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体験  電動式人工喉頭(EL)を使って
手話学習のためのおすすめ本

日下部幸子

 「これは手術をしなくては駄目ですね!舌と声帯を取ることになるので、術後は声が出なくなります」 平成元年五月、私の口の中にできた固まりの一部をつまんで検査室で調べていうした先生の、第一声でした。そうです。私は舌根癌になったのです。
 三月頃扁桃腺にしてはなかなか治らないわ!ひよっとしたら・・・と心配になり、思いきって病院に行きました。
私は二つの考えに迷いました。
それは、周りの人には迷惑をおかけするけど、すぐ手術をしていただいて、子どもの行く末を見届けるため命を延ばそうか!それとも、手術は嫌!と駄々をこねるふりをして半年位で死んでしまおうか!そんなことを考えていました時、夫が「どんな姿になってもよいから早く帰っておいで」と私の心を見透かすように言ってくれました。
 術後は、やはり声が出ませんでした。不安な日々が一か月ほど過ぎ退院の日が決まった頃、機械を使って話す方法があると小耳にはさみました。
九月、喉頭癌で声を失った方々が、もう一度話ができるように勉強している銀鈴会へ行きました。「舌を切っているからむすかしいかもしれない」と言われ、半信半疑でイタリア製の電動式人工喉頭を手にしました。一年が過ぎましたが、ア・イ・ウ・工・オ、何を言っても分かりません。早い方は一か月も練習するととても上手に話をしています。ニ年が過ぎても口を開けると唾液がポタポタ落ちるだけで、何を言っているか、さっぱり分かりません。それでも周りの皆さんに励まされおだてられた日々が続きました。五年が過ぎた頃、「あ行」と「ま行」がどうにか分かるようになりました。そこで私は考えました。夫の名前は「護」と言います。「ま行」が二つも入っています。夫のいない所で「ま・も・る」と練習しました。「よし、夫に分かってもらえる!」と自信がついたある日、夫に感謝の気持ちを込めて、「ま・も・る」と大きな口を開いてゆっくり言いました。夫は驚き、そして大変喜こんでくれました。それからの夫は、ELの声を聞くコツをつかんでくれて、一番の理解者となりました。一度は諦めた会話をどうにかできるようになりました。今はこのELが唯一、私の気持ちを伝えてくれます。
 二年くらい前に、国産のEL「ユアトーン」が発売されました。ユアトーンには、歌が五曲組み込まれています。私も時々歌って楽しんでいます。
また、今年の九月、NHK教育テレビで手術前の私の声をコンピューターでよみがえらせる、という番組に参加させていただきました。十一年前の私の声がコンピューターのマイクから聞こえた時は感激しました。本当に私の声だったのです。早口で鼻声で・・・夢か?とも思いました。もっと研究が進んで小型化されてELの中に組み込まれたり、喉に埋め込まれたりしたら・・・、いろいろ考えますとワクワクしてきます。
 これまでコンピューターは遠いものと思っていましたが、あの日以来身近に、また楽しいものになりました。これからは健康に気をつけて、お世話になった方々と会話をして安心していただこうと思います。

(くさかべゆきこ 社団法人銀鈴会EL指導員)