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自ら語る“身障芸人”ホーキング青山の正体

ホーキング青山

 という訳で、私がホーキング青山である。
 1994年に大川興業主催のライブでデビューして以来、“史上初の身障芸人”として、TVや雑誌・新聞などのメディアでも紹介され、そのついでに自分の本なんかも出したりしているから、知ってる人もいるだろう。
 で、よく取材なんかで、何で障害者でありながら“お笑い”という仕事を選んだのか? ということを聞かれる。本当ならここで、「自分が“障害者”として、新しいことに挑戦することで、多くの“障害者”の励みになりたいと思い、この世界に入りました」とか言えば、オレの人気は一気に『五体不満足』の乙武洋匡のようになるんだろうけど、残念ながらそんなちゃんとした理由はない。
 オレは今25歳なんだけど、大学の頃から“お笑い”が好きだったので、立川談志の高座や高田文夫、松村邦洋、浅草キッド、そして大川興業らのお笑いライブによく通ってた。でそのうち、いつの間にか芸人さんたちと顔見知りになってしまい、そんな中で大川総裁が「客席にいるオマエを見ていて、オマエならではの表現できることがあると思うんだ。オレはオマエを芸人にしてやるから、オマエは『障害者年金』でオレの借金の肩代わりをしろ!」と、訳の分からない理由で強引に丸め込まれてデビューし、今日に至る、というのがお笑い芸人になったそもそもの動機である。
 で、デビューしてからというのは、とにかく恵まれていた。デビュー後、半年で早くもTVのドキュメンタリー番組で1時間の特集が組まれたり、『言語道断!―ホーキング青山自伝―』なる本まで出しちゃった。この業界、改めて“珍しい”ということはホント、いい事だと思う。
 ネタも、身障というのはホント、それだけでお笑いの才能があるんじゃないか? と錯覚させられるくらい、養護学校という世界にはネタの素材がゴロゴロ転がっている。
 まず、決まって毎朝10時23分になると、必ずウンコ漏らす奴、これには参った。あと、テストの時に、どうしても分かんなくて、隣の奴の答案をカンニングしようとしてのぞいたら、隣の奴はテストじゃなくてぬり絵やってたなんてことや、調理実習でホットケーキ作ってる時に、混ぜてる最中に1人の奴の“ヨダレ”が入った途端、急に泡立ちが良くなり、その後ケーキを焼いてたら、ホットケーキの甘い香りと共に、妙な異臭が漂い始め、何だろう? と思って時計を見たら、ちょうど10時23分だった、なんていう、今考えてもとんでもない空間である。
 あんまり、こんなことばかり書いてて、「世の障害者を何だと思ってんだ!」なんて、野村沙知代のようにバッシングされてしまうのもシャクなので、誤解のないように書いておくが、別にオレだって、ただこうやって世の身障をコケにしているわけではない。オレは今、世の中で身障者は常に“何もできない弱者”とされてきた中で、身障芸人として、何が、どこまでできるか? に挑戦している。それには、世でタブーとされている身障の世界を、身障芸人のオレにしか言えない“身障ネタ”で、ぶった切るのもありだし、昨今の時事ネタを、もしこの出来事に身障が遭遇してたら、なんていうところからの“身障の視点”で切るというのもありである。
 今“史上初の身障芸人”として、都内各地で単独ライブを開催している。単独ライブは2時間しゃべりっぱなしで、世の中を、身障を、ホーキング青山が、手足を使わず口だけで、切って切って切りまくる!!
 さあ、あなたも一度、この未知なる“ホーキング青山の世界”に触れてみてはいかが? きっと、抜け出せなくなる!!

(ホーキングあおやま お笑い芸人)