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日時:2013年02月03日(10:30~16:00)
場所:戸山サンライズ 大研修室
 

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意見書のレジュメ(H22.04.19)

全国知的障害者施設家族会連合会
会長 由岐 透

1 知的障がいを持つ者の家族として。

入所施設を知的障がいを持つ者の「終の棲家」の選択肢の一つと位置づけること。 知的障がいを持つ者の家族を当事者として位置づけること。

2 自分の暮らし(人生)は自分で決められる制度とすること。

知的障がいを持つ者の暮らしについては、本人が決めることであり、制度や本人 以外の者及び機関が決めるものではないこと。

3 入所施設の更なる充実と拡充が必要である。

入所施設、グループホーム・ケアホーム共に、更なる充実と拡充が必要である。 家族亡き後の終の棲家が不足している。

4 安心で安全な社会づくり。

安心で安全な社会であるか否かは、普遍的なものではなく、個人が判断すること である。

5 障害者権利条約について。

障害者権利条約によって、幸福になる人、不幸になる人があってはならない。

6 我が国の悲しくもお粗末な障害福祉からの脱却

国は財政が豊かであるから障害者福祉予算を増やす、乏しいから減らすといった ものではなく、障がいを持っている者も同じ人間であるという人間感を持ち、財政状 況の問題ではなく障害者のセフティネットを確保する責務がある。

7 障害福祉と介護保険制度との統合への反対

介護認定を真似た障害者程度区分認定により、受けられる支援が決められ、自 己選択・自己決定権が奪われることのないよう留意する必要がある。

8 虐待防止法への対応

虐待の定義や虐待をする側とされる側とに分ける問題も含め根本的な検討が必 要である。

9 障害者総合福祉法への提言

障害福祉に係る費用は全て国の負担とすべきである。

障害者制度改革推進会議ヒアリング資料(H22.04.19)

意見書

平成22年4月13日
全国知的障害者施設家族会連合会
会長 由岐 透

1 知的障がいを持つ者の家族として。

国家とは、国民の生命や財産を守ることを第一義として、国民の暮らしや家族の在り 方に ついては、公共の福祉に反しない限り介入しない。家族の在り方については、法や 制度の枠 に縛られることなく、その繋がりは論理とは異なる情の世界である。その情の 表し方は様々であり、特に知的障がいを持つ者の家族は、精神医学及び臨床心理学の領 域で、過保護や共 依存と評される反面、養育等について拒否的な家族もいるとも言われ ている。しかし、入所 施設に我が子を入所さすこと、若しくは入所していることが強制 であり差別であるとすることは、非常に一方的で傲慢でさえある。さらに、入所してい る知的障がいを持つ者に非常に 失礼なことでもある。

生まれたときから我が子が安心して人生を全うし、どうすれば幸せな一生が送れるか を考え、悩み、迷いどのような想いで入所施設に辿り着いたのか、その過程を考え想像 してみて欲しい。決して家族が楽をしようとか、我が子の幸せを考えずに入所施設を選 択したのではないことを理解して頂きたい。

知的障がいを持つ我が子が40歳になれば両親は65~70歳になる。40歳になっ ても 幼児レベルの生活しかできない我が子を年老いた両親が面倒を見ていくことは困難 である。 両親が若くて元気なときはともかくも、老若支援(年老いた親が親よりも若い 我が子の支援 をすること)では親子共倒れになるため、入所施設を利用することとなる。 我が子らは、移動が困難ではなく、危険を察知できないまま行動することに障がいを 持つ 者であり、何ができないから支援をするということだけでなく、24時間の安全を 切れ目な く一貫的に見守る支援が必要である。階段や段差があるので電車やバスに乗れ ないのでなく、乗る目的を持つことが困難なのである。

知的障がいを持つ者の家族の多くは、「我が子らの終の棲家はどこか」と家族作りを 長き に亘って探し、またそれを創ってきた。その一つの到達点として、旧法入所施設に たどり着いたが、その入所施設は法及び制度的に「自分の糧は自分出稼ぎ、人に依存し ない」という意味の自立を促進するための通過施設であるとされ、終の棲家としての位 置づけとはなって いない。そのため、入所施設を終の棲家として望む者は、常に「日陰 者」であった。自らの 家族を作れない多くの知的障害者の本人にとって安心で安全な終 の棲家を整備しないまま、 入所施設を終の棲家としない法及び制度自体が差別である。

障がいを持たない人は家族に囲まれて育ち、やがて自分の家族を持ち、家族に看取ら れて旅立つ。しかし、知的障がいを持つ人の多くは自らの家族を持つことはできない。 我が子らにも家族を作ってやりたい。家族と同じ気持ちで支援してくれる人や仲間に囲 まれて生まれてきてよかったと思える暮らしをさせてやりたいと思うのである。

