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イラン映画『ザ アップル』
―障害をもつ女性と子どもと―

池田明子

 イランの映画が好きである。国連の地域別分類表を見ると、日本もイランも同じ「アジア」に入るが、遠いイスラム教国ということもあり、日本人にとってあまりなじみのない国だ。私自身もまだ訪れたことのない国だが、映画に関して言うと、イラン映画は実によくできたものが多い、と評判である。先日、映画にうるさいニューヨーカーの間で話題を呼んでいるイラン映画「ザ アップル」を見に行った。

(イラン政府福祉課担当に宛てた手紙から始まる)「……(前略)首都テヘラン市南部の一角に住む私ども住民は、近所に住むある家族のことで悩んでおります。65歳の老人とその妻は盲目で、その2人の間に生まれた女の子は、12歳の双子ですが、生まれてからまだ一度も外へ出たことがないのです……」。
 すぐに政府の福祉担当の人がやってきてその双子を調べてみると、2人とも五体満足で生まれてきたのにもかかわらず12年間も家の中に監禁されていてまったく外との接触がなかったため、言語障害があると判断された。また家庭が貧しいため、ろくに食事も与えてもらえず、栄養不足にもなって脳への影響、そして身体にも障害があると判断された。親として一体どういう責任があるのかと非難される父親の老人だが、「女の子を外に出すことはできない。あの子らはわしが家で教育するんだ。もし外に出て男の子と何か大変なことになったらどうするんだ。わしの妻は盲目で仕事も食事もつくれない。だからこうして子どもたちを家に閉じ込めておくんだ」と町で1日中物乞いする父親は説明する。
 妻のほうは、盲目のほかにもやや言語障害がある。きっと教育を受けておらず外部との接触がほとんどなかったからだろう。年齢はまったく想像がつかない。というのも、彼女は目に障害があるということで、全身はもちろん顔もしっかりチャドル(多くのイスラム諸国で女性が被る黒い長いベール)で隠していたからだ。
 1979年のイラン革命以来、イラン映画では(大人の)女性の登場するシーンには特に厳しく、基本的に女性は全身をチャドルで覆わなければいけないが、ほとんどの場合、顔だけは出してもいいことになっている(確かにこういう厳しい規定があると、映画監督としてはやりづらいだろう。しかしそういった反面、子どもや老人など社会で疎外されている立場にある人々に焦点をあてることにより、たとえばハリウッドのありふれたアクション映画などよりよほど観客の心を動かすのではないだろうか)。
 盲目の彼女は全身でチャドルを震わせ、1日中暗い部屋の中で、わが身をそして老いた夫への呪いの言葉を繰り返している。そして政府の役人が家にやってきたことを夫から知らされると、発狂したように怒りちらす。父親は、政府の役人と障害をもつ妻の板挟みになり、自分の不幸をアラーの神に伝えながら、「ああ、妻の目さえ見えればこんなことにならないですんだのに」と嘆く。
 何回か政府の役人がその家を訪ねるが、まだ子どもたちが家に監禁されていることを知る。するとある時、ある女性の役人が父親から家のかぎを取り上げてしまう。「女の子たちが外に自由に出て、十分に遊んでくるまでこのかぎはお返ししません」と。そこで初めて姉妹は家の外へ出る。そして、前から食べたかったアイスクリームやりんごを買って食べるという「社会行動」を近所の子どもたちと一緒に体験する。

 この話は、1997年の夏、テヘラン市南部であった実話だそうだ。この映画を最初ドキュメンタリーとして撮った監督は、なんと近所の18歳の女子高校生というからびっくりしてしまう。
 家に年頃の娘2人を閉じ込めなければならないという老人の古い考え(イスラム教も影響しているが)、盲目であるためにきっと教育を受けられず10代のうちに50歳近い男性と結婚させられた(おそらく男性のほうは再婚だろう)という明らかに女性に不利なイランの社会構造、そして母親に障害があるために、五体満足で生まれてきた子どもたちも何年か後に障害をもつことになったという貧困の悪循環―この映画は、イランの現代の社会問題をいろいろな側面から私たちに教えてくれる。
 今年の2月は1979年のイラン革命の20周年だった。イランの女性層と若者の期待を受けて97年の5月に着任したハタニ大統領は、まだ記憶に新しい。ハタニ大統領の「より自由と世界の平和をめざした国造り」の一環として、女性問題や障害者問題もこうして現代のイランの映画等に取り上げられるようになったのだろう。
 毎年3月は、国連本部(ニューヨーク)でも女性に関する会議のため、世界各国からの女性たちで会議室はどこもいっぱいだ。3月8日は、世界各国で女性の権利を訴える国際女性の日で、今年の国際女性の日のテーマは「女性に対する暴力」。もちろんこれは、女性に対するすべての暴力―売春、女子の割礼、肉体的暴力、差別など―を意味するが、女性の障害者への肉体的暴力にも注目したい。この問題は、日本やアメリカなどの先進国でも途上国でも毎年増加しつつあり、国連としても今後、真剣に討議していきたい緊急問題のひとつと思う。
 チャドルを被りスピーチをするイラン人女性も、車いすに乗ったペルー人女性も、アフリカ人女性も求めるものは同じなのである。

(いけだあきこ 国連本部ニューヨーク勤務)