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二次障害考(2)

二次障害なんて怖くない

玉井明

♪ひとつ山越しゃホンダララホイホイ
もひとつ山越しやホンダララホイホイ
越しても越してもホンダララホイホイ
どうせ、この世はホンダララホイホイ
だからみんなでホンダララホイホイ♪

 六〇年代当時クレージーキャッツの植木等が唄い、青島幸男が作詞した『ホンダララ行進曲』は、まさに障害者の二次障害の悲哀を端的に歌っている。私たち障害者の人生そのものが、幾度かの山を乗り越えて、現在の自立生活を勝ち取って、やっと得られたものだと思う。そのことは、重度障害者だけのことではなく、障害をもっている人全般に言えることでもある。
 私たちは時には頑張り、時には挫折を感じながら生きてきた。しかし、四十歳も過ぎるとその頑張りが、アダとなり、療護施設入居者がある日突然死んでしまう、いわゆる突然死が諸先輩方を襲ったことも少なくはない。一般的に全身性障害者及び中途障害者(脳性マヒ者を含まない頸髄損傷者や脳血管障害者など)の医療的なケアは確立され、どこの病院に行っても、それほど変わりがない治療が行われている。ところが、脳性マヒ者だけが、歳をとればとるほど医療から離れていってしまうのが現状だ。
 私のまわりの脳性マヒ者には、加齢とともに二次障害と思える障害、頸椎や腰椎がアテトーゼの緊張により変形する症状が出てきている。今まであまり注目されていないが、一九八六年日本社会事業大学の佐藤久夫先生が『脳性マヒ者の身体機能低下と健康問題に関する調査報告書』を出した。
 神奈川県においては、横浜市立大学の安藤徳彦先生と共同作業所全国連絡会との共同研究で、いわゆる環境や社会的要因を視野に入れた分析を行い、地域作業所の脳性マヒ者や療護施設の脳性マヒ者、また一般就労している脳性マヒ者の健康調査を行った。その結果、環境要因や社会的環境までを取り入れたリハビリテーションや医療的ケアが必要とされることが分かり、現在でも大きな課題となっている。しかし障害当事者も医療関係者も、あまりその問題には触れたくない、怖い問題とされ、あまり世に出てこない。実に困ったものである。
 私に頸椎症らしき症状が出たのが二十七歳。初期症状としては時々腕の付け根がピクピクしたり、すり傷のようなピリピリとした痛みを感じた。そして本当に変だなと気が付いたのは、三十歳位の働き盛りの頃で、職場でキャッチボールをやっていたところ、グローブに球が確かに入っているのに、ポロリと落ちてしまう。つまり握力低下が起こったのである。そして肩甲骨と脊髄の間あたりの肩こりがひどく、子どもの頃入園していた、元「県立ゆうかり園(療護施設)」で初めてレントゲンを撮り、診断を受けた。すると、頸椎の間が変形して、狭くなったと言われ、何も告げられず、痛み止めと緊張を抑える薬をもらった。
 その後三十五歳位になって、空を見上げたり、粉薬を飲む時に、痛くて上を向けない状態になった。朝起きると首が痛く、電気が走るような独特の痛みになってきた。我慢できず地域の開業医のところへ行き、ホットパックやけん引、さらに痛みのひどい時は局部注射を打ってごまかしながら、仕方なく仕事をしていた。四十歳になって急に足のつま先が上がらなくなり、地面につっかかってころびやすくなり、手も上がらなくなる神経症状が起きてしまい、神奈川の諸先輩方と同じ入院オペというコースをたどった(ちなみに私は、脳性マヒ者の頸椎症のオペのゴッドハンドと呼ばれている横浜南共済病院の大成克弘ドクターの七十七番目のオペの患者である)。
 私の場合、七本ある頸椎の三番から六番までが悪く、前方固定術で、後方は圧迫された神経を緩めるための手術を行い、針金を頸部に埋め込んで固定し、緊張を抑える治療を行った。つらい術後を耐え、リハビリを経て、一年後に職場復帰した。
 手術をしてみて思ったことは、完全にはよくはならないが、進行は抑えられたということだ。かつて、療護施設などで突然死してしまった人々は、頸椎の一番と二番辺りの神経が圧迫され、呼吸中枢に異常をきたして亡くなってしまったと大成ドクターは言っていた。
 今年の二月、腰椎の神経を圧迫している脊椎の変形を削るオペ(IPPP)をした。術後八か月になるが、頸椎の時のような固定術ではないので、いつどうなるかわからないが、頑張って仕事や地域生活をしている。
 結論として、医療や施設関係者は、脳性マヒ者の実態を把握しきれていない。ここに根本的な問題がある。トータルな人生を考えて、三十歳になったら医療チェックを義務付ける必要性を痛感している。そして、児童期のPT、OT、養護学校教師、親に、私たちの現実を把握したうえでのリハビリテーションを捉えてほしいと思っている。
 松坂大輔が果たしていつまで一五五キロというスピードのある球を投げられるか、それに近いものが脳性マヒ者にもあると思う。

(たまいあきら 厚木市障害者生活支援センター代表)