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北米における権利擁護とサービスの質に関するシステム 連載13

ADA(障害をもつアメリカ人法)10年の歩みと、
日本における障害者権利法(JDA)の方向性(その1)

北野誠一

1 はじめに

 世界の障害者の権利擁護運動の一つのモデルであると共に到達点でもあるADA(障害をもつアメリカ人法)が1990年の7月に制定されて、今年はちょうどその10周年にあたる。アメリカでは各地で10周年の記念行事が行われており、スミソニアン国立アメリカンヒストリー博物館では、現在ADA10周年を記念して“障害者権利運動“と銘打ったエキシビジョンがなされている。(アメリカ各地のイベントについては、http://www.sedbtac.org/ada_in_action/calendar.cfmでその全容がつかめる。またスミソニアン博物館については、http://www.americanhistory.si.edn/disability-rightsを開けば、インターネットでエキシビジョンの内容がつかめる)。
 またアメリカ司法省は、司法長官の次のようなメッセージとサインのもとに障害者権利諸法のガイドブックを発表した。「今年は市民的権利法の中でも特筆すべきADAの10周年の記念すべき年です。ADAは雇用、市民利用施設、公共移動交通、州及び自治体サービス、電話通信における障害者の機会均等を保障する法律です。私は差別を禁止し、アメリカ社会の中心で自立と尊厳をもって生きる障害者の権利を保障する10の連邦法を概説するこのガイドブックを心から提供いたします。あなた方はこのガイドブックを使って障害者の権利法について学び、連邦政府のどこに行けばあなたの権利が擁護されるのかを知ることができるでしょう。」(注1)。ちなみに、この10の連邦法は下記の表のとおりであり、そのうちのいくつかについては、本文でもう少し詳しく紹介する予定である。
 今回は、ADA制定前後の歩みと日本における障害者権利法の制定に向けた方向性について、以下の順に考察してみたいと思う。
1 日米の法律制定の方法とプロセスの相違について 
2 ADAはいかに勝ち取られたのか 
3 ADAの構造と内容 
4 ADA制定後10年の歩み 
5 日本における障害者権利法(JDA)の可能性と方向性

Americans with Disabilities Act     障害をもつアメリカ人法
Telecommunication Act            電話通信法
Fair Housing Act                公正住宅法
Air Carrier Access Act           航空機アクセス法
Voting Accessibility for the Elderly and Handicapped Act
                             高齢者・障害者投票アクセス法
National Voter Registration Act     連邦選挙人登録法
Civil Rights of Institutionalized Persons Act
                              施設入所者の市民的権利法
Individuals with Disabilities Education Act
                              障害者教育法
Rehabilitation Act                 リハビリテーション法
Architectural Barriers Act           建造物バリア法


