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<北米における権利擁護とサービスの質に関するシステム 連載5>カリフォルニア州における知的障害者に対する権利擁護システム(その1)

大学教育の保障
<北米における権利擁護とサービスの質に関するシステム 連載5>
カリフォルニア州における
知的障害者に対する権利擁護システム(その1)

松本晶行

 大阪府の八尾。年配の方なら毒舌で有名な今東光和尚のお寺があった所、若い人なら菊水丸の河内音頭の本場と言えば分かって頂けるだろうか。
 4月中旬。その八尾にある大阪経済法科大学から頼まれて、バリアフリーについての話をしてきた。1時間半は学内関係者全員を対象とする公開講演会。その後の1時間半は、教授と学生部、図書館等の職員に視覚障害・聴覚障害の学生も参加しての懇談会。これまでも何人かの障害者学生がいたが、新しく全盲1人、全ろう2人の学生が入学したので、大学全体として、障害者問題を学び直し、学生生活の保障を検討したいということだった。
 その2週間後、連休直前の日に、愛知県のろう者が相談に来た。東京の、M大学の通信教育の説明会が愛知であった。入学を申し込んだら、過去に聴覚障害者が卒業した例を教えられたが、可否自体は直接大学と相談してほしいという話だった。大学に問い合わせると「可否判断のために入学動機を書いたレポートを送ってほしい。申込み手続きは入学可の連絡が行ってからにしてほしい」とのことだった。早速、言われた通りにレポートを送った。しかし、募集要綱にある申込み期限を2日後に控えた今日まで、大学から何の連絡もない、という話である。
 大学からの連絡は数日後に郵送された。「入学は認める。ただし、スクーリングのときの手話通訳や要約筆記は本人が準備する。大学側は一切責任をもたない。このことを認める誓約書を提出してもらう」という内容だった。
 本人がそれで納得したので問題としては解決した形になったが、なぜ、誓約書まで出させるのか、私としては釈然としないままである。
 視覚障害者は、教わる(講義を聴く)面でバリアは比較的少ないが、学ぶ(資料を調べる)面でのバリアが大きい。聞こえない場合は、この関係がちょうど逆になる。資料の点訳や音読も、講義の通訳や筆記も、すべてきちんとやるのはそれこそ大事業になろう。大学も経営体であり、全面保障せよなどと言う気は毛頭ない。ただ、初めから何もしないとして、誓約書まで提出させるのは問題だろう。
 大阪経済法科大学での3時間は快い疲れだったが、M大学との対応では何とも不快な疲労感だけが残った。バリアを乗り越えるための疲労とバリアに跳ね返された疲労との違いだろうか。

(まつもとまさゆき 財団法人全日本ろうあ連盟事務局長・弁護士)

北野誠一

1 はじめに

 社会福祉基礎構造改革の一環として、地域福祉権利擁護事業が10月より始められようとしている。知的障害者等が必要とする各種サービスの契約上や使用上のトラブルや権利侵害に対して、それを支援する「生活支援員」をそのようなニーズをもつ人にコーディネートする事業だという。
 ところが社会福祉事業法等の一部改正法大綱によれば、どうやら法文では地域福祉権利擁護事業ではなく、福祉サービス利用援助事業と名乗るらしい。権利擁護と銘打った法文が生まれることを期待した向きには残念だが、ある意味で日本の現状を見事に露呈したと言える。
 それは権利擁護と名乗るためには、サービス利用者の権利についての法規定が必要不可欠だからである。ところが日本では「障害者基本法」をはじめ、「児童福祉法」「学校教育法」「身体障害者福祉法」「知的障害者福祉法」「精神保健福祉法」のどれをとってみても、サービス利用者である障害者の権利についての明確な規定が欠落している。
 そこで少しアメリカの障害者関連諸法における障害者の権利を規定する表現を見ておきたいと思う。
 まずは著名な「障害をもつアメリカ人法(ADA、1990)」である。実はこの法律には権利についての直接的な表現がない。法の中では、障害であることを理由とするすべての差別的な行為(Discrimination)を禁止する諸表現があるのみである。これは日本においても同様の障害者差別禁止法を作る際に当然問題となるわけであるが、アメリカでは1964年に成立した公民権法において、差別を受けないことが市民としての当然の権利(Civil Rights)だと認められたからであり、その障害者版がADAだったわけである。
 次に「改正リハビリテーション法(1998)」を見てみると、第2条(3)で「障害は人生の経験の自然な一部であり、(A)自立して生活し、(B)自己決定を楽しみ、(C)選択し、(D)社会に貢献し、(E)意味ある仕事を追い求め、(F)アメリカ社会の一般的な経済的・政治的・社会的・文化的・教育的環境のまっただ中での生活をエンジョイする人間的権利をおとしめてはならない」と規定されている。さらにその第5章は、「権利と権利擁護」のタイトルのもとに、連邦政府の資金援助を受けるすべてのプログラムにおける障害者差別を禁止する、かの有名な504条項を含んでいる。
 次に「改正障害者教育法(1997)」を見ると、601条(目的)において、「この法の目的は(B)障害児とその親の権利を守ることを保障することにある」と述べている。そして「改正発達障害者支援及び権利法(1994)」は極めつけであり、タイトルの中に権利が明確に表現されている。この法はそもそも1963年の「精神遅滞者施設建設法」が改正されたものであることを思えば、ノーマライゼーションと自立生活支援の歴史が分かろうというものである。
 連邦法であるパートAの110条「発達障害者の権利」及びパートCの「本人の権利の援護及び擁護」は、これまで私たちが見てきたカリフォルニア州の知的障害を中心とする発達障害者(一部脳性マヒとてんかん等を含む)に関する法律であるランターマン発達障害者サービス法に、より鮮明に表現されているゆえに、次にそれを見ておきたいと思う。

