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住みよい町は行きよい町
-バリアフリーの福祉観光都市を創る高山市-

飛騨高山観光客誘致促進東京事務所

古い町の新しいまちづくり

 古い街並みと祭り屋台、そして北アルプスの美しい峰々の展望で知られる飛騨高山は、平成10年1月、市長年頭あいさつの「バリアフリーのまちづくり」宣言以来、急ピッチで変化してきております。
 高山は国の重要文化財指定の建物が市街に並ぶ伝統と格式に満ちた町ですが、そこで進むバリアフリーのまちづくりは、後世に伝える街並みを保存しながら21世紀の超高齢社会にふさわしい都市機能を充実させるという難しい課題への挑戦でもありました。
 他の地域より少々先んじたまちづくりの試みは、時代の要請に適応したのか、観光地不況が伝えられる中で多くのお客様をお迎えし、また車いすを利用する市民や観光客の姿も町に溶け込むようになりました。
 市長の宣言から今日までの2年半ほどでバリアフリーのまちづくりはできたのか、との疑問をもたれる方もおられましょうが、もちろん現段階は完成への途上であり、これからも今まで以上の努力や研究が続けられなければなりません。ただ取り組み経過がいたって常識的であり、常識的であるが故に際立った成果を上げたものと思っております。
 それでは高山市が進めたバリアフリーのまちづくりの手法を紹介しつつ、飛騨高山の旅をご案内いたしましょう。

まちづくりのウォーミングアップ

 高山市は経済活動の大方を観光事業に頼る町ですが、観光客は平成2年の入り込みをピークに年々減少を続け、平成6年に前市長の急逝を受けて選ばれた新市長の立場も、市の存続を左右する観光活性化の課題には厳しいものがありました。安房トンネル開通前、JR高山本線1本に頼っていた高山は、遠くて高くて古くさい町として海外指向の旅行市場から見放されつつあり、状況打開がなんとしても急務だったのです。
 市長は旅行市場からの情報と分析によって観光事業活性化の方策を探ろうとしました。この拙文を起こしている東京事務所の設立もその一環でした。東京事務所がすくい上げる情報をもとに観光事業の関係者、市の責任者が集まる勉強会を重ねては観光誘致の課題を発掘していきました。
 平成8年には基本的な方策が固まってきました。全国民的な課題としての超高齢社会への対応、そして「すべての人を旅へ」の理念に沿った障害者へ配慮する観光政策が最優先テーマとして確定したのは、同年の12月です。そのころは、高齢者や障害者の外出活性化効果も確認され出しており、高山市は市民の外出環境と観光客の訪問環境の整備は一致するとの単純な回答を創り出したわけです。
 この着眼から得たコンセプトが、安全・安心・快適な町を目標とする「住みよい町は行きよい町 バリアフリーのまちづくり」だったのです。お客様からの「行きよい町」を確かめるため、高齢者や障害者の参加する飛騨高山モニター旅行を平成8年から催し、現在まで8回を数えますが、厳しい指摘の連続でした。
 重度の障害者の方から「注文を聞く時、なぜ私に聞かずに介護者にたずねるのですか、私の目を見て聞いてください」「大きいお風呂に入ろうとしたら車いすの人は入れないと断られた」「車いすトイレをよく見かけたが、荷物置き場になっていて使えなかった」「飛騨の里は砂利道で車いすでは動けない」「水路蓋の目が粗く車いすの前輪が落ちてしまう」「歩道が狭くて段差が高く危険を感じる」といった意見が次々に出されました。
 これらの意見を市の関係者は真剣に受けとめましたが、指摘されている問題点が2つの方向に分かれていることも理解しました。車いすからの目線を大切にしてほしいという、人と人との接し方と、道路や建物の障壁除去の課題です。モニター旅行からは、心理的・物理的バリア、言い換えればソフトのバリアとハードのバリアは一体のものであることを学びました。
 平成9年はバリアフリーのまちづくりの啓蒙期。モニター旅行の厳しい指摘をもとに「おもてなしマニュアル」の制作に努めました。
 心のバリアのはずし方、障害者との交流のあり方に随分とページを割きました。「車いすお出かけマップ」もこのころの作成です。
 ハードのバリアは、雪不足で浮いた除雪費を当てるなど乏しい予算で道路段差の解消を進めるため、市の土木課職員が作業衣・ヘルメット姿で汗を流しました。使えないと指摘のあった障害者用トイレは、清掃を日に2回とし、行き届いた管理を行うようになりました。
 そして何よりもバリアフリーのまちづくりを通して福祉課、土木課、高年課、観光課、さらに農林課までが加わって、市役所組織のバリアフリーが進み、市内観光関係者の積極的な協力も始まって、事業推進の環境が整いました。
 このウォーミングアップを経て、市長のバリアフリーのまちづくり宣言ですから、後の展開はスムーズです。障害のないまちづくりの事業費が予算科目に登場し、きめ細かな配慮が進み出しました。電動車いすを利用している市民は新聞社の取材に「外出なんて以前は年に2、3回だったのが、今は週に2、3回。周りの視線も暖かくなりました」と答えてくれました。

