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特集/市町村の福祉のまちづくり

「ホーム」と「ハウス」

「まちづくり」の哲学

光野有次

 「街づくり」を論じる視点は、およそ2つに分けることができよう。ひとつは、都市計画論からであり、もうひとつは、住居論からである。換言するなら、鳥瞰図だし、それに対する虫瞰図である。ランドスケープ(都市景観)的に都市の機能や美観を論じることに対して、僕は決して不快な思いは抱かないのだけど、ここでは「生活者の生活の器の集合体」としての視点で「まちづくり」を論じてみたい。

1 「元気」を前提にした家づくり

 以前、コマーシャルで、「人が主と書いて住という」というのがあったけど、まさしくその通りに人間の住いの器が住居だと僕も考えている。家に戻って、「ホッ」とできることこそが住居としては大事だと思うし、くつろぎの場でなければならない。

 これまで、我が国では自分の家を建てることは、男子一生の大仕事であり、極端に言えば「心・技・体」の最も充実したときに、そのことは実行されるのである。つまり、人生の中で、最も元気な時期に、それは計画され実現されるものである。であるから、その時のいわば「気分」によって、その家の設計コンセプトが設定され、そのコンセプトにそって、設計された家が建てられることになる。

 そのような状況の中で建てられる家は、だいたいは、「家族皆が元気」を前提にしている。だから、その家は、病気の家族がいることや、障害を持つことになって生活するような家族がいることを前提にしたり、まして本人が年をとって車いすを利用するなどということは、初めからイメージされるものではないわけである。

 だが、考えれば簡単にわかることなのだが、そのようにして建てた家を一番利用するのは、家族の誰かが「弱った」時である。例えば、風邪をひいたり、二日酔いで会社を休むとき、その家は、1日中利用されることになる。あるいは、出産を間近に控えた妊婦(すなわち奥さん)は1~3週間、ぶっ通しでその家を利用することになるし、産後の数か月も続くことだろう。また、定年後しばらくしてやや外に出るのがおっくうになってくる頃、その家は最大限に利用されることになる。つまり元気なときは、家はあまり利用されない。

 ところが、その家の設計コンセプトは、「元気」なときを前提としたものであるから、本当に目一杯利用しなければならなくなったときには、あちこちに不便なところが生じてしまう。それはその時にしか気が付かない。

 これが、今日の日本の住居の平均的な姿ではないのだろうか? 僕らは、月に数軒の割合で、そのような住居のリフォーム(というよりは改善)の仕事を依頼されているので、そのことを毎回、痛感させられている。

2 快適生活を維持できる家

 昨今、建設省によって「ハートビル法」が制定され、さらに「長寿社会対応住宅設計指針」も出されようやく我が国に於いても、「バリア・フリー(障壁除去)デザイン」による高品質な建物が普及するための基盤が作られつつある(ちなみにスウェーデンでは1970年代に法律で定められている)。このような考え方が一般化することによって、「障害を持っても年をとっても」安心して快適に住み続けることができる、文字通り、人が主となれる住居を多くの日本人が手にすることができることになる。今日の住宅産業界は「高品質」という尺度の中に、「バリア・フリー」を加えることで、やっと先進国の住宅の基準と肩を並べることになるわけである。

 逆に言うと、これまで、せっせと建ててきた住宅(公共住宅も含む)は、これからの高齢社会ではほとんど役にたたない代物であったということを認めざるを得なくなってきているのである。すなわち、これまでは21世紀にゴミになるモノを作り続けてきたということになる。

 ま、それはともかく、将来も安心して快適に住み続けることのできる住居を多くの人々が持てるようになったとします(実は北欧では、それがほぼ実現しつつあるわけですが、我が国では、あと数十年かかるはずです)が、問題は、それから新たに発生する。

 バリア・フリーの家だけで全てが解決するわけではなく、本人の体の状態や使用目的に適したベッドや車いすやリフトなどの補助器具や、食事や身支度のための自助具なども必要になってくる。

 そして、そういうものが揃ってはじめて自立的な生活の継続が可能といえるのである。さらには介護者の手助けなしでは自分の家で安心して快適に生活を継続することが困難になる時期を嫌でも迎えなければならない日が来る。それが、これからの我々の長寿社会の現実であろう。

 では、そのためには、どのような覚悟と準備(あるいはプラン)を我々は、今必要としているのだろうか?

