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列島縦断ネットワーキング

埼玉
脳外傷友の会「さいたま」の発足

 三上紀男

娘の障害

 1.知らない人には戸を開けない、2.ドアチェーンを絶対はずさない、3.「留守番の者です」と言って帰ってもらう、4.それでも帰らず何か言われたら、近くに住む姉か隣家の人を自分専用の携帯短縮で呼んで来てもらうこと
 と、玄関の内側に注意書が貼ってあります。
 1人での留守がおぼつかない娘のためのもので、以前押しの強い訪問販売に契約させられそうになったことへの対策です。
 電話にも、1.自分の携帯には出ること、2.家の電話には出ないこと、としています。身内しか番号を知らない携帯では、分かりやすく、ゆっくりと話せば意思が通じますが、家の電話の場合は相手が分からず、何を言われても耳から間いたことを頭で内容をまとめたり記憶したりすることができません。
 もっとも心配なのは火の始末で、火をつけても消し忘れがあるからです。使わせないのが安全なのですが、将来のことを考えると禁止することもできず、過熱防止レンジにしました。
 忘れて困るところすべてに張り紙がしてあり、1人での買物は遠い所では道順が記憶できず迷子になってしまうので、近くのコンビニへほしい物、頼まれた物を必ずメモして行きます。以前は珠算の検定ももっていたのに暗算もできなくなり、買物の時お金は多めに持って行きます。
 娘は平成2年11月、18歳の時に友人運転の乗用車の助手席で事故に遭いました。免許取りたてで怖さも知らず、スピードの出しすぎによる運転ミスで反対車線に飛び出し、対向してきたトラックと正面衝突、呼吸停止のまま救急病院へ搬送されました。
 生死の境をさ迷い、約2か月の意識障害が続いたままいく度かの手術を経て深い昏睡からの生還、ただただ感激するばかりでした。昏睡の間にもリハビリの先生に手足の関節を動かしてもらっていたので、車いす生活も驚くほど短期間で自立歩行となり、退院し、自宅へもどれた幸福感に包まれていました。この時は幼稚で依存的な様子にも、生まれ変わったように別人となったことには全く気付かず、このまま時間はかかっても完治するものと信じていました。
 しかし、体力、気力が徐々に回復してくると、感情の起伏が激しい異常行動が目立ち始め、見境なしに人や物に当たりちらし、夕方になると突然家を飛び出て迷子になったり(記憶障害という自覚がないので人に道を尋ねない)、死を口にしたり、刃物を持ち出したり、一時も目が離せず途方に暮れる日が続きました。
 歳とともに少しずつ落ち着きが出てきましたが、平成6年6月、自宅にこもってばかりではと将来のことも考え、公的機関や施設を利用させてもらおうと調べてみると、身体障害者手帳が不可欠とわかりました。そこで、通院先から診断書を書いてもらい申請をしました。診断書には脳挫傷による見当識、記銘力障害、計算能力低下を認めると所見されていましたが、自立歩行や多少の不自由があっても身の回りのことが自分でできるとの判断で該当しない、と却下されてしまいました。

脳外傷友の会「ナナ」への参加

 今後、公的援助は利用できないものとあきらめていた平成10年朝、新聞を読んでいると、娘とまったく同じ症状と言っていいほどの内容の記事が掲載されていました。
 「高次脳機能障害」という病名があることを、その時初めて知ったのです。その中では脳外傷を負った場合、運動マヒ、失調症、復視、言語障害、記憶障害、意欲障害、性格変化、情緒障害などといったさまざまな障害が発生するということや、そのような障害を負ってしまった脳外傷者や、その家族が集う会があるということなどが書かれていました。早速調べて教えていただいたのが、神奈川県にある脳外傷友の会「ナナ」だったのです。神にもすがる思いで入会させていただきました。
 入会直後にあった交流バーベキュー大会や、その後数回の学習会や講習会に参加したのですが、神奈川までは時間がかかることもあり、「ナナ」の大塚副会長の勧めもあって、地域別で交流や集会をしようということになり、埼玉県障害者交流センターで、県在住14家族で集会をもつことになりました。埼玉県総合リハビリテーションセンターの協力もあり、過去に脳外傷を負った方々に連絡を取っていただきました。

脳外傷友の会「さいたま」の発足

 平成12年に入り、県内での会の結成を考え準備委員会を発足させ、協議の結果、分かりやすく脳外傷友の会「さいたま」と会の名称を決め、総会へ向けて会場の準備や案内状などの作成で忙しい毎日が続きました。
 梅雨空の6月14日、埼玉県障害者交流センターホールで、設立総会を開催しました。約100人の参加者があり、議長選出、議案提案、会則、役員、事業、予算と続き、来賓としてリハセンター長、県立大講師、県障害者センター長、日本脳外傷友の会東川会長の心のこもった祝辞をいただき、共に支え合いながら力を合わせて会を発展させなければと決意を新たにしました。最終的には正会員65人、賛助会員15人の登録がありました。今現在も問い合わせが多くあります。今後の活動としては、会報発行、学習会、親睦会など、また4月1日には日本脳外傷友の会が発足したので、「さいたま」も運営委員として参加させていただきました。
 近日中に日本脳外傷友の会が、国際脳損傷協会へ加盟することを思い、世界レベルの情報を取り入れて脳外傷リハビリテーションの方法を探り、社会的不利を改善するための啓発活動、そして脳外傷は決して稀な出来事でなく、交通事故でいつ障害を負うかもしれないことを、事故防止も視野に入れて活動したいと思っています。

(みかみのりお 脳外傷友の会「さいたま」会長)