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海外自立生活新事情

アメリカにおける障害者の自立生活運動と課題

定藤丈弘

はじめに

 わたしは昨年9月21日からカリフォルニア州バークレー市近郊のリッチモンド市に住み、留学先のバークレー校に通う一方、主に同州における障害者の地域自立生活とそのサポートシステムをいろいろな角度から調べている。そこで今回から、アメリカ、特にカリフォルニア州の障害者の地域生活についての最近の動向について報告していきたい。今回はその最初であるから、まず、これまでのアメリカにおける障害者の自立生活(independent living=IL)運動の到達点を振り返ることから始めていきたい。
 今から約10年前の1987年夏から約1年間、1回目のバークレー校留学中の生活は新鮮で驚きの連続であった。その最たるものの1つは、車いす利用者とのまちでの出会いの多さだった。頸椎6、7番損傷で四肢マヒの私よりももっと重度な障害者の多くが、単独で電動車いすで動きまわっており、私のように介助者に車いすを押してもらいながらまちを移動することがかえって不自然で、勇気がいるほどであった。
 当時は大学でも障害をもつ学生は413名在席していたが、その多くが重度障害者で、車いす利用者以外にも視覚・聴覚障害者、学習障害者などが多くおり、介助の必要な障害者でもほとんどが親もとから離れて独立生活をしていた。
 地域の自立障害者との出会いにも強烈な印象を受けた。食事からトイレにいたるまで、ほぼ全面介助が必要と思われる最重度級障害者の多くが身内の介助を受けるのではなく介助者を雇って、独立生活を送っていたからである。

自立生活モデルの形成

 スウェーデンの車いす利用の重度障害者が、バークレーの自立生活センターに学習に来ていたのを見たときも不思議な思いがした。福祉の超一流国スウェーデンから福祉の二流国アメリカに訪問学習に来るほど、1970年代のはじめにバークレーで始まったIL運動は全米に波及したばかりか、国際的な発展を遂げていたのである。その発展の原動力となったのが自立生活=ILモデルという新たな障害者のライフスタイルモデルの形成である。それはまず、自立観の大きな転換をもたらした。
 “人の助けをかりて15分で衣服を着、仕事に出かけられる障害者は、自分で衣服を着るのに2時間かかるため家にいるほかはない障害者より自立している”とする有名なILの代表的理念は、日常介助の必要な重度障害者に自立困難者のレッテルをつけ、親や施設、病院での管理的保護下の生活を余儀なくさせることを当然視するそれまでの自立観、すなわち日常生活動作自立や職業的自活を重視する自立観を批判し、身辺介助を他人に依存することがスティグマ(汚名)となるのではなく、むしろ他人の支援を獲得することによる自立=依存による積極的自立も成り立つことを明示し、日常生活動作自立よりもQOL(その障害者に適した生活の質)を高めることを自立として重視する自立観を確立させた。そしてそのQOLとリンクした自立観は自己決定権の行使を自立とする考え方である。
 それは、障害者がたとえ日常生活で介助者の支援を必要とするとしても、自らの人生や生活のあり方を自らの責任で決定し、選択して生きることにより、結果としての責任を自らが担う行為=生活主体者として生きる行為、を自立とする考え方である。
 また、ILモデルは単に理念的なレベルだけではなく、重度障害者の日常的な生活場面で見事にそれを具体化した。その象徴的なものが「ケアのあり方をサービス提供者でなく、障害者が管理する能力」=「介助者管理能力」の獲得を自立の要件とする捉え方である。
 これは、介助者から受け身的にケアを受けるのではなく、介助の消費者として介助者を雇用し、管理する能力を習得することを自立とするものであり、実際にこれにより、親や特定のヘルパーなどに集中的に依存しないで複数の介助者と契約し、さまざまな介助者と対等な人間関係をもつことにより、自立生活の可能性が広がるのである。
 さらにこれをベースに、ILモデルでは障害者の地域社会統合の実現が自立生活の主目標の1つに位置づけられた。その1つが脱施設化志向である。集団生活上の規律の遵守を前提とする施設生活が障害者の自己決定権などの一定の制約を不可避とするのに対して、生きる場を主体的に選びとる行為とは、どこに住み、いかに住むかを選択する自由を可能にするコミュニティの中での生活によってより保障されるからである。親もとからの独立生活の追求も同様である。親の管理的保護は時には自立の大きな障壁ともなるから、成人になっての親からの独立は自立生活の根源的な動機ともなっている。
 以上が個人の生活レベルでの自立とすると、ILは社会的レベルでの自立生活モデルも生み出した。それは、医療モデルとの対比でのILモデルである。IL理念は、医療モデルと呼ばれる一方的な専門家主導のヒューマンサービスの意思決定や運営の弊害を批判し、これらの過程への障害者参加を自立と捉え、その社会的意義を明らかにした。
 介助の必要な障害者は生活を営む上で医療、保健、看護、福祉などさまざまなヒューマンサービスの利用が不可欠に必要とされる。そこで、それらのサービス提供者である“高度な専門家”から患者、訓練生、被保護者として専門的援助を一方的に受けて、自立を阻害されてきた障害者のIL運動は、セルフヘルプの運動や脱医療運動を展開し、受け身的な患者、被援助者の役割を捨て、消費者運動の影響のもとで、医療や福祉サービスの消費者、利用者の立場からコンシューマ・コントロールの確立を目指し、専門職との新たな関係を形成することにより、ここでの自立生活のパターンを構築したのである。
 その1つは、障害者自身が自らの生活に影響を受ける諸制度、サービスを選択する権利をもつとともに、それらの計画立案から運営までの過程に専門家と対等に参加する行為を自立として捉え、その推進を図ったことである。たとえば自治体の障害者支援計画への当事者参加や、自立生活センターの運営の中核を障害者が担うことなどである。
 2つ目は自立体験をもつ障害者自身が専門家となり、自立を求める障害者のIL形成を側面から支援するピア・カウンセリングのような実践の推進である。これらは障害者主体のシンボリックな理念としての意義とともに、障害者の雇用を促進する現実的意識の側面ももっているのである。
 3つ目は、障害者の自立を妨げるような差別的な社会構造・環境が根強く残存する今日の社会的状況にあっては、そのような社会的障壁や差別的社会構造を改革するために、他の社会的に疎外された人々と連帯して活躍していく行為も、社会的自立の一環として位置づけられることである。

