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障害者の経済学

「工賃」はなぜ低いのか

         京極高宣

 今回は、これまでの「工賃」の性質の考察を踏まえて「工賃」の水準について論じてみることにします。およそ、物事の本質を議論するにあたっては、その量についてから始めるのではなく、まず、その質について論じたうえで、量を議論しなければならないのです。
 障害者の授産施設における「工賃」が一部の身障施設を除き一般的に低水準なことは、これまで統計的にみたとおりです。しかし、なぜ「工賃」が極めて低いのか、これは障害者だから生産性が低いなどの安直な理由でしごく当然のようにみえますが、はたしてそうなのか、私には疑問に思われます。
 もし障害者の授産施設が一般企業と同水準の生産性であれば、第1に税金が優遇されること、第2に、作業指導員等の給与は公費でまかなわれていることなどから、一般企業以上に利益が生じるのは当たり前です。その当たり前でないところが障害者授産施設の特色なのではないでしょうか。
 それでは、その特色はどのようなものであるかと言えば、いくつかのケースが考えられます。それは単独か複合かは別として、
 第1に、製品(ないしサービス)が低品質で、市場ベースにはほとんどなじまず、極低単価やお情けで購入されるケースです。特に、陶芸などでは障害者の生きがいとの関連においては、重要な作業であっても、信楽焼などの例外を除いて商売上は採算ベースにはのらない例が少なくありません。
 第2に、品質では市場ベースにのっているものでも、生産性が余りに低く、実質的な労働時間(労働コスト)が過剰で一般市価に対抗できないケースです。この場合は、障害の重度化や知的障害などで、やむを得ないこともありますが、はたして障害の特性を十分に考慮して、適切な業種を用意しているかと言えば、かなり疑問が残ります。
 私の考えでは、適切な業種を用意し、適材適所が行われれば、かなりの重度の障害者であっても、授産施設を利用できる障害程度では、一般労働者と比べて約10分の1という平均工賃は余りに低すぎるのではないでしょうか。
 第3に、前述の2点が仮に解決していても、障害者授産事業の製品の流通ルートが未成熟で、既存の企業の流通ルートと比べて異常に遅れているケースが多いことです。国としても、都道府県でも主として保健福祉部局で一応の対応がなされていますが、商工業ベースではほとんど相手にされていない向きもみられます。そこから、製品が売れ残り、剰余が少ししか発生しなくなっているのです。
 以上、主な3点をあげましたが、これ以外にもたとえば、授産施設長に経営センスが乏しい人材が少なからず見受けられるなどの他の理由もいくつかあげれば、あげられます。しかし、以上の3点に関しては、国や地方自治体の行政上の対応が不可欠だと思います。
 まず、第1の点に関しては、品質管理を徹底して、生きがい就労的な部分は極力少なくして、高品質の製品開発を施設周辺の専門的な協力を得て図らなければなりません。その点では、全国で優れた実績を上げている授産施設は少なくありませんし、更生施設ですら一般の授産施設以上の成果を上げているところがあり、参考にすべきでしょう。
 また第2の点に関しては、私の直感では、約50%ぐらいには改善できる気がします。特に障害者の授産事業では、今日では付加価値が余りに低く、一般企業では相手にしない業種(具体例としては、過去にしばしばみられた割ばしの袋詰めなど)が安易に選択されているような気がします。むしろ障害者に有利な業種を率先して開発し、行政も大企業もバックアップしてもよいのではないでしょうか。よく指摘されることですが、たとえば中程度の知的障害者でも一般の若者以上に、まじめにサボらず一生懸命に働いてほぼ一般の労働者並みの実績を上げている例はいくらでもあります。
 さらに第3の点に関しては、福祉部門のみが流通ルートを独自に開発するには限界があり、国や地方自治体で既存の商工業部門の流通ルートに一部分、義務付けることも必要なのではないでしょうか。
 来年(2001年)には厚生労働省が発足しますが、障害者にとって一般就労と福祉的就労の連携がこれまで以上に進展することが期待されます。併せて経済工業省(通産省)も大企業やⅠT革命などのことばかり考えず、中小企業のことも十分に考慮に入れつつ、障害者や高齢者が働きやすい産業分野やバリアフリーの開発も行うのが、21世紀の大きな政策課題だと思います。
 障害者の「工賃」は低いものだという諦めの境地から、異常に低い工賃水準を放置しておくことは、社会福祉の立場からみて、許すまじき反人道的な気もしますし、また経営の立場からみても、余りに反起業的な態度ではないでしょうか。
 障害者の自立支援には、自己決定と自律可能性の追求という意味からも、障害者が喜んで生き生きと働き、能力を生かす、伸ばす公私協働の創造的環境づくりが求められています。

(きょうごくたかのぶ 日本社会事業大学学長)