請求書や領収書により、生活保護や障害等級加算ぎりぎりまで徴収され赤字になったり、自由に通信費を使えない実態。
(15条)非人道的もしくは品位を傷つける取扱からの自由
(16条)搾取、暴力および虐待からの自由
監視機関と救済機関
(虐待防止法)
家庭以外の虐待における、独自の独立した監視機関の設定についてどう思うのか
現行法では、病棟の監視機能は「医療監視」「病院実地指導」が、救済機能は精神医療審査会が果たしている。だが、両機能とも、十分に活かされていない。
【監視機能】
  • 行政監査は現行法の遵守という最低限のレベルを、書類審査中心主義でしかも事前通告ののちに監査しており、虐待防止に関する監視機能を持つと言えるのか。
【救済機能】
  • 精神医療審査会が、精神科病院における権利侵害に関する患者からの不服申し立てや処遇改善請求の窓口となっている。だが行政の一部局内に設置されており、民間病院と行政の日常の関係性(措置入院等の依頼)から自由ではない。依頼時のみの病棟訪問である。その結果、同審査会への訴えは一部都府県を除き、極めて少ない現実がある。こうしや地域格差を放置し、形骸化させていいのか。
  • 入院患者より審査会に対して、「電話代が手元にない」「申し立てから終了まで80日以上関るので意味がない」「訴えた結果、保護室に懲罰的にいれられるのを見てきたので怖くてできない」「訴えると薬がきつくなる」「入院期間が延びる」との声がある。訴えへの即応的対応や、訴え事態が自身の処遇への不利につながらない為の施策が必要である。
  • 退院や処遇改善請求は、受け付けて72時間以内に本人に会い2週間乃至4週間以内に結論が出される必要がある。現状の80日から90日ではないに等しい。
  • 上記の実態を越えるためには、病棟に滞在型の権利擁護者が日常的にいる事により、実質的に不服申し立て機能を果たす事が必要不可欠である。
上記の論点を克服するために、監視機能や情報提供の役割を持つ、大阪の精神医療オンブズマン制度、あるいは監視機能だけでなく、事実確認や立ち入り調査等一部救済機能も持つアメリカ・カリフォルニア州における患者の権利擁護官<Patients Rights Advocates>も検討対象に入れるべきである。
 
精神障害者への人権侵害・差別をなくすという観点で、なにが重要か 「入院中の精神障害者の権利に関する宣言(2000年5月19日大阪府精神保健福祉審議会)」の内容が、大阪府内でも守られていない現状がある。同内容については、宣言されていない他の都道府県の精神科病棟においても遵守されることは、医療における差別禁止の前提となる。
1【精神病床に入院している患者の権利擁護の制度化=これが決定的に大事】
  • いつまでたっても職員による暴力、傷害致死さえなくならない実態がある。
  • 閉鎖性と、行き場がないことによる医療側との力関係の差が大きな要因。
  • 自治体は病院との利害関係が多く、行政による監督はろくに機能していない。
  • 精神医療審査会は請求を受けてからの受け身の調査でしかないことが弱点。
  • 大阪のオンブズマンは先駆的だが、年1回程度では個人の援助にはならない。
  • 各病院に外部のNPOから「患者サポーター」を常駐的に派遣する。
  • 専門家でなくてもかまわない。一定の研修を受ければよい。
  • 規模の小さい病院は2~3病院に1人の配置でもよい。時々交代する。
  • 費用は各病院に患者が1人増える程度の金額でできる。
    (配置施設に対し入院料を加算する方式でも、導入はできる)
  • 病院監視というより、患者の援助を中心にする。
  • なかなか進まない退院促進にも役立つ。
  • 高齢者、生活保護の患者が主体の病院にも必要である。
2:医療保護入院の廃止、審査への付添い人の制度化
  • 法律上の入院形態を見直す時期である。
  • 精神保健指定医と家族の同意だけで強制入院させる医療保護入院は大問題。
  • しかも年1回の書面報告の審査だけで何年、何十年も続くことがある。
  • 医療保護は、存続するなら行政の審査による入院とすべきである。
  • 措置入院は、すみやかな司法審査を必須とすべきである。
  • 人身の自由の制限には、法律家の援助がないといけない。
  • 適正手続きのために、弁護士による患者への面会と、審査への付添いを原則、無料で保障すべきである。
  • 任意入院でも、半数近くが閉鎖処遇という大きな問題がある。
  • 隔離・拘束・外出・面会・通信などの行動制限は、カルテ記載ではだめ。
  • 指定医であればオールマイティー、かつ記録記載を絶対視している現行制度。
  • 事後でも何でもカルテに書いたら、事実上何でも通ってしまう。
  • どれほど重大な人権制約か、医療側の認識が乏しい。
  • 行動制限はそのつど報告書を作り、患者サポーターを経て行政に提出させる。
 
