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ワールドナウ

レバノン
レバノンのパレスチナキャンプ

長田こずえ

 今回はレバノンのパレスチナキャンプ内でのCBRプログラムと、ESCWA(国連西アジア経済社会委員会)が計画している、ベイルート市内のイスラム教シーア派貧困地域での障害者の経済的・社会的自立を目的としたCBRプロジェクトの内容について述べてみたい。
 ESCWAの社会部に、障害をもつ人のCBRプロジェクトの専門家であるアンナという若い女性がスウェーデンから派遣された。彼女は、筆者のセクションで3年働く予定である。筆者は彼女といっしょに今年夏から、ベイルートのシーア派地域の貧困地域で職業訓練と自営活動を促進するCBRプロジェクトを始める。これはESCWAとレバノンのNGO、社会庁のセンターが共同で国連の本部の資金を利用して行われる。約40人の障害をもつ男女が職業訓練センターに送られ(OJTの場合もある)、自活できるようにノウハウを学ぶ。自営業の基本的な知識や、ネットワーク、自立生活、アドボカシーなども大切な要素となる。このプロジェクトの準備のため、我々は今、頻繁にレバノン内の他のCBRプロジェクトを見てまわっている。

活躍するスウェーデンのNGO

 北レバノンのベダウイとナハルエルバレドのパレスチナキャンプでは「スウェーデンのリハビリチーム」というNGOが、パレスチナ人の障害をもつ子どもたちとその家族のためのCBRを継続している。アンナも以前はボランティアとしてここで働いていた。ここでは、4~5人の女性がリーダーシップを発揮していた。スウェーデンから派遣された理学療法士や特殊教育の専門家の女性たちと現地のパレスチナ人のCBR担当の女性たちである。スウェーデンから派遣された人たちは1~2年で帰国してしまう。したがって、現地で仕事をするパレスチナの専門家の養成が必要なのである。また、CBRであるから、当然キャンプ内の複雑な状況を理解できるのは現地で育ったパレスチナ人のほかにはないだろう。
 キャンプといっても第2世代、第3世代が生まれ始めている難民キャンプは、テント張りなどではなくブロック造りだ。UNRWA(パレスチナ難民を扱う国連機関)の1989年の統計によると、レバノン内には約30万人のパレスチナ難民がおり、そのうち約半数がキャンプに住む(今はパレスチナ人の数はもう少し少ない)。ちなみにヨルダンでは約80万の難民のうち4分の1がキャンプに住んでいる。人口の大半がパレスチナ系で、キャンプ内の難民に対する同情が厚いヨルダンと違い、レバノンではパレスチナキャンプと外のコミュニティーのボーダーは明確である。
 レバノン政府はパレスチナ人難民とはかかわりたくなく、UNRWAが医療、教育など本来政府がやるべき仕事を引き受けている。
 筆者にもここからがキャンプだとすぐに分かる。いきなり街並みが汚くなり、緊張感もある。キャンプの生活は悲惨だ。下水道も不十分で、人口密度が高く、よく雨が降るレバノンでは、キャンプ内の道路は頻繁に泥沼になる。しかもパレスチナコミュニティー内部の権力抗争のために、人々は絶えず生命の危機にさらされている。外部との関係も良くない。

CBRプロジェクトの活動

 医療面では、パレスチナの理学療法士を養成したり、キャンプ内のレッドクレセント(赤十字、レッドクロスのイスラム版)の診療所にスウェーデンから若い女性の理学療法士を派遣したりしている。彼女らは家庭を訪問して、毎日家で行う理学療法を教えたりもする。以前はスウェーデン人の医師もいた。ここでも障害をもつ子どもの母親を中心に女性の役割はとても大切だ。
 パレスチナ人のCBRに携わる専門家の養成も行っている。元看護婦や学校の先生であった人が多い。やはり女性が中心である。補装具を与えたり、家や公共の建物をバリアフリーにするためのアドバイスもする。キャンプ内で開業する耳鼻科の医師と協力して、聴覚障害をもつ子どもの言語訓練も推進している。また、障害者カードを発行し手渡している。これは本来なら政府発行の障害手帳のようなものであるが、レバノンのパレスチナ難民には政府がないので代わりに認定している。
 UNRWAの学校に障害をもつ子どもを統合教育として受け入れるように説得したりもするが、なかなかうまくいかないようだ。スウエーデンのチームリーダーのグーニールさんと若いパレスチナ人女性のサマーさんが担当する、地域コミュニティーセンターでの知的障害児とその母親を対象にした、親子学級を見学した。

