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特集/これからの障害者運動

座談会・障害者運動の現在、過去、未来

松尾 榮(日本身体障害者団体連合会会長)
安藤 豊喜
(全日本ろうあ連盟理事長)
松友 了
(全日本手をつなぐ育成会常務理事)
調 一興
(日本障害者協議会代表)
【司会】伊藤 利之
(横浜市総合リハビリテーションセンターセンター長・本誌編集委員)

日本の障害者運動 ―どこまで到達しているか―

伊藤(司会) 皆様ご承知のように障害者プランによりまして、障害者施策の推進が各地方自治体の主体で行われることになりました。施策の実施にあたりましては、障害当事者の意見も反映されることが要求されています。したがいまして、これを実のあるものとして実現し、より良い施策を推進していくためには、当事者の政策立案能力が問題になるわけで、当事者団体の果たすべき役割も大きなものになっていくと思います。そこで、今日は各団体のリーダーの方々に、いまの障害者運動の動き、過去の歴史、そして今後の方向性というような順でお話をいただきたいと思います。 
それでは、松尾さんからお願いいたします。

松尾 私は日本身体障害者団体連合会(日身連)の会長を6月に引き受けたばかりで、まだ何か月も経っておりません。私どもの団体は現在、59都道府県、政令都市と、盲ろう両団体合わせて61団体で構成されております。設立は昭和33年です。障害者手帳をもっている方は全国で350万人と言われていますが、実際に会員として加入しているのは150万人ぐらいです。特徴は全国組織になっておりますので、各都道府県にそれぞれの団体連合会があり、末端の市町村まで組織をもっていることです。

まだまだ底が浅い障害者運動

伊藤 現在の障害者運動をどう見るか、どの辺まで到達しているかという点ではいかがですか。

松尾 かなり難しい質問ですが、国際障害者年からかなり前進はしたけれども、まだまだという実態です。これからはやはり障害者当事者自身が能力をつけて、政策立案に積極的に参加していくということが一番大事ではないでしょうか。
障害者団体でもやってもらうのが当たり前、感謝の気持ちを忘れている団体がなきにしもあらずです。先の障害者プランをつくるときにも、まず素直に感謝する気持ちをもつことが大切ではないか。相手に理解される、信頼される、そして自ら自立、社会参加を行う。そういうスタンスでないといけないのではないかということも、強く要望しているところです。

伊藤 市民に理解してもらう立場という点をぜひ顕示したいということですね。

松尾 そうです。やはりこれからは当事者団体だけでは駄目なので、市民、県民を巻き込まなければならない、国民に信頼される障害者でなければならないと考えます。

伊藤 ありがとうございました。それでは安藤さんお願いいたします。

安藤 全日本ろうあ連盟は戦後、昭和22年に創立され、今年の6月に創立50周年記念大会を埼玉で開きました。その50年間の中での私たちの運動の成果をちょっと整理してみました。1つは私たちの団体の場合、全国47都道府県のろうあ協会が参加していて、連盟本部に1人1年に2500円の会費を納めることになっています。いま2万7000人の会費を納める会員がいます。つまり自立した運動のための自主財源を一番重要な課題としてきました。
私たちの運動の基本的な課題の1つは、基本的人権をどう保証していくかということです。この基本的人権について、聴覚障害者自身がその権利に目覚める必要があるということを、私たちは全国的なレベルで運動してきました。
2つ目が機会平等のための法制化です。つまり、私たちは長い間運転免許も取れないとか、民法11条の中で自立できないという制約を受けてきたわけです。そのような不合理をなくす、機会平等という考えの中で、法改正には至っていませんが、いまは運転免許が補聴器をつけることを条件に取れるようになっているなどの成果を上げています。また、いま私たちがめざす方向として、医師法等の改正などがあります。つまり、聴覚障害者の場合、薬剤師の免許が取れませんが、薬剤師の免許というものに聴覚がどの程度必要なのでしょうか。基本的には専門的な知識が必要なわけで、高等教育レベルでちゃんと卒業すれば資格は取れるはずなのに、それが認められないのはなぜか、そのような運動をしています。
3つ目は、私たちの組織は手話でコミュニケーションができる人が中心になっています。その手話で生活ができる社会をつくっていくという考えがあるわけです。いままで手話に対する差別や偏見がありましたし、ろう学校でさえ手話に対する差別的な考えがありました。けれども、私たちは手話を1つの言語として社会に認めていただくという、長い運動の結果、いまは手話の社会的な普及も進んでおりますし、手話通訳も全国的な養成が図れるようになっています。
4つ目がろうあ者の全人間的な復権です。聴覚障害者の権利や資格、尊厳というものを、法的にも社会的にも行政的にもきちんと保障していくということをめざしてきました。
日本の障害者福祉の歴史を見てみると、慈善とか保護が基調になっていると思うのです。障害者を特別に見て、慈善をかける、また保護することが基本になっておりますので、先ほど私が言いました機会平等の原点のサポート体制が非常に遅れています。それが1981年の国際障害者年と、それに続く国連・障害者の十年が契機になって、社会への完全参加と平等の理念が根づきつつあります。けれども、まだ底が浅い感じです。

