音声ブラウザご使用の方向け: ナビメニューを飛ばして本文へ ナビメニューへ

列島縦断ネットワーキング

[愛媛]

バリアフリーは無限の宇宙

池之上卓治

 最近、巷で「バリアフリー」という言葉をよく耳にします。日本では高齢化社会の問題と共に、ここ数年で大きくクローズアップされてきました。高齢者の在宅生活の推進が政策としても声高々にうたわれ、ノーマライゼーションの考えも定着したように感じます。そのような状況の中で、高齢者の在宅にかかわっている建築士、作業療法士、理学療法士、保健婦、エンジニア、そして当事者の皆さんが集まって「四国バリアフリー研究会」が発足したのは今から3年前、平成5年の6月のことでした。

●在宅で迷える?者たち

 在宅ケアにはさまざまな職種の方々がかかわっておられ、皆さんそれぞれの分野で真剣な取り組みをされています。しかし、在宅で高齢者や障害者の皆さんが快適な生活を送るには、住環境や制度、交通問題などの多くの障壁があり、また、担当者の領域を超えたニーズに応えなければならない場面にもしばしば遭遇します。この現場での状況に何とか対応したい、自分の専門分野以外の知識や情報を勉強したいといった「迷える子羊たち」と、自分たちの本当の「言葉」を伝えたいと考えた当事者の皆さんが集まり、四国バリアフリー研究会がスタートしました。

●バリアフリーとは何だ?

 会を始めるに当たって代表者たちで趣意書を作成することとなり、バリアフリーについての情報収集を行いました。アメリカでADAが制定されたこともあり、この法律を中心にヨーロッパ各国の資料を検討しながら、バリアフリーの重大さと奥の深さ、日本のあまりにもお粗末な現実と自分たちの知識のなさを痛感したのでした。

 本誌の読者の皆さんには今さら説明は不要だと思いますが、バリアフリーは人権問題です。住環境やアクセスなどのハードウエア、制度や法律などのソフトウエア、人間のメンタルな問題、労働など、およそ人間の生活場面すべてにわたって問題は存在します。この大海原のどこから手を付ければよいのか、まずは漕ぎ手の鍛え直しからスタートしました。

●いよいよ船出

 まず、会員自身の勉強を中心にした毎月1回の定例会を開くことを決定。会員それぞれの得意分野の知識を出し合いながら、皆のレベルの均一化を目指し、1番身近な問題として住環境の整備を重点的に情報収集、事例検討を重ねました。

 次第にさまざまな情報が集まってくるようになり、各地での活動もわかり始め、先進的な取り組みに感心したり、自分たちの力不足に落ち込んだりしたのもこの頃でした。初めは10名足らずだった会員も徐々に増え、20名と倍増。まずまずのすべり出しに喜んでいたのも束の間。世間ではバリアフリーという言葉は一般的というにはまだまだ程遠く、怪しげな団体ではないかという声も聞こえる始末でした。

●バリアフリー 市民権獲得への道

 一般の人にも知ってもらいたい、自分自身のこととして考えて欲しい、こんな会員の思いを形にするため、啓蒙活動として「バリアフリー・トーキング」と称した、誰でも参加できる研修会を計画しました。この会は現在までに現場からの声として東京都・柳原病院の窪田氏、建築家で自らも車いす使用者として川内氏、長崎・無限工房の光野氏の各氏をアドバイザーに迎えて3回にわたり開催することができ、会を通じて交流の輪も広がりました。

 このような活動を行っている中に舞い込んできたのが、松山市の隣に位置する久万町のJRバス停駅舎建て替え工事に伴う、公衆トイレ新設に対しての要望書提出への協力依頼の話でした。

●『駅のトイレ』の意味するもの

 久万町は松山市から車で40分ほどにある高原の町です。高知県への長距離路線バスやドライバーの休憩所として交通の要所となっています。この駅舎を改築することとなり、平成9年の9月、地元のボランティアサークルから「身障者用トイレではなく、身障者も使えるものを要望したい」との相談が寄せられました。

 研究会では一般的な身障者用トイレと原案の図面を検討。身障者という概念が車いす使用者、それも片マヒが前提になっているのではないか、また駅という条件を考慮し、荷物を持っている人や乳幼児を連れた母親も一種のハンディキャップをもっているのと同じではないのだろうかとの考えから、誰でもが使えるというコンセプトのもと、新たな図面と身障者用という看板の廃止(代わりに、「どなたでもご自由にお使いください」の言葉と、車いすに加えて婦人、子供、高齢者のマークを付けました)を提案。町側からも建物の構造部分を変えない範囲で積極的に協力するとの理解が得られ、早速、要望書を提出したその日に決裁となり、実現の運びとなりました。プラン細部に再検討を加え、現場での打ち合せなどを経て、翌年の春、ほぼ要望どおりのトイレが完成したのでした。

●嫌われものの研究会

 その後、行政事業への協力、他団体との交流などを通して、バリアフリーの重要さが認識され出したという実感が得られ、世間でも住宅関連商品を中心にバリアフリーをうたい文句とするものが増えてきました。活動の中心地の松山市にもバリアフリー対応住宅と称するモデル住宅が開設され、一般の人にも次第に浸透しているように感じられます。

 研究会でも例会でモデル住宅の見学を行うのですが、住居改善は住む人に合わせて必要な対策を立てるのが基本なのはご存じのとおり。見学の際に、研究会のメンバーはあれこれ質問するは、注文を付けるはで業者さんに煙たがられる始末。また、一部の会員の中には行政に意見したり(何かの会の時に行政担当の方へ向かって、いま考えておかないとあとで困るのではないですか?と失礼なことを言ったとか言わなかったとか)、要望書を出そうとする者まで出現。別の意味で研究会の名前が広がることになってしまいました。とは言うものの、これまで何とか順調に歩んできた研究会も、最近、壁に突き当たっていると感じ始めました。

●再度バリアフリーを考える

 研究会が発足して3年、会も一つの転機を迎えています。これまでは一番身近な問題として住環境整備を中心に活動を行ってきました。しかし、今のところ日本でいうバリアフリーは住宅問題という狭い範囲でしか認識されていません。住環境の整備を考えると制度の問題につき当たる、これが解決すると交通などのアクセスの問題が持ち上がるといったように、一つのバリアをフリーにすると新たなバリアが浮上する繰り返しとなります。初めに述べたようにバリアフリーは人権の問題です。本当なら解決されていて当たり前、いや、一番最初に考えておかねばならないことができていない、そのしわ寄せが一番弱いところへ来ている、この問題に取り組むためには、より広い、新しい領域への対応と実績が必要です。

 研究会としても広範囲にわたる情報収集や事例検討、他団体とのより積極的な交流とアピールを今後の活動の重点項目にしたいと考えています。もう一つの取り組みは昨年からの宿題『バリアフリーマニュアル・事例集』の作成です。今まで検討した事例に各分野の情報を加え、一般の方にもわかりやすく、実際に役立つものにしたいと思っています。

 終わりなき道、バリアフリー。先進国のようにあらかじめ対策がとられるのではなく、問題になってから考え始めるのが日本の現状です。研究会ではバリアフリーが特別なこととして捉えられるのではなく、当たり前、普通のこととなり、研究会がその役目を終える日を目指して、これからも一歩ずつ前進していきたいと思います。

(いけのうえたくじ 四国バリアフリー研究会事務局長)


(財)日本障害者リハビリテーション協会発行
「ノーマライゼーション 障害者の福祉」
1996年10月号(第16巻 通巻183号)56頁~59頁