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高度情報化社会にむけて

ワープロと視覚障害者

福井哲也

ワープロがもつ意味

 ワープロの出現で、視覚障害者は自力で墨字を書きたいという長年の夢を実現した、とよくいわれる。ワープロの出現以前、視覚障害者(全盲者・強度弱視者)が墨字を書くには、仮名タイプライターを使うか、晴眼者に代筆してもらうしかなった。しかし、仮名タイプライターでは、漢字が書けないのが最大のネックであった。私信ぐらいならよいが、仮名だけの文章を正式の場面で通用させることは、なかなか難しい。また、晴眼者に代筆してもらう方法も、時間や場所が制約されるし、個人の秘密を守る上でも問題があった。中途視覚障害者を中心に、ハンドライティング(ペンで墨字をさぐり書きすること)ができる人もいるが、これも使える場面が限られている。そんなわけで、視覚障害者にとって「書く」ことのハンディは非常に深刻だったのである。

 その点、欧米では大いに事情が異なっていた。それは、今世紀初頭からタイプライターが普及したため、視覚障害者の「書く」ハンディはかなり軽減されていたといえる。もちろん自分で書いた物を読み返すことはできないが、練習すれば手紙でも報告書でも晴眼者に引けをとらない仕上がりで書けたのである。これに対し、漢字を使わなければならない我が国では、ワープロの出現を待って初めて視覚障害者に漢字を書く手段がもたらされたという事実は重要である。

視覚障害者用ワープロの特徴

 視覚障害者用ワープロの一般的な構成は、パソコンと専用のソフトウェア、音声合成装置などからなっている。高機能を求める人の中には「一太郎」のような一般用のワープロソフトに画面音声化ソフトを組合せて使用する例も少なくないが、数の上では、視覚障害者にとっての操作性に優れた専用ソフトを使用する人のほうが多い。

 視覚障害者用ワープロソフトに必ず備わっているのが、音声出力機能である。音声の出し方にも何種類かあるが、仮名漢字交換のときには「詳細読み」が使われる。これは、例えば「構成」を「構えるのコウ・成長するのセイ」、「校正」を「学校のコウ・正しいのセイ」のように、漢字を一つずつ説明付きで発生する手法のことで、これにより、画面が見えなくても正しい漢字を選択できる。また、書いた文章を通して読み返すときは、漢字の音読み・訓読みを的確に読み分け、自然なイントネーションで発生する「なめらか読み」機能が求められる。もちろん、入力した文字ばかりでなく、操作ガイドなども音声で出す必要がある。

 文字の入力は、普通のワープロと同様、仮名キー入力やローマ字入力もできるが、キーボードの中の6個のキーを用いて点字で入力する「6点入力」も可能である。6点入力は、たくさんあるキーの配列を全部覚えなくてもいいし、ホームポジションから指を離さずに打てることから、これを使う視覚障害者が多い。この他、点字で漢字を表す「漢点字」または「6点漢字」を使って、仮名漢字変換を介さず漢字を直接入力する方法もある。漢点字や6点漢字を習得するにはかなりの努力が必要だが、熟練すれば晴眼者が仮名漢字変換で入力するよりもはるかに高速である。

 視覚障害者用ワープロのもう一つの重要な機能は、画面の文字拡大である。弱視者は、自分の見え方に合った倍率を選び、音声と画面表示を併用しながらワープロを操作する。

漢字の知識というハンディ

 視覚障害者はワープロによって墨字が書けるようになったのだが、いくらワープロが操作できても、漢字の知識がなければ墨字を正しく書くことができない。漢字の形そのものは知らなくてもよいが、詳細読みを聞いて正しい字が選べるように音読みと訓読みの関係、どの熟語にはどの漢字が使われるか、同音異字の使い分け、さらにどの言葉を漢字で書き、どの言葉を平仮名にするかといった知識が必要とされる。ところが、先天盲あるいは小児期に失明した人にとって、漢字の習得はなかなか大変なことなのである。

 漢字の読み書きの習得は、晴眼者にとっても決して容易なことではない。小中学生の時代には毎日のように漢字の書き取りをやらされ、それでも新聞がろくに読めない高校生が多いとかいわれる。大人になっても、正式の文章を書くときは、字を間違えないようにするため、辞書が手放せない。日常大量の漢字情報を目にしている晴眼者でさえそうなのだ。まして、漢字を直接読むことのない視覚障害者にとっては、ワープロを使って書けるようになったとはいえ、漢字はいわば外国語と同じなのである。