その場所は入所施設であってもグループホームやケアホーム(以下、「グループホー ム等」という。)であっても基本的にはかまわない。また、いわゆる都会であっても田 舎でも我が 子らが心地よいと思えるところであればかまわないと思っている。それは選 択肢の問題である。

家族としての想いは、我が子、我が兄弟たちが健気に生きようとしている、その命を 精一 杯守っていきたいという意味合いの強いものであり、これらは、建前としての生命 尊重や人権擁護や自立ではなく、いわば根源的な人間としての、こみ上げてくるような 情感に駆られた気持ちから出てくる想いである。

2 自分の暮らし(人生)は自分で決められる制度とすること。

障害者自立支援法(以下、「自立支援法」という。)の最大の問題点は、人の暮らし を障 害程度区分及び支給決定という手法により、国及び行政機関が統制できる法とした ことである。

具体的には、障害程度区分によって利用できる支援が市町村による審査会で、本人抜 きに 決められる仕組み、いわゆる利用制限及び利用期間制限が設けられたことである。

しかしながら、自分にとってどの支援が良いのか否かの判断ができ難い多くの知的障 がい を持つ者にとっては、その判断の補佐ないし代理する者が必ず必要である。その補 佐ないし 代理する者は家族である。なお、補佐する者として、家族に限らず友人や本人 が信頼する支 援者であっても、自らの判断をそのものたちに委ねるという自己選択・自 己決定をするのであって、自己選択・自己決定を犯すことにはならない。

自分の暮らし方を自分で決めることは、障がい者に限らずどんな人間であれ自立する 基盤であり、自立そのものでもある。自己選択・自己決定を剥奪された下での自立はあり えない。

3 入所施設の更なる充実と拡充が必要である。

人が長い人生を送るためには、家族がどうしても必要である。同様に伴侶に恵まれた 一般 的な家族を作れない多くの知的障がいを持つ者にとっても、家族は必要である。友 人や支援 者に囲まれての人生を否定するものではないが、我々は家族を自らが作れない 知的障がいを持つ者の家族作りを旧法入所施設に求めている。

一方、我々は旧法施設の現状を決して満足しているものではない。一部の施設におい て起こる施設内虐待、一部の施設で見られる施設経営や運営の優先と、職員の資質低下 もあいまって、一般社会の生活水準以下の生活を強いられている現状も十分認識してい るところである。

しかし、このような施設がどうして存在するのかの原因究明と、その改善を怠った国 の責 任も見逃せない問題である。また、北海道での無断で外出した入所者の事故に対し て、施設 側が施錠等の「安全配慮義務」を怠ったという判決があったが、障がい者福祉 の現状と司法とのギャップをどのように考えるのかの問題も含まれている。

このような現状や知的障がいを持つ者だけの生活形態をもって入所施設の不要を唱え ることは、「大雨が洪水が引き起こすので、雨はいらない。医療ミスが起こるので病院 は要らない。」と唱えているようなものである。洪水や医療ミスが起こらないようにす ることが大事であると同様に、優先すべきは、虐待が起こり得ない、また一般社会の水 準が確保された生活ができるような制度とすることである。

また、自立支援法は「地域移行」という曖昧な概念によって、あたかも入所施設より も「地域(グループホーム等)」が人間らしい生活ができるとして、入所施設からグル ープホーム等への移行を様々な仕掛けを用いて誘導している。しかし、これは知的障が いを持つ者の生活の質という視点で見れば、入所施設もグループホーム等も両方共に不 十分な施策であり、どちらを選んだとしても十分な生活は保障されていないという点と、 両方とも国の障害者施策としてあるのであって、グループホームが個室であれば、入所 施設も個室にするとか、グループホームで健康管理や病気養生ができなければ、それが できるようにするとかをすべきであり、グループホーム等を充実して入所施設を縮小等 をするなどの制度設計は明らかに間違いである。両方共に充実を行うことが重要である。

自宅はもとより入所施設やグループホーム等がどんなに重度な知的障がいを持ってい ても 安心で安全で快適に暮らせる場所とした上で、それらのいずれかを生活の拠点とし て自己選択、自己決定できることがノーマラゼイションの原点である。入所施設をオー プンに、透明 性の高い開らかれ、もっと入・退所が自由にでき、必要な支援を障がいを 持つ者が主体的に利用できる施設に改革することが急務である。待機者が多く、入所施 設の絶対数が不足している現状では入・退所はおろか不満足な処遇であっても我慢しな ければならない。このような状況では事業者・施設にとって有利であることは間違いな く、入所者の声が施設運営に反 映され難い。障がいを持つ者とその家族は不利な条件の 下におかれる。劣悪な処遇、虐待が施設で起こっても本人、家族から告発された事例が ないのは何故か。ここより他に頼れるところがないから我慢しているのである。このよ うな貧しい障害福祉制度を作り出した国、政治の責任は重大である。国、政治のあり方 を問わないで入所施設の存在そのものを非難することは正しくない。

