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カナダの精神障害者施策と日本の近未来像
カナダ精神保健政策の展開過程

木村真理子

 カナダの地域精神医療の仕組みは州によって異なるが、州立病院、精神保健センター、一般病院の精神科など公立の機関が医療を提供する。このような公的精神医療の仕組みが存在する中、地域を拠点とする包括的精神医療システムの構築に成功した州は、州の精神保健予算を病院から地域へ転換したところである。
 カナダでも脱施設化の流れは1960年代から始まった。高騰する医療費、収容の場所と化した巨大施設に対する反省から人間的なケアを模索する動き、当時開発された向精神薬に対する楽観主義、カナダ精神保健協会の主張した心理社会的リハビリテーション実践としての地域ケアなどがこの時代を特徴づける。
 1970年代に精神保健センターを拠点として地域ケアが展開され、患者の地域生活は維持されるはずだったが、当時の精神保健政策立案者も精神保健専門家も、医療以外に地域で生活を維持する精神障害者を支える社会的資源の整備やサービスの調整、住宅の確保、余暇、雇用、生活の組み立てや具体的に支援を提供するスタッフが必要であることを十分認識していなかった。これらの社会資源の未整備状態が入院の頻回やホームレスを生み出したと批判された。また、医療モデルで訓練された専門家集団が地域に出た時、地域を治療の場としてチームで働くスタッフは、専門性を前面に出さずに、同じ仕事を共有して機能するケースマネジャーとしての働き方を会得する時間を要した。

ブリティッシュコロンビア州の地域精神保健政策とコンシューマーの参加

 ブリティッシュコロンビア州は、1970年代初頭に、地域を拠点とする精神医療システムへの転換を当時の政権政党が決断し、大幅な予算を病院から地域システムに転換して州立病院のベッドを削減した。同州には州立病院が一つしかなく、増え続ける患者に対応する策として、患者を地域で支える精神保健システムを作ることが、州の財政上の解決策でもあった。
 ブリティッシュコロンビア州の人口の大半を抱えるグレーターバンクーバー地区では、州より精神保健サービスの責任を委任された中心機関(コアサービス機関)として、非営利法人組織グレーターバンクーバー精神保健サービス(GVMHS)が設立された。GVMHSは地区を9つのキャッチメントエリアに分け、多職種からなるメンタルヘルスチームが医療と種々の住宅やリハビリテーションサービスを提供してケアの継続的な提供に努めている。この組織の使命は、ケースマネジメントを中核機能に据えて、重症の患者に対する服薬管理や具体的な生活支援を提供して患者を地域で支えることである。バンクーバーの地域を拠点とするシステムは、危機介入、警察との連携による夜間パトロールなども含む包括性が優れている。
 今日ブリティッシュコロンビア全州には、2000以上のリハビリテーションプログラムが存在する。GVMHSは掲げた使命に加え、サービスの接近性と効率、コンシューマーの回復志向を取り入れ、コンシューマーの理事会参加などを通して組織運営への当事者の意見の反映に努めてきた。数年前から連邦政府の保健に関する王立委員会は、カナダの保健の仕組みを見直す作業を進めてきたが、王立委員会の提言によりこのほどGVMHSは、バンクーバーリッチモンド保健協議会に統合された。
 バンクーバーには1970年代から患者協会の運営する住宅が存在し、コンシューマーグループによる事業運営の回復への寄与を主張している。オンタリオ州の患者組織は、バンクーバー患者協会運営の住宅利用者の再発率の低下を評価している。

オンタリオ州地域精神保健政策の1990年代の展開

-地域精神保健システムへの大規模転換とコンシューマーの起用

 オンタリオ州は1990年代後半、それまでの病院医療中心のケア体制から地域ケアヘの大転換を実現した。トロントでは主要精神保健機関である精神保健センター、精神保健研究所、およびアルコールと薬物嗜癖機関が統合された。公のシステムだが、財政的理由などとともに、多くのスタッフは種々の機関への異動を余儀なくされた。州全土に62の多職種による積極的地域治療チーム(アクト、ACT)を導入して、精神保健チームによる地域を拠点とするサービスモデルへの転換を、病院から地域ケアヘの予算の転換とともに,実現した。また、ベッドの削減も、人口1万人あたり5床に削減していく計画を推進中である。アクトモデルでは、自ら治療に参加したり、日常の医療や服薬および生活管理が難しい患者を、地域を拠点とした訪問体制で医療、住宅、心理社会的サービスを提供して生活の場で支える。
 オンタリオ州のアクトチームでは、専門職のほかにコンシューマースタッフがピアカウンセラーとして雇用される。コンシューマースタッフを雇用する動向は、当事者の精神病の体験が患者の精神病理解や回復を促進する効果のあることを精神保健専門家や行政が積極的に評価し始めたことを示し、メインストリームの精神保健サービスの一部として導入する機関が増え始めた。包括的地域精神医療が提供される場では、地域機関のいずれかにこの種のサービスが採用されている(カナダでは、ブリティッシュコロンビア州バンクーバー、オンタリオ州トロントなど)。

