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1000字提言

元気印の93歳

西嶋美那子

 私事になるが、私の父は現在93歳の元気老人だ。自分の身の回りのことはもちろん、家のことや人の世話をよくみており、「本来なら看てもらう側なのに」と我々は周りで笑っている。母も健在なのだが、あちこちが痛いと言って家に閉じこもりがちな母と比べても、一回り以上も歳を取っているとは思えないほど元気印である。
 東京に住んでいるが、山口県出身の父は毎年故郷に帰るのを楽しみにしている。もちろんこの長旅も新幹線の切符の手配からお土産の算段、買出しまですべて自分でこなし、1人でいそいそと出かける。しかし、昨年の夏は前立腺の手術をし、入院やその後の状況から1人の長旅は無理だと周囲から反対されしょげていたので、私が仕事で山口に行く機会に父を誘った。現地までは父親1人で新幹線を利用し親類の家で落ち合ったが、隣り合わせたご婦人から「70歳ぐらいですか…」と言われたと有頂天になっていたのを聞いて、まだまだ気持ちが若いと感心した。私としては最後の親孝行と思い、いつも世話になっているいとこたちを食事に招いてこれまでのお礼を言う機会を設けたつもりだったが、私の「最後だから…」という言葉も、元気な父を見た皆から「まだまだ」と打ち消されてしまった。
 足腰が丈夫なのはもちろんのこと、聴力も問題なく、電話でも、ふだん話をしていても老人を意識させない。先日、父と話をしていると「このごろどうも物忘れが多くなった」と本人弁。「当たり前でしょ、その歳になって少しぐらい歳相応にならないとおかしいよ」と子どもや孫から言われ、「そうかな」と苦笑いしていた。
 そんな父もやはり老人性白内障で、手術しても良くならないと言われており、好きな新聞を読むのにも苦労しているようだ。日常の行動からは視力が弱っていると感じさせないが、食事をしていて好きだったものに手をつけていないのに気づく。「この大根おいしいよ」と何気なく言うと、「そうか」とおいしそうに食べるのを見ると、分からなかったのだと解る。そんな状態なのに、どこにでも1人で出かけ、展覧会や美術展なども楽しんでいる。周りであまり心配せずに、好きなことをやらせておこうと腹をくくっているが、それが元気印の元なのかもしれない。もしかして、我々の気づかぬところで、居合わせた方々にご迷惑をかけたり、協力していただいたりしているのかもしれないが、そんなことが当たり前の社会が求められているのだ、と父を見て感じるこの頃だ。

(にしじまみなこ 日経連労務法制部次長)