3 「ホーム」と「ハウス」

 ひと言でいうなら、北欧の例を出すまでもなく、多種多様な住居形態を我々の地域の中にどれだけ用意(ストック)できるかということに尽きる。

 まず大きく「ホーム」と「ハウス」の2つに分けてみる。

 昔から日本でも「○○ホーム」というのは、福祉の世界では、決して「家庭」を意味しない。それは福祉施設を意味してきた。すなわち「家庭(ホーム)」的な施設を目指してきたわけである。あるいは「家庭(ホーム)」的な運営をすることを世間に向けて標榜してきたのである。

 「ハウス」は文字通り、ハードウエアとしての住宅を指す。家族状況や生活形態なんてどうでもいいわけである。

 で、僕が何を言いたいかというわけですが、スウェーデンに初めて出向いたときに、「グループ・ホーム」があり、「(ケア)サービス・ハウス」があったのを見て、初めてわかったこと、すなわち、「ホーム」は、決して「家庭」ではなく「家庭的」な住居形態であるということと、いかに福祉的な施設に見えても「ハウス」は「家」というものであったということである。

 わかりやすくいうと「ホーム」は「同じ屋根の下で、同じ釜の飯を食う仲間たち」の住居であり、一方「ハウス」は、「同じ屋根の下であるが、釜は別よ」という住居形態をとっているということであった。身体障害はあっても知的な障害が少なければ「ハウス」だし、知的な障害などでひとり暮らしが困難なら「ホーム」というわけだ。僕にとっては、このことを理解することはまさしく「目から鱗」の出来事であった。

 「で、それがどうした?」とおたずねになる人が多いと思うので、先を急ぎましょう。

4 北欧のまちづくり

 運良く僕たちが、自然に年をとることができたと仮定してみましょう。女房も運良く、それなりに元気で、あまり仲良くなくても別れずに身近にいたということにしておきます。

 ある日、僕がギックリ腰かなんかで身動きがとれない、あるいは女房が階段でつまずき骨折したとします。お互い長くつれそってきているので、まあ嫌でも弱った方のめんどうを見ることになるわけだけど、そうしている本人も、くたびれて、あげく二人共ほとんど自分らでは生活できなくなってしまう。

 すると、この2人は、在宅の「ケア・サービス(ホーム・ヘルプ)」がない限り、この長年住みなれた自宅での生活は継続できなくなる。運良く「ケア・サービス」が得られるなら、2人はまだ、しばらく、この家で生活できる。

 しかし、そうこうしているうちに(一緒にというケースもないわけではないけど)どちらかが先立つことになる。そして、残された者は、淋しくて独りで暮らせなくなったとしよう。「大丈夫。やっと、ひとりで生きていけるようになった。バンザイ! 世界一周の旅に出よう!」というケースも中にはあるでしょう。ま、ここらいろいろあるのが人生の幅というのか奥行というのか、なかなか味なところでしょうね。もし、独りが嫌になったら、ごく身近な所に「グループ・ホーム」が設置されているので、「では、ここを利用することにしよう」ということになる。

 この「グループ・ホーム」は、いろんなタイプが用意されている。例えば同性で、ほぼ同年配の人のグループ・ホームや、異性も同居し、さらに異年齢の人も同居しているタイプのものもあるので、知的な障害が少なければ本人の希望に沿って選択もできる。もちろん、きちんと個室があり、そこには洗面台とトイレと、シャワーが各室に完備して、プライバシーは保たれる。気分が悪くなければ、皆と一緒に夕食のテーブルを囲め、暖炉の前でグラス傾け静かに語り明すこともできる。

 もちろん知的な障害が重くても大丈夫。ケアサービスがたっぷりのグループ・ホームも準備されている。

 これが、北欧の新しいタイプのグループ・ホームである。

 そして、その「グループ・ホーム」や「ケア・サービス付の住宅(サービス・ハウス)」は、新しいまちづくりの中心に設置されている。またそのすぐわきには、リハビリテーション・センターやショートステイの施設があり、さらに年中利用できるプールがあり、年中無休のレストラン(3食利用可能)がある。こんな街を北欧の国々では着々と建設してきている。

 僕ら日本人も、日本人の生活様式や日本人の感性に合った住居の形態を想像して、新たに創造する時期を迎えている。いや、これからの約10年が、そのラスト・チャンスかもしれない。でなけりゃ、僕たちの2020年は、かなり悲惨なものになってしまうはずである。

(みつのゆうじ 無限工房)


(財)日本障害者リハビリテーション協会発行
「ノーマライゼーション 障害者の福祉」
1996年5月号(第16巻 通巻178号) 10頁~13頁