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特集/「アジア太平洋障害者の10年」中間年を迎えて

日本理学療法士協会におけるアジア太平洋地域への支援活動

小林義文

 日本の理学療法は、1960年代に国際機関の協力を得てスタートしました。その後発展を遂げ、70年代後半には、青年海外協力隊員として途上国への国際協力活動にかかわりはじめ、その数は、「国連・障害者の10年」を経て、現在までに100名を超えるまでに至りました。

 さて、アジア太平洋障害者の10年を迎えるにあたり、90年代に入ると理学療法士協会として、この事業に参加できないかと模索し、92年に(財)国際医療技術交流財団の支援を得て、93年より、インドネシア中央ジャワ地域のCBR(地域住民基盤型リハビリテーション)プロジェクトに関する理学療法技術協力を5か年計画で開始し、同時に、このプロジェクトを継続していくための人材育成、国際協力活動そのものの啓発、技術移転に関わる専門知識の向上を目的とした「海外協力セミナー」を、毎年開催しています。

 プロジェクトの内容は、日本理学療法士協会会員を中央ジャワ・スラカルタ市にあるCBRセンターに派遣し、彼の地から、日本に理学療法士を招くというものです。派遣、受け入れとも、期間は3か月間とし、前者ではCBRセンターで開かれるCBRワーカー講習会にて理学療法技術を伝授したり、村落ごとのCBRプロジェクトへの訪問指導を行っています。後者は、2~3名の研修生を日本国内のリハセンター、病院、保健センター等で受け入れ、単なる技術指導のみならず、リハビリテーション供給システムの見学実習も取り入れています。その際には、社会福祉協議会、障害者施設、通園センター、各種患者会の方々にも大変なご協力をいただきました(写真1、2 略)。

 また、受け入れ研修が一方的にならないように、インドネシア側から実際に彼等のCBR活動についての理論や実施についての報告会を開催し、日本で地域リハビリテーションにかかわっている人々から、「新しい視点をもつことができた!」と大きな反響を得ることができました。

 日本への研修生派遣にあたっては、現地に赴任した日本人理学療法士が中心となり、CBRセンター側との調整を行い、事前に十分なコミュニケーションがとれるよう配慮しています。

 さて、このような支援活動にも多くの問題点があります。

 まずは言葉の問題です。中央ジャワに派遣される理学療法士は講習会での技術指導や村落巡回指導が中心であるため、より円滑にプログラムを進めるためには、インドネシア語が必須です。これについては、先述した協力隊OBの協力により可能となりました。受け入れの際の言葉の問題は、留学生に通訳を依頼することで少なくできました。宗教上、文化上の相違点については、お互いが学び合うことが大切です。

 当支援活動は、97年で5年目を迎え終了の予定ですが、今後対象国を広げて、アジア太平洋地域全体になるよう検討中です。99年には横浜において世界理学療法士学会が開催されます。さらに現在では、協力隊や中央ジャワの支援活動だけでなく、各地域の団体と連携してアジア太平洋地域への協力活動を行う会員も増加しています。

 リハビリテーションは理学療法だけで遂行されるものではありません。今後とも国内外の多くの団体の皆様と協力しながら、よりよい支援活動が進められることを願っています。

(こばやしよしふみ 日本理学療法士協会国際部)


(財)日本障害者リハビリテーション協会発行
「ノーマライゼーション 障害者の福祉」
1997年1月号(第17巻 通巻186号) 26頁