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特集/もう1つのオリンピック 日本の3月、パラリンピック。

長野パラリンピック後の障害者スポーツに期待する

地域に根ざしたスポーツの振興を

小玉一彦

 本稿では、障害者がスポーツ活動を実践する場である地域スポーツの振興の視点から、長野パラリンピック開催の意義とのかかわりで、我が国における障害者スポーツの課題について考えてみたいと思います。

■ パラリンピック開催に期待すること

 まず、結論から言えば、第7回長野パラリンピック冬季大会開催を契機にスキー種目を中心とする冬季スポーツ種目の大衆化と高度化が飛躍的に前進すること。そしてまた、テレビ観戦等を通じて(冬季種目に限定せず)さまざまなスポーツ種目に、あるいは仲間と共に体を動かすことそのものにチャレンジする勇気を多くの障害者自身、家族がもち、各地の障害者スポーツ協会等に多数の「問い合わせ」が殺到することを心から願っています。
 そして敢えて言えば、今、そのことを実現するために、障害者スポーツに関係するすべての個人・団体が大会の成功とそれがもつ波及効果を念頭に入れつつ、地域的課題の解決と前進に向けて知恵と勇気を発揮して最大限の準備を進めることが大切ではないかと思っています。そして、その努力の過程と結果は、スポーツが「みんなのもの」であるという社会でのあるべき姿を浮かび上がらせてくれるはずです。

■ 東京パラリンピックが残したもの

 我が国の(身体)障害者スポーツは、1964年東京パラリンピック開催を契機として隆盛をみているというのはだれもが認めるところです。
 財団法人日本身体障害者スポーツ協会という日本全体を視野に入れた全国推進組織を立ち上げることができたこと。そして何より、その翌年から一般国体と共に毎年都道府県を巡回する全国身体障害者スポーツ大会(身障国体)がまさに「50年に1度のチャンス」を合言葉に主催県あげて取り組んだことにより、地域のスポーツ振興と活性化に大きな影響を与えてきたことです。この身障国体の継続的実施がスポーツによるリハビリテーションの重要性と有効性を全国に広め、さらに、障害の種類・程度、残存能力に応じたスポーツ実践をますます盛んにしていく原動力になってきました。それにはもちろんスポーツ環境の客観的条件(たとえば、施設の整備、指導員の養成、新種目の開発や導入等)の改善が進められてきたことと不可分です。

■ 障害者スポーツ「運動」30年の到達点

 このように、約30年間を経過する我が国の障害者スポーツ運動はどこまで進んだのでしょうか。またこれから何を目指して、どこに進もうとしているのでしょうか。地域的視点から大ざっぱに整理してみると、
 ①都道府県(47)、政令指定都市(12)の中に39か所のスポーツ協会が設立され、地域での普及、振興にあたっています。
 ②障害者の優先的利用が可能なスポーツセンターが全国に15か所、さらにA型センター36か所、B型センター197か所が設置され、地域の活動拠点になっています。
 ③各級公認指導員が全国で約7300名登録しており、日常のスポーツ活動を支援しています(ここ数年間は毎年約1000名ずつ増加)。
 ④種目別全国組織(含競技団体)、地域組織、大小合わせて43団体、約1万7500名程が会員登録し、選手、愛好者の増加を図っています(ちなみに本年で33回目を迎えた身障国体の既出場者数は約3万人程度と試算)。
 いくつかの具体的数値(1つの到達点)を示してみましたが、本質的には、これら運動の成果、並びにこの物的・人的資源(蓄積)が、地域の実情、実態をどう変革し得たのか、またし得なかったのか、追跡と検証が早急になされなければならないでしょう。
 たとえば、宮城県に引き寄せて言えば、スポーツ協会設立10周年、さまざまな普及活動を展開してきましたが、仙台市だけを見ても、いまだに全障害者数の1割程度のスポーツ活動参加率(前年度実績)に止まっています。また、視点を変えれば、今パラリンピックの代表選手(第1次決定)55名中2名以上選出された県はわずか5都道府県にすぎず、冬季種目の普及の度合いがおしはかられます。

■ アトランタパラリンピックから学ぶ

 アトランタの組織委員会は大会の成功のみならず、次の「遺産」を広く受け継いでいくことを宣言し、目指しました。
 ①障害者スポーツ基金の設立(経済的支援)
 ②訓練されたボランティアの養成
 ③スポーツ享受拡大のための整備
 ④アクセシブルな都市への改善
 ⑤精神的バリアの打破に向けた取り組み
 ⑥障害者スポーツ支持の拡大(認知)
(「アクティブジャパン」 vol.7より)
 これは非常に画期的なことであり、アトランタ市民、アメリカ国民の差別撤廃への強い意気込みを感じます。
 この際、長野パラリンピック開催にあたり、この「遺産」をすっかり受け継いだらいかがでしょうか。日本は34年ぶり2回目、しかも夏季・冬季の両パラリンピックを催す世界最初の国になります。
 近代オリンピック復興100周年記念大会を成功させたアトランタ。過剰な競争原理と強烈な商業主義に支えられ、さまざまな問題が指摘される国際オリンピック運動ですが、100年の歴史の上に培われた「Sport for all」の理念とだれもがスポーツの主人公になれることを目指すこの「遺産」を受け継ぎ、発展させていくことが必要なのです。
 日本の30年の実績と先進地域の教訓に学びながら、21世紀に向けた新たなビジョンの構築とその具体的手だてを検討していくことが長野パラリンピックからの「メッセージ」であるように思われます。

(こだまかずひこ 宮城県障害者スポーツ協会会長)


(財)日本障害者リハビリテーション協会発行
「ノーマライゼーション 障害者の福祉」
1997年12月号(第17巻 通巻197号)20頁・21頁