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真夜中のカーボーイ

村上博

 私の子ども時代はまさに巡回映画の時代でした。たまに来る時代劇で、主人公が悪人たちに囲まれているシーンと、町奉行と取り方が助けに行くシーンが交互に出て来る時のあの異様な(?)までの盛り上がりようは、大変なものでした。団塊の世代に共通する体験です。その共通体験が、学生時代に頻繁に映画館へ足を運ばせました。土曜の夜はオールナイトの映画を見に行くのが当たり前でした。そんな時、たまたま見た中に『真夜中のカーボーイ』という作品がありました。
 主人公が、テンガロンハットのかぶり方をかっこつけながら、鏡に向かい、ポーズをとるシーンから始まり、最初喜劇っぽい内容かなと思いました。ジョン・ボイト演ずるこの主人公は、都会の女性はワイルドで逞しい男を放っておかない、まさに自分は、男の中の男だ、都会で一旗揚げるぞ、と親の意見を無視して、希望一杯でニューヨークヘ出ていく思い込みの激しいテキサスの若者です。ところが現実は厳しく、あっという間に食事にもありつけない状態となり、なけなしのお金が入ったサイフをダスティン・ホフマン扮する片足びっこの「ネズ公」に取られてしまうところからこの2人のかかわりが始まります。ひどい病気になった「ネズ公」は、カリフォルニア(もしくはフロリダ)の太陽に憧れています。2人は長距離バスでカリフォルニアへ向かいます。毛布にくるまれガタガタ震える「ネズ公」をカーボーイは必死に看病します。「ネズ公」は熱にうなされながら、強烈な太陽の下で砂浜を気持ちよさそうに走る自分の姿を思い浮かべています。そのとき、走る「ネズ公」は、びっこではないのです。しかし、バスが目的地に着いたとき「ネズ公」は、穏やかな笑顔を残し息絶えている、というところで映画は終わっていました。見終わって、隣の座席の友人がつぶやきました。「すごい文明批判だ」と。
 最後のバスの車中のシーンを、今でも鮮やかに思い出すほどです。

(むらかみひろし 熊本市議会議員)

真夜中のカーボーイ

(1969年、アメリカ)
監督/ジョン・シュレシンジャー
出演/ジョン・ボイト
   ダスティン・ホフマン