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旅は人生、自分の一人旅

増藤純

 僕の小さいころの夢は鉄道の運転手になることでした。
 中学のころ、お小遣いをもらうと鉄道模型を買って、レールをつなげて列車を走らせていましたが、自由な列車の旅にそのころからあこがれていました。中学2年の時に同級生からいじめられて、登校拒否になって病院に2週間入院しました。学校にもどってから本格的ないじめになりつらい思いをしましたが、がまんして卒業しました。それから調理の専門学校でもいじめられて中退して、初めて就職したパン屋でもいじめられてやめました。家ですることがなかったので地域作業所に行くことになり、ようやくいじめがなくなりました。
 そこでもらった給料と親からのお小遣いで、16歳の時に念願の2泊3日の1人旅に出かけました。茅ヶ崎駅から始発の普通列車で沼津、浜松、豊橋、大垣、米原、姫路、網干、三原、広島、小郡の駅待合室で1泊、下関から九州に入り西鹿児島まで行って夜行急行で1泊して小倉へ、普通列車で小郡まで行き、そこから新幹線で小田原に戻って、茅ヶ崎に帰ってきました。その時はうれしい気持ちでいっぱいでしたが、列車の中で寝ている時にスリにあってしまい、お金を盗まれてしまいました。1人旅なので相談できる人がいなくてさびしい思いをしました。でも、1人旅だと列車の中で知り合いになる人ができて楽しかったです。
 その後、福祉事務所のケースワーカーにすすめられて、就職をするために七沢学園に1年、神奈川能力開発センターに1年、入りました。この2年間は自由がなく、がまんの多い毎日で好きな旅行もできなかったことが残念でした。僕は、何回か無断外出をして、鉄道のキセルで福井や長野などで鉄道警察につかまり親に迎えにきてもらいました。そのたびに、3倍の運賃を払わされて、親にしかられ、学園にもどされて先生にもひどくしかられました。
 卒業してから、今でも働いている大橋精機製作所に就職しました。仕事は旋盤の作業です。就職したのが20歳のころで、夏休みを使って旅行雑誌で見た富山県まで2度目の1人旅に出かけました。茅ヶ崎駅から新宿に出て、夜行快速で長岡まで行き、柏崎、直江津、富山駅で1か月前に予約したホテルに泊まり、夕食のホテルの食事は高いので、ホテルの人に聞いたおすすめの寿司屋で大好きなちらし寿司を食べました。お土産は名産のラグビースイカを買いました。翌日は市電で富山駅まで行き、高山、美濃太田、鵜沼、名鉄線の新鵜沼から豊橋、浜松、静岡、熱海、茅ヶ崎に帰ってきました。印象に残っていることは、高山本線の車内でおばさんにお土産のラグビースイカをジロジロ見られて話しかけられて、しばらくいろいろな話をしたことです。
 それからは、毎年ゴールデンウイークやお盆休みを使って、北海道に3泊4日、南紀に2泊3日、広島に2泊3日、富山に2泊3日、九州に3泊4日、長野に1泊2日の1人旅に出かけました。僕は電車を使って旅をするので車内で知らない人と話をすることが多いです。広島に旅に出かけた時は、列車の中で前に座っていたおばさんに「どこから来たの?」と声をかけられました。僕もおばさんに「どこに行くのですか?」と質問をして、その後もいろいろ話をしました。
 30歳の時に、親から離れてグループホーム下宿屋に入って、自分の給料から家賃と光熱水費と食費を払って生活をしています。給料は11万円ぐらいで、生活費は約9万円で、残ったお金をためて旅行をしていますが、回数は少なくなりました。ホームに入ってからは、1人旅だけでなく、仲間と一緒に育成会全国大会の本人部会に参加するグループ旅行にも行くようになりました。これまで、岡山、北海道に行き、今年は奈良に行く予定です。1人旅と違って仲間が一緒だと楽しいこともありますが、観光の時は別行動をしています。僕が1人旅が好きな理由は、好きなところに自由に行けるからです。
 これからは、結婚もしたいけれど、そうすると自由に1人旅ができなくなりそうで、どうしようかと考えてしまいます。目標は、行ったことがない県に行って全国制覇を達成することです。

(ますとうじゅん 希望の会副会長)