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ケアについての一考察 第10回

24時間介助の必要性と向き合って

 柳生久美

 私は現在、奈良市内の公営住宅に住んでいる車いす利用の障害者です。病名は「ウエルドニッヒ・ホフマン」という、名前からしてたいそうな病気です。この病気の発症率は10万人に対して0.3人、30万人にしても0.9人と、1人に満たない割合です。神経疾患による障害で、簡単に言えば脊髄の中にある前角細胞が、何らかの原因で運動機能を失っているという病気です。医学書等では、筋ジストロフィーの類似疾患として書かれている場合もあります。あまり障害に関してはこだわっていませんので、病気に関する説明はこれぐらいにさせていただきます。

施設生活

 私は10歳から22歳までの期間を、筋ジストロフィーの入所施設で生活をし、併設の養護学校へ通っていました。就学猶予を受けていましたので、当時の私は学校へ通える喜びと、同じ障害をもつ仲間ばかりが集まり、何の引け目も感じず生きていけることにむしろ開放感をもっていました。そのような中で、楽しいと思う生活がいつしか、年々施設生活に対する不満が募り、学校卒業後は施設にいる目的を見つけることができなくなりました。私たちの場合、一時的な入所とは異なり、一生の生活を施設で暮らさなければならないというレールを、暗黙の了解で引かれていたようなものでした。まして、国立療養所という国の施設では、職員数も限られ、一生の生活を充実したものにするなどということからは、かけ離れた生活でした。
 私が施設生活の後半を迎えた頃、枚方市で地域に出て生活を始めたという、ある脳性マヒの障害者が訪ねて来ました。その彼が私たちにこう言いました。「何でおまえらここに居てんねん」。その言葉があまりにも衝撃的だったのか、新鮮だったのかは分かりませんが、その言葉がきっかけで、なぜ、私が施設に居るのかを考えるようになりました。そのきっかけを与えてもらい、考えた末の答えが「地域で生活をしたい!!」というものでした。
 3年間の地域生活の準備を重ね、1986年に施設を出て地域生活を始めました。

地域生活

 1986年に多くのボランティアの力もあって、やっとの思いで地域生活が実現できました。当時は施設重視の福祉政策で、在宅介助のホームヘルプサービスは週2回、2時間だけの派遣でした。24時間介助の必要な私にとっては、あまりにも過酷な介助サービスの現状でした。私の介助は、着替え、食事作りの手伝い、トイレ、入浴、夜中の体位交換等細かく言えばいっぱいあります。ですから、ものすごい数のボランティアが必要なことになります。ボランティアの交代時間に空き時間ができたら、緊急の連絡が取れるように電話を手の届くところに置いて行ってもらいます。
 地域生活を初めて一番大変なのは、ボランティアの介助ローテーションを組むことです。突然風邪を引いたとか、どうしてもバイトに来てくれと言われて来られなくなったなどと突然、介助に空きができてしまうことです。運が悪ければ、その晩の介助がなくなったりするなど、これまでいろいろありました。そんな時は、手当たり次第ボランティアに電話を入れます。すぐ見つかる時はよいのですが、10件20件目で、やっとの思いで見つかる時もあります。見つかった時は、「あーこれで明日も生きていける」と思うと同時に、日々の障害者運動の働きの重要さを感じます。1日のほとんどの介助がボランティアという体制で、確実な介助体制を実現させるには、制度による介助サービスを充実させていくしか方法はないと思います。
 今年で私の地域生活は14年になりますが、この14年の活動が、やっとここまでの成果となりました。滞在型ホームヘルプサービスは週5回、1回4時間以内。早朝夜間週3回、1回2時間。巡回型ホームヘルプサービスは1日6回、1回15分。入浴サービスは週1回。全身性障害者介護人派遣事業は1か月130時間です。地域生活を始めた当初の、ほぼ24時間ボランティア体制から図のような介助体制にまでなりました。図のボランティア体制で記載してある時間帯の1日4時間は、全身性障害者介護人派遣事業を利用しています。
 14年が経った現在では、公的介助サービスは、かなりの進歩を遂げましたが、それでもこの図でみると、まだまだボランティアが抱えている時間帯が多くあります。ボランティアの人はある意味でボランティアでありながらも、私の生活がかかっている以上ものすごい責任を負わされていることになります。
 こうやって、夢を追いかけ施設を出た私の日々の生活は戦いかもしれませんが、施設で一生を終えるよりはるかに意味ある生き方をしていると確信しています。

図 日常生活と介護体制

図 日常生活と介護体制

今後の課題

 障害者が施設を出て地域生活をしたいと希望しても、まだまだ24時間の公的介助サービスが実現できていないため、多くの障害者は施設での生活を強いられています。また、2005年には障害者も介護保険の対象者になります。これには不安を抱かざるを得ない状況にあります。これまで、ある意味進んできた福祉が、初めて後退を見るような気がします。そうならないように、1970年代に引き起こした障害者運動のうねりが、今また必要な時にきたと感じています。

(やぎゅうくみ 自立生活センター「フリーダム21」)