高山の町を訪ね歩く

 では、武家文化、町家文化、山村文化が一体化した高山の街をひと歩きしてみましょう。まず段差のないゆったりした道で、点在する車いす用公衆トイレ、各々デザインされた木のベンチが好評です。市内40か所の車いす用公衆トイレに使用制限はなく「どなたでもお使いください」の案内が気持ちを楽にしてくれます。
 秋祭りの八幡宮、屋台会館を経て立ち寄る日下部民芸館は国の重要文化財。建物はいじれませんが、飛騨の木工技術を生かした仮設のスロープが付いています。続く宮川沿いの朝市は高齢者・障害者に人気です。売り方の「いらっしゃい、元気だネ」のかけ声に障害者の方の表情も輝きます。
 町家文化の象徴とも言える古い街並みで有名な上三之町は、昔からの造り酒屋、味噌店、土産店が並ぶ人のにぎわう通りです。
 400年の伝統をもつタイムスリップ通りも店先の敷居や段差が解消され、車いすの通路も確保された店が増えています。モニター旅行で建設会社OBからこんな言葉を聞きました。「もしかしてこの町は江戸時代からバリアフリーだったんですか」と。
 江戸時代の飛騨の政治の中心が陣屋です。古い街並みを抜け宮川にかかる赤い中橋から武家文化の格式を伝える奥ゆかしい建物が望まれます。入館は車いすでも大丈夫。畳廊下から往時の武家政治を偲べます。
 山村文化の枠は市街からやや離れた飛騨の里に集めました。かつては自然路でしたが、今は山里の景観に溶け込む舗装路となりました。足の不自由な方には電動車いす(無料)が用意されています。簡素で力強い合掌造りの建物、素朴な木こり小屋、水車の響きから昔日の生活の息吹が伝わります。
 とはいっても外観が山里造りのトイレは、床暖房も備え超近代的に仕上げました。山村のゆったりした時間を味わっていただくためトイレには気を配っています。特に車いすの方々には環境になじんだマイペースな過ごし方をおすすめします。
 付近には、ハートビル法の適用を受けたガラス工芸の飛騨高山美術館、GIFUバリアフリーデザイン賞を受けた「まつりの森」もあって、高齢者や障害者も何の気がねなしに1日を過ごせます。
 季節のタイミングが合えば、町中から2~3キロメートルのリンゴ園「美空野ファーム」も一味違った高山です。オーナーは障害のある人にもリンゴ狩りをしてほしいと、園内に車いすの通行可能路とトイレを用意しています。車いすからリンゴをもぎ取った時の、介護する人される人の笑顔は最高です。
 見どころ楽しみどころが続く高山バリアフリーの旅は今、出発したばかり。どうぞ季節の表情豊かな高山で、旅心の創造を図り、福祉観光都市の完成へ末永いお付き合いを願います。

(山本誠)


※高山市内の道路のバリアフリー化は国道・県道を除いてほぼ完成しています。旅館・ホテルでの車いす用トイレの整備はいまだ差がありますが、心のバリアをはずしたもてなしは全宿泊施設の共通テーマです。詳しくは高山市観光課までお問い合わせください。
 TEL・FAX 0577-35-3167