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障害をもつ人と参政権

井上英夫

1 参政権保障の現状

 今年9月2日、朝日新聞の第1面トップに、「痴ほう老人に特定候補示す」という活字が躍った。京都府亀岡市の特別養護老人ホームで実施された不在者投票の際に、特定の候補者名を書いた紙が配られ、自分で候補者を選べない老人性痴ほう症の入所者については、職員がその紙を見て投票用紙に代筆していたというのである。
 まさに日本の高齢者、「障害者」の「参政権」の現状を象徴する出来事である。こうした事件が起きると、報道も痴ほうの高齢者や精神障害、知的障害の人々には選挙をさせるなという選挙権剥奪の議論になりやすい。
 「不正」が許されないのはもちろんである。しかし、そのことから直ちに選挙権を奪うというのは早急に過ぎ、すべての国民に等しく選挙権を保障するという普通選挙の歴史的意義を没却するものといわざるを得ない。根本的に問題とされなければならないのは、現在の公選法、選挙制度や福祉制度の下で、多くの高齢者や障害をもつ人、とりわけ、在宅の高齢者、痴ほう、難病、そして知的障害、精神障害等重度の障害のある人が、投票もできない状態に置かれているということである。その意味での大きな「不公正」の是正こそ日本の課題であろう。(1)

2 参政権保障の意味

 日本国憲法は、選挙権(憲法15条、43条1項、44条、93条2項等)と、憲法改正についての国民投票制度(96条)、最高裁判所裁判官の国民審査制度(79条2-4項)、住民投票制度(95条)、請願権(16条)等狭い意味の参政権と、これらの諸権利をより実質化するための精神の自由、表現の自由(19、21条等)等の広い意味の政治参加の権利を総合的に保障している。
 参政権は、選挙権保障のレベルを越え、国民の主権を保障し、民主政治を成り立たせ、有効に機能させるための権利として、憲法上一番基本的な権利として位置付けられているわけである。
 参政権は、障害をもつ人にとって、障害をもたない人以上に重要で、切実な権利である。それは、障害をもつ人の人権保障を実効あるものとし、すべての人が人間の尊厳に値する生活を実現すること、すなわち国際障害者年でも掲げられた「完全参加と平等」実現のためのもっとも核となる、基礎的な筋道といえるであろう。

3 日本の問題点

 以上のように、障害をもつ人々も法律によって抽象的には参政権が保障されているのであるが、具体的に権利を行使する場合には、それぞれの障害に対して適切な支援や援助が必要である。日本でも、後の各報告にあるように、投票権を中心に一定の制度的保障がなされているが、いずれも不十分である。
 投票権を中心に問題を列挙すれば、障害によって異なるが、1.情報が得られない、2.家で投票できない、3.投票場に行けない、4.投票場に入れない、5.自分及び候補者の名前が書けないと投票できない、6.プライバシーが守れない等々である。
 これらの問題を解決するには、移動の保障等福祉サービスを充実したり、バリアフリー化したりするとともに公選法改正が必要であるが、それを拒んでいるのが、「不正」=選挙違反が増えるという議論である。(2)
 しかし、根本的には、公選法が、先進国では日本だけというような戸別訪問の禁止をはじめ、選挙活動等に厳しい規制をし、政治、選挙を「日陰」あるいは「裏」の出来事にしていることに問題がある。「公正」の名の下に国民の手足を縛るよりも(そのことによって障害をもつ人々の固有のコミュニケーションや活動の手段を奪い、参政権行使に厳しい桎梏となっている)、自由な活動を保障し、政治をよりオープンな場で語り「衆人環視」の場に置くことこそ、不正をなくすことにつながるであろう。

4 参政権保障の方向―「しない人」より「したい人」への保障を

 現在、選挙制度については、障害のない人の投票率の低下に対しては、棄権防止が叫ばれ、投票時間の延長や不在者投票の条件が緩和されてきている。「投票できるのにしない人」の棄権防止も大切であるが、「投票したくてもできない人」の参政権保障こそ真剣に考えられるべきであろう。
 その方向について、デンマークの例を参考にいくつか指摘しておこう。

(1)選挙活動の自由化

 戸別訪問や立ち会い演説会、ビラや電話、ファックス、インターネット等自由なコミュニケーション手段を使った多様な選挙活動を認めることは、それだけ障害をもつ人々の、政治活動の可能性を広げることになる。

(2)選挙運動期間、不在者投票期間の延長

 点字による選挙広報の発行に支障となっているのが選挙運動期間の短さである。障害をもつ人にとって期間が長ければそれだけ情報を得る機会も増え、投票へ行くにも、移動等の手段やボランティアの手配もしやすくなるであろう。

(3)投票権の保障

 どんなに重度の障害があろうと意思決定と意思表示の可能な限り、投票の権利は保障されなければならない。
 1.投票箱を家庭に、施設に、車に―デンマークでは、投票所の近くまで車で行ける人は車まで、家にも施設にも選挙監理委員2名が、投票箱を運んでいって投票をする。
 2.代理投票の自由化―本人が投票できない場合はその意思を確認して、選挙監理委員が代理をする。さらには、本人の選任したヘルパー、あるいは家族が記入をする。選挙監理委員は複数で、「不正」とプライバシー保護に関して相互に監視、チェックするシステムが重要である。
 3.移動手段の保障―投票所で投票したい人のためには(投票所が重要な社会参加であり交流の場となる)、ストレッチャーを使ってでも行政が対応する。
 4.署名式から記号式に―日本では候補者名を自分で書くのが原則である。しかし、名前を書く必要はなく、候補者リストに×印や、レ印を付ければすむことである。そのことによって、障害をもつ人、高齢者の投票の可能性は大幅に広がる。

(4)自己決定の徹底と主権者教育

 とくに痴ほうの人や重度の知的障害をもつ人の場合、その意思確認が問題となる。「決定する能力がない」と決めつけ、棄権させ、家族が代行し、あるいは選挙権を剥奪するのではなく、あくまで本人の自己決定を尊重して、意思確認の可能性を追求すべきである。根底において、政策を理解し、候補者選定を可能にするための力をつける、そのための主権者教育が必要であるし、すでにその試みもなされているところである。(3)

(いのうえひでお 金沢大学法学部教授)


【注】
(1)詳しくは、井上英夫編著『障害をもつ人々と参政権』法律文化社、1993年
(2)根本的には、国の法制度の問題であるが、自治体のできることも多い。金沢市障害者計画『ともに創り ともに生きる ノーマライゼーションプラン金沢』1998年が、施策項目の一つ「参加する」の中核に参政権保障を掲げているのはその試みである。
(3)橋本佳博・玉村公二彦『障害をもつ人たちの憲法学習』かもがわ出版1997年