音声ブラウザご使用の方向け: ナビメニューを飛ばして本文へ ナビメニューへ

海外自立生活新事情

定藤丈弘

 私は現在、カリフォルニア大学バークレー校社会福祉学部大学院に客員研究員として招聘され、1996年9月21に渡米し、97年3月末まで滞在することになっている。今回の滞在ではこれまで取り組んできた障害者の自立生活、人権保障の課題を自分なりにまとめあげたいと思っている。ところで今回の渡米に先立って、知的障害者のグループホーム調査のためにスウェーデンに10日間程滞在し、身体障害者の自立生活状況などについても多少の見聞を得た。そこでスウェーデンやアメリカ(特にカリフォルニア州)を中心に「海外における最近の障害者の自立生活の動き」について報告していきたい。

スウェーデン・リンシェピン市における知的障害者のグループホーム

 私は9月10日、スウェーデンの人口10万の都市でストックホルムとイエテボリの中間に位置するリンシェピン市に着いた。日本とスウェーデンの知的障害者のグループホーム(Group Home以下「GH」と略)を比較するため、同市のGHを調査対象としたからである。調査研究班は大阪教育大学教授でスウェーデンの障害児教育・障害者福祉を専門に研究されている二文字理明氏を団長に、大阪府立大学の教員、大学院生など6名の小さなグループからなり、私もその一員として参加したのである。

 そして到着した11日、最初のGHを訪問して早速驚きの声をあげた。普通のマンションの2階にある、日本でいえば3DKぐらいの独立した住居に、ニーナという中年の知的障害者の女性が、1階にある援助スタッフルームから来たスタッフの1人の支援を受けながら、生活していたからである。近隣は普通の市民の住居であり、66.5㎡のマンション(GHの住居の平均より少し大きい居住空間で、家賃も平均より少し高いらしい)で、ニーナ氏は当然ながらその住居の持ち主として堂々とわれわれを迎えてくれたのである。

 スウェーデンは数年前の法律で、通常の生活環境条件のもとで日常生活がおくれることを目指すノーマライゼーションの目標達成の一環として、障害者の施設解体→GH化を近未来のうちに達成することが義務づけられている。しかし、いかにスウェーデンでもそう簡単には施設解体は困難だろうという思いで調査に参加したわれわれは市の担当部局に面会を求めて、また驚かされた。

市ではすでに施設解体が実現していた

 なんと、同市では数年前に施設解体→GH化は達成されていたのだ。施設解体を直接指導した市担当者はそのプロセスを次のように語ってくれた(以下の文章は大阪府立大学社会福祉学部大学院博士課程の安原佳子氏の記録によるものである)。

1 施設解体→GH化

 1970年代中頃までは特別分離型病院(国全体)を除く入所施設は県単位で運営され、同市のあるS県では6施設、そのうち同市に2施設が存在した。その一つは1985~6年頃に解体した。85年には知的障害者福祉法改正で施設の順次解体化、GH化、18歳未満は施設入所の禁止が定められ、1994年法では県からコミューンにGHの運営移譲や近未来での施設解体が定められた。

 市では1976年にユースブローという入所施設が創設された。その時期はすでにGH化の動きが活発化していたが、それより以前に計画化されていたので創設された。ただ当時の既存施設は数100人単位の入居者数だったが、これに比べ小規模の60名単位のものであったが、個室原則で大きなプールやデイセンターも併設され、市街地に存在していた。86年には18歳未満の児童は学童用ホームに移り、その前に解体した入所施設の利用者の一部がこの施設に移り、成人専用となった。そして1993年にユースブローも4年近くをかけて解体した。その入居者は60名中、20名は他の地域のGHなどに移り、40名が市内の8つのGHに入居した。91年度から順次移転が開始された。

2 施設解体への反応

 施設解体に対してはスタッフや家族は当初反対の声が大きかった。スタッフは建て前的には、今のよい環境の施設からの移転は、重度障害者にはハードで、一般社会に入っても耐えられないことを反対理由にしたが、自分たちの職場や労働形態が変わり、労働過重にならないかなどの不安も大きな反対理由だった。家族も、今までも施設側の都合で移転しており、また移るのかという不安が大きく、反対が多かった。

 しかし、小グループの意義やこれまでのスタッフとの関係などを話し合い、計画に参加していくうちに次第に肯定的な反応も出始め、実際にGHに移行してからは本人、家族、スタッフからは全体的に高い評価がなされるようになった。また、施設解体に伴い新しいGH移転の体験をしたスタッフの1人マリー氏の話によれば、スタッフの多くは、施設の環境がよいのに、この安定したグループがこわれることや新しい環境の適応に対する不安があった。

 親も同様であったが、スタッフは法律の意図も理解していたので、親の不安を受けとめて解きほぐす役目も果たした。そしてスタッフはたいていは今までの障害者のグループと一緒に移動し、今では「よりノーマルな環境になってよかった」と思い、誰も施設に戻りたいとは思っていない。仕事は施設の時は専門分業で障害者のケアだけに専念したが、GHでは食事づくりなどの家事や施設運営業務まで多様な仕事をこなしている。