伊藤 ありがとうございました。それでは松友さんお願いします。

松友 私は全日本手をつなぐ育成会の常務理事ですが、常務理事になったのがちょうど1年前です。育成会に対するかかわりは、私の長男、今年27歳になりますが、長男に知的障害があって、親としてかかわってきました。
育成会というのは日身連とよく似ていまして、個人は市町村あるいは施設とか病院の育成会(親の会)に入会します。これが約2700か所あります。そしてそれらの育成会(親の会)が集まって都道府県の育成会をつくり、さらに、その連合会が集まって全日本育成会になります。
ちなみに個人レベルでは、いま約33万人の会員がおり、その中心は親です。親が33万人のうちの約3分の1を占めます。ですから知的障害者が何人いるかと言われますが、療育手帳から見て約40万人、そうすると組織率は約4分の1です。県によって若干違いますが25%ぐらいです。
育成会ができたのは46年前です。知的障害の特殊学級に通う、東京の3人の母親が自分たちの会がほしいということでつくったのがスタートだと言われています。ですから当初は、特殊学級とか養護学校、そういう教育の分野で親たちが集まってつくってきた、という歴史的背景があります。ただ最近は、だんだん大人の問題が中心になってきました。特に全国で千数百か所の小規模作業所を育成会関係で運営しておりまして、特に学校卒業後の大人の問題がいま一番大きな課題として取り組んでおります。
いままでの障害者運動について、私個人の評価になるのですが、私は世界的に見ても日本の障害者運動は量的にも質的にも遜色ない、すばらしいと思います。よく卑下をして、日本は遅れていると言う人がいますが、日本は歴史的に見てこういう障害者運動ができたのは非常に早い時期です。組織率も非常にいいですし、活発にやってきて、私は高く評価できるのではないかと思います。

