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1000字提言

「見えない」障害

西嶋美那子

 企業の中で障害のある社員の働く環境整備を担当していた経験から、聴覚障害のある方々への十分な情報保障ができないことについて苛立ちを覚えながらも、「聞こえない」という障害に加え、そのことが目には見えないという問題があると感じている。車いす利用者の場合などでは同じ場に居合わせるだけでも障害があることが分かり、それなりの対応が必要だという配慮がなされやすいが、聴覚障害の場合には同じ職場にいても仕事でかかわって初めて気づくという場合も多い。聞こえないことによるハンディも、聞こえる人にはなかなか正しく理解されていないと言われるが、それにも増して障害が見えないことの上乗せがある。
 たとえば、職場で顔を合わせるだけの付き合いでは、聞こえると思っているから声をかけてあいさつをするが、返事が返ってこないと「嫌なやつ」ともなる。また、直接本人に言わなくても周りの様子で理解しているだろうことが、伝わっていないために、「あの人はおかしい」ともなりやすい。ささいなことでも度重なると人間関係にもひびが入りやすい。障害が目に見える場合には、接する前から遠慮が出たり、敬遠されたりすることもあるのでハンディが大きいと思われるかもしれないが、社会生活では「見えない」ことのハンディがかなり大きく、そのために聴覚障害や精神障害の理解が進まず、ノーマライゼーションに関しても対応が遅れているような気がしている。
 もうひとつの「見えない」障害というのは、人の心の障壁である。社会的にもこれだけ障害のある人たちへの理解が進んだと言っても、まだ多くの人の心の中に障害のある人たちに対する偏見や差別感があるのも否定できない。企業内での理解促進に取り組み、職場での理解を求めていても、1人ひとりの心の奥底までは入り込めず、職場で障害のある人へのいじめがあったり、人間関係の問題で障害のある人が職場を去ることになったりすると情けなくなる。
 「心の障壁」をどうやって取り除いたらよいのか、妙薬がないものかと模索しているが、幼少の頃から障害のある人たちと接している人は、自然に彼らを受け入れ、社会の一員としての認識ができている。
教育の現場では「生きる力」を育むための新しい取り組みがなされているが、障害のある・なしにかかわらず、一緒に幼児期を過ごすことが、その人の一生の考え方に大きく影響を与えることを考えると、障害児と健常児の交流がさらに進むことを期待している。

(にしじまみなこ 日経連労務法制部次長)