ILの促進要因と社会的目標

 障害者の自立生活を直接・間接に促進した要因として、少なくとも3点が上げられる。
 1つは障害者の個人的な自立生活を支える社会的サポートシステムの存在である。最低の所得の保障を実施する日本でいう生活保護制度のSSI(補足的補償給付)は親・家族から独立するのに日本よりはるかに受給は容易であるし、メディケアという医療給付やセクション8という低家賃補助があり、州によってはカリフォルニア州のようにSSIの倍額も支給される介助手当て制度も存在する。
 2つ目は、障害者が運営主体となって、障害者の自立生活を総合的に支えるためのサービス拠点機能や、社会参加および自立生活運動の拠点的機能をもつ自立生活センター(CIL)が連邦政府や州政府の財政的援助を受けて、全米各地に普及していることである。ILの普及とCILの発展は不可分の関係にある。
 3つ目は、ILを社会的な勢力として認知させ、その社会的発展を側面から支えた研究機関や権利擁護機関の存在である。たとえば歴史的には自立生活センターの象徴的存在であったバークレーCILから、介助システムといったILのサポートシステムなどの調査研究を専門に行うWID(世界障害者問題研究所)が独立し、全米だけでなく、国際的なILの調査研究に寄与している。
 その他テキサス州で全米のCILの基礎調査やILの技術的教育訓練などを担うILRU(自立生活調査機構)やカンサス大学RTCIL(自立生活調査訓練センター)などの調査機関がIL運動と連携して、ILの重要性を客観的に証明し、社会的に啓発する役割を果たしている。
 IL運動は研究運動としての性格ももつことにより一層発展したのである。一方、DREDF(障害者権利教育支援機構)のように何名もの法律家を雇用し、ILに関連した障害者の全国的権利擁護機関が存在し、障害者の訴訟支援や立法制定の民間の拠点として活躍し、特にILの権利擁護をサポートしている。
 以上の諸機関とも連携しながら、IL運動はその主要な社会的目標の達成を目指している。その1つが社会参加の機会平等の保障を目指す運動である。これは、特定の障害を理由に障害者の社会参加をさまざまに制限する規則や慣行といった制度的障壁、あるいは障害者のアクセスを拒否する物理的障壁を差別として法的に禁止することにより、社会のあらゆる領域で障害者の社会参加の平等を目指す運動である。その社会的成果が1988年の公正住宅修正法や90年のADA(障害者差別禁止法)の制定や、具体的な生活環境の改善となって実現している。
 今1つは自立生活を望むすべての障害者、特に重度障害者が親・家族や施設から離れて、地域社会の中で生活主体者として生き続ける権利である「地域自立生活権」の保障を目指していることである。自立生活権は内容的には障害者の日常生活上の事柄などにおける自己決定、選択の権利を1つは意味し、この点ではサービス利用者、消費者の立場から介助者と契約し、雇用するなどのシステムが定着しつつあるが、自立生活権は介助の必要な障害者ならば必要な介助ニーズに基づいて必要なだけの介助手当を支給する「介助受給権」が今1つの重要な構成要素であり、この点でアメリカでは不定時介助の必要な障害者が、自立可能なだけの介助手当や介助サービスを制度化している州は限られており、全米的な制度化は図られていない。
 そこでIL運動では現在、全米で常時介助の必要な重度障害者には1日24時間の介助が可能な介助者を雇用しうる介助サービス法(Personal Assistance Act)の制定を要求にかかげて運動を展開している。
 本誌の昨年9月号で久保耕造氏が紹介された、1995年のコミュニティ介助者派遣サービス法(通称CASA)はその一環である。久保氏も指摘しているように、CASAはADA制定運動の中心的な推進役であったADAPT(障害者が利用できる公共交通機関を要求する障害者会議)が、ADA成立後その略称を変えないままに、名称を介助者制度即時制定要求会議に変えて、その法案の草稿を提起したのである。結局CASAは法案として採択されず、類似の内容の法案が民主党上院議員のファインゴールドがスポンサーとなって上院に提出(1995年の長期ケア改正および赤字削減法)された。IL運動の側では同法案にCASAの理念をできるだけ取り入れる努力を行っているが、96年末現在、法案は成立にはいたっていない。
 しかし注目すべきは介助サービス法制定要求運動の過程で、アメリカで最も勢力の強い高齢者団体がILモデルへの支援を表明し、障害者団体との連帯が成立したことである。知的障害者、精神障害者、身体障害者、高齢者が大同団結したことで、特に高齢者団体との連携の強化によって成人障害者だけのILモデルだけではなく、高齢者のILモデルの構築をIL運動が守備範囲としたことは大きいといえる。