大切な親子学級の役割

 アラブ社会では障害児が生まれるとそれを母親のほうの遺伝とみなし、母親が夫の家族などから非難を浴びることがよくあるそうだ。悲しいことだ。母親と子どもたちがここに集まり、お互いの悩みを語り合ったり、子どもの障害の程度に見合った訓練を習う。これは家でもできる簡単なものである。子どもたちはいっしょに遊ぶ。簡単なことであるが、ここレバノンのパレスチナキャンプでは大切なプログラムである。外の世界は緊張していて、若い男のほとんどが銃を抱えて歩いている。こんな中で障害をもつ子を産み、周りの理解もなく孤独な母親たちが何かをしたいと、ここにやってくる。CBRに携わる人たちも、母親も真剣である。銃を抱えた男たちもみんなが真剣である。
 内戦中、ゲリラ活動中には戦争の犠牲になって多くの障害者が生まれた。そのおかげで、レバノン国内、パレスチナ難民キャンプ両方で障害に関する興味と関心が深まった。同情も生まれた。ただし、このような関心は主に戦争の、ゲリラ活動の犠牲になった若い男性の障害者に限られるようだ。しかし、知的障害をもつ人や先天的な障害児、特に女の子の場合は社会から閉ざされる場合が多い。前者は戦争、あるいはゲリラ抗争の英雄として、若き車いすのヒーローとして、またパレスチナのシンボルとしてもてはやされるが、そうでない人たちにはぜんぜん関心が向かない。

パレスチナキャンプの障害をもつ女性

 女性の地位が低いパレスチナキャンプでは障害をもつ女性は悲惨である。妹や姉が知的障害者であるとその姉妹まで結婚できないこともある。キャンプ内で、ある知的障害をもつ若い女の子が若者3人に強姦された。アラブでは結婚前の性交渉はタブーである。その女の子の兄が、家族の名誉のため彼女を殺した。こういった家族の名誉のための兄による殺人は結構ある。たいてい犯人は2~3年の懲役で釈放される。ばかばかしいことだ。アラブ文化の中で、こういった間違った考えは廃止しなければならない要素だと筆者は思う。どうして、こうもすべてのことを女性の側の責任にするのだろうか。どうして障害者をこんなに差別するのだろう。こういった傾向はアラブ全域にあるのだが、やはりキャンプのような閉ざされた緊張感の高い社会では、余計にひどいこともある。
 人口の約40%がキリスト教で、ヨーロッパの影響を強く受けたレバノン社会では、宗教(キリスト教、イスラム教シーア派、イスラム教スンニー派)にかかわらずこういったことは今日では珍しい。しかし、外部の世界から遮断されたキャンプのようなところでは、差別が助長される要因を作り出していると思う。
 考えれば考えるほど、同じ結論にいきつく。キャンプ内の障害をもつパレスチナ人の問題を抜本的に解決するためには、パレスチナ問題を解決し和平交渉を進めるしかない。その意味では抜本的ではないが、このスウェーデンのCBRプロジェクトは役に立っている。歴史的にUNRWAもそうだが、スウェーデンはパレスチナ問題に関心もあるようだ。

むずかしい自立支援

 保守的なパレスチナ難民コミュニティーも徐々に変化している。障害のある子どもたちが大人になり、親が死んだ後、大家族の中の兄や弟が経済的に物理的に面倒をみるだろうか。先進国の人は途上国の大家族制に支えられたセーフティーネットを過信している。大家族制のセーフティネットはだんだんとこの地でも崩壊し始めている。難民社会での地域のネットワークも大変弱い。前に述べたように、パレスチナキャンプ内の派閥争いで殺しあっているため、障害をもつ人の経済的自立はここでは非常に難しい。障害をもつ大人向けのサポート施設はない。健常者でもキャンプ内の失業率は大変高い。どのように自立生活を促進すればよいのだろうか。UNRWAも最近、先進国からの寄付金が削減され、今まで無料で行っていたUNRWAの診察をほんの少し有料にし始めた。そのため、一般の患者がぐっと減ったらしい。少しの費用が払えないのだ。しかしここでは障害者カードが役に立つ。
 最後に、湾岸の豊かな産油国のバハレーンのバリアフリー、アクセスに関するアラブ式のロゴを見ていただきたい。自立を個人を尊重する、日本でも使われている西欧式と違い、社会の調和、共存を強調するアラブ式のロゴになっていてなかなか素敵だと思う(写真)。こういう点での文化の差異は尊重するべきだろう。「すべての人に使いやすい道を」というように翻訳してみたらどうだろうか。

写真 バハレーンのバリアフリーのロゴ

写真 バリアフリーのロゴ

(ながたこずえ ESCWAベイルート、レバノン)


注: 本稿で表現された言説は筆者個人のものであり、必ずしも国連または ESCWAのものではない。