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1000字提言

お元気ですね!

加賀美幸子

 久しぶりに人と出会う時も、職場で日常的に人とすれ違う時も、私は「お元気ですか?」という挨拶はあまりしない。「お元気ですね!」と言いたいのである。「か」と「ね」だけの違い、それに、たかが軽い挨拶のこと、「そんなに気にしなくてもいいんじゃない?」と人は言うかもしれない。しかし「か」と「ね」の差は大変大きいような気がする。

 元気そうに見えない人に対しても、私は「元気そうですね」と言いたくなる。それは嘘でもお世辞でもなく、よく見ると、必ずどの人もどこかに元気さを覗かせているし、元気になりたいという強い気持ちを滲ませているのがわかるからである。

 そしてほとんどの場合「お元気そうですね」と挨拶すると、「元気に見えますか?そうですか。そうですか!」とみるみる顔つきが明るく元気そうになってくるのが私には嬉しい。

 また、「本当は元気じゃないんだけど、元気に見える?嬉しいなあ」と足音高く立ち去って行く姿を見送りながら、何だか私まで元気になっていくのを、しばしば実感するのである。子どもたちにも「元気?」と質問するより「元気そうだね!」と声をかける。顔の輝きが違う。お年寄りにも「お元気そうですね」と挨拶する。にこにこ顔がなおほころぶ。

 私自身、落ち込んだり元気が出ない時、「…元気ですか?」と挨拶されると、「ああやはり私は元気そうに見えないんだ。駄目だな」とよけい暗くなってしまう。でも何かの拍子に、そんな時、「元気そうね。お元気ですね!」と声をかけられたりすると、何だか嬉しくなって、足取りも軽く、快方に向かったりする経験をずいぶんしてきた。

 言葉には人を癒す力がある。「元気か。元気だせよ」という励ましの直接表現も嬉しいが、どこか突き放す語感があって寂しい時がある。でも「元気そうね」という言葉には「自分はもしかしたら大丈夫かもしれない」という救いの語感があるような気がしてならない。…「か」と「ね」だけであるが、人の心への響き方は大きく違ってくるのではないだろうか。だからどんな小さな言葉も大事にしたい。心を満たすのも、寂しくするのも、言葉次第であることを、古今東西の人間の歴史が、さまざまな形で知らせ続けてくれている。

 大げさで押しつけがましい思いやりの言葉はいたたまれない。たとえ少なくても、相手の心に沿って思いを込めた、過ぎず足りなくもない言葉を使いたいといつも思うのである。

(かがみさちこ NHKエグゼクティブ・アナウンサー)


(財)日本障害者リハビリテーション協会発行
「ノーマライゼーション 障害者の福祉」
1997年1月号(第17巻 通巻186号) 38頁