精神医療の改善の方向性についどう思うのか 【まず、精神科特例の廃止にむけ、何が必要か。】
医療法施行規則の廃止と、病床削減は、最低限必要である。
・医療観察病棟で使われているマンパワーとプログラム、個室を、すべての精神科病床に配置する

現在の社会的入院患者の定義と対象者数(7万2千人)は、あくまで医学モデルと医師の判断に基づく定義であり、先述の院内における権利侵害的実態の結果としてのセルフネグレクトや諦めも「自己決定」「病状」に帰着させている。そのため、定義や対象者数についても、下記のような抜本的見直しが求められる。
  • イタリア等の病棟解体・縮小の実践を参照しながら、病床を削減し、その人手と財源を地域精神医療や地域生活支援活動に再配分する為の、地域移行に関する時限立法の制定が必要である。
  • 上記の時限立法と連動し、全入院患者に対して、病院関係者以外の第三者によるニーズ調査が行われるべきである。また、病棟においては「社会的入院」の状況を解消し、退院して地域での生活に戻っていくことを見据えた治療計画がたてられ、それに基づく治療や福祉サービスを受ける権利が実質的に保障されるような個別の支援システムの確立も必須である。
  • 入院患者を減らし、急性期の待機ゼロとなるよう、公立総合病院精神科に予算措置を至急うつ必要がある。
  • 予防拘禁的な実態を調べ、合わせて医療観察法に基づく強制介入のシステムも根本的な見直しを実施すべきでないのか。
(19条)自立した生活および地域社会に受け入れられること
保健医療(精神障害者施策の総合的な取組として重要な施策は何か)
  • 自殺に至らない方策として、精神症状の前駆症状や年金制度について、中学高校の授業で学ぶ機会があることは、大事な視点ではないのか。
  • 病歴の独り歩きで、一人の行為を全精神障害者を結びつけ断罪している報道姿勢は、どうしたら改善していくのか。個別の抱えた背景事情や社会のかかわりと医療の不十分さを深められる報道姿勢が求められる。
  • 退院して一人で地域生活を営むことができる場を、公営住宅から確保することは、大事ではないのか。どうしたらうまくいくのか。
  • 従事者が継続して働けるようにするには、福祉施策の予算も充実が不可欠では。
  • 当事者のセルフアドヴォカシー活動を予算的に支援すること。
  • 地域における権利擁護機関(尾上委員が提起した地域障害者エンパワメント事業や広域型権利擁護機関等)が定着するような予算を付けること。
(25,26条)健康、リハビリテーション

すべての病院に権利擁護者の派遣を

読売新聞大阪本社科学部次長 原 昌平

患者の力が強くなったと言われる。確かに10年前、20年前と比べると、権利意識や消費者意識はかなり高まった。新聞社に寄せられる相談でも「インフォームド・コンセント」といった言葉が今では普通に出てくる。

だが、実際に医療現場で患者の人権や尊厳が守られているかどうかは別問題だし、患者側の権利主張によって「医療崩壊」が生じたかのように言うのは間違っていると思う。

医療の危機、特に病院の医療提供体制が困難に直面している主因は、行き過ぎた医療費の抑制と人的・経済的な資源配分のアンバランスにある。その結果、現場に余裕がなくなるほど医療従事者の働く者としての権利は守られないし、医療を受ける側の権利も守られにくい。