2 ランターマン発達障害者サービス法と地域センター(Regional Center)

 ランターマン発達障害者サービス法は、4502条で発達障害者のさまざまな権利を規定している。

(a)最も制約の少ない環境の中でのサービスとサポートを受ける権利
(b)地域の中で尊厳とプライバシーと人間的なケアを保障されて生きる権利
(c)障害の程度にかかわらず、適切な教育を受ける権利
(d)医療を受ける権利
(e)宗教的自由の権利
(f)地域活動に参加する権利
(g)スポーツやレクリエーションに参加する権利
(h)不要な拘束・孤立・無視等を含む侵害からの自由の権利
(i)危険に巻き込まれることからの自由の権利
(j)どこに住むか、だれと住むか、どのように時間を使うか、どのような将来の計画書(IPP)を作成し、実行するのか等について、自分自身の生活を自分で選択する権利

 地域センター(RC)は、ランターマン法に基づいて、州発達障害局(DSS)から委任されたNPOであり、州全体で14万人の利用者を有し、21か所で運営されている。地域センターは、ケースマネジャーが中心となって、利用者一人ひとりの希望に基づく本人自立支援計画(IPP)の策定を行い、それに基づいて本人の支援に必要なサービスを調整して購入するとともに、そのサービスの中身についてチェックする機関である(その一般的業務については、本誌1997年7月号の定藤丈弘氏の論文に詳しい。ここではその権利擁護的側面を取り上げる)。

1.地域センターは、ランターマン法に基づいて利用者の諸権利を尊重するだけでなく、利用者の自己選択が可能となるように、本人のスキルを高めることを援助するとともに、そのために必要な情報をできる限り分かりやすく提供する義務を有する。

2.ランターマン法4622条において、地域センターの理事会の半数以上は障害者本人とその家族または法定後見人でなければならない。さらにその半数は障害者本人であることが求められている。このことは地域センターが単なるサービス調整機関ではなく、コンシューマー・コントロールの強いシステムであることを意味する。

3.ケースマネジャーは平均80ケースを担当し、年数回本人に直接面接することによって、IPPに基づいて生活支援がなされているか、人権侵害がなされていないか、またIPPの変更が必要かをチェックする。
 本連載第1回で見たように、ケースマネジャーはアドボケイトというよりもサービス利用者と提供者との間に立つメディエイター(調整役)である。ただし注目すべきは、地域センターがわが国の市町村福祉事務所の措置権と同様、ケースマネジメント機能を独占的に委任されていることである。介護保険下のケアマネジメント機関とは異なり、地域センターを通さなければ、サービス提供者はサービスを提供できないがゆえに、利用者の意向を十分尊重しながらのコーディネートが可能である。

4.さらに地域センターには利用者の権利擁護を担当する利用者の権利擁護者(Client Rights Advocate=CRA)が配置されている。CRAの中心業務は以下のとおりである。

(a)IPPを立てる際の本人のアドボケイトの役割
(b)本人が各種のサービスに不服を申し立てることへの支援
(c)センターのスタッフやサービスプログラムの質をチェックするとともに、センターのスタッフやサービス提供者に対するトレーニングの提供
(d)警察と協力して、警察官に障害者理解と支援の研修プログラム(注)を提供(4か月間の非常にハードな研修)

 これらのCRAのアドボカシー業務は、CRAが地域センターに雇用される形であれば、かなり困難だと思われるが、今年6月より権利援護・擁護機関(PAI)の利用者権利擁護オフィス(OCRA)に配属され、そこから派遣されるという形をとることとなった。それは言うまでもなく、潜在的な利益相反を避けるためであるが、逆に地域センター内部での職員間の信頼関係の形成・保持とのバランス力が、今度は問われてきそうである。
 現在インターネットで、利用者権利擁護オフィスのアドバイザリー委員会の7人の委員の公募(資格要件は地域センターのコンシューマーであることのみ)がなされており、その当事者参画や情報公開の方法には、学ぶべきことが多い。
 次回は利用者権利擁護オフィスのパートナーである、PAIの活躍を見てみたいと思う。

(きたのせいいち 桃山学院大学教授)


(注)このプログラムの重要性は多くの障害者が困難や被害等にあったとき、まずかかわるのが警察官であり、彼らの初期対応と理解が障害者の運命を握っている場合が多いからである。発作を起こして倒れたり、電動車いすから落ちてけがをしたり、他者に無理やり連れて行かれそうになったりした場合に、警察官が対応を誤れば被害やトラブルはより大きくなることが考えられる。ADAの影響もあり、公的サービスヘの平等なアクセス権と必要な配慮は、司法や警察にも及ぶものである。警察も訴えられないために、知的障害者や精神障害者へのセンシティビティを高めることに必死な状況である。