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特集/「障害者の機会均等化に関する基準規則」から見た日本の現状

「基準規則」の歴史的意義

長瀬 修

 本稿では「障害者の機会均等化に対する基準規則」(基準規則)の持つ背景、歴史的意義を焦点に、その採択への過程、特に「障害者に関する世界行動計画」(世界行動計画)との比較における特色、そして将来への展望を述べる。

差別撤廃条約の提案

 1983年から開始された「国連障害者の十年」は前年に採択された世界行動計画の実施の枠組みとして宣言された。しかし、1981年の「国際障害者年」の盛り上がりは障害者インターナショナル(DPI)に代表される新たな障害者運動に受け継がれるものの、国際社会、各国内で次第に失われていってしまう。その沈滞した雰囲気に一気に活を入れたのが、1987年8月にストックホルムで開催された10年の評価のための中間年専門家会議である。この会議は国連が開いた専門家会議として初めて障害者自身が多数を占めた点だけをとっても歴史を画すが、その勧告の内容の大胆さ、そして歴史的意義においても後世に残るべきものを持っている。その最たるものは「障害者に関する差別撤廃条約」の提案である。ただし、条約の提案自体はストックホルムでの専門家会議に先立って同年3月にリュブリアナで開かれた欧州地域の世界行動計画実施に関する会議で行われていた。

1987年国連総会

 この提案を受けた1987年秋の国連総会第3委員会の議論は議事録で振り返ると非常に活発で、国際社会での障害者問題の位置づけ、理解を端的に表しているので、少し詳細に紹介したい。

 ストックホルムの専門家会議の「条約」提案を国連総会に持ち込んだのはイタリア政府だった。イタリア政府は、1971年の精神薄弱者の権利宣言、1975年の障害者の権利宣言に触れ、これらが拘束力を持たない宣言であり、障害者の権利を保護するのに必要な最低限の基準すら提供していないと訴えた。

 しかし、大多数の政府は反対に回った。まず財源難を理由にする政府が目立った。国連の財源難は現在も続く恒常的な状態となりつつあるが、オーストラリア、英国は明確に財源を理由に難色を示した。専門家会議の勧告全般を「多少野心的に過ぎる」とした日本は「条約起草のメリットはほとんど見い出し難い」と発言しているが、国連の行財政改革に熱心な日本政府のふだんの姿勢からすれば、財政問題が念頭にあっただろうと思われる。このような各国の対応は、裏返せば、障害者の位置づけが低い優先順位しか得ていないことの証明である。イタリアはこれに対して、「財政的な含みは総合的な優先順位の枠組みの中で適切な時期に評価されるべきである」と述べている。

 障害者だけを対象にすることへの抵抗感も表明された。北欧諸国グループを代表して、スウェーデンのリンドクビストは、既存の人権宣言や経済、社会、文化権規約が既に「すべての人」の権利を保証している以上、障害者だけを対象にした新たな条約の策定が必要であるかどうか納得が行かないと述べている。国際労働機構(ILO)は障害者だけを特別な考慮の対象とすることはかえって障害者を周辺に追いやるという逆効果になりかねず、しかも既存の人権文書の役割を弱めてしまうという懸念を表明した〔ILO自体が職業リハビリテーションと雇用(障害者)に関する条約1159号条約を1983年に採択しており、この発言は矛盾している〕。カナダも翌年の書面による意見表明で障害者問題は人権問題であることは認めつつも、人権文書は「障害者の異なる取り扱い」を求めていないとした。

差異のジレンマ

 これは、「障害者」というラベルを貼ることの功罪という問題で確かに核心に触れる論点である。つまり、差異に注目することが格差の拡大をもたらす場合がある反面、差異を無視することが格差の拡大につながる場合もある。ミノウはこれを「差異のジレンマ」と名付けている(文献1 略)。差異、障害者分野でいえば、障害(disability)、つまり、身体的・感覚的・知的機能の制約を持ち、社会的に不利益を受けてきた集団や個人に対して、その不利益の是正を行おうとする場合に、差異、すなわち障害に着目せざるを得ない。しかし、それは逆に差異を強調、固定化することにもつながる。日本での障害者の雇用率や米国のアファーマティブアクションと呼ばれる積極的差別是正措置には常に、差異(障害や人権)を法律や行政措置が制度化してしまう危険性がつきまとう。それを避ける1つの方法は確かに、北欧やILOが述べたように、万人を対象にするという普遍化である。例えば、A Society for all(全員参加の社会)は普遍化指向の発想である。

 しかし、差異のジレンマにはミノウが述べているように、反対の一面もあり、それは、差異を無視することにより、かえって平等が実現されないことである。例えば、視覚障害者に対して音声、電子情報や点字での情報の提供を拒むことは、その差異を無視することで、差別的となる。のっぺらぼうの「普遍」が一部の人間、例えば障害のない、健康なある年齢層の有職男性だけを意味する時に、その弊害は明らかである。

条約の不成立と基準規則の策定

 この議論に対してイタリアは、女性という特定の集団を対象にした女子差別撤廃条約の例を挙げ、条約が障害者の生活状況に大きな変化をもたらすと反論した。

 しかし、全くの多勢に無勢でイタリアの孤軍奮闘に近い状態で条約の提案は合意を得られない。1987年の総会、もしくは翌年の書面による意見表明で条約に反対もしくは消極的な態度を表明したのはオーストラリア、オランダ、カナダ、スウェーデン、日本、フランス、ベルギー、北欧諸国それにILOである。賛意を表明したのはイタリア以外では、エクアドル、エチオピア、ギリシャ、クウェート、白ロシア、ルクセンブルク、ルワンダ、アジア太平洋経済社会委員会(ESCAP)、ユネスコである。