スタッフにゆとりがあれば丁寧に対応できることも、人手不足だと粗雑になる。一人ひとり名前のある個人ではなく、「患者」としてとらえ、管理的になる。安全確保のために個別に付き添うのは手がかかるから、身体拘束につながったりする。

患者の人権・尊厳、そして医療の質の面で、問題の生じやすい領域がいくつかある。

①精神科病院、②高齢の患者、③生活保護など貧困な患者、④救急病院――である。

とくに①~③には、共通項がいくつかある。

第1は、苦情や不満を訴える力が本人にないか、訴える力が弱い、あるいは訴えてもまともにとりあってもらえないことが多い。

第2は、支援の弱さ。家族がいても大事にされているとは限らないし、身寄りがいない場合もある。法律家など外部の援助を得ようにも知識や経済力が乏しいことが多い。

第3に、行き場が乏しい。仮に、その病院を出たら、次に移れる医療機関や福祉施設がなかなか見つからない。家族による受け入れや介護も難しい。住まいがない場合はたちまち【野宿生活】になってしまう。

④の救急病院も、第3の点で共通している。救急車で運ばれる段階では通常、施設や医療内容を選択できないからだ。

というわけで、これらの領域では、問題がしばしば起きてきた。患者数の規模も大きく、全入院患者の半数以上はどれかにあてはまる。

もちろん、まじめに努力している病院は多いのだが、経営者の姿勢や医療従事者の資質によっては、こうした領域が問題病院や劣悪病院の温床になる。精神科病院では閉鎖性と強制入院制度の存在が拍車をかける。

代表格が、社会的弱者を食い物にして悪名をはせた大阪の安田病院グループ(1997年に廃院処分)だったが、それだけではない。

ルール違反の隔離・拘束や暴力をはじめ、患者を人として軽んじている精神科病院。高齢者を軒並み、ヒモでくくりつけている病院。低水準の医療や不必要な医療行為をする行路患者(ホームレス)主体の病院。どんどん救急を受け入れては、いい加減な医療をする病院……。

これらは今も現実に存在する。しかも格差・貧困の拡大で、弱い立場の患者は増えている。療養病床の削減、救急医療の危機、福祉の抑制などで行き場に困る度合いも高まっている。

行政はどうか。医療法や精神保健福祉法による立ち入り調査は通常、事前予告して年1回行うだけで、抜き打ちはめったにしない。病院への「頼みごと」も多いことから、どうも及び腰だ。保険担当の部門も、診療報酬をチェックするだけで、医療内容や人権には関心がない。生活保護を担当する福祉事務所もケースワーカーの手が足りないので、まれにしか病院を訪問しないし、医療の中身は任せきりだ。

医師会は「職業倫理指針」や「自浄作用活性化委員会」を作ったものの、それも実質的には機能していない。医療機能評価や、一部の病院団体によるピアレビュー(相互視察)も、本当に問題のある病院は参加しない。

では、どうすればいいのか。

大阪府は2003年度から「精神医療オンブズマン」を全国で初めて導入した。研修を受けたスタッフが閉鎖病棟まで訪問して患者の声を聞く仕組みで、大阪精神科病院協会を含め、関係機関すべてが存続を求めたが、橋下知事は財政再建を理由に2008年7月、年間わずか320万円ほどの事業費を打ち切ってしまった。

全く逆だと思う。オンブズマンの訪問は5年間に延べ76病院。療養環境などの改善に成果を挙げてきたが、数年に1回では個々の患者から見ると少なすぎるし、精神科病院だけでなく、高齢者など他の領域にも必要ではないか。

「患者の権利を守るスタッフ」(患者アドボケイト)を、すべての病院に常駐させるシステムを導入しよう。患者のため、という立場が重要なので、病院職員でも行政職員でもなく、外部の非営利団体から派遣するほうが望ましい。外部の目があれば、むちゃなことはできない。患者や家族はずいぶん安心できるし、相談もしやすい。人権を守り、最低限の医療の質を確保するために、いちばん簡単で効果的な方法だ。