伊藤 ありがとうございました。それでは最後になりましたが、調さんから今日お集まりいただいていない精神障害者の方々の問題も含めまして、お話いただきたいと思います。

調 私は昭和28(1953)年に結核にかかるまでは全くの健常者でした。29年に入院して手術をしましたが、手術は失敗で胸が化膿して閉鎖できず、気管支が外に開いたままになっています。肺機能が普通の人の3分の1ぐらいだという、事実上の障害をもつ身体になりました。そういうことから同じように呼吸器の障害をもって、何らかの条件をつくらないと病院から出られない、そういう人たちの社会復帰をどうするかということに、昭和34年からかかわったというのが私の障害者運動の出発点です。
1981年に国際障害者年を迎えて、完全参加と平等のテーマを基本にして、ぜひ国際障害者年を成功させようではないかということで、すべての障害者団体を中心に、事業者団体、専門家団体に呼びかけて、国際障害者年日本推進協議会という組織ができました。国際障害者年が終わり、1983年から国連・障害者の十年が始まり、92年に国連・障害者の十年が終わって、93年からは日本では障害者団体の要請で政府は「新十年長期計画」を策定しました。同時に我々民間団体が働きかけて、国連・障害者の十年をもう10年延長してほしいという運動を提起したわけですが、国連は難しいということで、国際的な障害者運動のエキスパートからいろいろな意見を聞いて、「アジア太平洋障害者の十年」という形でESCAPに問題提起をし、運動していくことになりました。ESCAPは33か国の共同提案で、アジア太平洋障害者の十年を1993年から行うということになり、そのときに、国際障害者年日本推進協議会を日本障害者協議会と名称を変更しました。
日本の障害者運動の到達点ですが、やはり制度が不備な所ほど障害者運動は国際的に見ても活発です。アメリカがADAの制度をつくったというのは制度が非常に遅れているからなのです。ヨーロッパに行くと障害者運動はあまり活発に見えません。ところが組織はきちっとあるのです。障害者施策に関しては、障害者団体当事者がその正面に立ち、しかも政府の補助金や会費によってきちんと大きなオフィスをもって活動しています。政府の補助金をもらったら、緊張関係がなくなるのではないかということに対して彼らは、「それは国民の税金であって政府の金ではない。我々も国全体の施策について我々が税金を使うことに対して、政府から補助金をもらったからといって、彼らと緊張関係がなくなるということはありません」と答えます。それは私は正当だと思います。税金は政府の金ではないという発想というのは非常に大事だと思っていまして、その辺から見ると日本はまだまだいろいろな意味で、これからだなと思っています。
精神障害者の関係については現在も病床数が約36万床ある。そして33万人から34万人の入院患者がおり、その多くが福祉の対象だと言われながら退院できない。地域で生活するということもなかなか進まない。今度の障害者プランでも社会的入院が3分の1以上いると言われながら、障害者プランの対象になっているのは、たった1万3500人です。最近は当事者団体もできてきましたが、家族会は福祉の問題について、他の団体以上に一生懸命に努力をしています。精神障害者の共同作業所を家族会が中心になってつくっていくことによって、運動の幅を広げる努力をしてます。

忘れることのできない出来事

伊藤 ひとあたり、ご自身の自己紹介を兼ねましてそれぞれの所属する団体のご紹介をいただきました。これで一応、各団体の現状はお互いにお分かりいただけたと思います。それでは今後どうあるべきかということを考えるにあたりまして、過去の運動の中で、未来といいましょうか、将来どうあるべきかという問題につながるような出来事や運動の仕方について、それぞれの運動主観を踏まえて、お話いただきたいと思います。

松尾 日身連は全国組織ですから、全国大会などで出された要望を国に要求していくという、いわゆる組織活動が一番大事だと認識しています。現在は県によって違いますが、組織率は約50~60%、佐賀の場合はもう60%ぐらいです。これをやはり80%ぐらいに上げなければいけないと思っています。地方によっては90%いっている所があります。手帳をもっている人はほとんど入るというくらいになっていかなければいけないと思います。

伊藤 組織率を非常に重要視しているということですね。

松尾 組織率がやはり一番大事ですね。障害者団体がまとまって信頼されるような組織になれば、すべての問題が解決できるのではないかと思います。

伊藤 過去の出来事の中で、その点に関して話題になるようなことがございますか。

松尾 障害者年の最終年に実施した全国列島キャラバンです。キャラバンで各県を回ったのは非常によかったと思います。佐賀の場合49市町村ありますが、全市町村長さんに直に会って要望書を手渡したことは、非常に効果的でした。やはり障害者自身が回ったのと、民生委員さんがもって行ったのとではかなり違いますから。市町村長さんも直に陳情書を受けて、障害者の実態というものをかなり認識していただきました。
できれば今後も、例えばアジア太平洋障害者の十年が終わる時期くらいに、やってみたいですね。

