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1000字提言

最期まで生き抜いて愛した友

-草伏村生さんを偲ぶ-

茅野 明

 HIV訴訟和解の原動力となった草伏村生さんが、先日亡くなった。私のかけがえのない友人だった。

 私と彼が最初に出会ったのは、9年前、彼が大分のひまわり号実行委員会の事務局長をしている時のことだった。彼は、血友病というハンディを背負い、さらに薬害によってHIVに感染させられていた。そして4年前、彼は『冬の銀河~エイズと闘うある血友病患者の訴え~』という本を出版し、その直後私は彼や仲間たちと一緒に、一人芝居『冬の銀河』の上演を開始した。それから4年間、彼と親密につきあう中で、私は彼から多くのことを学んできた。

 彼の青春は、彼が就職した27歳から始まった。それ以来、44歳で亡くなるまで、出遅れた分、突っ走って来た。大分に血友病友の会をつくり、障害をもつ仲間たちと交流し、ひまわり号を大分に定着させ、さらに難病を背負う人たちの連絡会の世話人も務め、HIV感染者のために奔走し……。彼はひたすら走り続けていた。しかし、彼は極めて慎重かつ冷静に他人への気配りを決して忘れなかった。その彼の考え方の根底にあったものは、共生への深い追求であった。その漠然とした言葉の意味を、彼は私たちにいろいろな形で問いかけてきた。彼は常々「薬害によるHIV感染と性行為によるそれとを比較したり、区別したりすることはおかしい」と主張し、積極的に性行為によって感染した人たちとも交流をもとうとしていた。また「共に生きるということは、決して特別なことではなく、ましてや健康な人に一方的に迫る踏み絵のようなものではないんだ」と言い、彼自身も特別な人、あるいは英雄視されることを嫌い、あくまでもフツウのおじさんであることを望んでいた。そして「共生は、人と人とがお互いにほんの少しの勇気を出し合ってつくっていくものなんだ」と、問いかけていた。

 一人芝居『冬の銀河』を上演していく過程の中で、私は、彼と何度もぶつかり、そのたびに彼の思いを理解していなかった自分に気づき、自己嫌悪に陥ったものだった。金や地位や名誉を欲した人間の構造の下に犠牲になった彼は、世の中で大切なものは人間の生命であり、支え合ってしか生きていけない人間の絆であるということを身をもって教えてくれた。衰弱しきった彼が発した「終わりなんてないさ。昨日も今朝も明日もあなたを愛し生き抜いて、常識という家並と闘う」という言葉を心に刻んで私は私なりに共生への道を探っていきたいと思う。

(ちのあきら 大分・かぼちゃの国農場)


(財)日本障害者リハビリテーション協会発行
「ノーマライゼーション 障害者の福祉」
1996年12月号(第16巻 通巻185号) 39頁