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フォーラム'97

障害者スポーツの動向

田中信行

 世界の障害のある人のスポーツ組織は、障害別のスポーツ組織(5つ)が加盟する国際パラリンピック委員会(IPC)、国際ろう者スポーツ委員会(CISS)、スペシャル・オリンピック・インターナショナル(SOI)と大きく3つに分けることができる。
 IPCは、加盟している国際的な障害者スポーツ組織を統括する役割をもつ組織であり、1989年に設立された。このIPCに加盟している国際的な障害別スポーツ組織は、車いすを使用する選手を対象としている国際ストーク・マンデビル車いすスポーツ競技連盟(ISMWSF)、脳性マヒの選手を対象とする国際脳性マヒ者スポーツ・レクリエーション協会(CP―ISRA)、視覚障害の選手を対象とする国際視覚障害者スポーツ協会(IBSA)、その他の身体に障害がある選手を対象とする国際身体障害者スポーツ組織(ISOD)、精神薄弱などの知的障害の選手を対象とする国際知的障害者スポーツ協会(INAS―FMH)の5組織である。IPCは、この5組織の他に、155の国・地域の代表及び世界6地区(アメリカ、アフリカ、西アジア、東アジア、南太平洋、ヨーロッパ)の代表を含めた執行委員などにより構成されている。
 CISSは、国際的な障害者スポーツ組織としては最も歴史のある組織であり、1924年に設立し、陸上競技や水泳などを競う「世界ろう者競技大会(夏季大会)」(過去18回開催)、アルペンスキー、スピードスケートなどを競う「世界ろう者冬季競技大会」(過去13回開催)を、それぞれ4年おきに開催している。現在、65か国が加盟している。
 SOIは元来、アメリカ合衆国の知的障害のある人のための組織であるが、現在では全米の州以外に各国などに同一の組織を承認している(国数は144か国)。この組織も、夏季・冬季それぞれ4年ごとに国際的なスポーツ大会を開催している。この組織は単にスポーツ大会の開催という観点ではなく、知的障害のある人(8歳以上の)に対して、年間を通して行われる運動のプログラムを実施し、その一環として大会をとらえている。
 これらは、当然別々の組織であるが、すべてIOCに承認を受けた組織であり、各組織が常にこのことを強調している。このことから、国際的な障害のある人のためのスポーツ組織が、IOCあるいはオリンピック競技大会へ歩みよろうとしていることがうかがえ、現実に、それぞれが違った方法で、関係をもとうとしている。
なお、IOCに承認を受けている組織としては、ここであげた国際的な障害のある人のスポーツ組織の他に、国際的な各種スポーツ組織、国際水難救助連盟や国際チェス連盟などがある。
 ここでは、これらの組織のうち、昨年の夏、「オリンピックと同じエリートスポーツの大会」を前面に打ち出し、日本選手も大活躍をしたアトランタ・パラリンピック競技大会を開催したIPCにしぼって、障害者スポーツの動向を述べる。
 このアトランタ・パラリンピック競技大会は、障害者スポーツ(Disability Sport : このことばは国際パラリンピック委員会ステッドワード会長により用いられている。)をとおして、世界に障害のある人の能力を示す大きな節目となった。
 我が国の障害者スポーツにおいても、この大会での日本選手の活躍を、マスコミが取り上げるようになった(ほとんどが後になってではあるが…)という点で大きな節目となった。あくまで私見であるが、このことは日本選手の活躍はもとより、財団法人日本身体障害者スポーツ協会関係者のこれまでの努力や、来年の3月に行われる長野パラリンピック冬季競技大会の広報も兼ねた、関係者による障害者スポーツの売り込みによるところも大きいといえる。
 IPCが設立されるまでの障害者スポーツの歴史をみると、1960年代の後半、すでに設立されていたISMWSF(当時はISMG)と、ISODを統括した大会の運営が、パラリンピック競技大会を築いたグットマン博士によりなされた。しかし、1980年に博士の死去により、1978年設立のCP―ISRAや1980年設立のIBSAを含めた国際的な障害者スポーツ組織の統括が難しくなり、その統括のための国際調整委員会(ICC)が、1982年にそれらの代表者により設立された。
 1986年には、同年に設立された国際知的障害者スポーツ連盟(INAS―FMH)とCISSがICCに加盟し、SOIを除く、すべての国際的な障害者スポーツ組織が統括された。しかし、ICCには各国の代表が含まれないことから、その運営を批判する欧州諸国を中心として、ICCとは別に1989年にIPCが設立された。しばらくの間、ICCがイニシアチブをとっていたが、1994年のリレハンメル・パラリンピック冬季競技大会より、IPCがパラリンピックを主催するに至った。しかし、その翌年には、CISSが脱退している。唐突ではあるが、障害者スポーツの歴史は、いかに障害別のスポーツ組織を統括していくかが試行錯誤されている歴史といえる。
 IPCによる、国際的な障害者スポーツの方向は次の3つといえる。その1つは、以前の特に肢体不自由者における障害者スポーツは、リハビリテーションとしての位置付けが含まれていたが、これからは競技そのものであること。2つめとして、IPCは、IOCより財政的支援を受け障害者スポーツの発展を図ると同時に、パラリンピックの種目をオリンピック競技大会に統合(Integration)するようIOCに働きかけること。3つめとして、2つ以上の国際的な障害者スポーツ組織が関係する競技大会すべてをIPCの主催とし、IPCが世界の障害者スポーツの軸となることである。
 特に、2つめはIPC設立前の1984年に、IOCがオリンピック競技大会に、種目の併合を承認したとされており、そのこともあり、その年のロサンゼルス・オリンピック競技大会、1988年ソウル・オリンピック競技大会、1992年バルセロナ・オリンピック競技大会、1996年アトランタ・オリンピック競技大会において、男女1種目ずつの車いす選手による陸上競技のデモンストレーションが行われてきた。
 現在、「IPC総会で、この車いすによる陸上競技種目をオリンピック競技大会の正式種目とすることを決定」すれば、オリンピック競技大会に正式種目とするための議題として、IOC執行委員会に提出することをサマランチIOC会長がほのめかしたとされている。
 併合されれば、障害者スポーツという観点では画期的な出来事であるが、実際にはIPCに加盟している車いす競技連盟以外の組織から反発がある。昨年のIPC執行委員会では、特に車いす選手の競技を中心としたIPCの運営方針を批判し、一部の組織が脱退の意向を示したといわれている。
 過去の歴史からも想像がつくように、現在も障害者スポーツ特有の組織構造により、障害別スポーツ組織の利害関係が常に問題となってくる。加えて、IPCや選手がもつオリンピック至上主義や、障害のある人に対する社会のmorality(モラル)とエリートスポーツ選手がもつlogical(論理的)な考え方とのギャップなども、複雑に絡み合っていることから、IPCの運営方向は、いまだ混沌としているのが実情といえる。

(たなかのぶゆき 厚生省大臣官房障害保健福祉部企画課長野パラリンピック準備室)


(財)日本障害者リハビリテーション協会発行
「ノーマライゼーション 障害者の福祉」
1997年10月号(第17巻 通巻195号)50頁~53頁