 再び市担当者によれば、施設とGHを比較すれば、経費の面では大きく変わらない。スタッフは施設の時は100名前後だったが、それに変わった全GH総人数も用務員などはなくなっても夜間要員が増えて同じ100名前後で、人件費は同じ程度であり、ホーム建設費、レンタル費等は必要だが、国の低利融資があり、コミューンとしての負担はあまりかかっていない、とのことである。GHは決して入所施設と比べて安上がりの施策ではないのである。

3 GHの様式と数

 施設から地域に移った40名の障害者は8つのGHに入居しているが、みんな重度の人たちであるためにデイセンターも必要であり、2つのGHに1つのデイセンターを1ユニットとしたシステムをとっている。また施設の時とは違って、スタッフはGHとデイセンターを兼任する体制をとっている。

 GHには2つの形態があり、1つは同じ建物に5つのアパートメントと共同リビングルーム、スタッフ専用ルーム、台所をもつ集合型GHと、もう1つはスタッフルームをキーステーションに独立アパートが分散しているサテライト型GHである。施設からのGHは重度障害者のためにいずれも集合型だが、今後はサテライト型を増やす必要がある。

 現在、市には500から600名近い障害児者がいるが、GHは40程あり、その利用者は259名(1997年には277名の予定)で、20名は学童GHを利用し、15名が他地域の施設、GHを利用し、その他は親・家族との同居者、独立生活者などとなっている。親・家族同居者用に5か所のショートステイをつくり、親・家族のケア負担の軽減を図っている。市は経済難となっているので、今後はGHの規模の若干の縮小と若干の人員削減を図っていくことが予定されている。

居住形態の多様化と統合化

 次に、スウェーデン全体の施設解体→GH化にかかわる動きを簡単にみておきたい。河東田博氏によれば、1967年に制定された知的障害者の福祉法はこの国で初めてノーマライゼーション理念を盛り込み、個別プログラム、個室化といった施設内ノーマライゼーション化とGH建設を目標として設定して以後、その流れが始動し、1982年の著名な社会サービス法で脱施設化の流れが確実となり、1985年新福祉法で入所施設の解体の方針を初めて明示した。

 具体的には児童の成人施設入所を廃止し、成人施設では特別な場合を除いて新たな入所を認めないことが定められ、1994年の機能障害者を対象とする援助およびサービスに関する法律(LSS)ではついに近未来のうちに入所施設は完全に閉鎖し、その解体計画を94年中に作成し、国に届け出ることが義務づけられるに至ったのである(注)。

 リンシェピン市の施設解体が国の法律をベースになされたことはいうまでもない。では知的障害者の全体的な居住形態の推移はどうであったのか。表1は1950~1992年までの知的障害者の居住形態の推移に関するデータで、二文字理明氏が入手し、邦訳されたものを氏のご好意により借用したものである。

表1 スウェーデンにおける知的障害者の居住形態の推移(1950~1992年)
  1950 1955 1960 1965 1970 1975 1980 1985 1990 1992
1施設(全体) 9,400 9,700 10,400 12,200 13,000 12,000 10,400 8,000 5,100 3,600
2施設(未成年)         2,900 2,200 1,400 400 70 30
3施設(成年)         10,100 9,800 9,000 7,600 5,000 3,600
4養護学校寄宿舎 2,100 2,200 2,900 2,600 1,800 1,000 100 100 100 100
5学童用グループホーム         800 1,200 1,800 1,600 1,300 1,300
6成人用グループホーム         500 1,700 3,200 5,600 8,000 10,000
7その他         200 800 600 500 400 500
8親との同居(全体) 500 1,200 2,200 3,700 10,600 17,100 16,400 17,700 15,500 15,400
9親との同居(未成年) 500 1,100 1,700 2,200 6,700 9,200 9,400 10,700 10,500 11,000
10親との同居(成年)   100 500 1,500 4,900 7,900 7,000 7,000 5,000 4,400
11自立生活者         500 2,900 3,900 4,600 3,900 3,600
12合計(全体) 12,000 13,100 15,500 18,600 27,400 36,700 36,400 38,100 34,300 34,500
13合計(隔離的なもの) 11,500 11,900 13,300 14,800 14,800 13,000 10,500 8,100 5,200 3,700
14合計(統合的なもの) 500 1,200 2,200 3,700 12,600 23,700 25,900 30,000 29,100 30,800
15隔離の比率 96% 91% 86% 80% 54% 35% 29% 21% 15% 11%
16統合の比率 4% 9% 14% 20% 46% 65% 71% 79% 86% 89%

(大阪教育大学教授二文字理明氏の提供による)
*原資料の一部数値に誤りが見られるがそのまま掲載した。

 同表によれば、1965年まではスウェーデンでも隔離的傾向が濃厚であった。成人であれば入所施設を圧倒的に選択し、後は親同居の選択肢しかなかった。児童は成人施設と養護学校寄宿舎への選択が多く、後は親同居の形態であった。この時期は親との同居率は漸増している。ただし1965年には統合的傾向は20%と漸増し、その内訳に児童の親同居率が入ることは理解できるが、成人の親同居率も含めていることは評価の分かれるところである。