2 日米の法律制定の方法とプロセスの相違について

1.そもそも法案はだれがつくるのか

 このことについては、非常に象徴的な、笑えないエピソードがある。1997年に日米障害者自立生活セミナーを大阪で開催した時に、アメリカの自立生活センター“バラクォッド“の副所長ジム・タッシャーに、アドボカシーの話をしてもらったことがある。彼は自立生活センターのアドボカシーの一番大切な部分は議員に対するロビー活動であると熱弁をふるうのだが、日本の聴衆がほとんど反応しない。ジムが困った顔をしているので、私が彼に「あなたの言いたいことはよく分かる。しかし日本ではロビー活動というものには、何の意味もない。というのも、日本の議員は法律をつくらないから」と説明すると、ジムは飛び上がらんばかりに驚いて、私の顔をまじまじと見て、「日本の政治家は本当に法律をつくらないのか。じゃ彼らはいったい何をしているのだ。それじゃすることがなくて暇で仕方がないだろう」と真顔で言ったのだ。ジムが驚いたのも無理はない。
 アメリカにおいては、そもそも法案提出権は予算案を除いては議員にしかなく、しかも法案が議会に提出される前に政党によるチェックがないために、議員は単独であるいは同僚と共同提案という形で、きわめて多くの法案を提出する(そのうちのいくつかは選挙区に対するアリバイづくり的な法案だと言われているが)。その件数はやや古いデータだが、第99議会(1985年)(注2)で、11,602件の法案が提出され、そのうち実際に法律となったのは664件で、5.7%にすぎない。これは1議員当たり22件以上で、共同提案となれば1人の議員が作成し、関係する法案は非常に多くの数となる。
 ADA法案がどのようにつくられたのかを見てみると、ADA1988年版の草案をつくったのはNCD(アメリカ障害者評議会)である。NCDは1984年のリハビリテーション法の改正で、一定の独立した権限を与えられた、大統領の任命による障害者に関する法律や施策の包括的な評価と問題提起を行う機関である。当時のNCDのスタッフで弁護士のR.Burgdortが、事務局長であり障害当事者であるR.Friedenと共同で作成したと言われている。また、それを修正して1999年版ADA法案をつくったのはE.Kennedy上院議員の事務局スタッフであり、公民権問題を統括していたC.OsolinikとT.Harkin上院議員の上級スタッフで、障害者小委員会の主席弁護士をしていたR.Silversteinであった。
 これを逆から見れば、それらの法案を作成するスタッフをもつ議員たちと常にコンタクトをとって、その法案作成に自分たちの権利や利害に基づく何らかの影響を与えようとする活動(ロビー活動)をすることは、障害者団体のみならず、すべての利益団体の重大なアドボカシー活動なのだ。
 ところが日本では議員立法は少数で、しかもほとんどが成立しない。一方、関係省庁の担当課の係長クラスの作成したものが、内閣法案局のチェックを経て法案として提出される内閣提出法案はほとんど成立することになる(ちなみに今年度の第147通常国会において提出された法案は、衆参両議員提案56件でうち17件成立、内閣提出法案97件でうち91件が成立となっている。衆参合わせて750人以上の議員がいて56件しか議員提案法案がないことは、アメリカと比較すれば、驚くべきことである)(注3)。つまり、議員に対するロビー活動などというものは、ほとんど何の意味もないことになる。
 さて私は、下手な英語でジムに日本の政治家の仕事を伝えようとしたのだが、うまくいかなかったようだ。「法案も予算案も基本的に行政官僚がつくるのだが、法律が関係している利権をいかに自分たちの支持団体にぶんどってきて、分け前を誘導するかが日本の政治家の仕事だ」と説明したつもりだった。日本にロビー活動がそもそも成立しないということが、日本の障害者運動を含めた市民活動が、政策提言のできるレベルに成熟しない最大の原因である。
 議員が法案をつくるためには、議員たちは自らのうちにさまざまな有能なスタッフをそろえる必要があるだけでなく、さまざまな民間団体のシンクタンクを活用して、自らの法案の根拠付けや理論化をはかる必要が生まれる。一方、障害者団体等も自分たちの要求を通すためには、他の市民も納得するような理論化に基づく政策化、法案化と、それを裏付けるような資料やデータを準備することが必要となってくる。そのためにアメリカでは、障害当事者によるシンクタンクであるWID(世界障害者問題研究所)やDREDF(障害者権利教育援護機関)やILRU(自立生活調査機構)が設立され、あるいは障害当事者を支援するシンクタンクであるInfoUSE等が設立された。
 つまりロビー活動は、そのような法案を作成することをその主な任務とする議員たちに、より望ましい政策や法案を公約させたり、提案させたりする政策提言力を身に付けさせるのだが、これまでの日本の障害者団体は、日本の政治状況に規定されて、一部与党政治家と結託してボス交渉を行うボス交団体であらざるを得なかったわけである。日本的政治状況が、政策提言力というエンパワメントを障害者団体から奪ってきたのである。
 しかしこの数年、自民党の一党支配の崩壊と、海外の状況等を知る若手議員たちの登場や当事者活動、市民活動を経験したことのある議員たちの誕生は、日本の政治に変化を生み出しつつある。一方、そのことを受けて既存の障害者団体ではなく、政策提言力を身につけ始めた若い障害者団体が生まれつつあることは望ましいことである。今後は、そのような政策提言力を支援する研究機関やシンクタンクが登場する基盤をいかに整えるかであろう。
 さて、日米の法律制定の方法とプロセスの相違から話は進みすぎたが、ADAを理解するためにどうしても必要な日米の相違があと三つある。

2.大統領制と大統領公選制のもたらすもの

 1人の人間が国民の選挙で選ばれる時、しかも2大政党制の国においてはなおさら、障害者集団のような決して少数ではない第三者勢力が、その選挙のキャスティングボードを握ることが可能となる。1988年のアメリカ大統領選挙において、見事結集した障害者勢力がまさにそれである。大統領の公約はストレートに議会を通して実現するわけではないが、教書等で議会に影響を及ぼすことは可能であり、また何より議員立法が大統領によって支持されることはあっても、拒否権が発動されることはないことを意味する。

