音声ブラウザご使用の方向け: ナビメニューを飛ばして本文へ ナビメニューへ

障害をもつ人の
欠格条項の問題と今後の課題

岩崎晋也

障害をもつ人にかかわる欠格条項の何が問題なのか

(1)障害をもつ人を一律的に排除すること

 まず道路交通法第88条を見てみよう。この条文は、自動車の運転免許を与えない者として、「精神病者、知的障害者、てんかん病者、目が見えない者、耳が聞こえない者、口がきけない者」に始まって、上下肢や体幹機能障害など、運転免許が取得できない障害が列挙されている。確かに、現在の自動車の技術水準では、「目が見えない者」が運転できる自動車は実用化されていないから、こうした制限にも合理性があると思われるかもしれない。しかし、法律に記されているすべての障害をもつ人が、運転に適さない訳ではない。そして実際に運転免許の試験に合格し、日常的に運転している障害をもった人がいるのである。そうした彼/彼女らは「障害を隠して」運転せざるを得ない状況にある。
 自動車の運転免許は、学科・実技試験を通して、安全に自動車を運転できる能力が試される。その能力が合格水準以上にあるのに、さらに他の能力(障害)の問題を引き合いに出して、なぜ免許を与えないと既定しなければならないのか。もちろん障害をもっている人の中には、運転の技能が低く、安全に運転できない人もいる。しかし、同じことは健常者についても言えるわけであり、「障害=運転技能がない」とは限らないのである。よって、障害者にかかわる欠格条項の第1の問題点は、障害を理由に一律的に資格や地位取得から排除し、憲法で保障されている「法の下の平等」に違反している点である。

(2)国民の偏見を拡大再生産する

 警備業法第3条には「精神病者である者は、警備員となってはならない」として一律的に排除している。しかし実際には、簡単な健康診断を受けて、そこで問題とならなければ、「精神病者」であっても仕事に就くことは可能である。そうであれば、法律で一律的に排除してあっても、先の運転免許同様、実際に柔軟な運用がなされていれば、それほど実害がないのではないかという考え方もある。しかし昨年、総理府が行った「障害者の欠格条項調査」において、警察庁は警備業法が「精神病者」を欠格とした理由として、「精神病者は一般的に判断力、自制力に欠けるところがあり、さらには、他人の生命、身体及び財産を侵害するおそれもあり、適正な警備業務の管理運営、実施を期待し得ないと認められるため」と回答している。
 一方で国は、精神保健及び精神保健福祉に関する法律の第2条で精神障害者の社会復帰と国民への啓蒙を義務としている。明らかに矛盾する見解と言わざるを得ない。障害者への偏見を理由とする欠格条項は、その存在自体が、「障害者」=「能力がない(危険である)」という社会的なレッテルを貼り、障害をもつ人に対する社会的偏見を拡大再生産する危険性を有しているのである。この欠格条項によって、障害をもつ人に課せられるスティグマが、第2の問題である。

(3)実害も大きい

 さらに、仮に柔軟な運用がなされていても、自らの障害を隠して免許や資格をとらなければならないことは、心理的な負担が大きい。だれも、法律の文言を字句通りに解釈すれば違法としか思えない行為を継続することは望まないであろう。また、隠すことができない障害の場合、免許や資格を取得する能力があっても、欠格条項によって排除され、職業選択の自由や社会参加の機会が奪われている。
 たとえば、「耳の聞こえない者」がほとんどの医療関係職種で欠格条項とされているが、その理由はコミュニケーションができないこととされている。しかし現実には、手話やFAX、Eメール等を利用して、コミュニケーションはなされているし、アメリカでは、医師や看護士など医療関係職種で聴覚障害者が働いている。「障害者=能力がない(危険である)」という先入観が、実態と合わない欠格条項をつくりだし、多大な実害を障害をもつ人にもたらしていることが、第3の問題である。