2000年代の新展開をめざすカナダの地域精神保健政策

 カナダの地域精神保健政策のキーワード「コンシューマースタッフ」と「コンシューマー主導事業運営」は、相互に対立する概念を含んでいる。このキーワードに込められた大きな概念は、「統合」と「分離」である。「統合」には、専門家とコンシューマーのパートナーシップ(政策立案過程へのコンシューマーの参画を専門家が支援し、共同で政策を開発すること、専門家組織とコンシューマー組織の連帯による政策要求など)がある。
 また、伝統的に専門家が提供してきたサービスでの専門家と患者の関係は、治療者と被治療者(サービス受給者)として位置付けられているが、メインストリームのサービスでコンシューマーをピアカウンセラーやケースエイドなどのスタッフとして雇用する動きがみられる。
 一方、精神障害をもつ人々の経験を重視し、これらの人々の相互支援や回復過程を促進するのに必要な事業や、コンシューマー独自の教育・芸術活動を育てるには、「分離」して事業運営資金を提供する政策が必要であると3州(ブリティッシュコロンビア、オンタリオ、およびニューブランズウィック)は主張している。コンシューマー主導事業には、コンシューマーや家族による相談事業、コンシューマーグループによる宅配事業や清掃事業、芸術作品開発事業などが含まれる。
 オンタリオ州では、現在43の事業に年間平均97,222カナダドル(1カナダドル=75円とすると1件あたり平均約730万円)が提供されている。1997年にオンタリオ州で実施されたコンシューマーによる運営事業の評価では、コンシューマーはこれらの事業への参加や利用を通して同志意識をもち、同じ経験をもつ友人や家族のロールモデルによって自信や存在意義を再獲得したこと、これらの人々による支援を有益だと感じていること、伝統的専門サービスの利用や医療機関への入院や訪問の頻度が減少したと報告されている。このモデルの障害者自立生活センターとの共通点は、当事者や家族が従来のリハビリテーションサービスの治療者と非治療者の関係ではなく、サービスモデルを越えたコンシューマーによる事業として位置付けられていることである。
 カナダの精神障害者施策は発展の時期や程度が異なってはいるものの、確実に当事者の回復過程を促進する方向性を示している。これらの新しい政策実現の背景には、専門家とコンシューマーのパートナーシップによって、合意を見た政策課題を主要精神保健組織の政策要求として推進する努力も見逃せない。この背景には、1999年に実現した四つの主要精神保健組織の全国レベルでの連帯がある。カナダ精神科医協会、分裂病協会、コンシューマーナショナルネットワーク、カナダ精神保健協会の全国レベルの、連帯は今後も人間的ケアや回復が認められる政策に関して共通の政策要求を行い、パートナーシップを模索していくことと思われる。
 精神障害者の心理社会的リハビリテーションにおいて、先駆的役割を担ってきたカナダ精神保健協会のナショナルオフィスでは、精神障害者と合同の会議をもつ際の配慮を次のように述べている。
 当事者が自信をもった発言をするには、バックアップする当事者が必要だと考え、できるだけ2人の代表者を委員に加える、発言の練習や訓練のガイドブックを用意する、会議では専門用語を避ける、交通費を補助する、服薬のためのどが渇く人のために水を用意する、喫煙や休憩時間を設けるなどの会議運営の配慮を提示している。
 カナダでは、専門家とコンシューマーのパートナーシップの重要性を主張する一方、専門家のコンシューマーへの権利擁護や代弁では当事者が自らを勇気づけるには限界があることを認めている。さらなるコンシューマーのエンパワメントのために、カナダは「統合」の諸施策に加えて、コンシューマーに対する理解や啓蒙の促進を専門家や市民に対して行うと同時に、コンシューマーがさらに力を発揮する機会を、コンシューマーのコントロール(統制)による事業の評価によってコンシューマー主導事業の政策的重要性を示そうとしている。

(きむらまりこ  関西学院大学助教授)