本人及び家族が入所施設を必要とした場合に、何時でも入所できる施設整備が必要で あり、これによって安心して在宅を続けられることにもなる。また、入所施設と在宅福 祉との費用の格差が生じたとしても、本人等の選択の結果として捉えることができる。

4 安心で安全な社会づくり。

安心とは、気掛かりな事が無く、心(気持ち)が落ち着き安んじることであり、安全 (あ んぜん)とは、危険がないこと、被害(有形・無形を問わず)を受ける可能性がな いことで ある。

この安心と安全は個人と個人以外(一般社会)との関係において、個人が安心で安全 かを判断するものであり、決して普遍的な事柄ではない。ある人にとってある地域は「安 心で安全」であったとしても、別な人にとって「不安で危険」な地域であることも多い。

障がい者福祉においても普遍的な安心で安全な社会を目指すことは重要なことであって も、安心で安全の個人性は解決できない問題であろう。例え、大多数の人が安心で安全 な地域であっても、 それ以外の地域が、その人にとって安心で安全であればその選択は 権利として保障すべきである。これを間違うと、過去の我が国の障がい者福祉と同じ轍 を踏むことになる。

5 障害者権利条約について。

障害者権利条約(以下、「条約」という。)は、各条文がどのような意味で作られた かは 大事なことであるが、我が国の国民が通常有する価値観や人間観を下に解釈されな ければならない。ある人たちにとって幸福な社会で、ある人たちにとって不幸な社会に なってはならない。

6 我が国の悲しくもお粗末な障害福祉からの脱却

措置費制度の財源については、障がい者福祉に必要な予算措置を国の責任で行ってき たが、自立支援法になって障害程度区分・支給決定という手法の中で、福祉経費を統制 できる仕組みとした。

本来、国家の障害福祉予算は財政が豊かであるから増やす、乏しいから減らすといっ たものではなく、障がいを持っている者も同じ人間であるという人間感を持ち、財政状 況の問題ではなく障害者のセフティネットを確保する責務がある。

障害者権利条約の根本理念はいかなる障害を持つ者も地域で当たり前に生活すること にあり、究極の理念として賛成できるが、日本の障害福祉の現状や社会的状況はただち に障害者権利条約の理念を実施する上で相当のギャップがあるから財源の問題を含めて 検討する必要がある。

7 障害福祉と介護保険制度との統合への反対

介護保険制度の介護認定を真似た障害者程度区分の認定の概念を障がいを持つ者の分 野に持ち込むことには反対である。障がいを持たない人と差別され、さらに障がいを持 つ者のなかで差別することは、いかなる理由があっても許すことができない。

障がいを持つ者が希望する支援は可能な限り権利として位置づけるべきであり、自ら セルフマネジメントできない場合は、本人が最も信頼できる家族や知人及び支援者が支 援すること。

障害程度区分認定により、受けられる支援が決められ、自己選択・自己決定権が奪わ れることのないよう留意する必要がある。

8 虐待防止法への対応

虐待防止法を知的障害施設に適用する場合、虐待の定義や虐待をする側とされる側と に分ける問題も含め根本的な検討が必要である。虐待の定義と意味内容は高齢者虐待防 止法や児童虐待防止法と本質的に異なるはずである。福祉現場は濃厚な人間関係の中で、 快適な生活の支援ばかりではなく、職業的能力の向上や人間的な成長を目指す教育的な 支援も含まれる。虐待の定義によっては、それらの支援が消極的になる恐れも危惧する ところである。虐待防止法の制定を急ぐよりも、虐待が起こらないような障害福祉現場 の環境整備が必要である。

9 障害者総合福祉法への提言

どのような立派な法律制度を作っても財源が確保されていなければ機能しないのであ る。財源削減のために制度法律を変えることは絶対にやらないでほしい。財源を理由に 社会的弱者を切り捨ててはならない。

わが国のGDPに対する障害関連経費の占める割合はアメリカの二分の一、ドイツの五 分の一、スウェーデンの九分の一である。欧米からは日本は福祉社会の体を為していな いと批判されている。障がいを持つ者は世界のどこの国にも人口の8~10%がいる。

この世から障がいを持つ者をなくすことが、医学モデルの考え方であるが、未来永劫に 障がいを持つ者がいなくなることはない。障がいを持つ者は社会の構成員として必要な 存在であり、この人たちを排除しては社会が成り立たない存在であるなら排除してはな らない。障害を持たない 者が生存するためには、障害をもつ者の存在が必要なのではな いか。そうであれば、障害福祉に係る費用は全て国の負担とすべきである。