3.日米における司法権限の相違のもたらすもの

 訴訟社会と呼ばれるアメリカにおける司法権限の大きさは日本の比ではない。日本では司法権限は行政権限にとても太刀打ちできない。アメリカの司法権限を高めたのは、日本にない対立関係が存在しているからである。アメリカは、合衆国として連邦政府の権限と各州の権限の対立をはらんでいる。そのために憲法に規定された連邦政府権限に依拠する連邦政府の基盤は、州法に対する違憲立法審査権(司法審査権)という形での州に対する優越性に基づいているのである。
 つまり司法権を介在させることによって、連邦政府は州政府への優越性を確保したのである。そのためにアメリカでは連邦最高裁判例は、立法や行政的解釈を越えた力を与えられている。特に、1868年の憲法修正第14条1節「・・・いかなる州も合衆国の市民の特権ないし免除を縮減する法律を制定し、執行してはならない。いかなる州も法のデュープロセスによらず、生命、自由もしくは財産を剥奪してはならない。またいかなる州もその管轄権の中で何人にも法の平等な保護を否定してはならない」に基づいて、州における各種の差別的制度や公的な活動に対して規制することが可能となった。
 ところが憲法第8条に定められているように、連邦政府の権限は徴税権、交戦権、外国との通商と州の通商に関する規制等に限定されている。そこでADAのモデルの一つである「市民的権利法」(Civil Rights Act of 1964)で、連邦政府の管轄外と考えられていた民間事業者の営業行為や売買行為、賃貸行為における差別的行為について、それらを州間の通商行為規制を拡大解釈することによって規制することを可能とした。ADAはそれをさらに進めて、一般開業医のオフィスや一般小売店にまで拡大した。ADAは一般に他のマイノリティーグループ(たとえば黒人団体や女性団体等)との連帯の関係で、医療保険や介護保険をその中に組み込むことを断念したと言われているが、黒人や女性たちの場合、差別的な行為を受ける可能性はないが、障害者の場合には合理的配慮(Resonable Accomodation)を必要とするそれらの施設を、市民利用施設として拡大したわけである。
 しかし現在ではまた、連邦と州間の対立緊張関係は高まりつつある。ここで、2000年3月27日の連邦第7控訴裁の判決(No.98-3614)Erikson vs Northeastern illinois Universityを見ておきたいと思う。Eriksonが彼女の不妊治療が原因の精神的疲労ゆえの欠勤による大学の解雇に対して、それをADA違反として訴えた裁判である。それに対する連邦控訴裁の判決は次のようであった。
 つまりそれは、2000年1月11日の連邦最高裁の判決(No.98-79)Kimel vs Floridaにおいて、雇用における年齢差別禁止法(ADEA)に基づく年齢差別は違憲の疑いの強い分類(suspect scrutiny)を要求しないがゆえに、それは憲法修正第14条違反には当たらないとした論法を使って、ADAの第1章が規定する障害者差別も年齢差別と同じであり、それは第14条違反とは言えず、それ故にそれは州に対する強制力をもたないとしたのである。
 実はADAは、そのような判決の可能性を見越して、その502条項において「本法の違反に対する適切な裁判管轄をもつ連邦または州の裁判所における訴訟について、州は合衆国憲法修正第11条における主権免責を受けることはできない」という形で、州の主権免責を制限している。それにもかかわらず、この判決は障害者の差別は人種差別のような厳格な審査基準ではなく、合理的な基準(Rational-basistest)が妥当であるとしている。ただし判決では、高齢者は特別なマイノリティーではなく、それはすべての人がその人生を全うすれば経験するものであるが、障害者はそのような可変的なものではないことが多いことは認めている。
 しかし、ADAで定める障害概念はそのような生来的固定的なものではなく、またEriksonの場合もそうであり、それは憲法修正第14条の平等原則が適応されるような種類の差別ではないとする。つまりは判決は、すべての障害者に対して厳格な審査基準を否定しているものではない。
 さらにこの判決文には、たとえば視覚障害者に対する障害の程度や技術や経験に応じた合理的配慮の多様性に対する無知と、その能力に対するステレオタイプな偏見が感じられる。たとえばADA第1章の雇用における合理的配慮に対する反論には、次のような一文がある。「大学の教員として視覚障害者より非視覚障害者を選ぶことは合理的である。なぜなら読むことは聞くよりも早いので、非視覚障害者はより多くの文献を読み、より生産的な研究者であるし、またよりコストも安い。…ところがADAはそうではなく、不当な困難(undue hardship)を伴わなければ、視覚障害者に読むための補助者を要求するのである」。
 やや判決文の細部にこだわりすぎたが、それはまだまだADAがアメリカ社会全体に受け入れられたとは言い難いことを示している。
 アメリカの障害者運動は、1970年代よりさまざまな裁判闘争の中でその権利を拡大しつつADAを勝ち取ってきたが、ADA獲得後もその法律の解釈をめぐる戦いの中で、より有利な判決と判例を勝ち取る戦いを強いられていると言えよう。