どのように見直すべきなのか―JDでの検討

 日本障害者協議会(JD)では、昨年、欠格条項問題が国会で採り上げられ、政府が見直し作業に入ったことを契機に、政策委員会(委員長:佐藤久夫日本社会事業大学教授)内にワーキンググループをつくり、筆者も加わって検討を行った。その過程で、以下の2点が見直しを行う上で重要な視点であると考えた。
 第1は、欠格条項の見直しが実質的な障害者の社会参加の推進を実現するものでなければならないという点である。たとえば、運転免許の欠格条項が廃止され、単に試験によって技能や知識が問われることになっても、試験の問題文が必要以上にわかりにくい内容であれば、知的障害者の人の免許取得は困難となる。また、医療関係職種の「耳の聞こえない者」への欠格条項が仮に廃止されても、資格試験や職場において耳の聞こえない人への配慮がなければ、実質的に現状と変わりがないことになる。こうした事態を招かないためには、単に欠格条項を撤廃し形式的に門戸を開くだけでなく、現在、障害をもつ人を排除している資格等についても、どういう条件があれば取得可能なのかを検討し、実質的な社会参加を実現するための施策を、合わせて検討することが重要である。
 第2に、見直しをする際に、障害者の人権保障の観点を忘れてはいけないという点である。現在の見直し作業において、もっとも危惧される安易な結論は、絶対的欠格の相対的欠格化(「与えない」という表現を「与えないことがある」への変更)である。実際、厚生省が平成5年に行った七つの法律の見直しは、精神障害者が絶対的欠格とされていたものを相対的欠格に変えたものであった。確かに、相対的欠格に改められたことによって、その資格を取得する道が開かれた。しかし、いかなる場合に欠格となるのかという基準は、行政の裁量行為の範疇で、不明確である。さらに、欠格とされた障害者本人への聴聞や異議申立て、権利回復規定が制度化されていない法律が多い。権利を制限する際には通常行われている手続的権利が、障害者にかかわる欠格条項においても認められなければ、人権保障上、大きな問題を残すことになろう。
 以上、二つの見直しにあたっての基本視点に立った上で、JDは、具体的に欠格条項の見直しの方向性を要望書にまとめ、昨年11月に総理府に提出した。その要望書のポイントは、「障害という属性を根拠とする、いかなる欠格条項も撤廃すること」であり、「やむを得ず欠格事由を既定する場合でも、障害名・疾患名を明記せず、当該資格等に要求されている能力や技能による欠格基準」に変更することであった。単に全面撤廃とせず、「やむを得ず欠格事由を既定する場合」に触れたのは、資格取得時に試験があるものは、試験を行えば必要な技能・知識の有無が判定でき、欠格条項を必要としないが、資格取得後に、必要な技能・知識が低下した場合、資格の停止・取消しを規定せざるを得ないことを想定したからである。ただしその場合でも、障害名・疾患名による欠格基準では、その障害・疾患をもつすべての者が、当該資格等に必要な技能・知識を有しないと解されるおそれが高いので、必要な技能・知識による欠格基準とすべきと考えたのである。

総理府の対処方針をどう評価するか

 以上の観点に立って、今年8月に総理府が出した対処方針を評価してみたい。
 まず歓迎すべき点としては、以下の点が挙げられる。具体的な対処の方向として4点を打ち出しているが、そのうち「欠格、制限等の対象の厳密な規定への改正」、「障害者を表す規定から障害者を特定しない規定への改正」、「資格・免許等の回復規定の明確化」が、対処の方向に組み入れられた点を評価したい。特に、「障害者を特定しない規定への改正」を打ち出した点は重要である。「障害者に係わる欠格条項」から「能力に係わる欠格条項」への転換を意味するものととらえたい。また見直しの促進として、見直し期間(2002年まで)を明記し、進捗状況の報告と公表を明記している点も評価すべきであろう。
 このように今回の対処方針は、障害者団体等の要求を受けて「一歩踏み込んだ感」のある対処方針ではあるが、仮に対処方針どおりに各省庁が見直しを行ったとしても(それすら危惧されるが)、以下のような問題点を抱えている。
 第1に、「真に必要な」欠格条項をどう判断するのかという問題である。本対処方針では、対象となるすべての欠格条項を見直し、「必要性の薄いもの」は廃止し、「真に必要なもの」は四つの対処の方向に基づいて対処するとしている。個々の欠格条項が「真に必要」か否かを判断するにあたっては、「平成10年12月、中央障害者施策推進協議会より出された『障害者に係わる欠格条項の見直しについて』を踏まえ」検討するとしている。この報告書では、「一般国民への社会的・物理的影響力、生命の危険、安全性の保持、業務遂行の可否等」の「資格等の制限緩和の社会的影響性の度合いを客観的に評価勘案」するとして、障害者の権利制限の不利益とを比較考量している。しかし、憲法の「法の下の平等」をもち出すでもなく、障害者であろうとなかろうと、だれでも基本的な人権を有しているとまず推定されるのであり、特定の人の人権が制限される場合には、その制限の合理性を証明する責任は制限する側にある。つまり障害者欠格条項という人権にかかわる権利制限は、よほどの合理性がなければあってはならない状態であり、決して「社会的影響性」と釣り合いにかけられる問題ではない。今後各省庁が、関係する欠格条項を「真に必要であるか」判断するにあたっては、制限を受ける人が納得できるような合理性を明示できるのかという基準で判断する必要がある。
 第2に、欠格条項を残す場合の対処方法に関する問題である。本対処方針では、「対処の方向」のうち「一又は複数の対処の方向」を採用するようにとしており、もっとも安易な見直しである「絶対的欠格から相対的欠格への改正」のみを選択することも可能である。しかしそれでは、評価できたのは「対処方針」だけで、実際の改正内容は何ら評価できないものになってしまう可能性がある。
 第3に、手続き的権利の不十分さが挙げられる。「回復規定の明確化」には触れているが、欠格となる際の事前の手続き的権利(聴聞・異議申立て)にはまったく触れていない。障害者の人権擁護という点と、こうした手続き的権利が安易な相対化とその濫用に対する歯止めとなる点を考えると、「対処方針」にぜひとも盛り込むベきであったと考える。
 今後はこの対処方針を受けて、各省庁での検討過程に入る。省庁での見直しが「対処方針」よりもトーンダウンせず、極力廃止に向かうように、各障害者団体は働きかけを強めていかなければならない。さらに、この政府の見直しを契機に、地方自治体の条例や民間の約款に多数存在する欠格条項の見直しが進むように、合わせて働きかけていくことが必要である。

(いわさきしんや 法政大学助教授)