 漢字にはそれぞれ意味があり、その組合せで熟語が作られているというが、「移動図書館」と「人事異動」の「イ」はなぜ違うのか、「太平洋」と「大西洋」の「タイ」の違いは何か、「共同」と「協同」はどう使い分けるのか、「違和感」はなぜ「異和感」ではいけないのか、「三洋電機」「松下電器」「日本電気」は同じ「デンキ」の会社のなのに……。晴眼者なら見た感じで、「こちらが正しい」「これはちょっと変だ」となんとなく判断できることも、視覚障害者にとっては一つひとつが苦労の種なのだ。ところが世間では、漢字が書けるのが常識で、漢字を知らないのは半人前にみられてしまう。そこが辛い。

 ワープロの出現で、視覚障害者は自己表現の新たな手段を獲得し、職業自立の面でも可能性が大きく広がったといえる。だが、視覚障害者のなかでも、失明の時期や受けてきた教育・訓練により、漢字の知識には大きな差がある。ワープロが本格的に普及し、誰もが使えて当然と思われると、かえって負担を感じる人もいるのである。そして、パソコンの技術がさらに進歩したとしても、漢字の知識というハンディは解消されないのである。

漢字使用国の悲劇

 日本の視覚障害補償機器の状況を欧米と比較してみると、漢字の存在が大きな足かせとなっていることがよくわかる。

 第1は、文字の入力速度である。欧文は、晴眼者も視覚障害者もタッチタイプでスピーディに入力でき、この面で視覚障害者が劣ることはほとんどない。ところが、日本語は仮名漢字変換の結果を確認しながらの入力となるので、画面を目で見る晴眼者より音声で聴く視覚障害者のほうが、どうしても遅くなってしまう。漢点字・6点漢字による直接入力に熟達した人は晴眼者を上回る速度で打てるが、これが可能な人はごく限られている。

 第2は、パソコンの音声出力ソフトや自動点訳ソフトの精度の問題である。これも、日本語は漢字の読み下しの誤りがどうしてもつきまとうため、なかなか精度が上がらない。ことに地名や人名は不正確である。

 第3は、OCR(光学式文字読取り装置)である。OCRは、紙面に書かれた文字を認識する装置で、視覚障害者の読書を助けるものとして注目されている。だが、日本語は字形が複雑で字種が極端に多いことから、機械による認識は欧文に比べて難しい。このため、欧文用の音声読書機は10年以上前から製品化されていたのに、日本語用が登場したのはここ2、3年のことなのである。しかも、精度の面でもまだまだ格差があるのが実情だ。

 このように、日本の視覚障害者の文字処理環境は、欧米に比べて低い水準にあるといわざるを得ない。これは、日本の技術が未熟だからではなく、漢字という難物をかかえているからである。さらなるコンピュータの発達で、この格差は縮まっていくかもしれないが、漢字の障壁を崩すのはそう容易なことではなかろうか。日本の技術者が漢字と戦っている間にも、欧米では着実に次世代の技術開発が進んでいくからである。

 日本から漢字がなくなることは、哀しいかな、絶対に望めないであろう。ならば、視覚障害者は漢字にいかに対処すべきか。私が主張したいのは、なんでもかんでも漢字で処理しなければならないという思い込みを捨てること。晴眼者との文書交換は基本的に漢字を使用せざるを得ないが、一時的に使うだけの資料やメモ的な物は漢字の量を減らしても用が足りるし、封筒の宛名書きなどは仮名タイプライターでも十分である。正式な文書の校正は、晴眼者の協力を積極的に得ること。かけられる時間・労力との兼ね合いで、現実的な選択をしてほしい。そして、視覚に障害があっても書く意欲、伝える意欲を持ち続けることが最も重要だと私は考えている。

(ふくいてつや 東京都立北療育医療センター)


(財)日本障害者リハビリテーション協会発行
「ノーマライゼーション 障害者の福祉」
1996年8月号(第16巻 通巻181号) 48頁~50頁