 1989年に至って、今度はスウェーデンが世界行動計画の実施の不十分さを理由に再度、「障害者の権利」を保障する条約を提案するが、議事録を見る限り、今度は活発な議論を引き起こすのにも至らなかった。北欧諸国グループでも意見がまとまらず、1987年に旗振り役だったイタリアも沈黙を守り、ウクライナが賛意を表明するに止まる。今回も合意形成には至らず、新たな障害者分野の取り組みは頓挫するかに見えたが、リンドクビスト以下のスウェーデンは粘り腰を見せ、1990年の経済社会理事会でも条約を提案し、それが拘束力を持たない基準規則策定として実を結ぶ訳である。子どもの権利条約のポーランド、アジア太平洋障害者の十年の中国の例でもそうだが、1か国でもある政府が本気になった場合には大きな指導力が発揮できる。

 1987年から90年にかけての過程を振り返ると、障害者の平等を確保するために特別な権利を設定するべきかどうかが大きな論点だった。それは、国際障害者年のテーマでもあった障害者の「平等」とは何か、障害(disability)を持つ人に対する社会的不利(handicap)を取り除くにはどのような方法が有効であるかという議論であった。障害者の機会均等、機会の平等を確保するために、まずは拘束力を持たない基準規則を障害者を対象に策定するという国際的な合意が1990年に形成されたのである。

基準規則の特色

 特に世界行動計画との比較を念頭においた場合に、基準規則の特色はまず第1に、明確に社会が作り出している障害者への障壁の除去にある。予防には触れていないし、リハビリテーションもあくまで前提条件である。1976年に国際障害者年を宣言した国連総会決議が「障害者が社会的に適応するために」という目的を謳っていたが、障害を持つ個人の問題から社会の構造の問題に、20年に満たない期間を経て、障害者問題観は革命的な変化を遂げた。

 第2点は、「性的関係、結婚、親となること」に関する差別(規則9)を明確に取り上げた点である。障害者の性、生殖は歴史的にも社会進化論や優性思想から抑圧を受けてきた。日本の優性保護法や米国の多くの州に現存する断種法をはじめ、障害者の性、生殖を規制する法律は国際的に珍しくない。これらは明白に基準規則に抵触する。

 第3に、障害種別への理解への深まりが見られる。これは基準規則への障害者インターナショナル(DPI)、世界盲人連合(WBU)、世界ろう連盟(WFD)、インクルージョン・インターナショナル(旧IISMH)等の国際的障害者組織が積極的に参加した成果である。規則5が、従来から取り上げられている物理的アクセスに加え、情報やコミュニケーションのアクセスを独立した項目として取り上げている点や、教育に関する規則9が、ろう者の文化について言及しているのは著しい進歩である。

 第4に実施を保障する仕組みの確立がある。世界行動計画は5年毎に国連事務局が各国政府に実施状況を問い合わせる形で行われているが、基準規則では特別報告者と国際的障害者組織による専門家集団の設立という実施を促進する2つの一層効果的な制度が第4章で規定されている。特別報告者にはリンドクビストが就任し、ストックホルムから精力的な活動を続けている。専門家集団にはDPI、インクルージョン・インターナショナル、リハビリテーション・インターナショナル、WBU、WFDなど従来から障害者分野に代表を出しているNGOに加え精神障害者を代表し世界精神保健ユーザー連盟(WFPU)も代表を送っているのが注目される。専門家集団は1995年1月に第1回会合を開き、1996年始めに第2回会合を予定している。

基準規則の実施と将来

 基準規則の実施に向けて、昨年の9月に特別報告者から各国政府宛てに4項目の非常に簡潔な問い合わせが送付された。基準規則を周知させるための活動や、基準規則の利用予定を尋ねている。回答した政府は四十足らずであり、日本政府は回答していない。

 このような政府の関心の低さに対して、NGOを中心に取り組みがなされている。これは、世界行動計画と10年に比べても大きな違いである。アジア太平洋障害者の10年の推進に民間団体が大きな役割を果たしているように、民間の役割は大きい。

 社会開発サミット直前にコペンハーゲンで開かれた障害に関するNGO会議(1995年3月)では、基準規則の実施状況を測定する指標の作成が提案され、秋には各国の障害者組織に送付されている。日本では日本障害者協議会や日本DPIなどが取り組んでいる。

 Disability Awareness in Action という英国に本拠をおくNGOは基準規則の利用法のキットを作成した。日本では、日本障害者協議会が翻訳し普及活動に努めている。また、オランダのナイメーヘン市では地元の障害者組織の求めに応じ市の政策として基準規則を採択している。

 各国政府、特別報告者や専門家集団を含むNGO活動を通じて基準規則の内容が実施されるのが理想である。しかし、もしその成果が不十分な場合には、「条約を」という声が再度上がることは十分に予想される。現に1993年の世界人権会議のために開催されたラテンアメリカ・カリブ海地域会議はそのサン・ホセ宣言で国際的な障害者の権利条約を求め、同地域を含む米州機構(UAS)では、障害による差別撤廃条約をDPIが提案し、現在ロビー活動中である。1995年9月の第4回世界女性会議でも、基準規則を条約にという訴えがなされている。条約の作成過程では基準規則の内容が弱められる恐れが多分にある点に留意しながらも、条約の可能性を意識し続ける必要がある。

 機会均等を通じた障害者の平等、権利の実現が最大の目的であり、条約や基準規則はあくまで、その道具にしか過ぎない。しかし、活用のしがいのある道具であるかどうかは、結局は障害者組織を通じた障害者自身にかかっている。

(文献1 略)

(ながせおさむ 元国連職員)


(財)日本障害者リハビリテーション協会発行
「ノーマライゼーション 障害者の福祉」
1996年3月(第16巻 通巻第176号) 9頁~12頁