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1000字提言

差し出された傘

岩井菜穂美

 この間、降水確率10%との天気予報を信じて電動車いすで仕事に出たら、降らないはずの雨が降ってきた。シトシト顔に降りかかる雨に「もう、気象庁のバカ!」と独り言を言いながら仕方なくしばらく歩いていると、突然雨が止んだ。のではなく、見知らぬ女性がサッと傘を差しかけてくれていたのだ。「地獄で仏」はオーバーだが、本当に嬉しかった。
 もちろん雨が顔にかからないのも嬉しいが、その時はその人のさりげない優しさのほうが、もっと嬉しかった。「すぐですから、ここで結構ですよ」との私の言葉に、彼女は「私の用事にはまだ時間がありますから、玄関まで送りましょう」と結局、最後まで傘を差してついて来てくれた。そして、私は彼女が探していた市民会館の道を教えて、別れた。
 私は以前にも、全く知らない女子高生に街中を車いすを押してもらい目的地に行く、という暴挙(?)に出たことがある。その時は、2人で「すみません」「ごめんなさい」と言い合っていた。私は(こんな無茶なことを頼んで申し訳ない)気持ち、相手は(押し方がヘタでわるいナ)という気持ちで……。
 時々、こんなことがあると、「人間、捨てたものじゃないナ~」と感じる。心優しい人は案外いっぱいいるんだなぁと、気分がウキウキしてしまう。そして、ほかの仲間もこんな優しさに触れられる機会があればいいナなどと、思うのである。
 障害のある人のために何かをしてあげたい、何かの役に立ちたいと、多くの人たちがボランティア講座を受講している。それはそれで、結構だ。正しい知識は生命の安全につながるし、障害者の置かれている現状を少しでも理解しようとする姿勢には、頭が下がる。
 ただ、ボランティアでなくても障害者とは付き合える、何らかの手助けもできる。それを、健常者の方々に知ってほしいのだ。私たち障害者は、専門的知識をもつ人だけが接することのできる特別な存在ではないのだから。
 けれど、さまざまな場面で障害者と健常者とが分断されている現在、互いが知り合い、自然に付き合うことが難しいのは確かだ。そのような状況を打破し、障害者と健常者との新たな関係性を築いていくことこそ、2世紀にまたがって生きる私たちの使命ではないだろうか。

(いわいなおみ 北九州自立生活推進センター)


(財)日本障害者リハビリテーション協会発行
「ノーマライゼーション 障害者の福祉」
1997年6月号(第17巻 通巻191号)31頁