決して夢物語ではない。米国の病院の多くは、外部団体の派遣か病院雇用のアドボケイトが常駐している。日米の医療に詳しい李啓充氏も、最大の違いとして強調している。

まっとうな病院にとって、怖いものではない。たとえば手術を受けるかどうか迷っている患者への援助。認知症が進んで身寄りのない患者の医療方針の決め方。患者の側に立ち、軸になる人間がいれば、もう少しスムーズになり、無用のトラブルを減らすのにも役立つはずだ。

財源を公費か保険から出すとして、いくらかかるか。府内の全病院を含む600カ所に、とりあえず週の半分ずつ計300人を派遣したら、諸費用込みの人件費を年500万円として15億円。膨大な額だろうか。【入院患者1人に医療費は年500万円以上かかっている】。不要な医療や社会的入院が減る効果を考えれば、医療費の面でも間違いなく十分なおつりがくる。

資料、添付

【土本委員】

ちいきで ひつようとする てきせつな しえんが うけられない ために せいしんの なかまたちも かくり され つづけている。

にゅうしょしせつ も せいしんかびょういん の もんだいも おなじ。ちてき や せいしん、なんびょう など ちょうじかんの みまもりしえんが ひつようです。

かくり しゅうよう を やめるために サービスの りようせいげん を いますぐ やめて ほしい。

わたしの おとうとは じゅうしょうしんしん しょうがいしゃと いわれ こどもの ときから いままで 40年いじょうも じゅうしょうしんしんしょうがいじ しせつに かくり しゅうよう されています。

ちいきで ひつようとする サービスが うけられれば いますぐにでも だしてやりたいと おもっています。

【長瀬委員】

(聴覚障害児医療の問題点:新生児聴覚スクリーニングと人工内耳手術)

厚生労働省の事業としての後押しを受けて広まってきた新生児聴覚スクリーニングは問題が多い。AABR(自動聴性脳幹反応)とOAE(耳音響反射法)による新生児聴覚スクリーニングによって発見されたろう児や聴覚障害児の親は、耳鼻咽喉科医や言語聴覚士によって早期から音声言語へ誘導されている。手話を言語として認知し(第2条)、障害児のアイデンティティの保持の権利を認め(第3条)、手話とろう文化という文化的・言語的アイデンティティの承認と支持の権利を認めている(第30条)、障害者の権利条約から見て、一方的に人工内耳や音声言語へ誘導する志向性を持っている現在の聴覚障害児医療は問題である。

【久松委員】

(1)ろう者や手話に理解のない医師が、入院したろう者に対し、手話の動作が治療を行う際に危ないという理由だけで、ろう者の手足をベッドに縛りつけた例が多い。

(2)ノーマライゼーション10月号2009年、特別養護老人ホ-ム「淡路ふくろうの郷の取り組み」大矢暹氏より

平成18年4月1日、グループホーム型ユニットケアの「淡路ふくろうの郷」に長期60名、短期10名、合計70名が入所してきた。

そのうち、43名がろう者、11名が中途失聴難聴者、6名が地域の高齢者である。

43名のろう者のうち29名が義務教育から排除され、このうち11名が全く就学歴がなく自分の名前も「筆記」できない。また、他のろう者との関わりを持てなかったので「手話」もできない。

入所してきた彼らの話(体験)から、

  • 本人の意思に反して結婚が許されなかった。
  • 「ツンボやメクラが生まれたらどうするのか」と脅かされて断種手術を強制された。
  • 20歳の頃から70歳までの50年間、保護観察処分とされ精神科病院で過ごし、社会から隔離された。

以上のように教育や福祉の貧困によって自立、自己決定、発達、社会参加、訓練が保障されなかった彼らが、治療の名のもとに隔離され本人の意思に反した医療措置が取られることが多い。

現行の医療制度が障害者への差別や隔離を助長している面があることを強く認識する必要がある。