伊藤 安藤さんのほうでは何がございましたか。

安藤 私たちの運動の中で大きな反省点としては、ろうあ者の主体性をめざしてきた私たちの運動そのものが、見方によっては排他的と誤解されることもあったわけです。けれども、私たちの場合、同じ障害者団体の会議の中でも発言の機会というのが保障されていない点もあったわけです。手話通訳で聴くものですからタイミングが遅れますし、発言の機会がもてないとか、お客様扱いのときもあったわけです。そのようなこともあって、私どもの運動はまず聴覚障害者自身の自立した運動を貫いてきて、運転免許の獲得とか、いろいろな成果はそれなりにあげてきたのですが、やはりろうあ者だけの運動というのではなく、すべての障害者を含めた国民的な運動であるべきだというような意識の転換がいまでてきているところなのです。

伊藤 基本的に市民や県民の人たちを巻き込んで、そういう方々の理解を進めていく。そのためには自分たち当事者自身がその意識を変革しなければいけないのだという点、そこはよく分かるのですが、実際にはそれだけでは乗り越えられない厳しい障壁があるように思うんです。例えば聴覚障害者の方々にとってはコミュニケーションの問題が非常に大きいわけで、障害者の間でもよく理解してもらえないという問題があります。そういうことに対する科学技術といいましょうか、例えば、コミュニケーション障害をある程度代替できるような、具体的なものが開発されたりしますと非常に大きな前進につながるように思います。ですから、単なる運動だけで自己変革ができるかというと、私はちょっとそれだけでは済まないように思うのですが、その辺のところは、これまでの歴史の中ではいかがだったのでしょうか。

安藤 そうですね、20~30年前までは私たちが電話を使う時代がくるとは全く思いませんでした。テレビ電話が一般化した場合、私たちも電話が使えるのではないかと思ったのですが、いまはファックスが一般化しています。数年前の私たちの名刺には電話番号はなかったし、年賀状に電話番号を書くろうあ者はいなかったわけですが、いまはほとんどのろうあ者が年賀状とか名刺に入れるわけです。そのような機器の発達という、すばらしいものがあります。

伊藤 そういうことをやってくれる人たちが増えなければいけないし、研究施設も増えなければいけないですね。ありがとうございました。それでは次に松友さんからお願いします。

全員就学の実現

松友 私どもの団体が、日身連やろうあ連盟と一番異なるのは、障害のある本人が中心ではなくて、その親が中心の会ということです。
ご存じのように、昔は障害の重い子どもは学校に行けませんでした。それが1つのエネルギーにもなって、親として子どもを何とか学校に行かせたいという運動だったわけです。ただ、本人自身のいわゆる願いとか苦しみというのは、親といえども十分には分からない。一番よろしくないのは、親には自分の子どもを障害児に産んでしまったという気遅れのようなものがあって、行政に対しても社会に対してもアピールするにあたって、やはり腰が引けていた面があったのではないか。もちろん大先輩のお父さんお母さんが頑張ってくださって、ここまでさまざまな面で知的障害の分野の施策を進めてくださったわけですが、特に身体障害の方々の運動をいろいろ学ぶにつけて、もっと私たちは子どもを守る立場の親として、もう少し高い次元の期待をもっていく必要があったなと、感じています。
私の記憶として、やはり一番大きな出来事は、希望する子どもが全部学校に行ける全員就学、あれは大変すばらしいことだったと思います。そのことによって、特に障害の重い子たちが学校へ行って、結果として今日のいわゆる地域福祉とか、作業所づくりにつながった、そのスタートだったと思います。
もう1つは、先ほども言いましたが卒業後の問題があり、作業所という形で、これは育成会が46年前に発足したときからこの作業所のことが提案されていた、と言われております。そういう形で、何とか親として子どものために、努力をしたいというかかわりがあったし、それが育成会の1つの歴史だったということです。
ただ反省というか、逆の言い方をすると、それ故に親が子どもを抱きかかえてしまったという批判を受けています。しかし、地域の中で子どもたちの受け皿がない中で、かつては、入所施設に子どもを入れる、つまり入所施設がほしいと運動をしてきたり、親としてその時代、その社会において一生懸命かかわってきた、そして、それを育成会という運動の中で、みんな集まって表現してきた、とご理解いただければと思っております。

