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会議

世界ろう者会議から

高田英一

90か国からの参加

 この7月25日から31日までの7日間にわたり「多様性と統一」をメインテーマに、オーストラリアのブリスベーンで第13回世界ろう者会議が開かれました。同会議には加盟国組織120か国のうち、日本をはじめ世界の90か国から2,171人のろう者及び手話通訳者など関係者が参加、躍進する世界ろう連盟の姿そのままに大きな盛り上がりを見せました。
 世界会議に先立ち、7月22日に理事会、23、24日に評議員会が開催され、25日から世界ろう者会議開会式、全体講演会、研究分科会、閉会式の順に開かれ、その間オープンフォーラム、演劇祭典、ビデオ上映会、各種のパーティなど盛りだくさんなプログラムが組み込まれました。そして、このような意義あるいくつもの催しを通じて世界のろう者は友情と団結を強め、新しい課題に向かってさらなる前進を始めました。

その歴史

 1951年、イタリアのローマにおいて開催された第1回世界ろう者会議で世界ろう連盟の結成が承認され、本部はローマに置かれました。当時の加盟国組織は25か国で、会議には600人が参加、初代理事長はドラゴジョ・ヴコチック氏(ユーゴ)、事務局長にセザル・マガロット氏(ユーゴ)が選出されました。
 規約で4年に1回、事業報告、計画、予算、役員選挙を含む人事を決定する評議員会と研究分科会などを含む世界会議を開催することなどが決定されました。
 全日本ろうあ連盟の加盟は1960年度からですが、実際の参加は1967年8月、ポーランドの首都ワルシャワで開催された第5回世界ろう者会議が最初です。
 第6回世界ろう者会議(1971年、フランス・パリ)には欠席しましたが、第7回世界ろう者会議が1975年7月にアメリカ・ワシントンで開催されたとき、日本船舶振興会の援助を得て初めて土屋準一(当時連盟長)を団長とする大型の代表団を派遣しました。以来、第8回世界ろう者会議(1979年、ブルガリア・バルナ)、第9回世界ろう者会議(1983年、イタリア・パレルモ)と安定的に出席できるようになりました。そして第10回世界ろう者会議(1987年、フィンランド・エスポ)において、連盟は次回の第11回世界ろう者会議(1991年)に開催国として初めて立候補、対立候補のトルコを67対15の圧倒的多数で破り、東京での開催が決まりました。
 1991年、全日本ろうあ連盟は初めて第11回世界ろう者会議の東京開催を主管しました。それには56か国から800人の海外代表を含めて7,279人が参加、史上最大の世界ろう者会議となりました。また、この会議で筆者が日本人として初めて世界ろう連盟理事に選出されました。

加盟国組織は120か国

 理事会では加盟国組織が120か国とこれまでの最大になったことが報告されました。国連の加盟国は188か国ですから、障害者組織として120か国組織の加盟は相当なものです。このうち、アジア太平洋地域事務局には日本を含め19か国が加盟しています。
 評議員会では1995年から1999年までの活動報告及び決算、1999年から2003年までの活動計画、2010年までと2020年までのそれぞれの展望も提案され、慎重な論議の末いずれも承認されました。
 この後、2003年の第14回世界会議開催地の選挙があり、ポルトガルとイギリスを破ってカナダ・モントリオールの開催が決定しました。理事選挙ではリサ・カウピネン現理事長(フィンランド)が再選され、新人のレン・ミッチェル副理事長のほか8人の理事が無投票で信任されました。理事には、アジア太平洋地域から再選の筆者と新人のジューハイ・カン(韓国)が含まれています。
 また、世界ろう連盟の財政強化のために先進国の10か国が毎年10,000ドル、中進国が毎年5,000ドルを任意拠出することが決議されました。

開会式、研究分科会

 7月25日には各国のろう者組織代表などおよそ2,000人(日本からの参加は250人)の参加を得て開会式が挙行され、リサ理事長の開会の言葉、オーストラリア政府、国連関係者、友好団体代表などのあいさつがあり、ろう者を含むオーストラリア先住民族アボリジニのダンスなどが披露され、会議は最高潮に達しました。
 惜しまれるのは、オーストラリア移民局が一部代表者のビザを発給しなかったため、アフリカ代表などが出席できなかったことです。リサ理事長は、このような出来事は世界ろう連盟50年の歴史で初めてのことで、オーストラリアにこのような差別が存在していたことを悲しみ、抗議しました。
 研究分科会は「人権」「手話」「教育」「通訳」「発展途上国」「健康」「文化・芸術」に分かれ、特別分科会は「女性」「高齢者」「青年」「盲ろう」「重複聴覚障害」「ビジネス」「テクノロジー」「宗教」「マイノリティ」「レズビアン・ゲイ」「家族」をテーマとして4年に1回の機会ということで、各国代表によるえり抜きの論文が発表されました。日本からも安藤連盟理事長の「差別法撤廃運動」をはじめ、10人のさまざまな分野にわたる論文が発表され、出席者の注目を浴びました。

トピックス

 理事会、評議員会などは国際手話で行われることになっていますので、通訳は置きません。ただ、会議録は英語で作成されるので、その必要から国際手話読み取りのために通訳が配置されています。国際手話とは、アメリカ、ヨーロッパを中心として経験的に共通化された手話なので、慣れないアジア地域のメンバーにとって不利な面はあります。
 講演会や研究分科会では、健聴者も一緒になりますのでそれぞれの国の手話に応じた通訳が配置されます。日本の場合だと講演はまず、英語から日本語に通訳、それがさらに日本手話に通訳されます。演壇の前に各国の手話通訳がずらっと並ぶのは壮観です。
 また、世界ろう者会議が終了した後、8月1、2日の2日間、アジア太平洋地域事務局代表者会議がブリスベーン郊外で開催されました。加盟国組織19か国のうち、13か国の組織代表のほか、オブザーバーとしてカンボジア、ミャンマーの代表も出席しました。
 会議は未加盟国組織を援助してその加盟を呼びかけること、新しいアジア太平洋地域事務局規則の制定、代表者資格をろう者に限定することなど、アジア太平洋地域のろう運動の発展をめざし、熱心な論議が繰り広げられました。

(たかだえいいち 全日本ろうあ連盟副理事長)