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日本の現状

規則10 文化について

薗田碩也

文化のある暮らし

 国際障害者年以来、障害者の生活保障については一定の前進がみられたが、その「生きがい」保障となると、まだまだ大きな課題を残している。「人はパンのみにて生くるにあらず、神の言葉によって」生きる。もう少し一般化すれば、「文化」によってこそ人間らしく生きることができる。生きがいのある前向きの暮らしというのは、生活の中にさまざまな文化が生きていて、美しいものや知的なものにふれて、楽しく生きられるということにほかならない。

 日本には音楽であろうと、絵画や演劇であろうと「文化」が溢れているようにみえる。テレビをつければ朝から晩まで、歌だドラマだ教養だと「文化の大洪水」という観さえある。だが、よく見ればそれらは東京発地方着の中央文化であり、プロの創作者が大衆向けに大量生産していて、大衆の側は受け身で亨受している(させられている)受動的文化である。もちろんそれらに意味がないわけではないが、それに対抗する市民の側からの文化創造がどれほどあるかというと、はなはだ心もとないのが現状である。

 大衆はせいぜいカラオケで自己表現の真似事をするのが精一杯、まして障害者の表現や創作はお寒い状況におかれつづけている。基準規則のいう「障害を持つ人がその創造的・芸術的・知的潜在可能性を利用する機会」は保障されていないのである。

障害を超える創作者たち

 確かに、近年次々とつくられている文化施設には、障害者がアクセスしやすいような配慮がなされるようになってきた。新しい美術館や博物館には、バリアフリーの配慮や入場料の割引もある。視力障害者も楽しめる「手でさわれる美術館」もつくられた。音楽会や演劇公演に車いすで出かけることも、比較的容易にできるようになった。講演会でも手話サービスが行われるケースが目につくようになってきている。

 障害者と創作発表の場を近づけるについては、障害をもつ表現者・芸術家が活躍するようになったことが大きく貢献していると思われる。視力障害の音楽家の活躍については、宮城道雄師以来、多くの例があるし、絵画の制作には肢体不自由をものともせず、みごとな作品を発表しつづけている少なからぬ画家たちがいる。作品を世に紹介する「障害者アートバンク」の存在も重要だ。

 また、聴力障害者が率いる「デフパペットシアターひとみ」では、聴力障害を言わば1つの方法ととらえて、手話を活用した独自の表現を追求し、感動的な舞台をつくりあげている。手話が高い文化性を持っていることは、最近ヒットしたドラマ『愛していると言ってくれ』の影響で「手話ブーム」が起きたことが如実に物語っている。障害者の中からすぐれた創作者が現われれば、障害者も自信をもって公演を観に出かけていくことができるだろう。

 それとともに、もっと多くの障害者が自ら音楽や絵画や演劇の創造に参画していくべきである。文化とは受け身で鑑賞する以前に、自らつくって楽しまれるべきものであり、そこに人として生きる喜びがあるのである。障害者は芸術文化の創造に向いていないどころか、障害に押さえつけられている分だけ、健常者以上に強烈な表現への意欲を秘めている。

 障害者が気づいていない、あるいは予感はあってもあきらめている自己表現を引き出すための支援活動が、もっと強力に進められるべきだろう。近年、各地で障害者の芸術祭が活発に催されているが、三年前から戸山サンライズで行われている「障害者と共に創る文化活動ワークショップ」もそうした方向を目ざした一つの試みである。障害者がクリエイティブになることのできる社会は、全体としても十分クリエイティブでありうる。基準規則のいう「地域社会を豊かにする」条件は、障害者が地域の文化創造にともに参画することでなくてはならない。

文化を支援する人と道具

 「文化」というと何やら高尚で、凡人には手の届かない彼方のこと、と思っている人が障害者のみならず一般の人にも多いのではなかろうか。しかし、学問・芸術ばかりが文化ではない。毎日の暮らしの中にある「生活文化」も重要な課題である。料理をつくったり、部屋に花を飾ったり、編み物や日曜大工に精をだすのも、生活を美しく楽しくする文化の営みに違いない。その延長上に音楽を聞いたり、楽器に親しんだり、絵を描いたりする芸術的な活動がつながっている。

 こうした身近な活動に関する障害者への支援策を、もっときめ細かく考える必要がある。衣食住の生活のレベルで、介護や生活援助のための機器の開発が行われているように、文化的なレベルでの援助活動や機器開発が考えられるべきだろう。視力障害者にとっては音楽は重要な生活の友だが、簡単に好きな曲の再生ができるような補助装置をつくるとか、肢体不自由の人が絵を描きやすいように工夫した絵筆や、絵の具を絞り出す道具といった、福祉機器の文化・芸術版が発明されていいだろう。人的な支援としても、生活支援のボランティアに加えて、音楽活動のボランティアとか、絵を描くボランティアとかの活動を生みだす必要がある。

 芸術文化は人と人との心のコミュニケーションを可能にするとともに、各人の魂を深く慰め、癒しを与えてくれる。「共生」の社会をつくることは我々の目標だが、それを完成させてくれるのは「文化の日常化」ということにほかならない。

(そのだせきや (財)日本レクリエーション協会)

規則10 文化

政府は障害を持つ人が平等な立場で文化活動に統合され、参加できることを保障すべきである。

1.政府は都市部であれ農村部であれ、障害を持つ人自身のためのみならず、地域社会を豊かにするために、障害を持つ人がその創造的・芸術的・知的潜在可能性を利用する機会を持つよう保障すべきである。その活動例はダンス、音楽、文学、演劇、造形美術、絵画、彫刻である。特に途上国ではあやつり人形、朗唱、語りなどといった伝統的、現代的芸術様式が強調されるべきである。

2.政府は障害を持つ人に、劇場、美術館、映画館、図書館といった文化的催し・サービスを提供し、これを障害を持つ人が利用できるようにするよう促進すべきである。

3.政府は本、映画、演劇を障害を持つ人が利用できるようにするための特別な技術的取り決めの策定と利用を提唱すべきである。


(財)日本障害者リハビリテーション協会発行
「ノーマライゼーション 障害者の福祉」
1996年3月(第16巻 通巻第176号) 22頁~23頁