伊藤 分かりました。先ほど組織率の話が出たのですが、育成会の組織率は高いとは言えないですね。いま組織されている方々にも問題はあるにせよ、問題は組織されていない方々、この方々の中には知的障害があるということそのものを否定する親御さんたちがいて、我々リハビリテーション専門職の間では大きな問題になっています。この人たちに対する対策は、何かこれまでに考えてこられたのでしょうか。

松友 おっしゃるとおり、先ほど言ったようにいま育成会の組織率は全国平均で25%ぐらいですから、割合に高い組織率のある県もあれば低い所もあります。
この最大の理由はいくつかあるのですが、まず知的障害の概念が分かりにくいというか、法律の中にも定義がないという問題です。お互いにみんな「精神遅滞」だ「知的障害」だと言っていますが、実際その定義がはっきりしていなくて、境界線も曖昧なところがあります。これが1つ目の理由です。
2つ目は、それ故に本人はもちろんですが、家族などが自分の子どもに障害があるということを認めたがらない。いまおっしゃった、そこが一番難しい問題を抱えてくるのです。これからは、ピアカウンセリングと言いますか、私たち仲間として、先輩として、援助できるような当事者活動が一番重要です。
入会するかしないかは、最終的にはその人の自己決定だと思いますが、まず障害をきちんと受け入れて、そして1つの仲間の団体、当事者団体である育成会に参加する。さらに、その活動を利用する。これは私たちのほうが、活動事業の中で、そういうものをつくっていかなければいけないと思っています。

伊藤 身体障害と比べて、知的障害とか精神障害の場合には科学技術が活かせるような条件が少ないものですから、きっかけづくりが非常に難しいなと思うのですが、調さん、先ほどの話の続きとして付け加えることがございましたら、どうぞ。

障害種別を超えた協力

調 客観的に見て、確かに身体障害者の場合は、当事者の能力が高いものですから、割に日本では運動が進んでいると思うのです。問題は知的障害、精神障害の場合で、当事者が主張することは非常に難しい、それがまさに障害という側面でもあると思うのです。ですから、どうしても当事者運動が弱いことからくる施策の遅れというものがあるので、これは身体障害の分野の人たちが、積極的に支えていくというか、日本の障害者問題として捉えていくという姿勢が必要だと思います。そういう意味からも、種別を超えた障害者運動というものが重要な意味をもつかなと思います。
私はいま東京コロニーという法人の理事長をしています。私の所で実際に働いている人たちは、身体障害、知的障害、精神障害をもつ人たちです。それぞれの障害をもった人たちが、働くことを通してその人たちの生活をどうするのか、どうしたらちゃんと地域で暮らせるか、というのが私の運動の原点です。
これまでの運動の中で、忘れることのできない出来事をいくつかあげれば、身体障害者福祉法に内部障害者を含めることに成功した昭和42年の法改正、それに最近では障害者基本法の成立にかかわったこと。障害者プランの実現のために他団体とともに全力をあげて行動したことなどです。

これからの障害者運動がめざすべきもの

伊藤 これからはフリートーキングで、それぞれから障害者運動の近未来像、というようなことについてご意見をいただきたいと思います。

社会の意識を変える発信源として

安藤 私たちの団体の歴史を通して考えることですが、1つは社会の障害者観など、社会の意識を変革していく団体というような考え方に立脚する必要があるのではないか。障害者問題の場合、行政的な努力、また私たち障害者自身の努力も必要ですけれども、基本となるのは社会の障害者観がどれほど高いレベルにあるかということにあるのです。したがって、社会の意識を変えていくということが運動として、非常に大事ではないかと思っています。
2つ目は先ほども言いましたが、障害者自身の意識を高める役割です。障害者運動を通して、私たち障害者が人間的な権利といいますか、障害をもちながら人間としての誇りをもっていくというような運動が大切ではないかということです。
3つ目は、いま社会的な現象を見ますと、1つは福祉の心といいますか、人間的に全体で支え合う気持ちが失われていると思うのです。先ほども言いましたが経済が発展するときに福祉も発展しましたが、物、金だけが強くなって、本当に人間としての温かい励まし合いとか、支え合う気持ちというものがなくなってきているわけです。そういう意味では人間性というもの、尊厳性というものを障害者自身から社会に発信することが非常に重要ではないかと思うのです。
いままで私たちは、国や自治体に政策を行わせることを目的として運動してきたのですが、これからは障害者問題を提言して企画の段階から参加し、運用を担う団体に脱皮する必要があるのではないかと思っています。