4.日米の行政手続法と情報公開法の格差のもたらすもの

 日米の行政手続法の最大の相違は、アメリカの場合、法律が適用される手続きとプロセス(個人及び利害関係者の参加の保障)だけでなく、その法律の施行規則が制定される手続きとプロセスへの利害関係者の参画の保障を行っていることである。
 私は家族と共に、アメリカの障害者運動がADAを勝ち取った1990年の夏から1991年の春までサンフランシスコで過ごしたが、その間アメリカの障害者運動が各地で繰り広げた、より有利な施行規則(Regulation)を獲得する運動をつぶさに見ることができた。その際、行政手続法の力をまざまざと見せつけられた。アメリカでは、法律の施行規則案は一定期間市民に公開され、その間に公聴会等で表明された意見を考慮したうえで規則を制定し、その際表明された意見に対する一定のコメントをなすべきこと等が、略式規則制定のレベルにおいてすら、義務付けられている。それらの手続きが、各法共に5年に1度の見直しごとになされるのだから、すさまじい民主主義プロセスとなる(注4)。
 私は司法省の公聴会等、いくつかの公聴会や障害者による企業や一般市民への理解啓発の集会を傍聴させてもらったが、それは非常に戦略的なものであった。そこでは施行規則で規定される質と量について、たとえばパーキングエリアにおける障害者用パーキングエリアのパーセント等について、障害者のニーズの量の多さとニーズの切実さを、どのように施行規則を作成する担当行政や市民に説得力をもって訴えるのかが問題とされていた。というのも、当然もう一方の利害関係者である民間業者は違う根拠に基づいて、その必要性の低さを利用統計等で訴えてくるからである。アメリカのように、利害関係者がある意味で悪びれずに自説を堂々と主張してくる社会では、その問題点も論点も明確になりやすい。
 日本の場合には、このような利害関係者間の論点のぶつかり合い等もほとんどなく、規制される民間業者の側は表に出ることなく、族議員等を使って行政担当者に圧力をかけてくるために、論点や問題点が不明確なままである。さらにもう一方の利害関係者である障害者のほうも、肢体障害者、視覚障害者、聴覚障害者、内部障害者、知的障害者、精神障害者、高齢者、またそれぞれの家族会等の利害のすりあわせがきっちりとなされないために、これまた論点、問題点等が整理されることなく、法案や施行規則に対する対案や統一提案が形成しにくいわけである。ある意味では障害者側は、これまでの日本の政治的土壌の中で各障害ごとのバラバラなボス交団体として、見事に政治や行政に操作されてきた感が強い。国レベルでの情報公開の一般的基準もなく、また実際情報をほとんど公開しないために、日本においては情報操作が行われやすく、情報を得るために個人的な関係を形成せざるを得ないことが、さらに個別バラバラのボス交的な関係を強めてしまったわけである。
 それでもこの数年、審議会の議事録や各種の行政情報がインターネット上で公開され始めたことは評価できる。日本の研究者の多くが外国の評論家的紹介者たらざるを得なかった一因は、日本の政治や行政における情報公開の圧倒的な貧困に規定されている。何しろ私たちは、連邦政府やカリフォルニア州政府の各種通達から各委員会の議事録まで、また各種の行政データのほとんどがタイムラグなく入手できるのに、日本のそのような情報はほとんど手に入らなかったのだから、何をか言わんやである。
 さて私たちは、ADAの形成と展開を語るためにやや遠回りをしてしまったようにも見えるが、ここまでの一般的知識が、これからのADAの成立と展開を理解するために最低限どうしても必要なのである。
 次回は、ADAの獲得のプロセスについて考えてみたいと思う。

(きたのせいいち 桃山学院大学)



(1)“A Guide to Disability Rights Laws”U.S.Department of Justice(May 2000)
(2)阿部齊編著『アメリカの政冶』弘文堂、61-62頁、1992
(3)日本の国会情報については、たとえば、http://www.shugiin.go.jp等を活用のこと
(4)アメリカ行政法については、宇賀克也『アメリカ行政法』弘文堂(1988)、E・ゲルホーン、R・レヴィン『現代アメリカ行政法』木鐸社(1996)等を参照のこと