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障害の経済学 第1回

いわゆる乙武効果の経済分析
-連載を始めるにあたって-

京極高宣

はじめに

 ご存知の方もいらっしゃるかと思いますが、私は現在は福祉政策論を専攻しているものの、かつては経済理論を専攻した経済学者のはしくれでした。したがって福祉政策の在り方を考える際にも経済学的アプローチを重視してきました。政策学としては社会学、法学などはもちろん政治学をも最も基礎的な領域として位置づけていますが、私の場合は経済学的アプローチが比較的強いところが特徴です。しかしながら、福祉政策に関しては経済学的アプローチが強すぎないように日頃から留意してきたことから、逆に経済学の視角から鋭い切り込みをすべき領域を避けてきた嫌いがありました。そこで、本誌「ノーマライゼーション」編集部の依頼を受けて今般、障害福祉論との関連で、障害の経済学というテーマをあえて選び、さまざまな論点をざっくばらんに論じてみたいと思います。論点は必ずしも体系的になっておりませんが、割合おざなりにされている論点にもくい込んでみたいと思います。ただ、こうしたテーマは、従来の経済学者がほとんど取り組んでこなかった領域だけに、既存の成果を使うことができず、私の独断と偏見で論じることになりそうです。その点はお許しを請いたいと思います。また逆に、障害問題が提起する経済的課題に、今日の経済学がはたしてどれだけ耐えられるかも興味深い点で、必ずしも既存の経済学が有効性を発揮しえないところも少なくないと予想されます。私自身は浅学非才ですが、いずれにしても前人未踏の領域に、読者と共に踏み入れていくことにしましょう。

いわゆる乙武効果をめぐって

 はじめに、最近のベストセラーとして話題となっている乙武洋匡君の好著『五体不満足』(講談社、1600円)を例にとり、その経済効果についてみることにしましょう。なにせ、乙武君の本は障害者福祉関係者から批判があるとはいえ、ミリオンセラーで420万部を超え、わが国内に大変な国民的反響を呼んだだけでなく、韓国その他の国々でも翻訳される予定という勢いなので、今日的テーマとしてはおもしろいと考えた次第です。
 経済学で経済効果を分析する際には、まず産業連関表(IO表)-どの産業にどの産業の産出がどのくらいかかわっているかを明らかにする構造表-によって、経済資源(財貨やサービス)が当該部門にどれだけ投入され、また当該部門がどの産業で使われ、また国民消費されたかをみます。これを産業連関効果といいます。
 産業連関表はほぼ10年ごとに政府が発表するので、詳細には近い将来発表される平成7年または8年のものを使うべきですが、手元の昭和50年の表を使っても、大まかなことは分かると思います。
 『五体不満足』は定価が1600円なので、約420万部売れたとすると、67億円、ざっと約70億円の総売上高となります。産業連関表の投入表をみると、出版の部門では、10の産出に、印刷代(印刷費)へ36.8%、洋紙、和紙代(製紙業)へ10.3%、卸売業へ5.2%などが投入されたことが分かります。そうすると約70億円の『五体不満足』は、印刷業に25億円、製紙業に7.3億円、卸売業に3.6億円のプラスアルファの売上げに貢献したことになります。また賃金・俸収が約18%、約12.6億円となりますので、乙武君は自らの著作で、約12.6億円の人件費、1人年間500万円の給与とすると、約250人の勤労者の雇用を拡大したことになります。しかも、この勤労者が貯蓄にまわさずさまざまな消費へお金を使うと、その割合(消費性向)を80%とみて、12.6億円×0.8=10.1億円の消費部門が拡大されます。
 なお産業連関表では、ケインズが発見した乗数効果(ある産業での生産増が他の産業全体の増加につながり、それら産業がまたさらに他の産業の増加にと波及していく効果)を含んでいません。それを仮に、0.5とすると、約70億円の出版は、0.5倍の35億円の国内生産増につながると、みることができます。
 いずれにしても、乙武君1人の力で国民経済に売上げの70億円に加えて35億の経済効果、合計で105億円の経済効果を生み出したことになります。もちろん、乙武君の例は希少価値の例外であり、一般には適用できないと反論する人もいるでしょう。しかし、1人の行為であっても、それは現実の事態であることが重要視されなければなりません。
 ここで仮の話として、乙武君の1000分の1の経済効果しか生まない障害者約1000人が経済活動に従事したとしたら、同様の効果が出るわけです。とすれば、そうした障害者が10万人いたら、105億×100で1兆500億円を生み出すのです。
 もちろん、乙武君が障害者全体や障害をもたない他の国民に精神面で与えた影響は、お金では換算できませんが、ごく簡便に計算しても障害者がもてる能力を生かせば、障害者は大変な力を発揮することがお分かりだと思います。したがって、成人の障害者の場合、たんに所得保障でのみ、仮に10万人の障害者に年内500万円の所得保障を税金ですれば、5000億円かかりますが、適切な就労支援事業で、目一杯5000億円がかかったとしても、プラス5500億円の経済効果が保証されるし、仮に支援事業が1000億円で済めば、さらに9500億(約1兆)円の経済効果がプラスされます。その場合障害者は、税を受け取る側から、税を支払う側に転換するので、その意味は、100%違うと思われます。

(きょうごくたかのぶ 日本社会事業大学学長)