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特集/これからの障害者運動

狭間の薬物問題

―ダルクの活動―

近藤恒夫

社会復帰センター「ダルク」

 ダルクは薬物依存者の運営する社会復帰センターとして1986年に誕生しました。ドラッグ・アディクション・リハビリテーション・センターの頭文字をとって「DARC」、フランス風にダルクと呼ぶようになりました。
 この11年間、薬物依存に苦しむ若者と、巻き込まれを余儀なくされた悲惨な家族が次から次へと訪れました。当時は薬物という物質が問題で、この薬物を止めさえすれば解決だと信じられていました。しかし、依存症が病気の源であり、本人がチェックし自覚し自ら変えて努力していくには、長い時間が必要になってくる訳です。薬物依存者の次の依存の対象はアルコールです。つまり、また新たな依存が発生するのです。次いでギャンブル(パチンコ、競輪、競馬、ゲーム)でさまざまな金銭トラブルを生み出します。
 私は依存症は1つだと思います。依存症ゆえに、次から次へと繰り返し病的な行為にのめり込んでいくからです。カードがパンクするまで買物が止まらないのも病的依存です。むしゃくしゃするからたくさん食べ過ぎたり、たくさん食べて反吐を吐く(拒食症)、そういう人たちもアディクションだと思います。

大切な自助グループの存在

 さてダルクの活動について紹介します。身体的、精神的、社会的障害をもった依存者の回復を手助けし、薬物を使わない生き方のプログラムを提供しています。回復するための場、時間、回復している仲間のモデルとの出合いがとても重要です。プログラムにはナイトケアとデイケアがあり、団体生活をしながら数か月間のプログラムを行います。NA(ナルコティクス・アノニマス)の提案する12ステップに基づいたプログラムによって、ダルクを退寮してからも各地のアフターサポートグループに通うよう指導されます。地域に自助グループが数多くあることがダルクが沈殿化しないためにも必要なのです。
 また、現在ダルクには小中高等学校や地域住民の集い、精神保健センター等からの講師依頼が数多く来ています。最近では、「絶対ダメ」という薬物乱用防止だけのスタンスから、生き方の問題や目的の喪失等、当事者自らの体験を通しての講演が好評です。また、依存症の治療及び再発防止が最大の予防であることを訴え続けています。その他にも、パブリック・インフォメーションとしてのフォーラムを各地のダルクが年数回開催し、回復できる病気としてのメッセージを伝えています。小規模セミナーとしては、施設や病院、福祉事務所などで依存症とかかわる人を対象とした学習会が行われています。
 さて現在、行政には依存症としての枠組みがなく、どの課が窓口になるのか、昨年までは明確な回答は得られませんでした。結局、精神保健課に決定したのは、ごく最近のことです。日本の薬物問題に関してとやかく言うつもりはないのですが、共通言語のまったくない分野なのです。学校では非行と言われ、司法は犯罪として扱い、医療は病気と言います。地域では厄介者として扱い、無視されているのです。このように、なかなかつながらない薬物問題の言語体系が、この単純な薬物問題をかえって複雑にしているのが現実です。
 簡単に言うとネットワークがないのです。多分もし仮に、この各行政の方々が同じテーブルを囲んでディスカッションしたとしたら、通訳者が必要になるでしょう。司法では犯罪者としての刑罰と処遇、反省と決心をさせ、脅しと今年何人補導したかの数字の羅列、道徳的指導、地域は少年たちをどのように排除するかという過剰な社会防衛的発想しか出てこないでしょう。医療では精神病院に隔離することというレベルの話し合いで、終止符がうたれることでしょう。
 依存とは「人生に飢えや渇きを感じる人が、それを埋めようとする行為」なのです。従って程度の差はあっても「私は心身共に健全である」と胸を張って言える人は現代社会の中にいるはずはないのです。依存とは淋しさの「痛み」でもあるからです。

今後の展開に向けて

 ダルクの今後の活動としては、若年層向けのプログラムが必要になってきました。

(1)個人カウンセリング(本人の悪くなってきたプロセスを知る)
(2)家族カウンセリング(家族の中でだれがどのような役割をしているか)
(3)青少年のグループ(問題をもった本人同士の分かち合い、NAを知っておくことは将来役立つかもしれない)
(4)コミュニティプログラム

 上記の中で、特に青少年の治療共同団体が地域と人間的なつき合いをしていくために、保育園や病院に入院中の患者さんを訪問したり、公園に木や花を植えたりすることも重要です。刑務所や法廷の様子を見に行くことも有効です。依存症者の多くは「NO」が言えない人たちです。「私は社会で必要とされている人間だ」と感じることが大切なのです。また少年たちが腹を立てているなら、原因があるはずです。「怒り」を新しい方法で解決することを学ばなければなりません。
 ダルクは草の根のように自然発生的に全国に拡がってきましたが、それを支えるスタッフは、ある日突然燃えつきます。その最大の原因は若い依存者の自殺です。年間十数名のかかわりをもった若者の死は、スタッフにとっても重く厳しいものです。スタッフや相談に訪れる人が経済的にも社会的にも尊厳をもって生きているとは思いません。けれども彼らスタッフも自分自身のケアをしながら勉強しています。
 私がつくったダルクを恒久的に存続させていくつもりはありませんが、少なくとも次の世代に良い影響を与える人と場を育てていくことが急務です。その場所を今、北海道に求めています。スタッフ養成には長い時間と根気が伴います。全国の依存者がいつでも参加して自分自身をトリートメントできる場が必要です。そのために全世界の仲間が集まって体験と希望を分かち合う場として「アパリ」と命名しました。来年は「アパリ」が北の地に誕生する思いで胸がわくわくしています。

(こんどうつねお 日本ダルク代表)


(財)日本障害者リハビリテーション協会発行
「ノーマライゼーション 障害者の福祉」
1997年10月号(第17巻 通巻195号)25頁・26頁