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1000字提言

最も輝ける場所

山口エリ

 小学校に入るか入らないかのころ読書の楽しみと出会った。英文学を専攻し、新聞記者をしていた祖父に影響されてである。「点字はなんでも読める。漢字がないから意味の分からないものまで読めてしまう。それはマイナスじゃないだろう」祖父がよく言っていた言葉である。その言葉どおり自分の年齢にふさわしいものも、だいぶ背伸びしたものも含めて読書の喜びを栄養にして私は育っていった。

 さらに10歳を迎えるころには書く楽しみをも知り、今1日の大半をそれに費やしている“書くこと”と決定的に出会ってしまったのである。「あの時、おじいちゃまが『本は楽しいよ』と言ってくれなかったら」と思うと、ぞっとする。

 娘が物心つく前から「この子にとっての決定的な出来事とはなにかしら」とよく思ったものだ。チャンスは多いほうがいい。兄弟がいない。母親は視覚障害者だ。それらのことがけっしてマイナスに働かないように心を砕いた。「見ること」をほぼ奪われていたからこそ、私は人一倍読むことや書くことにも集中できたのかもしれない、と逆に彼女にプレッシャーをかけないようにも心がけた。ピアノとフラメンコを習う他にもプールの体験教室、手作り楽器を作る会、カヌーやキャンプ、海外への旅と家族が楽しむ場面と彼女のチャンスを重ねるようにスケジュールをくんだ。

 彼女は結局、今なにが1番好きなのだろう。「お絵かきが好き」とごひいきの漫画キャラクターを丁寧に描きはするが、オリジナリティに少し欠ける気がする。よく図書館に本を借りにいき、触発されて小さな物語を書いたりすることもあるが、飛び抜けておもしろいものができているともいえない。

 先日、あるワイン輸入会社の方と話をしていて、まだ、10歳のお嬢さんが香っただけでなんのブドウの品種からできているか分かるとうかがい、驚いた。「ソムリエールや香水の調合師になれたらすてきね」という私に「あれはもっと小さい時からの訓練がいるんじゃないの、8歳じゃ遅いよもう」と夫は答え、そんなものかなとがっかりしてしまった。

 なんでもいい。私には無理だった色に携わる世界でもいい。私には全くその気配すらもなかった理系のことでもいい。趣味にとどまった音楽の道を歩いてくれるのもまたうれしい。彼女にその気さえあれば昔の職人ではないが、その道の専門家に弟子入りさせることもいいではないか、と夫と話している今日このごろである。好きなもの、やりたいこととできるだけ早く巡り会えるよう願わずにはいられない。

(やまぐちえり 詩人)


(財)日本障害者リハビリテーション協会発行
「ノーマライゼーション 障害者の福祉」
1997年2月号(第17巻 通巻187号) 28頁