各団体が一体となって真のニーズを打ち出していく

松尾 調さんのいろいろな意見の中から思ったのですが、やはり、もう少し障害者団体が自由に話をする場が必要だと思うのです。そして、障害者の本当のニーズを、打ち出していく。そういう障害者団体であってほしいと思います。
もう1つは、私どもの団体と社協とが一体になった運動をして、地域住民に障害者のあり方を十分に理解していただきたいと考えています。障害者は障害者だけ、聴覚障害者は聴覚障害者だけでは駄目なのです。やはり皆一緒になって地域住民と活動していく、その中心に社協を据えていってはどうかと考えています。

松友 そうですね。社協は組織がありますから。社協が音頭をとってくれるといろんな団体と会える場ができるというか、それに一番民間の団体も知っていますからね。そういう形で社協にぜひ、働きをしてほしいというのはありますね。

調 いま障害者全体の施策を進めるための組織として「新・障害者の十年推進会議」がありますが、これは日身連、日本障害者協議会、全社協、それにリハ協が事務局的役割をもって加わっている組織です。社協というのは唯一、市町村にまである社会福祉法人です。当然障害者福祉は、その大きな事業の1つであるはずです。
障害者施策がこれから市町村中心になると、この市町村にまで組織のある社協と障害者団体が結びついて、例えば、社協の中に「障害福祉部会」といったようなものができると、市町村にまで障害者組織が広がりますね。

松尾 日身連の場合、佐賀などは全市町村まであります。ただ地方の社協というのは、いわゆる長が兼務している所があるわけです。私は、あれは絶対駄目だと言うのです。社協は民間組織なのですから。本当に民間団体の組織としてやってほしい、と私は思っています。

安藤 私は、障害者運動は市民運動であるべきで、社協とは一線を画すべき運動だと思うのです。いま社協の実態と言いますのは、権限をもった仕事は多いのですが、行政の下請的な仕事をしていると思います。そのような中では、障害者の力を発揮できないというのが現状ではないでしょうか。社協そのものの体質を変えていく、いろんな力を市民運動として発展させていくことが重要だと思うのです。

伊藤 私もそう思います。市民運動としての障害者運動をつくり上げていく基盤が必要だと思うのです。ただいろいろなことをやっていく、そういう戦略・戦術としては、社協の場というのも有効なのではないかと思うのですが、いかがでしょうか。

政策立案からの参加の時代

松友 松尾さんは、まさにそのことをおっしゃったと思います。欧米等の市民運動、市町村レベルでも障害者運動は非常に力があります。それは国連の障害者の行動計画などで「障害者団体の育成」ということをきちんと掲げているからです。
本当に市町村で当事者の満足できる福祉をやるとしたら、多くの仕事を我々当事者団体にやらせるべきです。そして障害者団体にきちんと活動資金を税金で賄ってほしいと思います。私たちはそれをやれるだけの力をつけてきたと思うし、またつけていかなければいけない。また、それを担えるように行政が育てていく。それが本当の市町村や地域の福祉だと思います。いままでは、どちらかというと我々も要求運動というレベルだけだったのですが、これからは本当に参加の時代です。

伊藤 社協の存在ですが、障害者団体と社協との関係はどういうふうになるわけですか。

松友 日身連や育成会といったさまざまな団体が、社協という場に結集することによって連携できるという、地域のキーパーソンの役割を社協が担う必要性があるのではないか、という期待です。

安藤 社協の姿勢を障害者の求めるものに変えていくかが課題になっていると思うのですが……。

調 社協というのは福祉に関する民意を代表して、行政との連携をとりながら実現していくというのが本来の姿です。ところが社協には、国が予算を組んで補助金を出していることもあって、役所みたいになっているから問題なんです。
だから社協を本来の姿に戻していく努力をしながら社協を活用していく。障害者運動の中では、そういうことを念頭に置いて対応することが必要ではないかと思います。