 1970年以降は全体としてGHや自立生活者の選択肢が増え、居住形態の選択肢が広がっていくとともに、統合的な居住形態が確実に増大している。児童と成人に分けてこの傾向をみると両者には顕著な特徴的傾向がみられる。まず児童は成人施設の入居も養護学校寄宿舎への入居も1980年代からは激減し、親との同居は1970年代以降激増した。1950年代から入所施設や寄宿舎が整備されており、良きにしろ悪しきにしろ、スウェーデンは児童さえ、隔離的とはいえ社会的扶養優先のシステムが確立していた。それが今日においては、親・家族同居を原則とする体制が、親のケア負担を軽減するためのショートステイやレスパイトケアといった在宅福祉サービスの充実と並行して完全に確立していったといえよう。そして統合型の学童GHが親同居形態を補完しているのである。

 これに対し成人障害者の居住形態の変化はどうか。表2は表1から成人障害者だけの動きを取り出し、1970~1992年の推移を数と比率で示したものである。

 ここにみられるように、70年代以降GHと自立生活居住が新たに加わり、居住形態の多様化と統合化が進んでいる。まず入所施設は1980年までゆるやかにその利用者が減り、1980年代以降激減傾向にある。これに代わって、GHと自立生活居住が増大し、入所施設の利用者の移動の受け皿になっている。特にGHは85年から90年までは入所施設利用者の割合を完全に追い抜いている。80年以降では入所施設からの脱出者の受け皿はほとんどGH増でなされている。

 これに対して自立生活形態は85年をピークに漸減している(もちろんこれは、施設解体計画が本格化し、施設からの移転者はGH増の受け皿で行うことが政策の具体的方針として完全に採用されたからであるが……)。これは一つには、サテライト型のGH増などで自立生活者の一部がより安定し、地域統合志向では大差のないこの種のホーム利用に移行したのではないかということも推測される。もちろん、自立生活者の増大は在宅派遣型ホームヘルプサービスなどの充実とも相関しているのであろう。

表2 スウェーデンにおける成人知的障害者の居住形態の推移(1970~1992年)
  1970 1973 1980 1985 1990 1992
入所施設(%) 10,100
(62.4)
9,800
(42.4)
9,000
(38.0)
7,600
(30.0)
5,000
(22.4)
3,600
(16.3)
グループホーム(%) 500
(3.1)
1,700
(7.3)
3,200
(13.5)
5,600
(22.1)
8,000
(35.9)
10,000
(45.2)
その他(%) 200
(1.2)
800
(3.5)
600
(2.5)
500
(2.0)
400
(1.8)
500
(2.3)
親同居(%) 4,900
(30.2)
7,900
(34.2)
7,000
(29.5)
7,000
(27.7)
5,000
(22.4)
4,400
(19.9)
自立生活(%) 500
(3.1)
2,900
(12.6)
3,900
(16.5)
4,600
(18.2)
3,900
(17.5)
3,600
(16.3)
合計(%) 16,200
(100)
23,100
(100)
23,700
(100)
25,300
(100)
22,300
(100)
22,100
(100)

(数値は利用者数である)

 興味深いのは親同居形態が1975年まで急増し、85年まではほぼ横這いの傾向であったことである。これは在宅福祉の充実との相関性に加えて、障害児との親同居形態の急増とも無関係ではあるまいと思われる。この時期は18歳を過ぎても親同居を選択する障害者家庭が多かったのである。それが1985年以降は明瞭な減少傾向にあり、この受け皿もGHが主となっていることがデータからは推測される。

 これは同時に最近のGHが、単に量的増大だけでなく、重度障害者の長期入居も可能な内容のレベルのものに一層高まるという質的充実も図られたからである。こうしてスウェーデンでは、知的障害者のノーマライゼーションの達成は、GHを完全に中核に置いた上でのいくつかの居住選択肢の充実によってなされようとしているのである。

 1993年には入所施設利用者は3千3百名となり、94年には2千人を割ったとの指摘もある。二文字氏の話では、94年末が期限の施設解体計画を提出しなかった自治体・施設もいくつかあるとのことであり、一定の人員規模の入所型施設が完全に解体するかどうかはやや不透明であるにしても、GHの拡充などにより入所施設がごく一部の例外的な社会的施策になるであろうことは明らかである。 われわれはこのような状況から何を学ぶべきか。見聞したGHの具体的な生活状況とともに、次回はもう一度スウェーデンのグループホームについて紹介したいと思う。

(さだとうたけひろ 大阪府立大学)

<注> 略


(財)日本障害者リハビリテーション協会発行
「ノーマライゼーション 障害者の福祉」
1997年1月号(第17巻 通巻186号) 44頁~48頁