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ワールド・ナウ

ベトナム

障害者セルフヘルプ(自助)活動に関するワークショップの開催

高嶺 豊

 1993年に自由主義陣営(アメリカが最後)からの貿易閉鎖が解かれ、また開放経済政策の効果もあがり、ベトナムは今、経済的にも社会的にも急激に変わりつつある。この傾向は、ASEAN(東南アジア諸国連合)加盟を果たしてますます拍車がかかるであろう。

 このような中、ベトナムの障害者セルフヘルプ(自助)活動に関するワークショップが、1996年10月28日から31日までの4日間、ハイノで開かれた。これはESCAP(国連アジア太平洋経済社会委員会)と労働傷痍軍人社会問題省(MOLISA)の共催で、障害者自身が参加した初めてのワークショップである。このワークショップの経緯と意義、内容を紹介し、さらに今後の展望などを書いてみたい。

 1993年9月、ILOの障害者セミナーに参加したのが筆者の初めてのベトナム訪問であった。3日間の国内会議であったが、ベトナム語と英語に翻訳された資料、同時通訳並の通訳など、これほどスムーズな会議は途上国では経験したことがなかった。また、MOLISAの副大臣がほとんど3日間つきっきりで参加していたことが印象に残っている。会議の表題は「障害者による政策決定への参加」とあったが、政府の役人がほとんどで、障害者は盲人の代表しか見あたらなかった。驚いたことに盲人以外の障害者の組織はまだ認められていないとのことであった。

 レセプションの席上、筆者は、副大臣に「障害はさまざまであり、障害の種類によってニーズが違ってくる。たとえば、ろう者は手話でのコミュニケーション手段が必要だ。種別の違う障害者は、各々のニーズにこたえるためにグループをつくることは自然である」と話し、盲人以外の団体の必要性を訴えた。副大臣はこれを熱心に聞いてくれたように思う。

 この時の出張で、障害者職業リハビリテーションの専門官であるヅン・ミン・ハイさんと出会った。彼は、「障害者の作業所が市場開放経済後競争についていけず、多くが閉鎖の危機に瀕している」と話し、ESCAPと日本からの支援を要請した。筆者は、日本の障害者団体を紹介すること、ESCAPのアジア太平洋障害者の十年信託基金にプロジェクトの申請を出すよう助言した。

 その後、ベトナムから10年基金への申し込みが2件届き、ESCAPではその1件のプロジェクトを支援することになった。これが、障害者の自助活動促進のワークショップ開催のプロジェクトだったのである。

 ワークショップには、盲人、ろう者、肢体障害者の各10人と政府やNGOの代表が参加し、そのねらいとしては、ろう者の団体や作業所連合、その他の自助団体を設立することがうたわれていた。障害者を全面に出したワークショップの提案で、開催地はハノイ、1995年の5月に開催することになっていた。

 ところが、悲しいことが起こった。このワークショップの準備中に推進役のハイさんが、肺ガンで亡くなってしまったのである。それも、95年3月に開かれた日本でのILO主催のワークショップの最中に、急に症状が出て帰国し、すぐに亡くなってしまった。その年のお正月には、ハノイで元気な彼に会ったばかりであったので、40代半ばの死が信じられなかった。準備の中心になる人がいなくなって、ワークショップは95年の10月に延期された。さらに、このワークショップは、国連の経済危機のために再度延期されたのである。

 このように、数度延期を余儀なくされたワークショップではあったが、96年の10月にようやく開催にたどりついた。ワークショップは、全国からろう者(10人)、盲人(9人)、肢体障害者(16人)と政府関係者(16人)、国内、ベトナム在国際NGOの代表を含む、総勢62人の参加者であった。さらに、国外から10数名のリソースパーソンが参加した。

 今回は、最高のリソースパーソンに恵まれた。カンボジアで半年間、障害者インターナショナル(DPI)のプロジェクトのもとで、障害者の自助組織を育てた経験のあるマレーシア人女性。ILOの専門家としてベトナムの障害者の訓練と雇用問題を調査した経験のある南インドのワークショップのマネージャー。それに、タイのろう者と肢体障害の女性リーダー2人。また、タイの障害者関係の大学で手話の研究をしているアメリカ人教授が、オブザーバーとして参加した。日本からは、DPIから中西正司・由起子夫妻、世界ろう者連盟(WFD)アジア太平洋事務局長の高田英一さん、手話通訳者の小林昌之さんがESCAPの要請にこたえて自費で参加してくださった。また、ホーチミン市在住の土田佳毅さんに通訳ボランティアとして参加してもらった。

 4日間の会議は、1日目と2日目に、ベトナム政府、ESCAP、NGO、障害者自助団体の発表と討論が行われた。まず、ベトナムの障害者の実状と政府の施策・今後の展望、「アジア太平洋障害者の10年」の進行状況が話し合われた。また、自助の定義やその意義が討論され、自助団体の具体的な活動が発表された。ベトナムの唯一公認されているベトナム盲人協会とまだ未公認のハノイの肢体障害者が始めた「障害者の輝く将来のためのグループ」がその経験を発表した。さらにタイの自助団体が団体の設立経過などを詳しく紹介した。3日目と4日目は4つの障害別の分科会に分かれて、自助活動のニーズや今後の行動計画を検討し、最後に決議文を採択した。

 障害者が初めて中心になったワークショップは無事に幕を閉じた。MOLISAの大臣と両副大臣が出席したことは、政府が障害者問題にさらに真剣に取り組もうとしている表れの1つであろう。「私は、亡くなったハイさんのために頑張った」と一言もらした通訳主任で調整役のフォンさんなど、熱心な役人がいることは今後の障害者団体の発展にとって力強い。また、国外からの当事者の参加がベトナムの障害者に良き刺激を与えたことは間違いない。毎晩会議のあとも交流があり、障害者間の生の意見交換ができたと思う。

 今回の本当の成果は、今後のフォローアップ活動にかかっているが、すでにいくつかの動きがある。DPIやWFDの取り組みにも期待したい。

 ベールに包まれていたベトナムの障害者事情が少しずつ明らかにされて、ベトナムが開放されていくのを実感させてくれた今回のワークショップ開催までの経過であった。

(たかみねゆたか ESCAP社会開発部障害者プロジェクト専門官)


(財)日本障害者リハビリテーション協会発行
「ノーマライゼーション 障害者の福祉」
1997年2月号(第17巻 通巻187号)