伊藤 社協を本来の姿に戻していくのだ、ということを一方でやらなくてはいけないということですよね。しかし、それはそんなに簡単なものではなさそうですね。その前に、まず障害者団体自身が、先ほど松尾さんがおっしゃったように、横の連携をどうつくるか、その中で日身連の運動というのは、やはり先陣をきってこられた先達だと思うのです。ですから、そこがかなり大きな懐をもって知的障害や精神障害の方々までを含めて、団体組織としての統一化を図っていくとか、そういう力をもたないといけないように思います。まずそこができないと、どうも社協そのものを変えるということは難しい。やるにしても、同時進行だと思うのですが。

松尾 やはり、視野に入れて運動していく必要があると思います。

伊藤 視野に置いておくということですよね。それは大変大事なことだと思います。

松尾 いま中央社会参加促進センターという組織があります。従来はあまり活動していませんが、これをもっと改めて、そこに知的障害者や精神障害者も加入してもらうという考えがあります。それと同時に地方社会参加促進センターを各県に置いています。その中にボランティアの皆さん方も入っていただこうと、そうすれば社会参加促進協議会の中で会議をすれば1つにまとまっていくのではないか、という考えもあるのです。
そういう意味においても各団体が、もう少し、本当に腹を割って、今後どうするんだということを、話し合っていく必要があるのではないかと思います。日本全体の障害者団体がまとまっていけば国も動かざるを得ないのですから。私は、とりあえずは各団体のそれぞれの運動は、もちろんやっていただかなければいけないのですが、やはり中央社会参加促進センターでまとまって、それでやっていくというのが一番いいのではないかと思っています。今日は、そのためにも非常にいい機会だと思います。

松友 各団体にはそれぞれ40年、50年の歴史があると思うのです。それをお互いが尊敬し合い尊重し合っていくことが大切ですね。「お前の所ばっかり補助金を取っているんじゃないか、早く返上せい」みたいに、その団体の活動・歴史に手を突っ込むような形で議論しておきながら、一方で「一緒に仲良くなりましょう」と言っても難しいと思います。それぞれの背景を踏まえた上で、1プラス1が5になるような連携をしていかないと、いけないですね。

伊藤 基本的には障害者問題に関する全体のパイを大きくする。そのパイを大きくするためには皆の統一が必要だということでしょうね。ただ、個々の問題は非常に大事にしなければいけないですから、それぞれの団体組織が強化されて、それぞれの問題がきちっと政策に反映できるような能力をもたなければいけないと思いますね。

松尾 それは非常に大事なことです。やはり相手を尊重した上でやっていかないと。

縦と横の組織化を

調 私は将来の日本の障害者団体のあり方として、国のレベルは時間をかけて、協議しながら障害者協議会というような組織の一本化ができれば一番いいなと思うのです。それから都道府県レベルにも、障害者関係団体が1つの組織をつくっていく。すでに福岡、大阪、埼玉などではでき始めています。こういうような国、都道府県、市や郡のレベルぐらいまで、あるいは保健福祉圏域といわれる単位、そのぐらいまで障害の種別を超えて集まる組織ができていかないかなと思います。同時に障害の種別ごとの全国組織の結集も必要です。ヨーロッパにはそういう組織がちゃんとあるんです。種別ごとの縦の組織があって、それが横に連携している。
これからの障害者運動は、要求の段階からどう政策化するか、きちっと提言できるような能力を障害者団体がもつかどうかということが、結局、我々の活動の成果をどう上げることができるかということにつながると思います。

伊藤 縦と横の組織をきちっとつくっていきながら、当事者団体が政策立案まで能力を発起しなければいけない、そんな時代が来たなと思います。これから、まさに我々自身が試される、そういう事態になりつつあるようですね。
時間がまいりましたのでこの辺で終わりたいと思います。本日はどうもありがとうございました。


(財)日本障害者リハビリテーション協会発行
「ノーマライゼーション 障害者の福祉」
1997年10月号(第17巻 通巻195号) 8頁~19頁