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ワールド・ナウ

インドネシア

CBRを支える障害者たち

久野研二

 コミュニティ・ベースド・リハビリテーション(CBR)は、途上国での障害者問題解決のための考え方として各地で行われており、インドネシアでも政府や多くの民間団体が実践している。

 僕の活動しているセンターには、CBRの村落地域への導入のために働いているファシリテーターが11名いる。

 今年29歳になるピカットもその1人で、大学で社会政治学の勉強をし、1994年にセンターに入職したポリオの障害のある女性だ。彼女の家も村にあるのだが、今までの村の障害者を対象として行われてきた、たとえば専門家の巡回サービスなどを、彼女自身の障害者としての目でみると、実際のニードに合っていない、解決とならないものが多く、自分自身でそれをやりたい、と思ったことが入職の動機である。

 彼女たちCBRファシリテーターはCBRの導入にあたってまず行うのは、その村に住み込み、参加型村落評価という活動で、その目的は地域社会の中に障害問題があることをみんなに気づいてもらう、というきっかけ作りである。障害者やその家族を含めた村落集会を開き、障害者の家、そして保健所や学校、またモスクといった、CBRの資源となりそうなものの地図を作ったり、これらの施設や青年団、婦人会などと障害者とがどのような関係にあるかという図をみんなで作って討論したりするのである。また、隣組や町内の話し合いに出てCBRの話をしたり、役場と掛け合ったり、CBRを村で実践していく母体となるCBR委員会の組織化なども行う。

 また各町内ごとにある、5歳児以下の母子を対象とした検診活動を行う婦人会のボランティア対象に、ポスターを使って早期発見の指導をしたり、障害者の家族に訓練方法の指導をしたりという仕事もある。そんな仕事なので、三輪に改造したバイクに乗って村中を廻っている。しかしこの3輪バイク、バランスが悪く、彼女はよく道路脇に落っこちて擦り傷を作っている。

 現在このプロジェクトは十八の村で行われているが、当然うまくいっているところもそうでないところもある。彼女は女性かつ障害者であり、インドネシアのようなイスラム教社会では二重の不利益を抱えている。

 村で訪問活動をしていると、寄付のための集金活動と思われたり、集会に招待されなかったり、また、なぜ障害を持った人に村でのこのような活動をさせるのかといった批判を村人からされたこともあった。ストレスで1週間仕事を休んだこともある。

 村に入って数か月、徐々にではあるが村が彼女を受け入れるようになった。そして一緒に仕事をしていこうという雰囲気になり、村の会議で各世帯から毎月CBRのためのお金を50ルピアずつ集めることを決めたり、村での年間活動計画を作ったり、口蓋裂の手術費用の援助をしてくれる団体を自分達で探したりと、少しずつ具体的な活動が始まってきた。ピカットは「まだまだ活動は始まったばかりだけれど、村の人たちが私を、障害者を受け入れるということが、最初のそして一番大きなステップであり、それを今上ったことは確かだと感じています。村の人たちがCBRという言葉を知っていようといまいと、それはCBRの考え方が根づき始めたことだと思っています。」と言っている。

 村が変わり始めた。そして障害者自身も。

 スダルティもポリオの障害があるが、ピカットに会い、障害者の家族に訓練方法を指導するCBRのボランティアとなった。シティは通信制の大学で勉強している両下肢マヒの女性だが、彼女はピカットに出会い、色々話をし、その年開かれた独立記念日のパレードに、彼女は車いすで初めて参加した。パレードに参加した唯一の障害者であった。彼女は今、自助グループに興味を持っていて、何かを始めたいと考え始めている。

 ピカットは「この仕事が本当に好きだ」と言っている。何度かセンター内での仕事に戻る話もあったのだが、彼女の意志で、乾期には水が無くなり、雨期には道路が川になる村で、いきいきと活動を続けている。

 CBRのファシリテーターの役割は、障害問題の解決に向け、障害者を含めた地域社会を力づけることである。ピカットは障害の〝問題〟を明らかにしたのではなく、CBRの〝目標〟である、障害者がいきいき生きる社会を、まさに見ること、話すことのできる1つの具体的な存在として明らかにしたのだと思う。

 ピカットがスダルティやシティ、そして村の人達の変わるきっかけとなったように、スダルティやシティもまたそのきっかけとなっていくのだろうか。

 僕たちのCBRはこういう人達によって支えられている。

(くのけんじ CBR開発・研修センター)


(財)日本障害者リハビリテーション協会発行
「ノーマライゼーション 障害者の福祉」
1996年3月(第16巻 通巻第176号) 68頁~69頁