自立生活パラダイムと伝統的パラダイム

  医療モデルとリハビリテーションパラダイム 自立生活パラダイム
問題の定義 身体的障害者あるいは精神的障害者:職業的技能の欠落 専門家や家族員、その他への依存、差別的な態度や環境条件
問題の所在 個人 環境:医療やリハビリテーションの援助プロセスそれ自体
問題解決方法 専門的介入:治療 1.バリアの除去
2.権利擁護
3.自助
4.ピア(仲間)役割モデルやカウンセリング
5.選択やサービスに関する消費者コントロール
社会的役割 障害をもった個人は“患者”あるいは“クライエント”の役割 障害をもった個人はサービスや商品の“消費者”あるいは“利用者”の役割
だれがコントロールするか 専門家 “消費者”あるいは“市民”
望ましい成果 最大限のセルフケア(あるいは“日常生活動作自立”):経済的利益中心の雇用 統合的なコミュニティの中で毎日の生活のために受け入れ可能な選択肢をコントロールすることを通しての自立

1978年G.デジョング作成の表をマギーシュリーブが修正したものである(一部修正して引用している)

保守主義の浸透

 これまではIL運動の成果を中心に記述してきたが、今日のアメリカでは全体としての保守主義の浸透の中で、そのIL運動の根本を揺るがせかねない法案や政策が展開されている。
 その1つはカリフォルニア州が昨年11月の大統領選挙当日、住民投票提案209を住民総投票者の過半数以上の賛成により成立させたことである。これは障害者の機会平等権の根幹をなす、いわゆるアファマティヴ・アクション(積極的差別解消施策)を同州では廃止するとしたものである。さすがにその反対運動も強く、209の違憲性への訴訟がなされ、サンフランシスコ連邦高等裁判所が違憲の疑いありとして、209の執行停止の判決を出し、連邦最高裁判所に判断が委ねられる状況となっている。クリントン政権も違憲の疑いが強いと反対を表明している。
 同案は直接的には人種などの積極的な差別禁止規定の廃止を目指し、障害者の機会平等権に及ぶものではないとはいえ、その成立が認められれば、将来的には、障害者の機会平等権にマイナスの影響を及ぼすことは十分推測されるのである。
 今1つは、1996年夏に制定された新連邦福祉改革法の存在である。同法は移民制限政策とも連動し、また膨張するAFDC(母子家庭扶助)やSSI受給者や、食料切符利用者などの大幅な制限を意図した全くの福祉削減法である。同法が忠実に施行されれば、障害者の自立生活を支える諸制度、サービスの大きな後退も招きかねない危険性をもっている。その概要は次回以降の関連テーマのところで取り上げていきたいと思うが、同法にいかに対応するか、IL運動としては、1つの正念場を迎えつつあるといっても過言ではない。

(さだとうたけひろ 大阪府立大学)


(財)日本障害者リハビリテーション協会発行
「ノーマライゼーション 障害者の福祉」
1997年4月号(第17巻 通巻189号)41頁~45頁